まわれメリーゴーランド
練習中に聞こえる応援の声もお疲れ様とタオルを渡してくれた声も、今は遠くにしか感じられない。灼熱の太陽の下でボールを追いかけ沢山の汗を流す、隣にはキラキラの笑顔が居たのに最近はそれも見る事は出来ないのだ。試合の日に限って天気が悪く、延期が続き正直な所参っている。夏がもうすぐ終わり熱は徐々に冷めていった今日この頃、蝉の鳴き声はもう聞こえずただどんよりとした空を見つめて溜息をついた。グラウンドは今日も昨日の雨のせいで使う事は出来ないし、心なしか真っ黒に焼けていた肌も少し白くなったようにも思える。
夏休みであった事が一転し、また学校が始まった。つまらない授業を永遠と受け続けることと、最近天気が悪いことに苛立っていた私は授業中にぼんやりと外を見つめていると隣のクラスメートに声をかけられる。
「涼野くんって何考えてるかバレバレだね」
「…そうか?」
「今日雨だから、サッカーできないね」
『サッカー部はサッカー馬鹿の集まり』冷静に考えてもそう見える者ばかりがサッカー部員だからそう思われても仕方ないだろう。ポケットに入っていた携帯のバイブが鳴りらこっそりと取り出すとサッカー部マネージャーの名前がディスプレイに現れた。一瞬ドクンと大きく体が跳ねるがそのメールを開いた瞬間にその緊張が解れる。サッカー部のグループ内でメッセージが送られ、今日はミーティングであるとの事務連絡だった。再び大きく溜息をつき机に突っ伏した私は目を閉じる。全く最近は何もかもが上手くいかない。練習も満足にする事が出来ないし、何よりこの気持ちを満たす事だって出来ない。晴矢に言わせてみれば私は『わかりやすい』らしい。あれ程態度に出る奴は私以外に見たことがないと散々言われるが、当の本人は全く気づいていないという。有り難いのやらそうではないのやら。
そんな部員全員が気づいているのは私がサッカー部のマネージャーに好意を寄せているという事だった。
ミーティングが終わった頃には多くの部活は終わっており、校舎の中は大分静けさを帯びていた。一緒に帰るはずだった晴矢達は私を置いて走って帰って行く。靴を履き外に出てみると雨が少しだけ降っている。空を見てみると、どす黒い雲が空全体を覆いこれから本降りになりそうな様子だった。思わず前髪を触り、バックの中身を思い出した。考えてみろ、折りたたみ傘なんて入れてくるわけがないじゃないか。今日の朝テレビで天気は確認した、降水確率は10%だった。持ってくるわけがない。
考えてる内にザーザーと雨は徐々に強さを増してくる。家までの我慢だと言い聞かせ私は走り出しイライラを募らせる。けれどなんて最低な日なんだろうか。信号はたった今、青から赤に変わった。雨は今がピークだろうと言っていいほど暴れていて、まさにゲリラ豪雨とでもいおうか。髪も制服も肌にくっついて気持ち悪い。ああ、最悪だ。
「風介くん!?」
咄嗟に名前を呼ばれた瞬間体を叩いていた雨が何かに遮られる。ふと前を見てみれば可愛らしい模様をした花柄の傘。知っている声に安心してゆっくりと振り向いた。
「ちょ、ちょっと傘ないなら学校で待ってた方がよかったのに!」
今日はミーティングだけだった。忙しいサッカーのマネージャーはまだ残っていたのだろう。私は彼女がさす傘の中に大人しく入る事にした。私は小さくありがとう、と言うと彼女は笑ってそんなの別に気にならないと言った。
「試合近いんだから風邪ひいちゃ、みんな困っちゃうからね」
そう彼女は笑った。急に、体が熱くなった。傘は小さかった。彼女の肩は濡れていた。もう少し私の方に寄れば彼女は濡れないだろう。けれどどう言えばいいのかわからない。気にせず話を振ってくれる彼女に安心した感情を抱きつつ、いても立ってもいられなかった私は思わず傘を彼女の小さな手の上から掴んだ。 困惑した表情を見せながらも彼女の頬はピンクに染まった。思わず力一杯傘を奪いとり、ぐっと彼女を私の方へ近づけた。
「肩が濡れている」
「き、気にしなくていいのに」
「だけど、これは私が悪いだろう」
「だって風介くんこそ肩濡れちゃうから、」
そう傘を再び奪い取ろうとしたが私は頑なに断った。ぴったりとくっついている体に意識して全身が熱くなる。そして自分の体が熱いことを隠すよう、私は真っ直ぐただ前を向いていた。私と彼女の家は比較的近くにあり、皆と一緒に帰る時も最終的にふたりきりになる事が多かった。彼女の家の近くになってくると私は傘を少し彼女側に傾けたが、傘を渡そうとした瞬間彼女は突然傘を出て走り出した。
「今日は貸してあげる!いつか返してね!」
ぽかんと彼女の姿が見えなくなるまで見つめていたが、自分に似合わないこの可愛らしい傘を見て我に帰った。ここから自分の家まであと少し、花柄の傘をさしている姿を見られたら笑われることじゃ済まないだろうと思った。けれど、全く嫌だとは思わなかった。
・・・
翌朝教室に入れば皆の視線はすぐに私に向けられ、ヒソヒソと何かを噂しているようだった。不思議に思いながら自分の席に近づくと晴矢がニヤつきながら私の肩を叩いた。…なんだ、気持ち悪い。
「風介、お前ついに…」
「…何だ」
「なまえだよ!学校から二人で帰ったんだろ?皆言ってるぜ?付き合ったのか!?」
「……っ馬鹿にするな!ただ帰っただけだ!」
視線を離すとツンデレだなーお前は、と後ろで笑う声が聞こえたので晴矢を睨みつける。朝からからかわれる羽目になるとは思わなかった。ただマネージャーと帰っただけの話だろうが。
「嬉しかったくせになあ」
なお馬鹿にしたように腹を抱えて笑う晴矢にイラついて髪を力一杯引っ張った。
「だだだだだ!!!」
涙目になる晴矢を見てどうだ、とふんと鼻で笑ってやった。そんな力強く引っ張るんじゃねえよ!と私に突っ掛かるが馬鹿にした方が悪い。チャイムが鳴り自分の席に付いた瞬間自分の体が熱い事に気がついた。怠くはないし頭も痛くもない、私だって分かっているんだ。これはもう末期だということに。
今日は昨日の雨から一転して太陽が顔を出した、グラウンドは未だ荒れている部分があるけども練習は再開された。
「風介くんお疲れ様」
休憩中彼女が部員たちにタオルとドリンクを配っていた。いつも通りの事だけれど私のところに配られるまでの時間が待ち遠しくて、ずっとベンチに座り下を向いていた。タオルを渡された瞬間体がぐっと熱くなり、咄嗟に彼女からタオルを勢いよく奪い取った。ポカンと私を見つめる彼女の眉が下がっていく。それを見て漸く自分のしたことに後悔を覚えた。
彼女の口がうっすら開いた。何も聞かれたくなかった。彼女の顔など見れずそっと立ち上がり練習へと戻って行った。集中も欠けてしまったのかシュートが定まらない。監督にも怒鳴られ最悪な練習だった。部活が終わりやり切れない気持ちで着替えるとグラウンドにはまだ彼女がいた。
「おーい!何してるんだよ!」
校門でチームメイトが呼んでいる。待っててくれと頼むと私は部室へと急いだ。雲行きが怪しい。昨日借りた彼女の傘を部室の取っ手に架けた。
・・・
「まだ帰らねーのかよ」
「うるさい先に帰れ」
「雨降り始めたからって不機嫌になるな」
「…」
私の頭を叩いて晴矢達は帰っていく。朝から晴れていたはずが、放課後突然雨が降り始めた。気分も乗らずただ憂鬱になるばかりで、筋トレにも全く身が入らない。制服に着替え降り続ける雨を漠然と見つめていた。帰ろうと鞄を持てば雨はまた一層強くなる。
デジャヴだろうか、ふとあの日を思い出した。あの日から欠かさず傘を持ち歩く事にしたのだった。鞄を覗き質素な色の折りたたみ傘を取り出す。
もう、帰ろう。憂鬱になるだけだ。下駄箱へと歩きだせば外を見つめて小さく座り込んだ彼女の姿を見つけた。思わずその場から動けず彼女を見つめた。正直彼女と話すことに気が引けたのは事実である。ここ数日晴矢達に言われた事が気になり、話す事を避けてしまった。せっかく借りた傘も直接返せずに。彼女はそこを動こうとはしなかった、もうそこを通るしかなかった。
「…あ、風介くん」
「…」
「昨日傘ありがとうね」
「お前は帰らないのか?」
「へへ、今日傘忘れちゃって…少し様子見しているの」
困ったように笑う彼女を見た瞬間、私はそそくさと靴を取り出し彼女に背を向けた。ふと自分が持っている折り畳みの傘に視線をやった。簡単なことだもうすぐ下校時刻が迫る。一緒に帰ろうと一言言えばいいのに、最近の私は態度を逆に出して肝心な彼女を傷つけてしまう。
「風邪、ひかないようにね」
小さく振り返ると彼女は顔を歪ませる。それを横目にそっと傘をさして私は彼女を振り切り校門近くまで歩いた。傘に勢いよく雨が当たる。まず雨は止みそうにない。雨はグラウンドを駄目にする、髪はボサボサになる、気分も下がる、だけど。水溜まりの中に足が入ってしまっても構わない、傘も畳まず下駄箱へ勢いよく走る。
先程と同じ場所で座っていた彼女は、頭の上に?でも浮かべる表情だった。私を見る彼女は驚いていた。
「一緒に、帰らないか」
手を差し延べ一気に顔に熱が集まる。きっと私の顔は真っ赤なんだろう。制服のズボンもブレザーも走って濡れてきっと格好悪い、まるで私みたいな草食系は告白するような気分だ。妙な胸の高鳴りも押さえられずじっと見つめると、俯いていた彼女の顔も真っ赤に染まっていた。
「ありがとう」
彼女は久しぶりの笑顔を見せ私の手を掴んだ。君と帰るなら雨もいいかもしれない、止まっていた時間が動き出したように回りはじめた気がした。
10.1126