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作品保管庫 | ナノ
期待の入り混じる瞳に反して、諦めを示す行動。朱い子供は黒い狼さんに夢中だ。
ハルルの宿屋の一室の隅からレイヴンは二人を眺めながらぼんやりしていた。カロルとフレンはエステルたちと買い出しに行っているため不在。部屋には三人だけ。我関せずを貫きつつ、注意深く見守る。
黒い狼さんことユーリ・ローウェルは立派な成人男子だが女性じみた魅力を持ち、誰より誰よりも他人を思いやれる人間だ。彼の何気ない気遣いに仲間たちは救われてきた。レイヴンもその一人。そして、朱い子供ことルーク・フォン・ファブレも。レイヴンがルークと出会った頃、子供の心はユーリに向いていた。ユーリも満更でもないらしいことは見ていれば分かる。だが、いつの頃からか、ユーリはルークと距離を置くようになった。ルークの方はなぜそうなるのか、まったく分かっていないようで、距離を縮めようと努力している。今も現在進行形で。
(まったく青年もまだまだ青いよねえ……。あ、ルー君泣きそう)
仕方がないとばかりに重い腰を上げて二人の会話に加わればユーリは詰めていた息を少し吐いた。表情にあまり変化はないが、明らかに安堵しているのが、ありありと分かった。逆にルークの表情はさらに落ち込んだように暗くなる。やれやれ、と内心では嘆息しつつレイヴンがルークの頭をぐりぐりと撫でてやると、子供扱いするなとばかりに睨まれる。
実際レイヴンにとってルークは子供だった。一回り以上も違う年齢に加えて、幼い容貌、ユーリほどまでとは言わないが甘いものが好きで、どこまでも純粋無垢な性格。子供が笑うたびに己の汚さを思い知る。たまに汚してしまいたい衝動に駆られるほどにルークは綺麗だ。綺麗事過ぎる、とはさすがに思わないけれど。
(あんな告白聞いちゃったら放っておけないじゃないの)
つい数日前に聞いた子供の思わぬ告白。無知ゆえに犯した罪の重さ。裏切りへの恐怖。孤独と戦った日々。幻滅されそうでユーリには何も言えない、どうしたら良いのか分からないと涙ながらに話していた子供。レイヴンは他人事には思えなかった。だから下手な慰めはできないと、ただ頭を撫でてやっていた。
「おっさん」
「ん〜?」
「ルーク、行ったけど」
「知ってるよ。おっさんは青年の方に話があるから」
「俺に、ねえ……」
「そうよ。何、駄目なの?」
耐えきれずにルークが出て行ったのは知っている。ついて行ってやりたいが、今はこちらの方が重要なので後回しだ。
「ねえ、こんな不毛なこといつまで続けるつもりなの、青年」
「続けられる限り、」
「嘘、もう限界だって思ってるくせに。ルー君だって、このままじゃ報われない」
「おっさんには関係ないだろ」
「関係あるよ。──青年が諦めてくれるなら俺は遠慮なくルークを奪える」
そう、何の憚りもなく。あの無垢な子供を誘惑できる。甘い言葉を囁いて優しく抱きしめて、子供が望むものを差し出して。
ユーリが目に見えて動揺したのが分かった。レイヴンは目を眇める。己はルークに相応しくないと思いながら他人に譲れるほど心の整理がついていない。そんなところだろうか。レイヴンは苛立ちを覚えてユーリを睨んだ。だったらいっそ完膚なきまでに突き放してくれたらいいのに。
「ユーリ、俺は本気だ。お前がルークを必要としないなら奪ってでも貰う。別に許可が欲しいんじゃない。これはお前への最後通告のようなものだ」
「好きに、しろよっ……!」
ユーリはやるせないような表情のまま部屋を出て行った。レイヴンは自嘲気味に笑った。宣戦布告は、した。だが、レイヴンとて人のことは言えない。ユーリがそうであるようにレイヴンもルークへ触れることに対する躊躇いを感じていた。今はそうでもないが、己を偽っていた頃はその気持ちが強かったように思う。この手のひらは綺麗なものに触れてはいけないとばかりに表面的な付き合いを心掛けた。けれど、そうやって歯止めをかけるたび、愛おしいと思う気持ちは膨らんでいった。ルークの心はユーリのところにあると分かっていたのに。
(ホント、俺らしくないよねえ。こんなに執着するなんてさ。柄じゃないんだよ)
一つまばたく。レイヴンはルークを追いかけるべく部屋を出た。宿屋の階下におりて受付で鍵を預けると外に出る。買い出しに出ていたエステルたちとすれ違ったがレイヴンの視界には入っていない。
ルークは案の定、丘の上にある大樹の袂でうずくまっていた。近づいて優しく撫でてやれば、ふと顔をあげる。期待外れだと表情が曇るのをレイヴンは見ない振りをした。気にしたところでどうにかなる問題じゃない。スタート地点ですでにマイナスだったのだから仕方ない。
「ルー君、少し休んだ方がいいよ。寝たいなら肩くらい貸すよ?」
「……怒らないんだ」
「何に?」
「レイヴンのそういうところ、すごいよね。俺には無理だ。割り切れない」
「割り切らなくても良いんでないかな」
「でも割り切らないと苦しいよ」
「割り切っても苦しいけどねえ」
「経験者だから?」
「そそ、年長者の助言は聞いとくもんよ〜」
