時折彼は名前を呼ぶととても悲しそうな顔をする。ふたりきりの時は名前で呼ぶのはお約束で、いつもならあんな顔を彼は見せない。見るたびになぜだろうと思うのだが聞き出すことはできなかった。いつか彼がそんな顔を見せない日が来ると臆病を隠して。




「猿比古さんどうしました?」

仕事がおわりいつも通り伏見さんの部屋で二人で過ごしていたのだが伏見さんの様子がいつもと違う。少し元気がないように見える。ああ、この調子ならきっと名前呼ぶの嫌がるだろう。それでもなにも知らないように呼ぶ。

「猿比古さん?」

やっぱり悲しそうな顔をしてる。俺はそんな彼をいつまで気づかないふりをするのだろうか。そんなことを思っていたせいか眉間にしわがよってしまった。それをめざとく見た伏見さんはさらに悲しそうな顔をした。

「なぁ氷杜。気付いてるんだろ。」

「なにをですか。」

「俺が名前呼ばれるの嫌がってること。」

どう答えればいいかわからずに黙ってしまった。気づいてたと言えばいいのか、それともそうだったのかと返せばよかったのか。
何も言わない秋山に焦れたのか伏見は一息吐いて窓から空を見上げた。

「俺の名前呼ぶのって美咲ぐらいだったんだ。親は俺の名前なんて呼ばなかったし他に呼ぶようなやつもいなかったし。だからか美咲のこと思い出すんだ。ちゃんと氷杜が呼んでるってわかってるのにな。」

そういい、伏見は膝を丸めた。かすかに見える横顔は泣きそうに見えた。自分は何をしていたのだろうか。こんなに悩んでる彼を見て見ぬふりをしていた。臆病になっていた自分がひどく憎い。

「美咲はどうしても俺の中から消えない。なんでだろうな。ほんとに。」

「俺はあなたの中で八田さんが特別なのは理解してます。あなたの世界をどんな意味でも変えた彼があなたの中で残り続けることもわかってるつもりです。でも、いつまでもあなたのことを縛り続ける彼を俺は恨めしくも思います。」

そう言うと秋山は膝を曲げ伏見と目線を合わせるように顔を上げさせた。目には涙がたまっていて今にもこぼれおちそうだった。秋山は伏見と額を合わせた。少しでもここにいるのは自分だと感じて安心してもらいたかった。

「俺は何度でもあなたの名前呼びます。あなたが彼のことより俺のことを思い出してくれるようになるまで何度だって呼びます。彼が変えたあなたの世界を優しくあるように俺がまた変えて見せます。」

「氷杜はいいのか?俺はまだ美咲のこと引きずってる。氷杜も好きだけど美咲だって特別だって俺は言ってるんだぞ。」

「かまいません。それでもあなたが俺のそばにいてくれるならいいです。それに彼を恋愛的意味で特別と思っているわけではないのでしょう?」

「美咲相手に恋愛感情とかありえない。」

それを聞いた秋山は伏見の涙がたまった目元にキスをして安心したように伏見を抱きしめた。伏見もおそるおそるだが秋山を抱きしめ返した。

「ねぇ名前呼んでもいいですか。」

「…いいって言わなくても勝手に呼ぶんだろ。」

「ええ。呼びます。ずっと呼び続けます。」

「…氷杜。」

「猿比古さん。猿比古さん。愛してます。」

「氷杜、俺もちゃんと好きだから。」

照れながらも伏見が応えてくれたことがうれしかった。くすりと笑いながらなんでぐだぐだと考えて踏み出さなかったんだろうかと思った。
歩み寄ることはこんなにもたやすいんだ。



(あなたの世界をもっと優しい世界へ書き換えたい。)






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