×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


こころを喰らう生き物


  高校生活2年目のフットボールフロンティアが始まる。何処か緊張感のあるチームになまえもデータ偵察に力が入り休日には他校の試合を見に行ったりと忙しい毎日を送っていた。対戦校の発表までもう少しなのだ。当然練習にも気合が入る。


「ヒロトくん、お疲れ様」
「なまえちゃん、今日もすごい荷物だね」
「どれも置いていけなくて」


  部活に向かうと既に基山が準備をしてスパイクを結び直していた。必殺技をまとめた資料と他校のデータを照らし合わせるため手元のバインダーが重なり、いまにも落ちそうななまえ状況はそりゃあ驚くだろう。ちなみになまえのスクールバッグも教科書だけでなくレギュラーメンバーのデータで一杯でなまえのバッグは何時も重かった。肩からスクールバッグを下ろすとドスン、と音が鳴る。その音に苦笑いをした基山だが、立ち上がり何処か緊張した雰囲気で口を開いた。


「なまえちゃん、風介、知ってる?」
「え、どうして?」
「実はいつも1番に来てるのに…まだ来てないんだ」


  風介、という名前に持っていたバインダーがバラバラと床に落ちる。涼野は才能があっても努力を惜しまなかった。それは部活メンバー誰もがそうであるが、涼野はどんな日でも1番に部活へ来ていた。そんな涼野が何時までたっても部活に顔を出さないなんて信じられなかった。
  顔を真っ青にしたなまえは両手で口を抑え、その場に立ち尽くす。徐々に取り乱していくなまえを見て基山は「風介探してきてくれないか」と頼んだ。その一言に大きく頷き部室を飛び出し校舎内を走り回った。


  教室、屋上、食堂、売店、中庭、どこを探しても涼野はいない。結局どんなに探しても姿は見えず、携帯で何度も涼野に電話をする。


「なまえちゃん、大丈夫、?」
「ヒロトくん、」
「…」
「いないの、風介…もう一回、もう一回、連絡してみる」


  走ってグラウンドに戻り練習を始めているメンバーにそう伝えると心配そうに眉を下げた。もしかして帰ったのかもしれない、と携帯を取り出して部室に戻った。涼野はサッカーが何よりも好きで熱中していて部活だって休んだ事がないはずだった。部室へと向かうべく小走りになるとその近くで驚いて足を止めた。なまえは嫌な予感して自然と足がすくんでしまう。


  おそらく無意識に部室の前に移動して来たのだろう。制服姿で座り込み片足を抱える涼野は、部室の前で呆然と地面に視線を向けて左手には携帯が弱々しく握られていた。


「ふ、うすけ」


  漸く言葉を紡ぐとなまえを弱々しく見つめる。虚ろな瞳をしている涼野はなまえの姿が見えているけど見えていないようだった。


「…ああ、なまえか」


  いつもの余裕たっぷりの姿は全く感じられず、口元は無理矢理にでも吊り上げているようだった。


「部活、始まってるよ…どうしたの」


  風介のこんな状態をわたしは知らない、となまえは思っていた。震える声を精一杯抑えて涼野に一歩近づき隣に座る。嫌な汗が身体中から吹き出した。


「サッカーのせいで時間がなくなる事が嫌だと、」
「…?」
「私がサッカーを捨てれば彼女は、私の前からいなくならなかったのか…?」
「…え、?」
「別れたく、なかった」
「風、」
「サッカーなんて、」


  したく、なかった。


  なまえは涼野の言葉が信じられなかった。涼野もまたなまえに対して弱音を吐いた事を驚いている様子だった。固く握り締めた手は解かれる事はなく体を震わせていた。
  涼野は彼女が出来てからおそろしく柔らかくなった。表情をあまり表に出さない涼野が彼女に向けて優しく笑う姿は部活メンバーに弄られていた。そんな弄りも嬉しそうで楽しそうで、涼野が彼女の事を溺愛している事は痛いほど伝わっていた。弱々しい涼野を見るのはなまえにとって初めてだった。なまえは涼野の弱音を聞いた瞬間、思わず視界が歪むほど悔しい気持ちになった。


わたしは風介にこんな顔をさせる事も出来ない。どんな事を言ったって風介を元気付け励ます事もきっと出来ない。彼女の事をいくら溺愛していても風介にとってサッカー以上の存在なんて出来るわけがないと、思っていた事が馬鹿だったんだ。風介にとって彼女の存在はこんなにも大きくて、なんで風介のサッカーを守ってきたのだろう。風介のするサッカーが大好きで風介が大好きだった。わたしがやってきた事は風介のためにはならなくて、何時までたっても引っ付き虫だったという事だった。玲名の言う通りだ。わたしは風介にこんな感情を持たせることだって出来ない。


  彼女と別れた事で肩を震わせる涼野を見ていられなくなったなまえは、同じように蹲る。サッカーやめてどうするの?それで彼女は戻ってくるの?心ではそう思っても言葉には出来ない。なまえが葛藤している中、顔を上げた涼野が隣に座る幼馴染が自分と同じくらい辛そうな表情をしている事に気付き、恥ずかしいような悲しいような嬉しいような、そんな思いが混じりやり場のない思いが爆発する。


「…一人にしてくれ、邪魔なんだ」


  何も言えずに立ち上がったなまえは涙でぐちゃぐちゃだった。何故あいつが泣くのだろう、辛いのは私の方だと言うのに。と思う涼野の感情は一言では表す事ができない。どうしようもなく無力だと自分の力の無さを嘆くなまえに、まだ涼野は気付かなかった。


・・・


  気が付けばなまえの世界は涼野中心で回っていた。周りには友達だって沢山いたしやりたい事もあったはずだが、どんな時も涼野の事となれば弾かれた矢のように飛んで行く。それがなまえだった。しかしそんな思いとは裏腹に、涼野は変わってしまった。


  やり場のない思いと戦っている事には気付いていた。部活には相変わらず一番に来て練習しているが何処か上の空だった。
  そしてなまえはあれから涼野に避けられていた。涼野は自分のやり場のない気待ちを何処にぶつけたらいいのか分からなかった。サッカーも上手くいかないとなれば標的はどんな事をしても付いて来てくれる、なまえだったのだ。


「おはよう」


  避けられてもなおなまえはいつも通りの時間に起きて朝練に向かう涼野の姿を見つけては隣に駆け寄る。あれから涼野はなまえは視界にも入れずただひたすら歩いていく。曲げずに「今日はちゃんと起きれたよ」と何の反応もない涼野に話しかける毎日はなまえにとって辛いものであったが、それ以上に涼野と居られなくなることが怖かった。


・・・


「もう止めたほうがいい、君が傷つくだけだ」
「ヒロトくん、ありがとう。でもやめたら風介がサッカーを捨ててしまう」


  前を行く涼野を追うように小走りで毎朝登校する。そんな光景はもう有名になっているのか、なまえは『涼野風介のストーカー』と言われていた。所詮悪く言われるのは女の方で、ねちっこい嫉妬ばかりの視線だけが降りかかった。


  基山はこれまでのなまえと涼野の関係を知っているからこそ、心配していた。なまえがストーカーと呼ばれ始めた事に気付いてからは前より声をかけるようになった。基山はマネージャーであるなまえの力を認めていたし、何より大切に思っていたのだ。なまえにとって涼野がそのような立ち位置の人であれば、基山にとってなまえは同じような立ち位置の人であった。そしてサッカー部の仲間はストーカーと罵る女子達からなまえを守るように側に居る。どんなに苦しくても耐える事が出来たのは、チームメイトの支えのおかげだった。


