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マルクト帝国によって誘拐されたというファブレ公爵家長子ルーク・フォン・ファブレは一切の記憶を無くして帰ってきた。記憶どころか、感情の一切もなく、話すことも歩くこともできず、まるで生まれたばかりの赤ん坊同然だった。
キムラスカ・ランバルディア王国王都バチカルの城下で診療所を営むディラック・マティスのもとに診察依頼が来たのはルークが公爵邸に戻ってから数日してからのことだった。最初はディラックと妻のエリンだけで診療をしていたが、言葉を覚えだしたルークの話し相手として息子のジュードも同行するようになった。初めはお互いに戸惑っていたけれど、次第に打ち解けてジュードはルークの一番の話し相手になった。
それから七年ほどが過ぎて、ジュードは父親の跡を継いで医者になり、ルークの希望で彼の主治医となった。ジュードは二十二歳、ルークは十七歳になっていた。
門前を守る白光騎士に許可を貰い、ジュードは今日もファブレ公爵邸の玄関をくぐる。もう七年も続いているジュードの日常だ。そして、息を切らせて走ってくるルークを受け止めるのも日常茶飯事。


「ジュード!」

「おはようございます、ルーク様」

「おはよう……敬語、やめろよ」

「すみません。でも、人目もありますから」


ファブレ公爵家の執事ラムダスがジュードを射殺しそうな勢いで殺気を立ち上らせている。これも公爵邸の玄関をくぐるたびに儀式のごとく行われる挨拶の一つ。文字通りジュードはラムダスに良く思われていないのだ。少し頬を膨らませたルークだったが、思い直したのか、ジュードの手を引いて歩き出した。ジュードは柔らかく微笑むと手を引かれるままにルークの部屋に導かれた。彼の部屋は日当たりの良い立地で出てすぐに中庭がある。
ルークがベッドに座ったのを見てジュードは脈と血圧を測る。正常値であることを確認してジュードは安堵のため息を吐いた。ここ最近、頭痛が頻繁に起こっているようだから、痛み止めを処方していたのだ。精密検査をしても身体には何の異常もなく、ファブレ公爵の指示で精神異常の観点からも調べてはいるものの、これといった成果はない。ジュードは内心嘆息した。彼は健常者だ。何の異常もない。むしろおかしいのはルークを取り巻く環境だ。幾ら誘拐されたからといっても成人するまで屋敷に軟禁するなど狂気の沙汰ではない。


「ルーク、頭は痛まない?」

「ん、今は大丈夫。……でも、最近多くて困る。母上がすっげえ心配するからさ」

「シュザンヌ様はお身体が弱いから、余計に心配なんだろうね。大切な一人息子なわけだし」

「別に、心配してくれんのは、嫌じゃない、けど」

「うん、ルークはシュザンヌ様が心配なんだね。自分のために無理をしていないか、すごく」

「ち、ちがっ……!」

「違うの?」

「…………違わない」

「うん、ルークは良い子だね」


ジュードはそう言ってルークの頭を撫でた。不服そうに見上げる容貌はどう見たって幼子そのものだ。けれど、彼を子供扱いするのは母親の公爵夫人くらいなものだ。親友だと豪語するガイ・セシルを除けば。この屋敷に帰ってきた彼が赤ん坊同然だったというのが最大の理由なのだろうが。たがジュードは知っている。大多数の人間が今のルークと前のルークを比べて勝手に失望しているのを。どんなに苦労して現状を維持しているか。分かりもしないで勝手に決め付けて、到底ジュードには理解できない。
昔、ジュードも父親との不和にどうしようもない苛立ちを覚えたものだが、今はなぜあんなに父親が怒っていたのか、分かる気がする。ただ心配だったのだ。ジュードも今はルークが心配でならない。このまま外に出ることもなく成人を迎え、王位を継いだなら。とても恐ろしいことだ。インゴベルト六世の神経を疑う。


「ジュード、どうかしたのか?」

「ううん、何でもないよ。それじゃあ、今日も痛み止めを処方しておくね。耐えられなくなる前に飲むこと。でないと効かないからね。分かった?」

「わ、分かってる! 子供扱いするな!」

「はいはい、ごめんごめん」

「む、むー……」


頬を膨らませてそっぽを向くルークの頭をまた撫でてやる。次第に頬を赤くする子供。ああ、何て。ジュードは柔らかく微笑んだ。


「そうだ、今日は僕と外に出てみない?」

「え……で、でも、」

「嫌?」

「や、じゃない。けど」

「ファブレ公爵にはちゃんと許可を貰ってるよ。シュザンヌ様は手放しで喜んでたし。ルークさえ良ければ僕は君を連れて行く。──条件付きだけどね」

「どんな?」

「白光騎士を同行させること。端的に言えば、君の護衛ついでに僕の監視ってことじゃないかな」

「そんな、ジュードは俺に何もしない。それは俺が一番よく分かってる……!」

「うん、でもね、ルーク。ルークは王家に連なる血筋の子供で実質、王位継承第一位だ。インゴベルト陛下に次ぐ高貴な身分なんだ。誰も付けないわけにはいかない。例え、どんなに信頼している相手でもね」

「でも、」


泣きそうになっているルークを見ながらジュードはどうしたものか、と頭を悩ませる。今回の件をダメ元でファブレ公爵に相談した結果なのだ。おそらくかなり譲歩してくれた。何せ、インゴベルト陛下には内緒でこっそり行くのだから。本来はおそらく正式に出ようと思うなら、例え城下でもインゴベルト陛下に許可を取らなければならない。その過程をすっ飛ばして非公式に出ようと言うのだ。ある程度のリスクを覚悟しなければならない。もし何かあれば、ジュードの首は物理的に飛ぶだろうし、ファブレ公爵も厳重に罰せられることになるだろう。それでもあえて許可を出したのはきっと公爵も我が子の将来を案じている証拠だ。良い傾向だとジュードは思う。初めて会った時のファブレ公爵は完全にルークを見放していた。子供ながらにあんまりだと思ったのを今でも覚えている。けれど、ルークは諦めずに向き合おうとしていた。たぶん、ガイの影響を受けたんだろう。ついでに己の影響も受けたんだろうか。その辺りはよく分からない。


「恐いんだね、ルーク。僕はルークが思うほど弱くはないつもりだけど。やっぱり嫌? 行きたくない?」


ルークはじっとジュードを見つめていた。助けを求めている目だ。ジュードにはそれが痛いほど分かった。昔、自分で何かを決められなくて、大切な決断を他人任せにしていたあの頃。けれど、ルークとの出会いがそれを変えた。出会った頃のルークは言葉が上手くなくて、伝わらないジレンマでよく癇癪を起こしていた。多くの人間が彼の言いたいことを理解することを諦めていた。根気強く聴いてやればちゃんと理解できるのに、みんなその努力を怠っていた。


「……行く。ジュードがどうしてもって言うから仕方なく、だぞ!」

「うん、ありがとう」

「仕方なくだからな!」

「分かってるよ」


顔を真っ赤にしているルークが可愛くて愛おしくて、ジュードはルークの頭をまた撫でた。
きっとルークは知らない。キスをして抱きしめたいと思う衝動を堪えている己を。ああ、本当にどうにかなってしまえばいいのに。





君の深い場所に触れたくて










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はい、山無し意味無し落ち無しですねー。
ほんと、私ダメダメです。
でもね、主治医なジュードくんとルーク書けて幸せです。
餡田さん、ありがとう。そして、ありがとう。
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