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麗しの君よ、どうか振り向いて。笑いかけて。そしてーー。
そこまで謡うように言った燕尾服の男は目の前ですよすよと眠る朱い子供を愛おしそうに眺めて、瞬間、被っているシーツを一気に引っ剥がした。そりゃあもうイイ笑顔で。いっそ清々しいくらい綺麗に子供はベッドから転げ落ちた。ふぎゅ、と呻き声を上げたのもばっちり聞いている。
彼の名はジェイド・カーティス。蜜色の髪の毛と赤い瞳に眼鏡をかけ、すらりとした体躯で美しい顔立ちをしている。が、その美貌に反して性格は最低最悪。仕事に関しては特に手を抜かない。そのジェイドを不機嫌そうに睥睨する朱い子供はルーク・フォン・ファブレ。ファブレ家の次子で、もうすぐ十七になる。朱金の長い髪の毛と翡翠の瞳で、年齢の割に身長が低く、幼い容貌をしている。好奇心旺盛で何でも知りたがるが、興味のないことや嫌いなことに関しては完全無視。素直でない性格も相まって我が儘で傲慢に見えてしまうのが玉に瑕。だが、知る者は誰もが口を揃えて言う。
『ルーク様はとてもお優しい方だ』
要は注意深く観察しないと彼の優しさには気づけない。まったく難儀な子供である。
「おい……」
「おはようございます、ルーク様」
「ジェイド、お前な……」
「朝食のお時間を過ぎても食堂にお越しにならなかったので目覚まし役を仰せつかりました」
まったく人の話を聞いていない。このファブレの筆頭執事は絶対に手加減しない。駄目なことは駄目と言うし、絶対させない、行かせない。粗相があれば手厳しく叱責するわで、真面目な話どちらが主なのかよく分からない。そういう厳しい躾の甲斐あってか、ルークは滅多なことではへこたれなくなったし、それなりに仮面をかぶることも覚えた。だが、傷つかないというわけではない。内々のお茶会ですら、ルークにとっては気の休まる場所ではない。
「ルーク様」
「起きる。だからその怖い微笑みをやめろ」
「仰せのままに」
「そっちのが安心する。俺の前だけでいいから、そのままでいろ」
やめろ、と言った途端に消えた微笑みを惜しいとは思わない。大抵ジェイドは本心から笑っていない。笑顔を顔に貼り付けて、中では真逆のことを考えていたりする。その片鱗をルークは垣間見たことがある。そのことで半分脅されたこともあった。ルークにとってはあまり思い出したくない嫌な記憶。
「不思議な方ですね、貴方は。あの日のことをお忘れではないでしょうに」
「別に。ただ、」
「ただ?」
「人を小馬鹿にしたようなあんたの笑いが大っ嫌いなだけだ。嫌いだから、俺の前では笑わなくていい。あんたが笑うと俺が疲れる」
「そうですか」
消えた表情に感情らしきものは見えない。でもたまに、本心から笑っていることがある。ジェイドの幼馴染みだという金髪碧眼のその男は、この国、グランマニエの王ピオニー九世。ルークの叔父であり、母であるシュザンヌの弟。ルークは彼が苦手だ。
「昨晩は旦那様の代理という大きなお役目を立派に果たされたというのに……これですべて帳消しですね」
「五月蝿い。ああくそ、またアッシュに嫌味言われるじゃねーか。俺の馬鹿!」
「アッシュ様は情け容赦がありませんからねえ」
「はっお前だって似たようなもんだろーが!」
ルークは悪態を吐いたが、諦めたように嘆息して、緩慢な動作でベッドによじ登った。ルークがベッドの上に落ち着いたと同時にジェイドは素早く寝間着を脱がせて、服を着せていく。最近はジェイドが選んだ服しか着ていないなと頭の片隅で思ったが、すぐにどうでもよくなってしまう。慣れは怖い。
「これで宜しいでしょう。着せ替え人形にもずいぶんと慣れて……このまま、私にすべてを預けていただければ完璧なのですが」
「全力でお断りする。俺は公爵家の子息としての誇りを棄てた覚えはない。お前がいい加減諦めろ」
「御免被ります。貴方のような聞き分けのない可愛い子供を陥落させる、その過程の楽しみを奪われたくありませんから」
「悪趣味な奴!」
「お褒めいただき光栄です」
誰が褒めるか。その悪態は口にしなかった。何を言っても、どれだけ反抗しようとも、最終的にジェイドの思い通りになってしまう。だから矜持を棄てずに如何にして彼の鼻をあかしてやるか。それがルークの唯一の抗い方だ。
「おい」
「何でしょう」
「何やってる」
「動こうとなさらないので運んで差し上げようかと」
「ふざけるなー!! さっさと俺の上から退け、こんの陰険眼鏡ー!!」
全力で拒否する子供を、作りものでない意地悪い笑みでもって眺める。このまま唇を奪ったならこの朱い子供はどんな反応をするのか。一瞬考えて隅に追いやった。自覚のない筆頭執事は有り得ないと、冷淡に切って捨てた。途端にルークが不機嫌になったのを、ジェイドは気づかない振りをした。
(また、感情が消えた。さっきは結構本気で俺をからかってたのに。いつもそうだ。俺ばっかり。何でこんな気持ちにならなきゃいけないんだ……!)
