白のルチフェル:08



目を覚ますと、そこは真っ白な世界だった。
ここは、どこ。――分からないけれど、自分の家でないことだけは確かだった。何故僕はこんな寂寥とした場所に横たわっているんだろう。
ふわふわした夢見心地のままに寝返りを打とうとした。が、背中がみしりと予想外に軋み、僕はくぐもった呻き声を上げた。

「動かない方がいい」

「――先…生?」

そこに担任の岸谷の姿を見留め、ハッと息を飲む。
ようやくここにいる理由に納得が行った。どうやら僕はどこか病院の一室に運ばれたらしい。

「どう?頭がはっきりしてきたかな?」

僕が記憶を辿りながらゆっくりと頷くと、岸谷は明るい日の差し込む窓枠に後ろ手をついた姿勢のまま、困ったように笑った。表情はよく見えなかったけれど。

「本当…無茶をするね、君」

「え…?」

「右腕1箇所に肋骨2本、頚部12針ときたらこれは無茶としか言いようがない」

「…ぼ、僕がですか?」

――成程、顔面がズキズキ痛むのはそういうわけか。
ただポカンと口を開く僕がおかしかったのか、岸谷は再び小さな笑みを見せた。

「まあ、平和島くんに喧嘩売ってその程度で済んだんだから、良かったと言うべきなのかな。――彼、少し戸惑っていたみたいだしね」

僕は何と返せばいいのか分からずに、黙って天井を見つめた。

(わけわかんねえこと、言ってんじゃねぇよ)

今回のことで一番とばっちりを受けたのは、加害者にされた静雄くんなのかもしれない。
岸谷はリノリウムの床を軽い靴音とともに近づいてきて、少しだけ身体を起こせるようベッドのリクライニング機能を調節してくれた。
こちらを見つめる黒縁眼鏡の奥の視線。そこにいつもと変わらない穏やかな空気を感じ、僕はどこか少し安堵した。

「…臨也がね、キミのことをとても気にしていたよ」

「折原先生が?」

「うん…持病の発作が再発してしまって、今ここにはいないんだけれど」

えっ、と瞠目する僕を慌てて制するように彼は言葉を継いだ。

「キミの気にすることじゃないからね」

「でも――」

「臨也はね、恐れているんだよ」

「?」

「他人の想いなんていくらでも受け取れるわけじゃない。それが愛のように大切なものなら、尚更だ。だけどあいつは自分が拒んだ所為で誰かが壊れてしまうのが怖かったんだ」

昔そういう生徒がいたのだと、どこか遠くを見つめるような目をした岸谷は言った。

「人目につかない旧校舎の倉庫に臨也を監禁して、警察沙汰にまでなった。それが誰の仕業だったのかと言えば、別にあいつに恨みを持ってる不良とかじゃなくて、どちらかと言えば品行方正、あいつとも親しい部類だった優等生でね。僕も会ったことがあるけれど、キミみたいに物腰の柔らかな感じの子だった。だけど少年院から出てまもなく、彼は自殺してしまった。理由は知らない。それでも臨也はそれが自分の所為なんじゃないかって、何年も引きずっていた。
あ――ほら、彼、顔いいからモテるでしょう?放ってたって相手はいるから、自分から特定の誰かを求めたことも、執着したこともない。だから判らなかったんだ。恋焦がれる人間はみんなその子のように狂気的な感情に耽溺し、簡単に壊れてしまう。彼はそういうものだと思い込んでしまった。自分に向けられたその愛情に応えなければ、また同じことが起こるかもしれない。けれど拒まなければ、彼自身が生きる自由を失ってしまう」

「……」

「そう、多分。結局のところ、あいつ自身は何も壊したくなかった。キミも、自分も、静雄くんも。キミのことをどうこうする以前に、自分が不完全だったから、どうにもできないことを分かっていた」

さて、と岸谷はにわかに表情を和らげ、そこで話を締めくくった。

「これで僕の余計なお話はおしまい」

いつも授業の最後に「何か質問はあるかな?」と言うときのような、まるでそんな雰囲気である。
だから僕も安心して同じ要領で尋ねることができる。

「あの、先生。どうしてこんなことを、僕に…?」

「うん。キミには知る権利があるんじゃないかって、僕は思うんだよ。臨也は詮索癖だけは人並み以上だけど、こういうことを自分から話したりしないからね」

――この人も、折原のことが好きなんだろうな。
何となくそう感じて、僕はそのことが少し嬉しかった。
最後に見た折原の傷ついた表情が、やっぱり自分の中ではまだ受け入れがたかったのかもしれない。彼には、いつもそうしているように飄々と笑っている姿が一番似合っている。
そのことを岸谷に話すと、彼は黒目がちな円らな眼を細めて「そうだね」と頷いた。

「あいつが暗いと、こっちまで調子狂っちゃうよ」

「…その……、僕に、何かできることがあればいいんですけど」

「そうだなぁ。じゃあさ、キミが元気になったら、臨也と沢山話してあげて?あいつもうしょぼくれちゃってさ、絶対寂しがってると思うから」

え、と僕は眼を丸くした目で岸谷を見つめた。

「いいですけど。僕がそれをすると返って精気まで吸い取っちゃうかも」

「おーっと!それは困った!」

岸谷のおどけた顔がいつも以上におかしく思えて、僕はぷっと噴き出してしまった。





20101008

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