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凍えた痛みを知ったから


  グラウンドへ一歩踏み出せば大きな歓声が上がる。大きなスタジアムはFFだからこそ。高校生の初戦でさえ満員御礼だ。


「なまえ?」
「わ、びっくりした…と、どうしたの?」
「…緊張しているのか?」


  涼野がなまえの肩を叩くと、さぞかし驚いたのか手を胸に当てて無理やり笑顔を作った。ふん、と鼻を鳴らした涼野は堂々とグラウンドに入り相手を見つめる。スタメンには入れなかったが涼野は試合に出る気だった。南雲へぶっきら棒に声をかけるが、涼野か自分から声をかけるのも珍しく、南雲もキョトンと目を見開いた後落ち着いたように笑った。なまえはその姿を見て何故か針で刺されたような痛みを感じる。


『なまえが居てくれたから』


  涼野の言葉が木霊する。しかしその後に必ず『幼馴染』という関係がなまえを苦しめていた。じわじわと侵食していく黒い渦に飲み込まれていくような感覚。ただ何となく、涼野を1番近くで応援出来るのはこれで最後のような気がしていた。

  なまえは緊張など最初からしていなかった。今まで以上の関係を望んでしまったからこそ、涼野が活躍してまた一躍注目選手になってしまえば、なまえはまた存在意義を無くすのだ。


「みんな、頑張って」


ーーーーさあ、大事な初戦の開幕だ。


  準備は万端。スポーツドリンクも、タオルも試合相手のデータもバッチリだ。涼野の調子は万全と言えど、瞳子が誰を試合に出場するか否かは瞳子次第。


  安心していた試合は思ったより苦戦を強いられていた。


  相手の必殺タクティクスも十分に研究していたが、圧倒的な火力不足。シュートを止めたキーパーの体力は尋常では無かった。やはり三人で攻撃が出来れば、と誰もが思っていただろう。瞳子が涼野に視線を向ける。


「涼野、準備して」


  腰を上げた涼野はやっとか、とでも言う表情だった。トントン、とつま先をならしてアップを始めると周りから黄色い声援が飛び交う。十分なアップが終われば、選手交代だ。グラウンドに足を踏み入れた涼野は少し顔を強張らせる。監督の指示を基山に伝えた涼野は持ち場に戻り、南雲は安心したのか汗を垂らしながらも涼野の交代に笑みを浮かべていた。


  涼野が小さな事で悩んでいた期間が嘘のようだった、あの空白の時間が無かったように周りと連携し相手のプレーを翻弄する。そしてついに得点を決めた涼野は、控えの選手と喜び合うなまえに視線を向けて、口元を釣り上げる。その表情はかつてあの子に恋をしていた涼野の柔らかい表情に似ていた。なまえは涙ぐみそうになりながらも、唇を噛みしめ大きく手を振る。


  きっといつまで経っても彼のサッカーのファンであり続けるのだろう。出来る事なら1番近くで応援していたい。


  湧き上がる会場、なまえはその声援を耳に焼き付けていた。


・・・


  翌日「昨日の試合見た?」というような会話が様々な場所で繰り広げられていた。新聞部にも記事にされたサッカー部はさらに注目度が高まったようだった。そして誰がどう見てもMVPであった涼野は最も目立ちその姿を一目見ようと教室に人が集まる程であった。


  どんな顔をすれば良いのだろう、いつも通りが出来ない。そう思ったのは翌日目が覚めて直ぐに涼野の顔を思い浮かべた時だった。歓声を受ける涼野を見て、昨日なまえの中で初めての感情が生まれた。今だってそうだ。昔なら、気にしなかった涼野への女子の視線が気になって仕方なかった。しかしモヤモヤと百面相するなまえに涼野自身がさらに底へと落とす事になる。


・・・


「寄りを戻そうだと!?」
「ああ、」
「お前、どうすんだよ、返事」
「どうするも何も、私はそれを望んでいた、」
「…勝手すぎねーか?」


  その話を耳にしたのは部活後の事だった。南雲と涼野の掛け合いはなまえに嫌でも耳に入り、思わずその場に立ち尽くす。涼野は隠す気もない、寧ろ聞こえるようになまえに報告するように言っているのだろう。何故ならなまえは涼野にとって大切な幼馴染であり、自分を支えてくれた人なのだから。