ルークは泣きそうになるのを無理矢理堪えてジェイドを突き飛ばすと、ベッドを降りて部屋を出ていった。乱暴に開けた扉が悲鳴をあげてもルークは気にしなかった。気にするほどに余裕がない。意味も分からずルークはジェイドなんか嫌いだと叫びたくなった。
(……きらい?)
最初から嫌いなのに何でわざわざ言う必要があるんだろう。ルークは気が塞いでしまい、とぼとぼと食堂への廊下を歩いた。
「ずいぶん遅い起床だな。ファブレの子としての自覚が足りない証拠だとは思わんのか」
嫌な相手に出くわしたとルークは内心舌打ちした。アッシュ・フォン・ファブレ。深紅の髪の毛にルークよりさらに濃い翡翠の瞳は生粋のファブレ一族の証だ。己より恐ろしく優秀で、多くの民に次期皇帝として期待をかけられている。ルークにとっては兄であると同時に越えがたい壁のようなものだった。
「……あんたには関係ないだろ」
「関係ないだと? 関係ないわけないだろうが。お前と俺は血を同じくする兄弟だ。お前の評価は俺の評価にも繋がる。そして、ファブレ家への評価にもだ。分かっているのか? お前の行動や言動をいつも誰かが評価しているんだぞ」
「知るかよ、そんなの。他人の評価にいちいち反応なんかしてられるか!」
我ながら最低の発言だ。意地の悪いこの兄のことは別にしても父や母には迷惑をかけたくない。なら、ファブレの名に泥を塗らなければ問題ない。外聞も含めて。確かに出来の良い兄と出来の悪い己では比べるべくもないが、昔よりはかなりマシになったはずだ。
(癪だけどジェイドにはかなり助けられてるし。……何で俺なんかに仕えてんのか、さっぱりだけどさ)
ため息を吐いたルークにアッシュはあからさまに不機嫌になった。だから嫌なんだ。顔を合わせれば小言を言うか、説教するか。皮肉の笑みなら幾らでも見たことがあるが、穏やかに微笑んでいる様など見たことがない。いや、婚約者であるナタリアの前だと結構まともに笑ってるかも。ただしかなりぎこちない。そんな微笑みですら彼女には満面の笑みに見えるらしい。はにかんで微笑みを返しているのを何度も見たことがある。ルークには理解の範疇を越しているため、そのことはすでに思考放棄した。
「お前は」
「そこまでになさっていただけませんか、アッシュ様」
「……あんたが何でこんな屑に従ってるのか、不思議でたまらないな」
「分かっていただかなくとも結構。あなたにお仕えするよりずっと有意義な日々を過ごしていますから」
「それは良かったな。……やはり俺には理解できん」
アッシュは不機嫌そうに鼻を鳴らすとそのまま通り過ぎていった。ルークは何の感慨も覚えない。どのみち皇帝の座はアッシュのもので、ルークには万が一も芽がない。代わりにファブレ当主はルークが継ぐ。予定調和だ。ルーク自身、別にアッシュの邪魔をするつもりなんかさらさらない。皇帝になるなんて御免だし、その器もない。分かってる。でもたまに眩しく感じることがある。それだけだ。
「おい」
「はい」
「何で助けた」
「お困りのようでしたので」
「困ってない」
「それは失礼を」
「ジェイド」
「何でしょうか」
「……何でもない」
ルークは追いかけてきてくれたジェイドを置き去りに歩き出した。が。つかず離れず。
(本当に、何で俺なんだろう)
ルークはぼんやりと考え事をしたまま、食事を済ませ、そのまま執務室を目指した。少しずつ父、クリムゾンから仕事を教わっているのだ。教わるといっても書類の決済ぐらいだが。決済の匙加減はクリムゾンが決めているし、雑事の指示もクリムゾンが出している。そうなるとルークのやることなど限られている。
「うん。ルークは綺麗にまとめるのが上手いね。私とは大違いだ」
「ありがとうございます」
上機嫌でルークを褒めるこの優男がクリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレで、現ファブレ家当主だ。紅い髪の毛と鮮やかな翡翠の瞳の美丈夫は母であるシュザンヌに尻に敷かれつつもやる時はやるファブレの要だ。おそらく今クリムゾンが亡くなったとしたら途端にファブレは途端に立ちゆかなくなるだろう。
(母上って父上のこととなるとからっきし駄目だもんな。父上に先立たれでもしたら……駄目だ、考えただけで恐ろしい)
ルークは首を振って書類に集中しようと決めた。今からこんな縁起でもないこと考えても時間の無駄だ。
書類に集中しだしたルークを微笑ましそうに眺めるとクリムゾンはルークの側に控えているジェイドを呼んだ。ルークを気にしつつもジェイドはクリムゾンに従った。
「お呼びですか」
「うん。ルークは君から見てどうなのかなって思ってね。ピオニー陛下にルークを見定めるよう命じられたからここに来たんだよね、君って」
「陛下が何か言いましたか」
「なーんにも。でも軍人の君が執事の真似事なんて目的がなければしないよね」
「どこで私のことを知りましたか。私が軍人であることはあなたも知らないはずだ」
「そうだね。君がこの屋敷に来なかったら僕は一生君のことを知らなかっただろうねーーファブレの情報網を侮らないことだよ、死霊遣い(ネクロマンサー)ジェイド。陛下の秘された懐刀の話は都市伝説くらいにしか思われていないけれど、実際にいたという話は幾度も聞いたことがあるし、当代の陛下にもいるのだろうとは思ってたけどね。君もなかなか尻尾を掴ませてくれなかったし」
「お見事と言うべきでしょうか。私の存在を知った人間がどうなったかもご存知ですか」
「知ってる。でも君に僕は殺せない。ルークもね。そんなことをしたらどういうことになるか、君はよく分かってるからね」
ジェイドは舌打ちした。クリムゾンの言う通り、ジェイドの判断でどうこうできる問題ではない。勝手に判断して事を進めれば、確実に己の首は物理的に飛ぶであろう。そうなったとしても己の本当の主は助けてくれないだろうということも。
「あまり目立ったことをするなら僕も目零しできないよ。今はルークも本気で嫌がってないからいいけどね。あの子を泣かせるような真似をしたら只では済ませないよ?」
「肝に銘じておきます」
「うん。くれぐれもルークをよろしくね? ジェイド」
(これがグランマニエの筆頭貴族か。味方につければ心強いが、敵に回せば……)
背筋に悪寒が走った。それと同時に服の裾を引っ張られて傍らを見やれば。ジェイドは目を見開いた。
「父上、あんまりジェイドを怖がらせないでください。ピオニー陛下が怒りますよ」
「ルークに信用されてて嬉しいかい?」
「……そうですね」
別にルークはジェイドを完全に信用しているわけじゃない。だが、執事として、というか、補佐役としての彼の腕を信頼しているだけだ。ルークは己に与えられた席に座ると執務を再開した。その姿をクリムゾンは至極楽しそうに、ジェイドは複雑な表情で見つめた。
その日の夜、ジェイドは秘密裏に皇宮に戻ると昼間のことをピオニーに報告した。ピオニーは目を丸くしたが、ただ苦笑しただけだった。
「あーやっぱバレたか。うん、さすがファブレ公爵。グランマニエの千里眼は伊達じゃねーな」
「お飾りというわけではないのですね」
「そういうことにしときゃ何かと動きやすいってことだよ。言っとくがルークのがアッシュより抜け目ないぞ。お前、一発で見破られただろ」
「ええ……脅しをかけても屈しないとは予想外でした。交渉相手にするならアッシュの方が余程扱いやすい」
「だなー。うん、分かった。ルークは完全にファブレの色に染まりつつあるってことだな。千里眼としての自覚があるのは結構なことだ」
ピオニーは勝手に納得したようだった。ジェイド自身は納得できないことだらけだが。
「お前、引き続きファブレ家で執事でもやってろ。良い機会だから公爵からいろいろ学んでこい」
それだけ言うとピオニーはジェイドを追い払った。短く応じるとジェイドは皇帝の寝室から秘密通路を通ってファブレ家の屋敷に戻ってきた。その先でルークにお帰りと言われてもジェイドは最早驚かない。
「もう帰ってこないかと思った」
「なぜそう思うんです?」
「んーだってピオニー陛下は本当に無駄だって思うことは絶対にやらないから、かな」
「確かに、そうですね」
ピオニーは国民のためにならないと判じれば徹底的に取り除く主義だ。そのために苛烈なやり方を断行することがある。日和見主義の貴族たちにとっては彼ほど嫌な相手はいないだろう。
「戻ってきたってことはもうしばらく執事を続けるってことか?」
「良い機会だから公爵からいろいろ学んでこい、と」
「あー……うん。父上、すごいよ。大変だと思うけど頑張れよ」
「私は」
「ん?」
「あなたを本気で堕としてやりたくなりました」
「お、お手柔らかに頼む」
「嫌です」
「即答かよ!」
(絶対に手なんか抜いてあげません。私は負け勝負はしない主義なんです)
ジェイドは艶めいた笑みを浮かべるとルークに口づけた。ルークの頬が朱に染まるのを確かめてジェイドはルークをベッドに押し倒した。
ご主人様と執事の優雅で危険な主従ライフ
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かなり遅れましたが、ハッピーバースデーゆずさん!
ぜんぜん優雅じゃないけど危険な感じは出せたと思います。
どうかすずいとお受け取りくださいせ……!