状況を見かねた藍屋さんは、扇子で口元を覆いながら私と高杉さんに咳払いをしてみせた。
「お二人共・・・あんまりうちの新造をいじめんといてくれますか。
特にみやびはん、あんたはもう一端の太夫やろ。」
「あら、藍屋さんだって実は扇子の下で笑っているんじゃないですか?
この子の初心(うぶ)も今に始まったことではないでしょう。」
その会話に、艶子ちゃんと高杉はそれぞれ違う反応を見せた。
「え・・・・・・、」
「ほぉ・・・・・・。」
「そないな事あらしまへんえ」
艶子ちゃんは藍屋さんに対して。高杉は私に対してだろう。
藍屋さんはいけしゃあしゃあと否定してみせた。絶対口元は楽しんでいる。
「みやび・・・お前、もうすでに太夫だったのか。
来たばかりでいきなり太夫なんて、どんな事情があったんだ。」
「色々ね。私は今でも自覚なしよ。」
呆れ気味に肩をすくませる。
興味ありげな高杉の視線が少しこそばゆかった。顔がいいだけに、コイツに見られると妙に気恥ずかしい。
藍屋さんもここぞとばかりに話をシフトし、話題を私に持っていった。ちくしょう。
「みやびはんも、そろそろ自分が有名やって自覚を持って行動してもらいたいもんどす。
この前もこっそり下町に出向いて騒がれてはったんやから・・・。」
私は藍屋さんの会話の巧妙さに恐れ入った。
自分に向けられる不利なことは綺麗に躱すのに、相手の痛いところを付いてくる。
「まあまあ、その話はいいじゃないですか。
まだ太夫になってひと月も経っていないんですから。」
「知らなかったぞ、こんな暴力的な太夫がいたなんてな。」
その言葉に私は少しムッとなるが、対照的に藍屋さんは優雅に微笑んでいた。
「みやびはん、みるみる評判になっていくさかい。
高杉はんも一度座敷に誘うとええどす。見違えるほどや。」
「本当に!お座敷でのみやびさん、すごく綺麗です。
芹沢さんとかの大変なお客さんにも嫌な顔するどころか、宥めちゃうぐらいなんですよ!」
「芹沢・・・?」
途端に冷える空気にまずい、と感じた。
高杉は長州浪士、壬生浪士組は幕府側なので敵対関係にある。
「恥ずかしいわ、この話はもういいじゃない。
それで、艶子ちゃん、どう?私もあなたなら太夫になれると思っているけど。」
「・・・私にはとても無理だと思います。
舞の練習で、着物の裾を踏んで転ぶくらいだから・・・。」
高杉はおかしそうに笑い、藍屋さんは頭を痛めていた。
フォローしようと思ったが、するまでもないかと苦笑いだけをこぼした。
*
高杉は、先ほどの鋭い空気を全く感じさせない表情でそろそろいいだろうと立ち上がった。
いいだろう、というのは、そろそろ壬生浪士もこの周辺から退いただろうということだと思う。
「艶子、藍屋。邪魔をしたな。」
「あ、いえ・・・。
あの、お気を付けて・・・?」
「もう来んといておくれやす。」
「いいや、今日はいいものが見れた。
そのうちまた顔を出すさ。」
ため息をつく藍屋さんににっと笑むと、今度は私に向き直った。
「また会おう、みやび。
お前とは末の長い縁がありそうだ。」
彼は窓に足をかけ、捨て台詞を吐いた次の瞬間には視界から消え失せていた。
艶子ちゃんは驚いた声を上げていた。
「え!ここ二階なんじゃ・・・!!」
「・・・・・・・・・はあ・・・えらいのに気に入られましたなあ。」
「気に入られたんですか?」
「そりゃあもう。悪い人やあらへんのやけどなあ。
・・・少々苛烈なところがあるのと、酒と女をこよなく好いてはるんがなあ。」
藍屋さんは、深い深い溜息を吐き出した。
桂はんの気苦労が伺えますわ。とつぶやく藍屋さんに、私は無言で頭を下げた。
ごめんなさい、うちのバカが。
『また会おう、みやび。』
全く、去り際に格好つけやがって。
私はあいつの去っていった方向に目を向けたまま、ポツリと独り言をつぶやいた。
「・・・もう来んな、馬鹿晋ちゃん。」
久しぶりに会った弟は、私の想像より遥かに大きな人間になっていた。
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