恋と呼ぶにはまだ幼い



「シンドバッドさん。私、貴方のことが好きなんです」
 見てしまった。
 王が告白されるところを。
 単なる偶然だった。久しぶりに何となくバカ王の顔が見たくなって王宮まで足を運んでみたら、たまたま回廊の先に彼とそのお相手の姿を見つけてしまったのである。
 どうせ彼のことだから女からの告白なんてざらだろうし、そこを目の当たりにしたからと言って第三者である俺には何の関係もない。
 そのはずなのに、何故だか胸がもやもやとして気分が悪くなった。
 あの男が何と返事をするのか気になったが、同時に知るのが怖くもあった。
 俺はその場でくるりと身を翻し、来た道を大股に引き返した。
 焦りを戒める意思に反して歩みはだんだんと早まり、気付けばほとんど小走りになっていた。息が切れ、心臓の鼓動が大きくなる。
 ――どうして俺がこんなに慌てなきゃならない?
 シンドバッドがモテるのは今に始まったことではない。七海の女たらし。誰彼構わずちょっかいをかける彼のふしだらな態度は同性として見ていて気分のいいものではない。
 しかしそれだけならば今こうして自分が彼らに背を向けている理由には足りない。
 嫉妬、すなわち彼に比べて俺の女性経験が少ないからだろうか。
 物心ついた頃には戦争という刺激的な遊びを知っていたし、選んだ王に力を与え、争う様を眺めるのは単純に楽しかった。俺はマギであり、普通の人間とは違う。込み入った女の機微などわざわざ知ろうとも思わなかった。シンドバッドのような遊び人になりたいなどと考えたこともない。
「……分からない。分からないよ」
 驚きに目を見開く横顔が脳裏によみがえる。彼の唇はあのあと何と言葉を紡いだだろう。
 もしも彼女の想いを受け止めていたら――。
 想像した瞬間、目頭が熱くなってぶわりと涙が溢れた。
 ――どうして、こんな。
 泣き出す理由が自分でも分からずに困惑してしまう。何故、何故、と何度も呟いた。あんな女たらしのおっさんのことなど、本当ならなんとも思っていないはずなのに。
 気になって気になって仕方がない。
 彼が何を考え、誰を選ぶのか。
 当然俺がそれを知ったところで何ができるわけでもなく、彼の交際関係に口を出す権利もないと分かっているが、それでも――、
「どこへ行くんだい?」
 唐突に腕を掴まれた。
 俺は驚いてびくりと肩を震わせ、顔を上げる。
 振り返った視線の先には彼がいた。
「あれ……? バカ、王?」
 喉がからからに乾いていて、ひび割れた情けない声しか出なかった。
 シンドバッドは呆れたように肩をすくめた。
「おいおい、また変な呼び方をして。俺はシンだっていつも言ってるだろう?」
「シ、ン……」
 普段なら訂正されてもバカ王と呼び続けるところだが、今日はなぜか素直に従ってしまった。呼びなれないその名前を口にしてから音の違和感に気付いて指で己の唇をなぞった。やっぱり俺らしくない。
 複雑に揺らぐこちらの内心などつゆ知らぬシンドバッドは俺の腕を取って傍に引き寄せた。
「おいほら、どうしたんだふらふらして。さっきそこの池に落ちそうになってたぞ?」
 俺は、嘘、と小さく呟いた。
 考えごとのせいか全く自覚はなかったものの、言われてみればいつの間にか回りの景色は彼を最初に見かけた黒秤塔の回廊から中庭に変わり、随分離れた場所まで来てしまっているではないか。
「具合が悪いなら休んでいくか?」
「――どうして」
 俺は彼の好意に首を振った。
「ん?」
「どうして俺んとこに来たの? だって、さっき女の子と一緒に……」
 ああ、と彼は思い出したように頷いた。
「そうだったんだけどね。ちょうど君が歩いて行くのが見えたから、気になって追いかけてきてしまったのさ」
「え? じゃあ返事は? あの子に何て返事したんだよ?」
「あっ、あれもしかして聞かれてた? あの子はヤムライハの生徒の一人で――」
「……断って」
 感情を自制する余裕なんてなかった。気が付いたら俺は自然とそう口走っていた。
「お願いだから、断って」
「ジュダル?」
 シンドバッドの声には微かな当惑が滲んでいる。
「だってむかつくんだよ! あんたが誰かと一緒にいるなんて!」
「何だそれは。ジュダルは俺に一人でいろって言うのかい?」
「そうじゃない。違うよ! だけど俺がいるじゃん!」
 伝えたいことが言葉にならない。気持ちが理性についてこないのが酷くもどかしい。
 困惑を誤魔化すようにわけもなくわからず屋、バカ、と好き勝手に罵って彼の胸に顔を押し付ける。
 本当は違う。
 馬鹿なのは俺自身だと分かっているのに、こんな生意気な言い方しかできない。
 少ししてから、頭上でふっと短く息を吐く気配がした。大きくて温かな手が俺の背中へそっと乗せられる。
「そうだな。不安にさせてごめんな」
 俺だけに向けられた彼の声色は思いのほか優しくて、温かな慈愛に満ちていた。




20120419

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