tactics
わたしの隣には気付けば彼がいた。
幼い頃からずっと一緒にいたからこそ一歩を踏み出すのが怖かった。ただ自分の気持ちを素直に伝えるだけのことが難しくて、途方に暮れてしまった。歳を重ねても彼はわたしの側を離れることはないからそれが当たり前だと思う事も恐ろしかった。笑顔の裏の彼が何を考えているか分からないし、今も変わらず優しくしてくれるのは何故なのだろうって。ねえ聞いてる?
「…で、何がしたいんだ」
「お願い風介、試しに付き合って」
「絶対に嫌だ」
「なんでよ!」
「嫌な予感しかしないからだよ」
思い出話を散々と聞かされていた風介は読んでいた本を閉じてわたしを睨みつける。最後まで聞いてやったのに、というようなさぞかし面倒な顔をした。「茂人とかに頼めばいいだろう」「用事があるって」「…逃げたな」茂人に声をかけた時用事があると外に出かけて行き怪しんでいたが、やはり茂人は逃げたんだと確信した。覚えとけよ。
「杏ちゃんも風介なら協力してくれるって言ってたのに」
「…あいつら面白がっているね」
「あーあ、風介ってそんな人だったんだ…」
「そんなことをしても絶対協力しないよ」
大きくため息をついた風介はソファから立ち上がる。面倒事に巻き込まれたくない、とでも言うように私の言うことに対し耳を塞ぐ。考えてみれば風介に頼むなんて杏ちゃんも苦渋の決断だったように感じる。正直茂人が逃げればあとは誰が頼れるだろう。ヒロト?いやいやあの人に借りを作りたくは無い。リュウジくんに頼むのは可哀想だ。うーん、治?治に頼んでも話なんて聞いてくれないだろう。だからだ、結局消去法でいくと目の前で耳を塞ぐ涼野風介になるということだ。そんな風介の様子と、風介に頼む事を勧めた杏ちゃんの引きつった顔を思い出して、わたしはこの計画が上手くいかないのではないかと焦りを感じていた。
待って、と風介の腕を捕まえる。我ながら強い力だったと思う。そのまま風介の体にしがみつけば焦ったようにわたしを剥がしにかかる。絶対に離れてやるものか、とまるで離したら負けだというような子どもの遊びのようにわたしも半ばやけくそにしがみついていた。
「お願い!風介の事好きだから付き合って!」
「意味不明なことを言うな」
「風介好きだからお願い!」
「うるさい離れろ!」
「いやだ!」
「離れろ!」
「おーい、なまえ、風介いんのか?」
聞きなれた声と共にリビングの扉が開かれ、思考が停止する。
それもそのはず冒頭から数十分後悩みの種である男がリビングの扉を開け、その瞬間わたし達と視線を絡めたからだ。わたしは彼のことを試そうとしていたのは本当ではあるが、今のような状態を見られるのは予想外だったのだ。風介の体にしがみつくわたしとその体を離そうとしている動きが止まれば、それはもう抱き合っているような光景に良く似ていて「は?」という気の抜けた彼の声で時間が漸く動き出した。わたし達も彼も開いた口が塞がらない。風介に快諾を得られないままこの様子を見られてしまった焦りと、意図せず誤解を招いてしまった事にあれだけ騒いでいたのにも関わらず言葉を発する事が出来なかった。
「は、晴矢…」
「え?お前ら、そういうこと?」
「断じて違う」
「全然気付かなかった」
「だから違うと言ってるだろう!」
「い、いや、いいんじゃねーか、あいつらには黙っとくぜ」
風介が呆れ顔で撤回していくが、晴矢の信用していないような様子に思わず風介の服を握りしめた。もしかしてやってしまった?と思った頃にはバタン、とリビングの扉が閉まった。頭が漸く正常に働きじわじわと今の状況を理解していく。勘違いしてもおかしくない状況を晴矢に見られたのだが元々わたしは晴矢の反応を見たかったのだからそれで良いのではないか。確かにそのために風介に協力してほしいと頼んだのだけれど、
晴矢は見たこともないほど顔を歪めて無理矢理笑っていたのだ。
感じたことのないほど胸の苦しみは罪悪感からなのか、はたまた晴矢の気持ちが少し伝わったからだろうか。もし晴矢がわたしを試すような事をして、例えば杏ちゃんや玲名ちゃんと抱き合っている姿を見ようものならばどう思うだろう。
「さっさと追いかけろ」
「うん、っ」
「分ったなら良い」
なんて顔をしているんだ、と終始呆れ顔風介に言われて漸く気付いた。理由はどうであれわたしは晴矢を傷付けてしまったのだと。すぐにリビングを出て追いかければ自室に戻ろうとしている晴矢を見つけて彼の名前を呼んだ。
「…ああ、なまえか」
「さっきの、」
「心配しなくても誰にも言わねーよ」
「そういうのじゃない!さっきの誤解で」
誤解だと言えども、瞳の中の稲妻は鋭くて一向に視線は和らがない。無理矢理口角を吊り上げていても目は笑っていない。案の定わたしの誤解、という言葉で晴矢は乾いた笑いを漏らした。
「笑いに来たのか」
「そんなこと一言も言ってない」
「…お前が1番俺の事知ってんだろ」
そうだ、わたし達は仲が良かった。昔からいつも一緒にいて宇宙人になれと言われた時も、辛い時も一緒にいて晴矢の表情ですぐにわかるはずで。じりじりと距離を詰められて壁に追いやられた時、ようやく晴矢の稲妻と視線が絡む。ドン、とわたしの顔の近くに腕をつき覗き込むように顔を寄せた。
少し動いてしまえば、キスしてしまうような距離感で。思わず俯けばそれも許さないとでも言うように空いた手で顔を上げられる。
「これでもわかんねーのか」
「…っ」
「なにもされたくなけりゃ、さっさと戻れよ」
わたしは何も言えなかった。至近距離で見つめ合っていたのは凄く短い間であったと思うがとてつもなく長い時間にも思えた。視線を逸らそうとしないわたしにイラついたのか、晴矢はチッと舌打ちをする。その音で我に帰り謝ろうとした瞬間、晴矢の顔が斜めに傾きわたしに優しくキスをした。ファーストキス、と思った時にはもう晴矢は体を離していてまた酷く悲しそうな表情をした。
「悪かった」
何故あやまるのだろう。キスをしたこと?そんなのどうでもいいよ、すごく嬉しいよ。晴矢は着ているシャツでごしごしとわたしの唇を拭き始める。そしてまた「ごめん」と謝るのだ。はやく伝えなければ、と思うのにわたしは先程の唇の熱を思い出しては体を熱くする。晴矢がわたしにキスをした。それは、そういう事なのかな。
「俺の方が、お前のこと先に好きだったのに、ずるいよな」
風介と仲良くな、と晴矢はまたくしゃくしゃの顔で笑った。その瞬間わたしの中の何かが弾けた。晴矢の長袖のシャツを握りしめて引き寄せる。驚いた顔の晴矢を見るのは今日で2回目だ。今度はわたしから、少し背伸びをして晴矢の唇に触れる。そして恥ずかしさを紛らわすためにそのまま胸に抱きついてうわ言のように「好き」を繰り返した。
「わたしも、好き」
「は、?」
「好き」
「…は?」
何度伝えても信じていないのか説明しろ、と肩を掴まれ体を離された。晴矢と同じ気持ちであった嬉しさと晴矢を悲しませた罪悪感で少しだけ涙が出ていたが、それをかっこよく指で掬う。冒頭からの話を隠さず話せば顔を髪と同じ色にまで真っ赤にさせて項垂れてしまった。
「くっそ、あいつ…」
「わたしいま晴矢がかっこよすぎて死にそう…」
「…っお前はもう黙れ!」
再び唇に噛みつくから、わたしもそれを喜んで受け入れた。啄ばむようなキスを堪能してとろん、とした視線を向ければ晴矢も同じ視線を向ける。と思いきや、晴矢の肩の隙間から見えたのはあの苦渋の決断で協力を要請し綺麗に断られたあの、スカイブルーの髪の少年。悪そうに笑った風介に一気に羞恥を感じて晴矢の手を握りしめる。わたしの様子に気付いて振り返った晴矢はまた顔を真っ赤にさせてしどろもどろに言葉を発していた。
「うわ、」
「ふ、風介…」
「おま、なんでここに」
「少し心配だったから来てみたが、余計な心配だったようだね」
ため息をついて前髪を梳かす風介はさそがし楽しそうに笑っていて、思わず悪寒を感じる。
「ふ、あいつらには黙っておくよ」
含み笑いする風介に晴矢は腹を立てたのか地団駄を踏みながらわたしの手を引いて行く。キスをした恥ずかしさで晴矢を直視出来ないでいたが、晴矢の部屋の前まで来てしまえばそうもいかない。きっと明日には風介から『あいつら』まで話が回っているのだろう。部屋に一歩踏み入れれば晴矢はまたわたしの唇に噛み付き、わたしはそっと目を閉じた。
2018.0501