勝手なエール
※あいさんリク
「おー、デイダラァ!もっと酒持ってこーい!」
顔を赤くしたサソリの旦那が声を張り上げ、けらけらと笑った。
今日はやけによく飲むな、と思った。
飲ませればそれなりに強いのは知っていたが顔に出るところまでは滅多に行かない。先程オイラが手渡した瓶の中身が水であることにも気付いていないようで、機嫌よさそうにオイラの知らない昔の歌謡曲を歌っているが、若干呂律がおかしい。
「あな〜たが〜い〜てほしい〜。って…おいデイダラァ、お前全然飲んでねーじゃねえか。ノリ悪ィぞああ゙?」
「旦那、そろそろやめとこう。明日も任務があるんだから」
オイラは優しく諭しながら、旦那がぐいと突き出した酒瓶を床に下ろさせた。
彼は不満そうな顔でヒック、と喉を鳴らした。
その音が存外可愛らしかったので、オイラは思わず苦笑する。
元はと言えば今夜「相談がある」と晩酌を持ちかけたのは自分からだったので、快く付き合ってくれた旦那には感謝している。
その中身はずばり恋愛相談。内容が内容だけに親しい人間にしか話せない。前々からリーダーの信者の子で凄く気になる子がいたのだが、女性経験のないオイラに気安く声をかける勇気があるはずもなく、どうすべきか悩んでいた。具体的な内容を話してアドバイスを貰いたかったというよりは、打ち明けることで自分の気持ちに整理を付けたかった。
好きな人がいるんだけどどうしたらいい?なんて、仕事の相方として何年も一緒に過ごしている旦那にこんな野暮な相談をするのはこっ恥ずかしかったが、彼でなければ駄目な気もした。積年のうちに築かれた癖のようなものだろう。他の誰に言われても納得できないとき、旦那を介すことですんなり飲み込めるのはオイラの場合珍しいことではなかった。
「ほら、オイラの手につかまって。ベッドに行こう」
生憎ここはオイラの部屋なので旦那が寝るスペースはない。
オイラが腰を上げながら手を差し出すと、旦那は「ベッド?」と鸚鵡返しに呟いた。
オイラは頷く。
「ああ。そうだよ、旦那。もう遅いから寝――」
「いいなァ、ベッド…。セックスしてェ」
「えッ」
「デーダラ、てめェ、ちょっと付き合えよ。いいカラダしてんだから。なァ?」
腕をつかまれ、引き止められた。いつもと同じ、どこか眠たそうな旦那の目がじっとオイラを見上げる。
見慣れているはずなのに、全く知らないもののような気がした。こんな旦那をオイラは知らない。
ショックのあまりその場にペタリと膝をついてしまったオイラの上に、旦那がおもむろに乗り上げる。とても冗談を言っているようには見えなかった。旦那の顔がすうっと近づいて目の前が暗くなる。
口に違和感を感じた。オイラはもがいて押しのけようとしたが、後頭部の髪を掴む旦那の手がそうさせてくれない。
ぴったりと重なった唇を強引に割り開き、酒臭く熱い舌が咥内に侵入してくる。
これがキスなのだとどこか他人事のように思った。
ファーストキス。オイラの初めては旦那の唇に消えた。
少しずつ角度を変えて何度も唇を貪られる。がっちりと絡めた脚に熱を持った固いものが押し付けられるのが分かり、胸がすーっと冷たくなる。
酔いで意識が混濁して、オイラを別の誰かと間違えているのだろうか。
どうかそうであってほしいと願う自分がいた。
オイラにとって、旦那はこんな生々しい存在ではなかった。仕事のパートナーであり、人生の先輩であり、親のような兄のような、いつも自分より数段先を行く目標だった。尊敬していた。
オイラはガリっと歯を立てた。
痛みに驚いた旦那の舌がすっと引っ込み、弾かれたように顔を離した。
大きく目を瞠る旦那を見上げ、オイラは黙って首を横に振った。
「旦那、違う。おかしいよ、こんな」
早鐘のように打つ胸を押さえながらオイラはやっとそれだけを吐き出した。何てことをしてくれたんだと噛み付く元気も余裕もなかった。
向かい合う旦那もまたぜえぜえと荒い息をしながら放心したようにオイラを見下ろす。
琥珀の瞳がぐらりと揺れた。
「……悪かったな」
「旦、那…」
あまりにもあっさりと謝られたので、オイラは呆気にとられて口を開ける。
「ちっ…と、ふざけすぎだ。ホント、悪ィ。…そうだ、さっきも言ったけど。恋、頑張れよ。応援してっから」
驚いた。この二分ほどの間に起こった出来事を全て否定し、旦那は腰を上げた。
オイラはつられて視線を上げ、部屋を出ようとする旦那を目で追いかける。彼が嘘をついていることは分かっていた。
オイラの腕を掴んで引き止めたときの旦那のあの目。一瞬だけ覗いた黒い欲望は間違いなく本物だった。
旦那の消えたドアに向かって酒瓶を投げつけた。
瓶は派手な音を立てて砕け、床一面に濡れたガラスの破片が散らばる。
どうすればいいか分からなかった。
オイラが欲しいなら力ずくでものにすればいいのに、あの人は優しい。優しくて、ずるい。何でも好き勝手しているように見えて、いつもいつも本当に大切なことはオイラに決めさせてしまうのだ。
20110722
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