数年ぶりにマサラにある家に戻ってきた時、一番に自分の存在に気づいたのはヒカリだった。玄関先で折った脚の間に顔を埋めていた小さな背中。顔を上げ、自分を認めた時、声を上げて泣きついてきた。ヒカリのそれが、もう一度自分の中の張り詰めた物思いを緩め、また涙が出た。

ごめん。ごめん。

ヒカリの体に手を回し、二人暫く泣いた夕暮れ。

その騒ぎに出てきた母さんの表情はなんともいえず、鋭利な物で胸を突いた。
その場で崩れたことにより、後ろにいたタケシとカスミが駆け寄る。
自分は。
傍に行くことができなかった。足が。
動いてくれなかった。


大丈夫よ。
そう言って自分の足で目の前まで来た母に、逆に逃げ出したくなる。

「サトシ…」

昔と変わらない声で名を呼ばれ、肩に手を置かれたことに、ビクリと体が震えて。


それに、フと笑われたような気がして顔を上げれば。
先程とは違う力強さで抱きしめられた。



「おかえり。おかえり、なさい。おかっ……よかっ……」


「母さ……っママ!」


あれから。
自分が世間に絶望してから。
どれくらいの時間が経ったのかわからない。

それでも変わらなかった母の温もりに、歳を重ねた自分は幼心に帰る。


すべてのことに謝りを。
すべてのことに寛大と理解の要求を。


俺は。


母の胸の中で。


生まれ出た赤子のように。



泣いた。




*****************


「………」
「あ、おはよ!サトシ!」
「…あぁ、おはようヒカリ」

そのまま泣きつかれたのか、いつの間にか寝たらしい。
気づけば朝になっていた。

「…………」
「もうすぐ朝ごはんの支度できるみたいだから、顔洗ってきなよ」
「え?あ、あぁ。……タケシたち、は?」
静かなリビングで食器を並べているヒカリに問い掛ける。
「タケシはママさんのお手伝いで、ご飯の準備してるよ。ハルカたちは庭の方でポケモンたち見てる」
「ふーん」

久しぶりに帰った我が家に、安らぐ気持ちがある一方で、知らない家に来たみたいでそわそわと落ち着かない。

だからヒカリのいうとおりに顔を洗おうと洗面台へと向かった。
途中、欠伸をしながら、擦り寄ってきたピカチュウに、おはようの挨拶に頭を撫でる。


再びリビングへと戻った時には、既に皆が席についていた。
そして気づく。

「あれ、カスミは?」

「あぁ、カスミなら朝早くハナダに帰ったよ。ジムが心配だって。また来るって言ってた」
「そっか…」

カスミはジムリーダーだもんな。
そう気に留めることもなく。

「いただきます」

数年ぶりの母の料理を味わうために、実りを食すことに感謝を込めた。

「で」
カチャカチャと食器の重なる音だけの静かな朝食の空間を破ったのは、斜め前へと座るタケシだった。

「?」
「これからどうするんだ?」
「………」

母さん、ケンジ、ヒカリ、ハルカ。
みんなが注目する。
フォークを持つ手が。

止まる。

「まだ、決めてない。まだ、どうしていいか…わからない」
まだ整理が出来ているわけではないから。
「そうか…」

「でも、暫くはここに居ようとは思ってる。今は何も考えたくないし。…って、ついつい考えちゃうんだけどな」

なんて情けなく笑ったら、皆がほっとしたような空気を醸し出すから、また心の中で一人ひそかに笑った。


「それもいいかもしれないな。ちょっとの間、休息、な」

「あぁ。それに母さんの料理が美味しすぎて、離れられないのも事実だし」
「まぁ、生意気に言うようになったわねぇ」

「じゃあじゃあ、たまに遊びに来てもいい!?」
「あ!私も私も!今度はマサトも連れて来るから!あの子もかなり心配してて…」
「あぁ、もちろんだよ」


続く会話に、安堵と居場所を覚える。
先程から思っていた。
なんなんだろう。
このすっきりしたような感覚は。

心が。

ほんのり暖かさを燈す。



「でね、その時ポッチャマがうずしお発動させちゃって…」
「マサトなんか私の…」
「あのお姉さんは…」
「へー。僕もまだまだ観察が…」


変わらないみんなの物語は楽しくて、嬉しくて、優しくて。

自然に笑ったのは何時ぶりだろう。


ふと母と目が合った。

何も言わずニコリ。
それがすべてを語っていて、自分も微笑み返す。


何も解決していない。
自分の中の蟠りが消えたわけじゃない。
これから膨大な時間をかけて何かを考えていかなければいけない。


また逃げ出したい気持ちがある。
不安や誹謗もある。

けれど、やっていかなくちゃいけないんだなって思う。
向き合う必要があるんだって思う。

「ピカピ」
ずっと居てくれた相棒の呼びかけに。

「サトシ聞いてんのー?」
「サトシはまだ夢の中なんじゃないのか」
「サトシってば変わらないかも!」
「サトシらしくて良いってことだよ」
「サトシおかわりは?」


頑張っていかなくちゃな。
この場所からでも望める、青い空を見上げれば。
自分の望む世界へと戻ることは、きっとない。
きっと周りが許さない。
そのことがなんだか嬉しくて。

光輝く太陽に誓いをたてる。



「ただいま」




end