艶が〜る | ナノ

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藍屋さんに挨拶をして、私は置屋を出た。しかしまた目の前にそびえた壁は、宿泊先である。
この時間から見つかるだろうか。かと言ってまた置屋にお世話になるわけにもいかないので出てきたわけだが。
すこしの好奇心で、私は置屋の皆が向かった揚屋の様子を見に来た。
揚屋の人は昨日顔を覚えてくれたのか、私を見るなり近寄ってきた。

「あんさん、昨日の。
難儀やったなあ、結局泊めてもろたんやろ?」

「はい、おかげさまで。
今はちょっと置屋のみんなの様子を見に来たんですが、見学して言ってもいいですか?」

「うーん、ほんまは駄目なんやけど・・・。
・・・あ!あんさんに一つ、行ってきて欲しいお座敷があるんよ。
かの乙宮太夫の芸やったら、満足するかもしれんし・・・。」

「?」

化粧をしろと言われ、急いで髪の毛を上げ、簪を挿し、上等の着物を着重ねる。

ぽん、と、投げ込まれた座敷はまさに大乱闘、といった様子だった。
お猪口は割れ、酒は撒き散らされ、食事はひっくり返る。
その中に花里ちゃんと菖蒲さんの姿を見つけるが、花里ちゃんは怯えて隅で菖蒲さんの様子を心配そうに見守っていた。
菖蒲さんは主犯であろう、既にべろべろに出来上がっていた男性に腰を持たれていた。嫌な顔一つせずに対処しようとしている。
他にも座敷には大勢の男性がいるが、誰も何も言わないことから酔っ払った男性は身分が高いのだと伺えた。

瞬時に状態が掴めた私は、まずは集まる視線に答えようと頭を下げた。

「――乙宮太夫と申します。今宵はよろしくお願いします。」

もう一度顔を上げるとき、艶のある微笑みでその酔った男性をちらりと見る。
思わせぶりな態度は得意だ。
色気のある声も、三味線の腕にも自信がある。

「ふん、太夫か。
少しは楽しませることができるんだろうな!」

「はい。一曲、お付き合いいただけますか?」

隣に置いた相棒の三味線を取り出す。
レパートリーはいろいろあるが、今回はメロディを少しだけアレンジした都々逸。
尊敬する作者を、詩を、心を。切ない恋の詩を。想いを代弁して、三味線と声に乗せる。
視線は酔った男性から離すことはない。色気のある声で、誘うように。敢えて恋の詩ばかりを選んで

詠い終わると、少しして拍手が聞こえてきた。

彼は、鼻をふんと鳴らすこともせずに静かにお猪口を持ち直した。


「―――仕切り直しだ。」

「・・・お注ぎ致します。」

その後は、なんとも静かだった。
私は恋するように彼を慕い、ただただ彼の独話に付き合った。

「旦那様があの壬生浪士の筆頭局長、芹沢さまでございましたか。
噂はかねがね伺っております。お話しとうございました。」

「ほう、どんな噂だ。」

「日々京の治安を守るため骨を折られている、素晴らしいお方だと。
旦那様のお陰あって、私どもは安心して過ごせるのです。」

「ふん、当然だな。
お前は素直で賢い奴だ。気に入った。
どれ、今度は舞でも見せてもらおうか。」

「舞もいいですが、私はもっと旦那様とお話がしたい。
もっと、一緒に居ましょう?」

顔を近づけて、誘惑するように。
気分を良くした芹沢さんは、私の腰を引いて、接吻をしようとした。
しかしその唇を指でそっと触れて遮る。少し、眉間に皺が寄った。

「あら、旦那様。
私はこれでも太夫の端くれ、段階を踏み忘れておいでではありませんか?」

「・・・太夫のようなものが何故この座敷に来た。」

「京の治安を守る壬生浪士さまに、どうしてもお会いしたくて。
今宵は特別に参上したまでございます。」

「なので、次のご指名の際は・・・」


段階を踏んでいただかないと、


内緒話をするように、彼だけに聞こえる声で。
長いこと人を楽しませる職業をしていれば、遊女の経験など無くても人を悦ばせることができる。

ここまでくれば、あとはこちらのものだ。
・・・とはいうものの、私はここの揚屋で契約しているわけではないので指名しても会えないのだが。



やがて、門の閉まるギリギリまで座敷にいた壬生浪士組は、その後なんの騒ぎもなく座敷は終了した。
芹沢さんは機嫌よく帰っていき、花代は揚屋側が提示した代金の一回りは多い花代を払っていった。
座敷では芹沢さんにつきっきりで他の人とちゃんとした挨拶はできなかったのだが、壬生浪士組はどうやら後の新撰組のようだ。
芹沢さんの独り言から聞こえてくる名前は、土方だの、近藤だの。
誰かは知らないが、座敷に来ていた誰かだろう。本人の前で悪口とは、本当に刺されるのではないだろうか。

結局、揚屋さんとたくさんの遊女に感謝された私は、今度は揚屋さんと菖蒲さん、花里ちゃんと一緒に藍屋さんにもう一晩泊まらせてくださいと頼み込む事になった。
しかし藍屋さんは既に事のあらましを聞き及んでいたようで、頼み込むまでもなく頷いてくれた。
そうして私は一度感謝を述べた二階の艶子ちゃんの隣の一部屋に、もう一度頭を下げることになったのである。




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