明治東亰恋伽 短編 | ナノ


ここは神楽坂。芸者の集う街。
日光が照っている時間帯は光から逃れるようにひっそりとしたその場所は、やがて日が沈めば座敷の上で男女が一夜を騒いで過ごす娯楽施設となる。
決して吉原や島原と言った遊郭ではなく、女たちはあくまで男たちに芸と癒しを売る場所だ。

「はぁ〜…。」

そんな神楽坂の昼下がりに、窓に頬杖をつく一人の女芸者がいた。女は憂いを帯びた瞳で遥か遠くを眺め、黄昏ている。最近は随分とため息をつく回数が増えたようだ。
通りすがりにそんなある女の姿を見つけた芸者が一人。
芸者はその女の姿にまたかと呆れのため息を漏らすと、使いを頼まれていたのを少しの寄り道だと言い訳をでっち上げて近づいた。

「若菜。」

芸者の声に女は振り向く。芸者はその女の近くまで来て見下ろしていた。普段から華奢な背中が、端気のない雰囲気がまた一層頼りなさげに映る。
女は若菜と自分の名を呼ばれて愛想笑いで返事を返すが、その雰囲気も普段共に座敷に上がって仕事をする時よりも儚く、芸者は釣られてため息を吐いた。

「………はぁ…。」

「音奴?」

「これだから女は……。
どおしたのさ、若菜。そんな顔されちゃあ、使いもロクに行けやしないじゃないか。」

若菜は自分が音奴と呼んだ人物が、自分を慰めに来てくれたことを悟り嬉しくなった。しかし若菜がその行為に甘えるのは、いくら一番仲のいい同僚であり友人の音奴だとしても、内容が内容なだけに気が引けてならなかった。
曖昧に笑う若菜を少しイラついたように眉を寄せた音奴は、その綺麗な顔を若菜に近づけて彼女の顎を持ち、遠まわしに言うのは自分の性に合わないと言わんばかりに口を開く。

「ああ、もう…。
もう何年も一緒に居んだ、あんたが何悩んでんのかは大方察しがつくよ。
あんたは仕事に私情を持ち込むやつじゃないってのもよぉーく分かる!
でもねぇ若菜。あたしぐらいにはその中のもん全部はいて楽になってもいいんじゃないの?」

若菜は音奴の直球な励ましに頬を赤くして照れ笑いをこぼすと、叶わないなと腹をくくった。音奴は全てを預けてしまえる雰囲気をもっていて、どこかあの人に似ていると内心微笑む。

「わかった、あんたには話すよ。
って言っても、そんなに大層な悩みじゃないのさ。女の淡い片想いよ。」

音奴は若菜の正面に座り込み、真剣にその話に耳を傾けた。

「この間、あんたのお気に入りの…鏡花ちゃんと街中で偶然あってね。そいで、時間もあるし少しからかってやろう、と思って後を追ったのさ。
鏡花ちゃんが向かった先は上野の舞台で、ほら、…川上、音二郎の……。」

音奴はその言葉に、それが自分の舞台のことだと察しがついた。鏡花ちゃんもなんだかんだ自分の舞台を楽しみにしてくれているのかと嬉しく思い、若菜にその続きを促した。

「それで?」

「……その先であったお人に、一目惚れ、しちゃったのさ。」

「……。」

膝を抱え、恋をする乙女の眼差しで畳の目をなぞる若菜。音奴はその瞳の先の人間を思うと内心が穏やかにはなれず、胸の内に潜むもやりとしたものが一層激しく渦巻く。なぜそれが長年一緒に付き添ってきた自分でないのかと感じている自分がいることには、随分前に気づいていた。

「それで、あんたは何でそんなに悩んでるんだい。
告白でもなんでもしちゃえばいいじゃないか。きっとあんたに告白されて落ちない男はいないよ。」

音奴は、投げやりに、このあたしが保証する、と豪語した自分の中に針で刺されたような痛みが広がるのを感じていた。その痛みには見て見ぬふりをして。

「馬鹿ね、音奴。
あんたはそんなに簡単に思いを相手に伝えられるのかい?
あんたは、それで玉砕するのを恐れないのかい?」

若菜の瞳は不安げに揺れていて、自分の言い聞かせるような響きを持っていた。それは身分の差でもあり、立場の関係でもあり、若菜の想い人の野望の邪魔になる感情だと知っている事が理由であった。
若菜の言わんとすることは痛いほど理解できている音奴は、その言葉が全て自分に帰ってきてしまい、どうしようもない思いを拳を握ることで抑えていた。

「……そんなこと、分かってるさ。」

「音奴?」

小さくつぶやかれた音奴の心の声が聞き取れず、若菜は目の前の親友の悲壮に歪んだ顔が気になって、その拳を両手で包んだ。

「なあ、若菜?」

「うん…何?」

いつもの活気のある笑顔では決してなかったが、懸命に若菜を安心させるように微笑む音奴の表情は、長年連れ添った若菜には、何かを押さえ込んで自分を思いやっている事が分かり、わけも分からず胸が切なくなった。

「お前は、幸せになれ。」

そう呟かれた声は、しゃがれた、落ち着いた雰囲気のある音奴のいつもの声よりも低く胸に響いた。それは若菜が好きになったその男によく似ていて、もしかすると自分は音奴に似ていたその人物を好きになったのかもしれない、と若菜は思った。

「似てる…。」

「ん?」

「……音奴と、あの人。」

その言葉にふ、と苦笑いをこぼす音奴は、内心自分が若菜の恋を応援しようと決意した矢先に言われ、揺れていた。全くこの娘は本当に惨(むご)いな、と結果的に苦笑いが溢れる。

「あたしが想い人に似てるって?
そりゃ光栄だねぇ。」

「違う。」

気づいてしまった、といった顔で若菜は音奴を見つめる。その変化にうん?と優しく微笑む音奴。

「音奴が似てるんじゃなくて、きっと私はあの人が…川上さんが、音奴に似てるから好きになったのさ。」

その言葉に息を止めた音奴は、頭の中で何度もその言葉を繰り返した。それは自分の妄想ではなく、果たして本当に現実なのかと。自分の想い人は…今、意中の相手を川上さん、と呼んだのかと。

「今、なんて……。」

「?
音奴?」

「今、なんて言った!?」

「……川上さん、川上音二郎さんが、音奴に似てるから好きになっ…」

次の瞬間には、音奴は若菜の体を抱きしめていた。その存在を確かめるように。
胸の内に広がる甘い痛みに、音奴はどうしようもない幸せに浸る。戸惑う若菜は音奴?と名を呼ぶが、今はこの吉報で胸が苦しいほどで、とても返事をできる状態ではなかった。
ひとしきり喜びを噛み締めたあと、音奴は先程からだまり倒していた若菜に向き直る。

「なぁ、若菜。
あんたやっぱ、告白してきな。」

「え、」

「大丈夫。絶対に成功する。」

音奴は、今まで若菜が見てきた中で一番嬉しそうで、幸せそうに笑った。







like me
(だってその人)(あたしに似てるんだろう?)









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補足です。【like me】で私に似ている(/私のように)。【I like me】で私が好き。【you like me】で貴方は私のことが好き(/似ている)なので、【お前が好きになった奴は俺に似ている】など、いろんな意味で捉えていただければなと思います。
ちなみに表題の色は【柳茶】と言いまして、二月(音二郎さんの誕生月)の伝統色です。色言葉だと【自信満々、流行に敏感、ユーモアあふれる人】という意味があるそうです。あながち間違ってはいないかもしれませんね。

このお話はリクエスト下さったあざみ様のみのお持ち帰りになります。ありがとうございました!