白のルチフェル:07



――ああ、もう。どうしよう。
咄嗟に逃げるように保健室を飛び出してきたものの、まだ胸の動揺が収まらなかった。
とてもじゃないがこんな調子のまま授業に出られそうにない。
いっそ今日はこのまま帰ってしまおうか。駅前の本屋にでも立ち寄って時間を潰せば…そう、それがいい。
思い立つなり、義務感で足を向けかけた美術室の方向からくるりと反転すると、通学バッグの回収のためHR教室に進路を変えた。
道中、幸運にも教員には誰一人として出くわさなかった。日常的に真面目を装っている手前、その場しのぎの言い訳は色々と取り揃えていたのだけれど、それらを使わずにすんでどこかホッとしていた。
しかし、靴を履き換えて昇降口を下りたところで対面方向をやってくる制服姿の人影が視界に入った。
――なんだ、不良か。
明らかに危ないオーラを放つ男子生徒となるべく目を合わせないようにしながら、僕はそのまま通り過ぎようとした。

「おい、帝人」

――こんな不良に友人はいないはずだけど。
そう思いながら振り返り、

「あ、静雄くんか…」

おざなりにも、彼とは小学生の頃からの付き合いである。

「よぉ。こんな時間にお帰りか?」

「ああ、うん。ちょっと気持ち悪くて…さ」

短気を逆撫でしない程度に柔らかな笑みを見せ、そのまま踵を返し――けれど僕の肩は何故かがっちりとホールドされていた。

「待てよ」

目の前には意思の強そうな茶色い瞳。

「え、ちょっと。静雄くん?」

「それ、仮病だろ」

「……」

図星を指され、イラっときた。
――何さ。どうせそっちだって倉庫裏で一服してたくちじゃない。
本当は僕の方こそこの乱暴者に沢山言ってやりたいことがあるのに、ずっと我慢しているのだ。怖いからじゃない、単にいざこざが面倒だったからだが、ムシャクシャしている今となってはそれすらどうでもいいことだった。
気付けば僕は自分より十センチ以上も高い長身の同級生をキッと見上げ、反抗的に口走っていた。

「だったら悪いかな?怪我ならほら、してるけど」

テープと包帯で固定された左手をひらりと振ると、静雄くんは訝しげに眉根を寄せた。

「ノミ蟲が帰っていいって言ったのかよ?」

「うん、そう。静雄くんと違って僕は“いい子”だからね。授業さぼったって繁華街で暴れたりしないから安心でしょ」

「てめえ…喧嘩売ってんのか?」

「そう、いいよね、静雄くんは。すぐキレて、殴って、やりたい放題やって」

「あ?」

メキ、と不気味な音を立てながらカッと見開かれた相手の目を、僕は平然と見つめ返した。
自分でも、何故こんなことを言っているのか分からない。
平和島静雄に喧嘩を売ってはいけないことくらい、この学校の生徒なら誰でも知っているのに。

「喧嘩、喧嘩、喧嘩。問題ばっか起こして、先生の気ぃ引いて、ホントいい身分!キミは幸せ者だから知らないだろうなあ!僕が、どんなに――」

――ずごん、
顎に只ならぬ衝撃を受け、僕の身体は宙に浮いた。殴られたのだと認識するのにそう時間はかからなかった。

「なに…するのさ!」

軋む腰骨に顔をしかめ、口端に滲んだ鉄臭い味を手の甲で拭いながら睨み上げる。
彼は僕の目の前で吹かした煙草を投げ捨てると、ローファーでがりがりと踏み潰した。

「わけ分かんねえこと、言ってんじゃねぇよ」

「何が」

「俺だって、好きで喧嘩してんじゃねえっつってんだよ。こんな体質じゃなけりゃ、もっと平和に――」

「はあ?なにそれ。静雄くんは何も変わろうとしてないじゃない。傷ばっか増やして、折原先生の好意に甘んじて、今のままで満足してるだけ」

こんなに早口で喋ったのは初めてかもしれない。そう思えるくらい、このときの僕は激昂していた。
でもそんな空威張りの優勢も長くは続かなくて、数秒後にはまた彼のパンチを食らってよろめく。

「…っ、」

静雄くんは本気で怒っていた。

「てめえ、調子乗ってっと殺すぞ」

「はは、そう!」

殺す、殺される。世の中がこの男の頭のように単純だったら、どんなによかったことか。

「いいよ、好きにすれば?」

「あ゙ぁ!?」

また、衝撃。僕はもう、端から避けることを諦めていた。殴られついでに胸元をがしりと掴み、二回りも体格の良い相手の身体を引き寄せる。胸ポケットに入っていたボールペンを逆手で取り出し力一杯肩に突き立てた。
鮮やかに血が噴き出し、静雄くんは柄にもなくハッと驚いた声を上げる。

「キミになら殺されてもいい」

どうせ、色んな意味でもう勝てっこないから、と。
擦れる枯れ葉のように嗤った僕の視界は、間もなくがくりとブラックアウトした。





20101008

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