ルークは笑った。久しぶりに見た心からの笑顔だ。嬉しくて思わず抱きしめたら、ルークは子供扱いするなとまた抵抗する。可愛くて可愛くて仕方ない。おもむろに額をルークの額にくっつければ、今度は戸惑ったように頬を朱に染める。このまま口付けるのは簡単。だが、世の中そう上手くできていないのも事実。
「レイヴンさん、あまりルークをからかわないでください」
「ぶーぶーおっさんはいつだって本気よー! 何気に酷いわね、フレン君!」
「酷くて結構です。それよりユーリを見ていませんか。先ほどから姿が見えないんです」
「……たぶん、街の外よ。ここはおっさんたちが独占しちゃったからね」
「そうですか……分かりました、探してみます」
ルークが探しに行きたそうな顔をしているのを見て、レイヴンは拘束を解いた。本当は行かせたくないけれど、束縛ばかりが愛じゃない。ルークがレイヴンを窺うように見上げていたから、行って良いよと良い人ぶって。本当にどうかしている。本気じゃなかったらきっと面白がって行かせなかった。でも、本気だから。ルークの気持ちを踏みにじりたくないという思いが強い。
(嘘吐いちゃったけどね)
レイヴンはついとあらぬ方へ視線をくれた。とんでもない殺気を飛ばす黒い狼さんが一匹。
「おやおや〜? 青年、いたのね。ルー君行っちゃったよ?」
「分かってたくせに白々しいこと言うなよ、おっさん。あんたって本気で最低だな」
「大人は汚いもんよ」
「……ああ、そうだな」
「汚いから綺麗で純粋なものに惹かれる。守りたいと思うのと同じくらい壊したくなる。青年もそう思ってるんでしょ?」
「壊したい、とは思わない。けど、俺には資格がない」
何が資格だ。レイヴンは鼻で笑った。あの子供にはそんなこと関係ない。ユーリと一緒にいることがすべてなのだから。いや、それだけではないか。だが、ルークの存在理由をユーリに求めているのは事実のようだ。ユーリも気付いている。どうしてそうなのかまでは理解していないけれど。たぶん、ユーリはルークのそういうところをどうにかしたいと思っている、いや、思っていた。だが、ユーリは己の犯した罪悪を受け入れながらも、ルークとの関係を自然消滅させようとした。彼は恐れたのだ。罪に濡れた手のひらは本当にルークを救えるのか、と。そう、己と同じように。けれど、ルークが望んでいるのはそんなことじゃない。ただ傍にいたいのだ。ユーリの力になりたい。それだけだ。
「この際、資格なんて関係ないだろう。ユーリ、お前はルークに望まれてる。そして、お前もルークを望んでいる。なら話は簡単。予想のつく帰結だ。お前が躊躇えば、それだけルークも迷う。俺はその方が有り難いが」
「やっぱ最低だな。……でも、俺がおっさんと同じ立場ならそう思ったんだろうな」
「分かってるじゃないの。じゃ、おっさんは宿に戻るわね〜」
「探さないのか」
「ルー君を? 冗談はやめてちょうだい。おっさんが見つけたってあの子は喜ばないよ。分かってるくせにそういうこと言わないでくれる? これでもおっさん傷ついてるのよ」
ユーリに背中を向けてレイヴンはもう振り返らなかった。胸糞が悪過ぎて死にそうだ。このまま感情のままに言葉を吐き出したなら何を言うか分からない。本当は奪ってやりたい。けれど、それは永久に無理な話なのだ。入り込む余地を自ら潰していれば世話はない。
(あははー良い人って難しいわねえ。すでにこれでもかってくらい根性曲がっちゃってるから、今さら真っ直ぐ生きるなんて無理だし。……さあて、どうしようかね)
が、幸運の女神様はレイヴンにまだ微笑んでくれているらしい。駆けてくるルークの姿が見えた。本当にどうしようもないくらい己は彼が好きらしい。胸が高鳴るのを止められない。年甲斐もなく恋だの愛だのに溺れるとは思いもしなかった。
「レイヴン、ユーリやっぱりいないみたいだ。他に心当たりあるか?」
「さあ……もしかしたら丘の上にいたかしらね。おっさんは気付かなかったけども」
「うーん、分かった。も一回丘の上行ってみる!」
「はいはい、行ってらっしゃい」
今度こそルークはユーリと会えるだろう。……今度こそ己はチャンスを潰した。後悔はない。けれど、諦めることは絶対にしない。そう決めた。あの子供が理不尽に泣かされるようなら、ユーリを許すつもりはないが、そんな失態を彼がするとは思えない。レイヴンはため息を一つこぼした。
(良い人ぶって結局失ってたんじゃ意味ないわよねえ……ああもう、どうするのよ……)
遠目にユーリとルークが連れ立って歩いてくるのが見えて、レイヴンはまたため息を吐いた。
この痛みを耐えるほどに僕の心は疲弊していく
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餡田さまへの100000hit記念リクエスト作品。
最初、想定していた話とは大分違う方向に行ってしまいました。
ですが、みんな片思いです。
最後までレイヴンのターンですが、みんな片思い。
というよりレイヴンvsユーリ→ルークみたいな感じ、か?
ええと、すみません、何だかきちんとリクエストに応えられていないような気がしてきました……土下座。
返品はなしの方向でお願いします。