SEXY PANIC:11



「ふっはー、よく寝たーぁ!」

――気持ちのよい朝だ。
うーんと大きく伸びをしながらリビングに入っていくと、キッチンの方から聞こえてくる低い声が俺を迎えた。

「…それはよかったわね」

「あれ、波江さん怒ってる?」

冷蔵庫の陰から奥を覗き込めば、どうやら先立って朝食の用意をしてくれているらしい。エプロンをつけた家庭的な“俺”もなかなか素敵だ。
けれどその眉間には谷のように深い皺が刻まれている。

「いいえ?機嫌はいい方よ。あなたが夜這いしてこなかったらね」

「やっぱ怒ってるじゃん! でも仕方ないだろー?ソファじゃよく眠れなかったんだからさあ」

「…それはじゃんけんに負けたあなたが悪い」

波江さんは最後に味噌汁をお玉でぐるりと掻き混ぜてから、IHの電源を落とす。

「ちぇー。ああ、そうだ!いっそのこともう一台ベッド買っちゃおうかな」

「は?」

「それともダブルにする?二人でラブラブしちゃう?キャー!」

「ちょ、意味が分からないんだけど」

案の定波江さんはドン引きしている様子で、いつも以上に冷めた表情のままお椀に味噌汁をよそい始めた。
そんなつれないところも魅力的だよ、ハニー。

「っていうか、今日はホテルに戻るから気にしないで。昨日だって本当はそのつもりだったんだし」

「えー、波江つまんなぁーい!」

「つまるとかつまらないとかいう問題じゃないでしょ。あと変な口調で喋らないで。他人が聞いたらどうするのよ」

彼女は二人分の食事を卓上に並べながら、あらためて釘を刺すように言った。
ゴトン、と俺の分のお茶碗を置くときだけ大きな音が鳴ったが、俺は別段気にするまでもなくニヤリと余裕の笑みを向ける。

「大丈夫さ、俺を誰だと思ってるの?素敵で無敵な情報屋だよ?波江さんくらい誰から見てもそっくりに演じられる」

「そ…? けど、誰かに会うような場所に行く用事はないはずよね」

波江さんは訝しげに眉をひそめ、壁に吊られたカレンダーに目を向けた。
今日の日付の下はぽっかりと空欄になっており、何も書き込まれてはいない。
予定管理用のファイルにしたって同じことだろう。だって現実問題、とりたてて用事なんてないのだから。

「今日は大人しくデスクワーク。分かってるわよね?」

有無を言わさぬ口調で念を押され、俺は食事に手をつけながら「うーん、そうだねぇ」と呟いた。
そうして一言だけ付け加える。

「…ま、急用なんていつ入るかわかんないけどさ」








「あれ、もう1時じゃないの…」

波江が疲れた目元を押さえながらふと書類から顔を上げると、そこに上司の姿はなかった。

「あー…、折原?」

そう言えばさっきからぴーぴーとウザイ声(でも自分の声だ)が聞こえていなかったことを思い出す。
波江はちょっぴり嫌な予感を覚えつつ自らのデスクから腰を上げ、急ぎ足で隣の部屋に向かった。
――その予感は見事に的中。
自室、トイレ、お風呂、ベランダ…どこを探してみてもいない。
マンション階下のコンビニにもいない。
波江がコンビニ前の駐車場に立ち尽くし、さてどこへ行きやがったと苛々しながら携帯のディスプレイに目を移したとき、ちょうど着信が入った。

「…はい?」

見慣れた番号に半ば殺意を覚えながら出てみれば。

『もしもーし、波江さん?俺だよ俺、今池袋なんだけどさ…』

「死ね!」

パキン、とフレームの側面にヒビの入る音がした。





20100823

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