「おめでとう、良かったね」


  静かに息を吸ったなまえは顔を作り、涼野と向き合う。安心したようにため息を吐いた涼野は、眉間に皺を寄せた南雲には気付かず言葉を発した。


「ああ、なまえのおかげだ」


  試合、凄かったもん。それを見てあの子が惚れ直さないわけがない、と思い直してなまえは無理矢理口角を釣り上げる。柔らかい表情を浮かべる涼野を見てしまえば、これで良かったのだと思うしかないのだ。

  一度はサッカーと自分を天秤にかけたくせに、手のひら返しも早いものだ。なんて、なまえの中の黒い何かがそう囁き思わず口に出してしまいそうになる。「なまえ?」と涼野から声をかけられるまでなまえは俯いていた。良かったね、なんてよく言えたものだ。


ーーーああ、視界が歪む。


  ここで泣いてしまえば全てが終わってしまうのに、耐え切れそうもない。なまえがそう思った瞬間、目の前に基山がなまえを隠すように涼野と向き合った。


「注目されてるもんね、風介は」
「…どういうことだ」
「そのまんまの意味だよ、どうせ今だけだ」
「ヒロト、言いたい事があるなら言ったらどうだ」
「別に言いたいことなんてないよ。強いて言うなら後悔しても知らないよ?ってことぐらいかな」


  理解できない、とでもいうように涼野は不機嫌な表情を浮かべる。基山は依然として笑みを浮かべたまま、なまえの手を取った。「なまえちゃん、帰ろう」その言葉を聞いて思わずなまえは頷いてしまいそうになったが、そんな約束はしてない。瞬きを数回繰り返し漸く理解したのは基山がなまえを気遣って誘ってくれている事だった。


「帰ろう」
「…うん、」
「はい、帰るよ」


  何度も頷いたなまえは基山に手を引かれ堪えていた涙が頬を濡らし始める。涼野に背を向けた瞬間、張っていたものが崩壊したのだ。なまえの妙な様子を感じ取ったのにも関わらず涼野はなまえにイラついていた。思い返せばなまえは最近登下校を涼野と共にしておらず部活で顔を合わせるだけであった。なまえは涼野から少しずつ離れる事を選んだ末の決断であったはずだが涼野風介という男は極めて鈍感で素直であった。


「なまえは、ヒロトの事が好きなのか」


  基山の背の後ろで肩を震わせるなまえに向かって吐いた一言は場の空気を凍らせた。思わず涼野のパートナーである南雲はその光景を直視する事が出来ず、視線を逸らした。あーあ、と声にならない言葉を口にしてまるで気づいてないとでも言うように片付けを始める。


「風介、そういう問題じゃないと思うよ」
「私よりヒロトを優先するじゃないか」
「…」
「どうなんだ、なまえ」
「風介、やめなよ」
「じゃあ何故私よりヒロトを優先する?」


  見て見ぬ振りを決めていた傍観者達も涼野の一言に動きを止める。それは彼女とよりを戻すことを躊躇なく決断したのにも関わらず、なまえを束縛するのはあまりにも矛盾しているからだ。これには耐えかねた南雲も「おい、」と涼野に声をかけるが、その声に振り返った涼野を見てそれ以上声を出せなくなる。何故なら、涼野は見た事のないほど顔を歪めていたからだ。

  基山の背で涙を必死に止めていたなまえもまた、目を見開いて驚いていた。そして震える喉を振り絞り、言葉を紡いだ。


「風介、は、わたしを優先したことある?」


  その言葉吐いた瞬間、唾をごくりと飲み込む。言ってしまった、と思った時には体が動いていた。部室のロッカーの鞄を乱暴に取り出して駆け出す。

  涼野に大切な誰かがいてもいい、なんて綺麗事はもう言えない。唯一の大切な存在になりたいと思ってしまったから。その存在に向ける彼の表情を知ってしまったから。どうあがいても伝わらない思いがもどかし過ぎて、涙は止まることを知らなかった。


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