聞かせて、あなたの音



 ジャーファルの制止を無視して就寝前にコーヒーを飲んだせいか、夜中に目が覚めてしまった。
 身体を起こすのは億劫だがこればかりは生理現象なので仕方がない。ベッドの柱で頭を打ちはしたものの何とか起き出し、外套をひっかけて廊下に出る。
 二つほど角を曲がったところで、うちに食客として迎えているよく見知った顔に出くわした。
「おや、アリババ君じゃあないか。奇遇だね」
「……シンドバッドさん?」
 彼は寝ぼけているのかとろんとした目をしており、若干足元が覚束ない様子だ。
「どこへ行くんだい?」
「え? えっとオレ、トイレに……あれ? でもここは……」
「トイレはあっちだよ。ほら、俺についてくるといい」
 俺がふらふらする肩を抱きながら言うと、アリババ君はこくりと頷き、俺にならって身体の向きを変えた。夢見心地の幸せそうな表情のままとことことひよこのようについてくる。
 昼間の凛々しい彼とはまた違った子供っぽい仕草が微笑ましくて、思わずくすっと笑ってしまった。
「ふへ? シンドバッドさん?」
「ううん、なんでもないよ」
 俺が笑いをこらえながら頭を振ると、アリババ君は不思議そうに頭を傾げた。
 そんな彼は幼少の頃から俺の書いた本の愛読者だったらしく、以前、「尊敬しているんです」と打ち明けてくれたことがある。
 面と向かってそんなふうに言われるのは気恥ずかしかったが、彼のような清き正しい少年に夢を与えられたことに大いに喜びを感じたものだ。
 部屋から近い便所は一人用の個室だったので、俺は年上の威厳を保つべく先にアリババ君にと勧めた。
 ――が、彼はふにゃりと可愛らしい笑顔を浮かべて大丈夫ですと譲ってくれた。
「オレは急いでないんで」
「そうかい? 悪いね」
 気を使わせてしまっていることをいくらか恐縮しつつ、ありがたく彼の言葉に甘えることにした。
 手早く用を足して個室を出ると、廊下にいたアリババ君はそのままの姿勢で待機――していなかった。
「あれ? アリババ君はどこへ……え!?」
 いた。アリババ君が何故か扉の向こう側に貼り付いていた。
 ――キモっ、何してるんだこいつ。
 ぎょっと脇へ飛びすさった俺の反応に気分を害した様子もなく、彼は不規則に息を乱しながら言った。夜風に当たったせいかすっかり目が覚めたようだ。
「いやぁ……早、かった、ですね……」
 彼は感慨深げに言った。
「そうかな?」
「十五秒、です」
「えっ?」
「シンドバッドさん、の、出してた、時間」
 彼はそう答えるなりひょこひょこと不自然な歩き方で便所に入っていった。
「えっと……え? え? え?」
 言葉は分かったが意味が理解できなかった。困惑しながらそのまま同じ場所に呆然とつっ立っていたが、中から聞こえ出したじょぽじょぽと用を足す音で我に返る。
 なんとこの音が思ったより明瞭だったのでおかしな葛藤が生まれてしまう。
 ――そう言えばアリババ君はつい先程扉の裏に貼りついていなかったか。
 確かに彼は同性だが、しかしだからと言って排泄の音を聞かれるのはやはり気まずい。
 という今も自分は彼の音を聞いているわけで、まあこれでフェアになったと言えばそうなのだが、これに限ってはそういう問題でもない気がする。
「って、あれ?」
 排泄音が止んだかと思えば、流水音の後に何故かはあはあと荒い息遣いが。
「ちょ、アリババ君!? 何してるの、ねえ何その鼻息何!?」
 うすら寒さを覚えながら焦ってガンガンと思い切りドアを叩くと、中からとぎれとぎれにすみませんと謝罪が聞こえた。
「いや待て謝ればいいってもんじゃないんだけど!? だから何ではあはあ言ってんの!? 何妄想してるの!?」
「あは、はぁん……だってシンドバッドさんのその声……」
「!?」
 一瞬全脳細胞が死滅したかと思った。
「あ、うん、声ね……。わかったもう俺喋らないよ……」
 ドン引きしつつ、俺は心の中で先程の考えを訂正する。
 アリババ君は清く正しくなんかなかった。むしろちょっと危ない少年だ。




20120416

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