溺れる魚



浅瀬に辿り着いた俺はさっと人型に姿を変え、静かに打ち付ける波間から身体を起こすと、無人の浜にたった一つ佇む小屋へと向かっていった。

「…お加減はいかがです」

食べずにとっておいた小魚を数匹携えたままギイと軋む扉を押し開け、ほの暗い室内に目を凝らした。
粗雑な小屋の暗がりからくぐもった呻き声が聞こえ、まだ彼が無事であることを知る。
俺はそのことにホッと胸を撫で下ろしつつ、カツカツと靴音を響かせながら“彼”の状態を確認するために奥へ向かった。傍へ寄ってみればツンとした異臭が鼻腔を刺激し、彼が留守の合間に粗相してしまったのだと察しがついた。
それもまだつい先程のことらしく、ざらざらした木目の床に横たわる伊佐奈の身体の下から染み出す液体はほんのりと熱を放っている。
今の伊佐奈は自力で用を足せない。俺が縄と鎖で縛り上げて一歩も動けないようにしたからだ。
『もうこんな姿は嫌だ』
『人間に戻れないなら死にたい』
目を離せばすぐさま自殺を図ろうとする彼を止めるには、腕ずくで押さえつけるしかなかった。
岩を足に括りつけたまま海に飛び込もうとしたり、ロープで首を吊ろうとしたり。
例の動物園の連中に完膚なきまでに叩きのめされ、俺とともに水族館を去ったあの日からこの男はすっかり変わってしまった。
これまでの傍若無人な態度が打って変わって意気消沈し、最早生きる意味すら失っている。
彼の心中でどんどん歪曲し美化されていく、人間だった頃の記憶。かつて、俺の知り得ない過去に異常なまでの執着を見せた彼の自我は、二度とその場所に戻れないと分かった途端にがらがらと音を立てて崩れていった。

「今…、綺麗にして差し上げますね」

俺は伊佐奈の身体をそっと仰向けにして脇にずらしてから、それまで彼が横たわっていた場所へと身を屈め、床に口先を近づけて生ぬるい液体をしゅるりと舐めた。しょっぱい独特の風味が咥内いっぱいに広がり、俄かに体温が上昇する。わざと本人に聞こえるように音を立てて啜れば、彼のむき出しの細い肩が微かに震えたのが分かった。
何度繰り返しても本心ではこの行為に慣れていない彼であったが、文句は言わない。最も、舌を噛み切って死なないよう口内に布を挟んである状態では、話すことなどできるはずもないが。
俺は伊佐奈の口端から胸にかけてだらだらと垂れた涎をも一緒くたにすすり上げ、腹についた分まで余すことなく綺麗に舐め取っていく。そのまま上に向かって胸の突起を舐め上げると、伊佐奈の身体はビクンと跳ねた。

「キモチイイ…ですか?」

俺は自尊心をぐらつかせる残酷な問いを投げかけながら、淡く色づいた突起の片方を吸い上げる。
布ごしにうーうーと低く唸る伊佐奈の目に涙が滲んだ。
ああ、酷く嗜虐心を擽られる表情。
不快なのか、はたまた本当は気持ちがいいのか、彼をよく知るはずの俺にも最近では分からなくなってきている。
どうせ排泄物で汚れてしまうからと彼には一切衣類を身につけさせていない。
生まれたままの姿で投げ出された白い脚に艶かしく指を這わせてそっと持ち上げれば、伊佐奈は珍しくぐずぐずともがいて身体を捩った。
成程、前にセックスしてから既に数日は経っているはずのそこは、どうもそうは思えぬほどにぽってりと腫れて内側の肉が捲れ上がっている。

「…そう。自分で弄ってらしたんですね」

念のため両手首を後ろできっちり括りつけてはいるが、背を海老逸らせて尻を突き出せば肝心な部分にギリギリ手が届かないこともない。
俺の指摘を受けた伊佐奈は僅かに動揺を見せたが、漆黒の双眸は虚ろなままだった。

「ええ、もっと…気持ちよくして差し上げますよ」

俺を見上げ、潤んだ眦から無言の涙を溢す男の眼は自己嫌悪と焦燥でいっぱいになっていた。人間より格下の動物の手でいいように身体を開かれる自身が嫌でたまらないのに、身体だけはどんな動物よりも浅ましいのを知っているから。
ああ、そうだ、昔の彼はこんなことで泣かなかった。
俺たちを顎でこき使っていた傲慢な伊佐奈はもういない。
あの頃の彼は見るものをぞっとさせる冷たい狂気に満ちていたけれど目には確かな光があった。
それが今はもう、ない。
以前よりもずっと痩せてしまった伊佐奈の腰を後ろから掴んで自らに押し付けると、奥で感じるように開発された彼の身体は呆気なく快楽にのまれ、ふにゃりと緩みきった恍惚の表情を浮かべた。




20100228

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