更正プログラム:06



俺はふと違和感を覚えて目を覚ました。
首だけを持ち上げて薄暗い小屋の中を見渡しながら、鈍い頭でかろうじて今が夕方であることを理解するも、おかしいのは恐らくそういうことではなかった。
――奇妙なこの音は何だ?
未だ激しい疲労を訴える身体にムチ打って起き上がり、不可解な鳴き声のした方へ顔を向けると、あろうことかベッドの下にシャチが転がっていた。
見慣れた白いスーツ姿ではなく、変身していないごく普通のシャチが。

「シャチ!」

咄嗟に眠気など吹っ飛んでしまった。俺は慌てて毛布を跳ね上げ、シャチの横に飛び降りた。
苦しげな鳴き声を発しながら身体を捩るシャチの傍らには海水の入ったペットボトルが転がっていたが、腕のない身体では自力で開けることなどできなかったようだ。

「おい!大丈夫か、シャチ!?待ってろ、今、水かけてやるからな!」

焦りで若干手を滑らせながらも何とか蓋を取り、火傷を負ったシャチの肌に海水を振り掛けた。
シャチは一瞬安堵したように身体の力を抜いたが、だからと言って既に負った火傷が治ったわけではない。
何故魔力を使用していない状況で彼が元の姿に戻ったのかは謎であるが、しかしそれ以前にシャチを何とかして浜まで運ばねば命に関わる。
俺は床に転がったシャチの身体を何とかして持ち上げようとしたが、土台無理な話であった。
重力の小さな海中で生活するシャチの身体は何百キロもあるのだ。人間一人で運べるサイズじゃない。

「心配するなシャチ。すぐ、すぐ戻ってくる」

俺はシャチを安心させるように背中を撫でてから立ち上がり、戸口に向かった。手に巻きつけられていた鎖は案の定さび付いて脆くなっており、時計を嵌めた腕で叩いたら簡単に外れた。無残に壊れた鎖を見た瞬間、俺に逃げ出す気があればもっと早くそうできていたことを知った。心の中では多分とっくに気付いていた。自分がわざとこの場所に繋ぎとめられていたことを。

「お願いだ!だれか!誰か力を貸してください!俺のシャチが死にそうなんです!」





――それでは館長、クエスチョンナンバー1です。陸で干からびそうになっているシャチを助けられずにあたふたしている不審な男がいました。あなたならどうしますか?

「無視して通り過ぎる…か」

俺は一人ぽつんと呟きながら透き通ったアクリルガラスの奥を覗き込んだ。
実際俺は無視されることはなく、絶望的な結果にはならなかった。
世の中の人間は慈悲を知らない俺なんかよりずっとずっと親切で優しかったからだ。必死に助けを求める不審な男に対し近隣の住民は快く手を貸してくれ、怪我を負ったシャチはすぐさま数キロ先の水族館に収容されることとなった。
俺は助けを呼んで少ししてから自分がうっかり頭に何も被り物をせずに人前に出てしまったことに気付いたが、不思議と俺の顔を見てとやかく言う者は一人もいなかった。
但し、壊れかけの廃屋を改造して住みついていたことに関しては十分不審に思われたらしく、色々と理由は訊かれたが。
シャチが動物としての本来の姿に戻っていたときに気付くべきだった。
――自分の身体から魔力が消え失せていることに。
秋も終盤に差し掛かり、イベント事の無い平日の水族館は閑散としていて静かだった。
今や青白いアクリルガラスに映る俺の頭部はかつてのような異形ではなく、正真正銘の人間であった。ごわついて醜く歪んでいない、左右対称的な生まれもった人体。数多の生命を削りながら必死に求め続けた身体がやっとこの手に戻ったのだ。
それなのに。それなのに不思議と寸分も喜びを感じられない。

「シャチ」

俺はガラスの向こう側でゆったりと漂うシャチに向かって呼びかけた。
シャチは俺の声になど気付かないといった様子で餌を持った係員に注目している。まるで俺の存在など忘れてしまったかのように。

「シャチ、なあ、シャチ。聞こえないのか?」

俺の身体がヒトに戻ったのは、シャチが俺を認めてくれたからなのだ。愛してくれたからなのだ。シャチは俺のために俺を愛した。己のためなどではなく。それなのに俺とはもう言葉を交わすことすらできないなんて。

「――サカマタ?」

大きな声ではなかったとは思うが、そう呼びかけた瞬間、ちらりとシャチの顔がこちらを向いた。俺のことを理解して真っ直ぐこちらを見ていたかどうか定かでないが、俺はすかさず大きく手を振った。
気が済むまでそうしてからアクリルガラスに背を向けたとき、たまたま近くにいた親子が俺に対し奇異の眼差しを向けていた。
俺はにっこりと笑みを返し、不審がる彼らに教えてやった。

「あのシャチはサカマタっていう名前なんだ」




- fin -

20110312

BACK
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -