緑間くんとお兄さん
「…兄さん」
「どうした真太郎」
弟に呼ばれた。振り向きそれに応えた俺に見えたのは、当惑した様子の弟だった。
部活が終わってから随分と経ち、部室には俺と真太郎、そして龍、修の四人だけ。
「………」
「真太郎?」
何かを言おうとして、でも言えなくて…。そんな感じであった。
「…龍」
「ん。了解」
「悪いな」
「構わねぇよ。あ、今度アイス奢れよ?」
「…………わかった」
「っし!おい、修、帰っぞ!」
「はい。お先失礼します」
「お疲れさん」
パタンと扉が閉まり、部室にいるのは俺と弟の二人のみとなった。
調子をゆっくりにし、促すような声を出すよう意識して言った。
「真太郎、何が言いたいんだ?ゆっくりでいいから言ってみなさい」
「……何故、何故兄さんは主将じゃなくなったのだよ。兄さんは、強いし、信頼されている。何故、虹村さんに?」
真太郎は、ゆっくりと、そう零した。視線の先は床に落ちている。
そんな弟の両頬を手で挟み、顔を上に持ち上げた。
「…じゃあ、逆に聞いてみようか。真太郎はどうしてだと思う?」
一瞬虚を突かれたような表情をした後、弟は小さく“解らない”と漏らした。
「わからないから、聞いているのだよ。兄さんが主将でなくなる理由などどう考えても解らない。だから……な、なにを!?」
弟がしゃべり始めたあたりから、手は自分の元へと戻していたはずなのだが。
いつのまにか、弟の髪をぐしゃぐしゃとかき回していた。
かき回し続けようとしたら、腕をガシッと捕まれる。
「何をするのだよ」
「ははっ。何となくかき回したくなってなぁ」
「………」
「そんな目するなって。眉間に皺寄ってるぞ」
頭をぽんぽんと叩くと、ますます眉間に皺が寄っていく。
そいつに手をあてる。
「別に、はぐらかす気なんて微塵もないから」
と言うと、疑り深そうな目で見てくる。
俺、お前に嘘言ったことはな……あ、一度あるか。
「…兄さんが考えることはいつもよく解らない」
「そうか?」
「そして、いつも後になって解るのだよ。あぁ、こういうことだったのかと」
「ふむ」
「だから、今回のことにも相応の何かがあるのだろうということは解る」
「……」
「でも、感情が追い付かないのだよ」
「……」
「何故?どうして兄さんが?そんなので感情がぐちゃぐちゃになる。だから」
「俺に理由を聞いて、それを治めたかったと?」
真太郎を自分の方へ引き寄せながら聞くと、コクンと頭が上下したのがわかった。
気が昂ぶっている弟の背を宥めるように擦り、頭を撫でる。
暫くの間そうしてやると、徐々に収まっていくのが感じ取れた。
そろそろ頃合いだろうか。
周りには真実誰もいない。それを確認して、口を開いた。
「…次の公式戦が最後なんだ」
「?」
「俺が、試合に出るの」
「!?」
目を剥く弟に、仕方ないよなと思いながら、目を細めた。
それは、あまりに唐突過ぎた。
「次が出来上がっている今、俺の今できることを考えた結果だ。むろん構造さんと話はつけてある」
「っ…ぁ…」
「無理に声を出そうとしなくていい。…ホントはな、お前にも言うつもりはなかったんだ。こうなることは見越していたから」
優しく言い聞かせるかのような、そんな声を意識して次々と紡いだ。
「“選手”の中心を次へと移す。次の奴等が、俺達がいなくなった後すぐに機能するためにも」
「修は慣らしとかないともたつきそうだしな」
「だから少し前から、龍と徹底的に仕込んでいるんだよ」
「史人はそつなくこなすだろうけど、修はな」
「海斗あたりが補佐みたいなことをしてくれることをちょっとだけ期待してる」
「次は育っている」
だからだよ、真太郎。
俺が引っ張るときは終わるんだよ、すぐそこで。
時期、だ。
修本人にも言ったが、時期、なんだよ。
俺が出なくなることで不利益を被るとしたら“帝光”というブランドに溺れた理事長くらいのものだろう。
ちなみに文句は家の力で殺した。たまには家の力も使えるなと思ったねあのときは。
話がそれた。
確かに、一時的には部にも不利益が生じるかもしれない。ただ、その後はその逆となる。
ふぅ、と息をつく。
「修は、強いよ真太郎」
「……」
「信頼にも足る奴だ」
「……」
「それはわかっているんだろ?」
「……」
「わかるけど、解らないといった感じか…いや、解りたくないってやつか?」
…これは、暫らく口をきいてもらえないことを覚悟しなきゃいけないかもなぁ。
ま、取り敢えず
「帰るぞ真太郎」
弟は返事の代わりにカバンを手にとった。
***
「どーした真ちゃん?」
「別に何でもないのだよ」
あの後、兄は確かに一試合にしか出なかった。
それより先、兄は試合の際、帝光のジャージすら着なかった。
ベンチにいるのだが、いつも制服を着ていた。
部活の最中は、いつも後輩の指導に努めていた。
そして、兄は
どこに進学するとか何も言わずに、卒業後唐突に自分の前からいなくなった。
両親に聞いても、国内にいるといいこと以外、約束で話せないのだとか。
悶々とした心の中で、いなくなる直前の兄に言われた言葉が蘇る。
“お前はその内化ける。ま、勘だけどな”
というのが。
苦笑いが込み上げてくる。なぜだかは自分でもわからないが。
「…ホントに何でもないの真ちゃん?」
「…あぁ」
今日は準決勝の日。頭を切り換えなくては。
そんな思いが頭を占める。だから、雑念を振り払うように閉じていた瞼をあげた。
「っ……!?」
「真ちゃん?」
振り払うために瞼をあげたはずなのに、見えたものがそれを阻害した。
それは、今日の対戦相手、洛山の制服を着て、赤司と話をしていた。
自分が凝視しているのを赤司が気付いて、それに耳打ちする。
それがこっちを向いた。
一瞬見つめあった後、それは表情を和らげてこちらに向けて何か言葉を発した。
周りの騒めきで聞こえにくかったのだが、おそらくこう言ったのだろう。
“やぁ。久しぶりだな真太郎”
と。
何年もの間、自分に対して音信不通にしていた兄は唐突に現れた。
そして、何年も会ってなかったことなど、まるでなかったかのように言葉を発した。
ただ、自分が一番揺さ振られたのはそのことではなかった。
兄は強かった。勉強でもスポーツでも、何でも圧倒的に。
だからこそ余計に揺さ振られた。
ユニフォームではなく、制服を着ていることに。
解っているつもりだった。
兄の強さならば、名が知れ渡っているはずだと。今、自分が持っている“名前”と同等くらいには。
知れ渡っていないのならば、プレイヤーではないということも。
解っているつもりだった。
解っている、つもりだった。
そうだというのに、絞りだすようにして口から出た言葉は
「……っ何故?」
兄はただ、あのときと同じような笑みを浮かべた。
(次へと移す)
(それに含めたもう一つの意)
(それは自身のプレイヤーとしての終わり)
(次――高校)
(もう一つのメッセージを読み取れなかったとしても仕方ない)
(理解できなかったとしても仕方ない)
(真太郎は、まだ幼かった)
おまけ
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