気がつくと、私は暗闇の中で手を伸ばしていた。
手が何かを掴もうとし、虚空を切った。



あぁ、私は死んだのか。



ついぞ何もなし得なかった自分の手のひらをみて、そう独白した。

縁壱になりたかった。
それに気付いた時には自分は醜悪な姿に成り果てていて。

強く、強く。強い、侍に。
本当に渇望していたものから目を背け蓋をして、それに気づかぬまま鬼となり、数百年と鍛錬(とき)を重ねた。
結局なることはできなかった。
残ったのは醜悪な自分だけ。


おぞましい。


脳裏をよぎるのは最後の自分の醜悪な姿と弟の姿。
嫌になってきて頭を振った。

…ところで、ここはいったいどこなのか。
どこにも光は見えぬが、ここが地獄とでもいうのだろうか。眼を凝らしてみても何も見えず、闇に包まれている。





「巖勝殿」
「…!」


不意に後ろから声がした。
聞き覚えがある声だった。
ぐるりと振り向くと、淡く光る青い小袖を纏った女がいた。


「−−……」


瞬間口を押さえる。
私は今、なんと……。
女は、−−は私の言葉に少し目を丸くして、次いで笑んだ。


「覚えていて下さったのですね」
「あ、あぁ……」


急に記憶が戻ってきたような、色褪せていたものに色が戻っていく。
死ぬ間際には顔も思い出せなかったはずなのに、今は鮮明に思い出される。
長閑で、しかしどこか退屈であったあの日々。
つぅ、と頬を伝うものがあった。

−−が手巾を取り出し、少し慌てたように私のそれを拭う。


「お前や子を捨てた私の事を、お前こそよく忘れなかったな」


捨て置けばよかったものを。
女は少し悲しい顔をして、そのような事はできませぬ、と返してきた。しようとしてもできなかったとも。


「左様か」
「はい」


暫しの沈黙の後、−−は思い出したように話し出す。
巖勝が継国の家を去ってからの事。長男は立派に成長し、妻を娶り、子供にも恵まれたらしい。
赤子だった子も無事成長して、私に似た美人となり、求婚が絶えず大変だったと−−はからからと笑う。
様々ございましたと懐かしむような顔に、そっと手を伸ばした。温もりを感じたような気がした。


「−−よ」
「はい、何でしょうか巖勝殿」
「ここは、どこなんだ」


この世とあの世の狭間にございますよ。


この世とあの世の狭間、つまり地獄へ続く道ということか。
そう認識した瞬間、私達の周りをゴオと炎が囲った。私達をゆるやかに囲む炎は、その先で直前となり、それはまるで道を指し示しているようであった。

これに沿って進めば、地獄へたどり着くとでもいうのか。
炎に導かれるように歩き出した私の少し後ろを−−が続いてくるのがわかった。


「……何故お前もついてくる。お前は浄土へ行くのであろう」
「いえ、私は貴方と共に」
「鬼と成り果てた私の行く先は地獄だぞ」
「承知しております」
「子らが待っているであろう」
「いいえ。あの子達には貴方と共に行く赦しを貰いました」
「なんだと」
「もうお忘れでしょうが、私が家を出られる時に何と言ったか覚えていらっしゃいますか」


確か……、


「「いってらっしゃいませ巖勝殿。御武運を」」


−−は目元を潤ませながらも笑っていた。
今の−−と同様に。


「おかえりなさいませ巖勝殿。長い旅路お疲れ様でした」


いかがでしたか?


目元が熱い。
足を止め、少し後ろにいた身体を掻き抱く。前に変わらず、ほっそりとした身体であった。
温かい。


「何も成せなかった」
「はい」
「強き侍にと思っていたはずの自分は醜悪なモノと成り果てていた」
「はい」
「だが最後に気付いたのだ。…私は、私は強き侍ではなく、縁壱になりたかった」
「はい」


左様ですか。


「愚かだと罵れ」
「いいえ」
「結局お前達を捨てた私は終わりの間際にまで自分の本当の願いにすら気付けなかったのだ」


それだけで、家を捨てたのだ。


「良いのです。貴方がされたいようになされたのだから」
「しかし」
「それに、私は何となくではありますが、感じるものがありましたので」
「なに?」
「私を誰だとお思いですか巖勝殿」


縁壱殿が寺へと行かれる前からあなた方の側に、巖勝殿のお側にいたのですから。


「貴方が縁壱殿に一言では言い表せない感情をお持ちであると感じてはおりました」
「…………」
「ですが、それは私が口を出していいようなものではないように思われました」


ですから、家を出たいを言われた時、逆に少し安堵したのです。

貴方はとてもよい夫で、父でありました。
でも、どこかつまらなそうでした。
きっとそれは縁壱殿に起因するのであろうと私はあたりをつけました。

それから暫く後の事でした。貴方が縁壱殿を連れ帰ったのは。
あの時の貴方は、幼き時以来に瞳に熱が渦巻いていました。
それをみて私は、あぁ、これは、と思ったのです。


「もうよい」


お前には、知られていたんだな。
諦めを滲ませた顔で言うと、はい、と苦笑が返ってきた。


もうよい。
あぁ、もうよいではないか。


「……共に地獄の業火に焦(やか)れてくれるか、−−」
「はい、最期までお側に」
「すまない」


それから、感謝する。
お前は言いはせぬが、自分が黄泉の国へと足を進めてからずっと私が来るまでここで長き時に渡り待っていてくれたのであろう。
いつくるかもわからぬ私を。この暗闇で。



あぁ、これを最愛とでもいうのだろうか。



縁壱ばかりが心を占め、他に心を割いてこなかった人の頃には浮かばなかった想い。
思い出したと言わんばかりに子供達の話を始める−−をみて、顔が少しずつゆるむのを感じる。

そうだったか。あぁ。

相槌を打ちながら、ゆっくりと再び歩を進め始めた。







お前がここで私を待っていてくれた。それでだけで、いいではないか。

なぁ、−−。






寄り添って再び歩き始めた二人をみて炎がゆらりと舞い、そして二人を包み込んだ。
一人であればまた乞うように伸ばされ、爪を立てていたであろう侍の指は、業火に包まれながらも妻の腰を抱いていた。







旅路





(縁壱よ、教えてくれ)
(そう乞うた私に、−−は優しく抱擁した)





(2020/1/13)





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