そして無に還る



「あなたはずっと、僕を騙していたんですね」

初めて真実の一端を知らされた少年はかつて敬意と好感の対象であった情報屋を見つめ、悲しげに微笑んだ。

「親切な言葉をかけて、慰めて、いい人を演じて。陰で情報を売ってた。正臣を嵌めたのもあなただったなんて。……ショック、でした」

滲む思いをこらえるようにすうっと白い吐息を吐き出した帝人のつぶらな瞳に映るのは、純粋な憂いだった。初めて出会った頃から何ら変わらない。ダラーズという肥大した組織から切り離して見た単体の彼は、あくまでごく普通の大人しい高校生のようで。

「なぜですか……?なぜ、あんなことを」
「ああ、それはね、」

どこまでも純朴な帝人にちらりと視線を遣りつつ、臨也はおかしそうに目を細めた。

「なぜって、やっぱり楽しいからさ。わくわくするからさ。だってね帝人くん、君は信じていたものに欺かれたときの人間がどんな反応をするか見てみたいと思わないかい?いつも冷静な人が豹変したりするんだから。ねえ人間って、本当に複雑で醜くて愉快な生き物なんだよ。ああ、もちろん君だって例外じゃない。俺はそんな人間たちの素顔を愛してるんだ。だから――」
「人間を愛す?」

帝人は濡れたまつ毛を上げ、ゆっくりと臨也の言葉をなぞった。

「僕には分かりません。人を陥れて遊んで、それを愛というのなら、小さな子供が面白半分に蟻を踏みつぶすのも愛なんですか。それを愛と呼んでいいんですか。……きっと、あなたは人間を愛しているんじゃない。嫉妬してるだけかもしれない。何でも完璧にできてしまう優等生のあなたに疎外感を抱かせる低俗で群れたがり屋の人間を高みから睥睨して、神様にでもなったつもりだったんじゃないですか?」

臨也はごくりと息をのむ。
帝人が思いのほか冷静だったばかりではない、ここまで厳しい切り口で臨也の核に切り込んできたのは彼が初めてだったのだ。しかもそれが徒に的を射ていたから、咄嗟にいつもの饒舌で切り返すこともできなかった。

「は?あはは、何を、馬鹿なこと。俺は別にそんなつもりじゃ……」
「でもいいんです」
「えっ……」

瞳の奥に狂気がちらつく瞬間を、臨也は見た。

「安心してください、臨也さん。今……、何もかも綺麗にしてあげますから」

帝人は相変わらず気弱な印象を与える童顔で柔らかにほほ笑み、ズボンのポケットからキラリと光る何かを取り出した。
――否。
この廃工場内にガソリンの臭いが充満していることを臨也が知らなかったわけではない。
知っていて尚ここへ誘われた。
己が臨也の手の上で踊らされていたと知ったとき、帝人がどんな行動に出るのか興味があったからだ。
打開策はもちろんそれなりに用意してあった。外で待たせた屍龍の面子がいつでも突入できるように待機して――、

「本当は何となく気付いてたんです。すみません、臨也さんが期待してた僕の反応、見せられなくて」
「! 帝人くん、君は、」
「でも、たぶん見せられるような顔じゃなかったと思うけど……」

ちろちろと赤が揺れる。
放った火種を中心に炎がどうと火の粉を噴き上げる中、帝人は臨也に向かってすうと手を差し出した。

「――臨也さん。僕と、一緒に」
「帝人、くん……」

昔から人に強要されることを嫌う臨也であったが、この瞬間だけはまるでそうすることが必然であるかのように手を取っていた。顔に、肌に焼けつく熱を感じるのに、目の前の少年から視線が外せない。
己を暴かれ、全てを失ったにも関わらず、帝人は相変わらず冷静で、無垢で、どこか頼りなくも見え、恐れや真の絶望を知らなかった。母に守られる幼子のように綺麗なまま。
彼はそのあどけない顔に一体どんな表情を浮かべ、沢山の人間を傷つけてきたのか。
何かがおかしい、狂っていると、臨也は最初から気付いていた。
けれど、だからこそ彼は帝人のことを気に入ってもいたのだ。
帝人ならば、臨也の胸の中で折れたまま空回り続ける歯車を止められるような気がした。
――あの感情を自覚したのはいつだったか。
最初はきっと一部の思春期の子供が抱きがちな、恵まれた者の贅沢だった。己が何者なのか分からなくなって自分だけの唯一を探したとき、そんなものは存在しないことに気付いてしまった。
俺は他人より少し勉強ができるだけ、足が速いだけ、容姿に恵まれているだけ、饒舌なだけ。
いくらでも代わりがいる、特別でないことが嫌でたまらなかった。自分の存在価値を求めても得られず、鬱々とのしかかる虚無感を紛らすことで繰り返し己を騙し欺き続けた。自分の力が人を操っているという快感に酔ったこともあったけれど、それが自己の確立に繋がったのはわずか一瞬。そしてもっと分からなくなったのだ。
自分と似た思考を持つ帝人ならば、答えを与えてくれるのではないか。いつの間にかそう思い込むようになって、勝手に執着していた。
そして臨也はこのとき確信した。
帝人は多分、逃げない。
今日までを捨て、明日から何事もなかったふりをして日常に戻るには、彼は大切なものを失いすぎた。

「……本当はまだ、あなたのこと信じてるんですよ」

騙されたのにおかしいですよね、とひび割れた声で打ち明けてはにかんだ少年の寂しげな笑顔。それが臨也の見た最後の映像となった。




20120714

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