過去拍手夢 | ナノ
「おかあさーん!
ひなあられ、買ってー!」

「だーめ、昨日買ってあげたじゃない。」

すれ違う親子の会話が自然と耳に入った際に、そうか今日はひな祭りだと思い出す。
家には雛人形が飾ってはいないから、すっかり忘れていた。

コンビニの商品棚の見やすい位置には、ひなあられやら菱餅(ひしもち)やらが置いてあった。





今日、本田さんのお宅へお邪魔してもいいかな・・・。


私は頭の中に記憶してある買い物リストの中に、ひそやかに白酒を加えた。





私は向こう三件両隣の、向こう三件の部分に位置している大きい日本屋敷の玄関の前に来ていた。
この広いお屋敷には、本田菊という、妙に年老いた発言が目立つ青年が愛犬と一緒に一人で住んでいる家。
普段から共働きで忙しい身の両親が帰ってこないときは、私が高校生時代からこうして本田さんのお家にご飯を作ったり、ご馳走してもらったりしていた。

ジリリリリ、という反普遍的な呼び鈴の音を響かせて本田邸の扉の前で待っていると、少しして愛犬ポチ君の元気な鳴き声が聞こえてきた。
はいはい、なんて少しおじさん臭い返事をしながら近づいてくる声は、しかし落ち着いた青年の声。
戸をカラカラと50センチほど開けた本田さんは私を確認すると、首を傾けて微笑んだ。

「貴方でしたか。」

「へへ、来ちゃいました。」

1年前から変わらない。いつもとまったくおなじ会話をしながら私は本田邸に足を踏み入れた。



「本田さん、今日はひな祭りですね。」

「ええ、そうですね。
梅も見ごろも過ぎ、気づけばもう春ですか。早いものですね。」

「ふふ、本田さんおじいさんみたいですよ?」

私がくすくすと忍び笑いをしていると、彼は決まったように爺ですから、と発した。
いつもと変わらない、そんな日暮れ時。

私が桜の木の立つ庭がよく見える渡り廊下でゆっくりとくつろいでいると、本田さんは菱餅を持ってきてくれた。
御菓子ではない、ちゃんとした実物を見るのは初めてだった。

「わあ、これ菱餅ですよね。
さすが本田さん、和のモノに関してはプロフェッショナルですね。」

「ふふ、爺ですから。
知っていますか?菱餅の赤い餅は先祖を尊び、厄を祓い、健康を祝うためと、桃の花。
白い餅は清らかさと残雪、白酒を、緑の草餅は新芽と若草を表すんですよ。」

「へぇ、そうなんですか。
ひな祭りはなんとなく祝ってきただけだったので、知りませんでした。」

「まあ、日本人は皆さん、クリスマスやお正月もゆるく楽しんでいますしね。
特に知らなくても恥ずべき事ではないですよ。
それに今日は、女の子の日なんですから。爺に出来るわがままは聞きますよ?」

「あ、そうなんですか?
じゃあ少し、一緒に付き合ってくださいな。」

そういって私が取り出したものは、白酒。
それを視界に入れた本田さんは、少し困ったように笑った。

「おや、まだ未成年の方が、いけませんね。
でも・・・今日は大丈夫でしょう。白酒ですし。」

意外と乗り気な本田さん。
私は嬉々としながら戸棚に本田低にある盃を手に取った。



*


「・・・はふ、白酒でもちょっと酔っちゃいますね。」

「おや、飲みたいと駄々をこねたのはそちらなのに、もうダウンですか?
これだから18歳は。・・・ふふ、今日はもうお開きにしましょうか。」

そういう本田さんの顔は、至って正常だった。
余裕の表情にちょっとむっとして、私は気づいたら立とうとしていた本田さんの着物のすそを掴んで引き止めていた。

「・・・本田さん、まったく酔いませんね。
もっと飲めばいいと思います。」

もう、自分でも何を口走っているのか理解不能だ。
それでも、今日はそれでいいかな、なんて思った。

「なにをいっているんですか。
二人で酔いつぶれてしまったら、誰が貴方を介抱するんですか?」

「む・・・、
今日は女の子の日ですよね?
私のわがままを聞いて・・・もう少しだけ。」

我ながら小ざかしい手段だ。
それでも困った笑顔を崩さない本田さんは、やっぱり人間できてるなと思ったけど、その反面私のことをなんとも思ってないことがわかって寂しくなる。

「仕方がありませんね。
そっちがその気なら、私も何があっても保証しませんよ?」

「私的には、何かあってほしいです。」

本田さんに恋をしているのも、随分と長い。
本田さんは少なからずそれを察したのか、朗らかに、でも少しばかり瞳の奥を揺らす。

「まぁ、それはないのではないかと思います。」

「・・・、どうしてですか?」


私がそんな質問を投げれば、彼は決まったようにこういった。






「爺ですから。」







あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり

お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔

金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣

着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日

なによりうれしい ひなまつり







すこしだけ、

(悲しい顔した)(内裏様)