「疲れましたわね、ピンクちゃん」
書類の山に囲まれながら、空いたスペースに体を横たえ、ハロと名付けられたそのピンクの球体を、指先で転がした。いつもなら返ってくる反応は、電源を切っているせいで静まり返るばかり。

ため息が漏れそうになった。


「議長、少しよろしいでしょうか」
と、短い電子音の後に聞こえてきた声に、慌てて横たえていた上半身を起こした。
「どうぞ」
今の自分の立場上…いや、元より自分の育ち故のクセか。
先ほどの態度とはかけ離れた凛とした声を出す。

「失礼します」一言の後、自動で開く扉から現れた、人。
端正な顔立ちに、癖のある鷲色の髪。透き通るアメジストの瞳は深く、少しばかり哀愁が漂う。

白の軍服を纏った愛しい、人。

「キラ」
「ラクス、お疲れ様」
キラの柔らかい微笑みに、ラクスの固まった空気が一瞬にして和らいだ。
キラも自分とラクス、二人しか居ないことに執務室前までの言葉使い改め、力を抜く。

「どうなさいましたか?何か問題でも?」
キラは軍に所属し、ラクスは今や国民から求められる政のトップ。根本的に在籍する位置が違う。
指揮官クラスといっても一介の軍人。特別な事例がなければ、そうそう対面できる事ではない。それなのに、こうして会うことができるのは、何か起きたのか、それともここプラント、プラント在属のザフトが寛大且つ組織が直結している故か。
「ううん。今は特にないよ。さっきイザークから報告書渡されたんだ」
衆の面前で思わず抱き合ったのは記憶に新しい。
真面目な彼、イザークが私情を持ち込むとは考えにくいが、これは忙しい二人を見かねての行動かもしれない。
だが、差し出された書類の束に、他人にはわからない程度に、ラクスの表情が僅かに曇った。

「ごめんね?」
「何故キラが謝るのですか?」
「うん、なんとなく」
「ふふ。ありがとうございます」
意図がない言葉に、調子を合わせて一つ笑う。そしてラクスは、再び文字が書き連なる書面に向かった。
「ラクス、疲れた?」
「??いえ」
向かった矢先の問いかけ。
声の発信者を振り仰ぐと、労りよりも確信したような表情で見つめていた。
「お茶、飲む?」
「あ、ではこの議案を読んだ後に…」
「じゃ、入れるね」
「……」
こちらの都合など最早無視に等しい。鼻から聞く気はないような物言いだった。ならば疑問符をつけるのはやめてほしいと、密かにラクスは思ったのだった。

「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ふんわりと香るダージリンに、幾分か落ち着いた気分になり、息をつく。

「甘えていいのに」

二口目を付けた後、またも脈略のない言葉がキラの口から飛び出した。
見やれば、平常通りの彼が居る。

「と、仰いますと?」
「何が…したい?今、何を思ってるの?」
いつもなら何気なく分かるキラの言動は、今は推測の領域を出る。

何がしたい?何を思ってる?

そんなもの決まってる。

「どうすれば世界は優しさに包まれるのでしょうか、と」
「じゃないよ。ラクスが、今、したいこと」
抽象的すぎる言い方だが、本当の本当に、思っていたことだった。
話の的は外していなかったはず。なのにキラは、そうじゃないと小さく笑い、首を振った。

違う?
困惑は晴れず、ラクスは再び首を傾げた。

「体を伸ばしたい?ケーキや甘いものが食べたい?休暇の予定を考えたい?…君、が、したいことだよ」


世界のラクス・クラインじゃないよ。
そう告げる笑みに、理解を深めた。

わたくしがしたいこと。

したい、こと。


それは。


「歌」

小さな口からぽつりと漏れた二文字。

「歌が。歌いたい、です」
「うん。聞きたい」

「……。よろしいのですか?」

言っておきながら、当然のように即座に受け入れられた願いに、ラクスは躊躇った。

「え、なんで?歌いたいんでしょ?なら歌ってよ。そう言えば、最近全然ラクスの歌聞いてなかったし…すごく聞きたい」

あ。って、もっとたくさんの人の前でって意味だった!?

意味を取り違えたかもと焦るキラに、今度は切なさが胸を締め付け、その蒼穹の瞳は揺れた。

きっともうラクスが人前で歌うことはない。
この先のことはわからないけれど、世界と自分とを考えると「今」わかることは、きっとないに等しい。

言わずとも、世界が許してはくれないと感じていたから。

無言の強迫。

無意識の制圧。

ラクスの母や皆が好きだと言ってくれた歌は遠い。

その中でキラが、何の障害もなくあっさり快諾した。
ラクスの立場を解っているだろうに、あっさり歌えと言った。
それは、ラクスの中の核に優しく触れる。
何もかも世界が中心となるラクスの想いに、それは優しく。けれど強い意志を持って。


「いえ。あなたの前で歌いたいですわ。聞いて下さいますか?」

「うん、もちろん。僕の方こそお願いするよ」

ほんのりと嬉しそうに頬を染めるキラに。



歌姫と呼ばれた彼女の歌声は、しばらくの間、止むことはなかった。


その外で、漏れ聞こえる音色に、通りすがる人々が、微笑みを向けていることに気づかぬまま。



END


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もっと二人絡んでイチャラブさせたかった…ななんでラクスが歌えないのか、あんまり書けなくて、中途半端になって残念です…orz
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