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いじらしくそばにいたい


  対等に歩く事をずっと憧れていた。

  ゲホッ、と態とらしく咳をしてみる。シュートを体で受け止めた衝撃が体に染み込んでいるようで、苦しくもないのに思い出すと出さずにはいられない。『ノーザンインパクトをぶつけて!』なまえは幼い頃自らが言ったことを思い出していた。キーパーである砂木沼でさえも飛ばされてしまうのだから、そんな事をしたら本当に死んでしまうだろう。しかし体以上に心が痛かった、それ以上に悲しかった。


  涼野の体温をここまで近く感じたのはいつぶりであったか。涙が止まった所で気恥ずかしくなった二人は、お互い鼻をすすりながら無言でボールを片付けて帰宅した。ジャージも泥だらけ、擦り傷まみれの二人を心配して親たちはお互いの子どもを叱りつける。特に涼野に至っては一切連絡なしに練習に励んでいたから、お説教は長くなりそうだった。「なまえちゃんも、遅くまでありがとう」涼野の母親にそう言われれば、うちの子が悪いと再び合戦が始まる。
  今日一日が終わればまた風介は一人になるのだろうか、なまえがそう思うと家に帰って行く涼野を思わず呼び止めた。


「…何だ」
「…あ、」
「…」
「…明日も、朝練でまってるから!」


  返事も無しにプイ、と再び背を向けるが以前のような冷たい視線は柔らかいものへと変化していた。


・・・


「…どういう変わり様だよ…」


  朝、南雲がジャージに着替えてグラウンドに足を運ぶと既に涼野の姿があった。昨日あんなに調子の悪かった必殺技は全て成功していたから、驚きのあまり南雲は上着を落とした。しかしその表情は何処か嬉しそうだった。

「タオルとドリンク、置いておくね」
「ああ、」

  さらになまえがダメ元で渡したたタオルとドリンクも、ぶっきらぼうにも涼野は受け取った。なまえはこれで甘えてはだめだ、と思い直す。それでもまた応援することが出来る、と思うと涙が出そうになった。部活が終了しても涼野と南雲は合わせ技の練習をしていた。これまでとは一変した彼等の熱気に安心してなまえも部室へ向かう。いつも通り八神を待つために彼等が練習しているグラウンドを見つめると、「なまえちゃん」と顔を覗かれて驚きのあまり叫び声をあげた。「驚かさないでよ!」顔を赤くしたのはそれが基山であったからだ。なまえは不覚にも基山の整った顔に胸を高鳴らせてしまった。


「風介達…まだ残ってやりそうだね」
「うん、まだやりそうな雰囲気」
「なまえは帰らないの?」
「帰るよ…残りたいのは山々なんだけどね」
「ははは、一緒させてもらおうかと思ったけど今日は風介が怒りそうだからやめとこうかな」
「何言ってんの、怒らないよ」


  困ったように笑った基山は重そうにバッグを肩にかけ直した。そして八神が合流すると、なまえの隣に基山がいることにムッと表情を歪ませた。「またお前か」と言いたげな表情だが合流すると一緒に帰る事については彼女もとやかく言わなくなった。
  鳴り止まないシュートの音。ああ、まだやっている、となまえが横目で涼野の姿を確認し気まずそうに通り過ぎる。それでも最後一目でも姿が見たい、と勇気を振り絞って視線を向けた瞬間、目が、合ったのだ。昨日と同じ様に。また逸らされるんだろう、と思って軽く会釈をすれば、涼野は不機嫌そうに眉をひそめてフェンス越しのなまえに近づいてくるではないか。


「なまえ」


   そして涼野がなまえの名前を呼んだ。透き通るような声、そんな声では何年も呼ばれていないような気がして思わず目を丸くする。

  昨日の今日であるからか、涼野もまた寂しかった。いつでも一緒にいたなまえが自分から離れて行く事を漸く感じ取った事で、そのどうしようもない気持ちはなまえとまた一緒にいる基山と八神にも向けられる。昔から居残りする時はなまえも一緒だったのだ。ここ一カ月は涼野のせいでなまえは近づかなくなったが。彼はまだ自分がした事がどれだけ彼女を傷つけていたか気付いていなかった。


「…帰るのか」
「う、うん」
「…誰と」
「玲名とだけど…」
「…八神だけじゃないだろう」
「あ、ヒロトくんも一緒だよ」
「…」
「…風介も、遅くなっちゃだめだよ」


  お母さん、心配するんだから。

  そう言えば、涼野は一緒に居る八神と基山を、ひと睨みして背中を向けた。待っていて欲しかったのかもしれない、となまえもまた幼馴染の気持ちを汲み取ってはいたが、そんなはずないと割り切り彼と同じように背を向けた。なまえには早く家に帰って昨日できなかったレギュラーメンバーのデータを纏めるという大仕事があった。余計な事を考えるのはよそう、と前を歩く二人に駆け寄る。グラウンドに背を向けてもなおシュートの音は止まらない。プライドを捨てて練習に励む涼野の姿はなまえが心から応援したかった涼野だった。


「大丈夫か?」
「う、うん、平気だった」
「…急に独占欲出されてもな」
「やっぱり?俺、睨まれたし」
「私も睨まれた」


  やはり勘違いではなかった、となまえは涼野が二人を睨み付けた事に関して考えていた。


「珍しい、風介がこんなふうに不機嫌になるの」
「…まさか、やっぱり一緒に残るのか?」
「…ううん、帰るよ」
「いいのか」


  ふとなまえは、中学の頃必ず行くと言っていたサッカーの応援に風邪を引いて行けなかったことを思い出していた。連絡も出来ずに寝込んでいると、どこかから寝込んでいることを聞いたのか見舞いに来た涼野はなまえが応援に来てくれなかったことに対して少しだけ不服そうにしていた。

『今日も点を入れたよ』

  絶対行くと言っていたなまえが来なかった理由は仕方ない理由であったが、幼い涼野は風邪と理由も心の底から納得出来なかった。『悔しい!本当に見たかったよ!』そんな涼野に気付いたなまえだが上手い事を言えるわけでもなく、涼野のシュートを見る事ができなかったことに本気で落ち込んで見せる。ほれみろ、とでも言いたげに笑ったが涼野は安心したようにため息をつく。そして耳を疑うような言葉を言う。

『本当に、来ないかと思った』

  それは、今もなまえの心に残っている。初めて涼野がなまえを必要としていると言葉にしたからだ。『…っわたし!今度は風邪に負けないから!全部応援に行くから、鬱陶しいって言われても行くから!』その返しはあまりに必死で涼野はまたなまえの熱意に圧倒されまた呆れたようにため息をつきながらも、どこか安心していた。


  いいのか、と言われれば答えはNOだ。涼野は心の何処かでなまえを必要としているのかもしれない、しかし涼野には彼女がいた。雰囲気を変えてしまうほど、あの涼野が溺愛するほどの存在がいたのだ。


ずっと憧れていた。彼女のような存在になりたいと思っていた。堂々と隣を歩きたい。あの優しい微笑みを向けられたい。いろんな表情をしてもらいたい。好きになってもらいたい。ずっと一緒にいたい。心では痛いほど叫んでいるのに口から溢れるのは自分が傷つかないためだとわかっているのに。


「…うん、わたしが居なくても大丈夫だよ」


  もう少しだけ、嘘をつかせて。


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