  涼野は今仲が良かった南雲や基山と前のように騒がなくなった。サッカーにもがむしゃらに励んでいるようで、なまえ達から見ればプレーが一転している事がハッキリと分かった。教室にいる時でもサッカーから離れたいのか、涼野は以前一切話さなかった周りに群がる女の子達と見せつけるように話している。その表情には感情なんてまるで感じられない。涼野を囲んで騒ぐ女の子達をなまえは悲しげに眺めるしかなかった。しかしそれでも「嫉妬してるの?ストーカーさん」などと直接悪口のようなものを言われるものだから何をしても痛みで返ってくる毎日が続いていた。涼野が相手をしてくれる事をいい事に女子達は付き合ってと押し掛けて居る。調度幼なじみという邪魔な存在は、いなくなったも同然なのだから彼女達にとっては絶好のチャンスだ。それを分かっていてもなまえは諦める事が出来なかった。


「風介お疲れ様、前半であんなに走り回るといくら風介でも疲れちゃうよ」
「…」
「足にも負担かかるんだから、気をつけないと」
「…」
「ドリンクとタオル、置いておくから」


  涼野は部活中でも無言だった。前とは違う独りよがりなプレイをしていることから、チームからも批判を浴びている。それに前半を終えただけでこの疲労は異常だ。肩で息をしながら俯く涼野になまえ言葉を選びながら話しかける。同じように基山も心配そうに涼野を見つめては、話しかけようか迷う素振りを見せていた。楽しかった部活の雰囲気が悪くなっているのは明らかだ。部活が終わってからも、南雲達と一緒に帰っていたのにも関わらず涼野は一人で帰るようになった。チームメートに小さくお疲れ様、と言うと一人輪から外れて歩いて行く。

  なまえは慌てて鞄を持ち直して涼野の後を追うが、基山はなまえの腕を掴みもう一度同じ言葉を投げかける。


「ヒロトくん、お願い、離して」
「…今追いかけても何も変わらないよ」
「風介が傷ついてるの、ほっとけないの」
「君が1番傷ついてるじゃないか!」


  そう言った瞬間、なまえは捕まれた腕を力一杯振りほどき走り去った。


風介の方が、わたしなんかより何倍も傷ついてるんだ、わたしは傷つくなんて言葉も使っちゃいけない。あんな事を言うヒロトくんがおかしいんだ。


  何度も何度もなまえは自分に同じ事を言い聞かせる。


「風介歩くの早いよ!探しちゃった、」
「…」
「一緒に帰ろ、ただ隣で歩かせてくれればいいから」


  なまえの心の何処かが悲鳴を上げていた。こんなもの風介に比べたらへでもないのに、なまえは痛んだ左胸を掴む。『君が1番傷ついている』基山の言葉がなまえの頭の中ぐるぐると回った。
  自然と一歩前を歩く涼野は、全てが生きてきた中で一番冷酷に感じてなまえは少し歩く事にたじろぐ。

それでも少し小走りになっても風介の隣を歩いていたい。わたしに心を開いてくれなくてもいい、わたしを見なくてもいいから、どうか。

『いい加減ドリンクの作り方を覚えろ』
『馬鹿か、ボールにぶつかるからそこに居るな』
『やっと完成したね、必殺タクティクス』


  前のように、サッカーを一緒に頑張ろうよ。いつもみたいにわたしの事馬鹿にしてもいい、どうか前のような風介の喜んでサッカーをする顔が見たかった。


「またストーカーがいるよ、涼野くん大丈夫!?」
「ストーカーなんかじゃ、」
「涼野くんも迷惑してるのわからないかな」


  待ち伏せしていたかのように、校門から少し離れた場所で現れた女子生徒からの攻撃に今はなまえを守ってくれる人はいない。しかし全くどっちがストーカーなのか問い掛けたくなる。ストーカーと、言われ慣れてしまったがなまえが涼野の前でこのような事になるのは初めてだった。まさか、と足を止めた涼野を恐る恐る見つめると、凍てつく瞳で、見下すようになまえが視界に入り込んでいた。涼野の口がゆっくりと開かれる、スローモーションで流れる時が二人の時を支配していた。何もかもが雑音に聞こえた。

  涼野は何もかもが面倒だった。群がる女子達も、なまえでさえも。なまえにぶつける事で自分を保っている涼野は、なまえを突き放すしかなかった。


「迷惑だ、失せろ」


next