変わらないもの



※死ネタ

 ごほっ、と一つむせる音がして、灰色の石畳に黒い染みが点々と付いた。
 鉄臭い血の匂いが充満していた。
 俺は、よろよろと後ずさる相手に引きずられるように一歩踏み出す。右手の先は相手の胸の中央に消えている。俺は余っている方の手を上げ、すっと伸ばした。
 まだ激しい戦闘が終わって間もなかったが、心中は思いのほか落ち着いていた。
 ずっと望んでいたものを手に入れてしまった。影を淘汰することは決して楽な道のりではなかった。里を抜けてからこっち、俺は数年もの年月を術の研究を費やした。それでもこうして終わってしまえば案外あっさりとしたものだった。
 俺は今、悦んでいるのだろうか。感動しているのだろうか。
 俺は伸ばしかけた手をどこへやるか一瞬迷い、男の白い頬にあてた。造りもののこの手が温度を感じないのは百も承知だったが、不思議とそうしてみたかった。俺は男に問いかけた。
「死の間際の気分はどうだ?」
「サソリ……?」
 風影の痛みに濡れた瞳が微かに瞠り、俺に焦点を当てた。目の奥の光は今まで彼が見せたことのない弱々しいものだった。
「信じられないという顔だな。お前は自分が俺に負けるはずはないと思っていたんだろう」
 首を振る彼の唇から赤い線がくっきりと流れ落ちた。
「そうじゃ、ないよ……私が驚いたのは、君が私を殺しにきたこと……」
 俺はすっと眉をひそめた。
「ああ、子どもは、なんて、早く成長するんだろう……」
 風影は瞼を伏せ、くしゃりと表情を歪める。そうすると目じりに小さなしわが二本できることを俺は初めて知った。
 そのとき、胸の奥にちくりとした違和感を覚えた。
「私は、君が子どものときから知っているから……だから……わかったよ……」
「……何を」
「大人の力は、子どもを……幸せにも、不幸にもしてしまう……。どんなふうにでも、人生を変えてしまう……」
 俺は風影の言い草に少し苛立った。
「ほう。お前は俺のことを不幸にしてすまなかったと、今更謝罪でもしようというのか?」
「……まさか。今更、どうしようもないのはわかっているさ……」
「だったら――」
「ただ、やるせないんだ……」
 それは彼があまり発しない類の感情的な声だったので、俺は少し驚いていた。
「私たちの故郷がもっと、穏やかな国だったら、君は今と同じ道を選んだだろうか……? 君は、故郷を去っただろうか……?」
 ぽつり、ぽつりと溢される言葉には耳障りな空気が混じり始めている。もうあまりもたないことは確かだった。
「家族を失わなければ、君は、強くなる必要があっただろうか。そんなことをしなくても、君は君のままでいられたんじゃないか……。君だけじゃない。里の皆の顔を思い浮かべると、そんな疑問がどんどん出てくる……」
「それはどうだろうな……。俺の人生にお前らがどう関わったのか、確かなことはわからない。だが俺は今の俺を不憫だと思うが、不幸だとは思わない。俺は今の生き方しか知らない。他の道なんざ興味はないし、どうでもいい」
 俺は自分でも驚いていた。相手の言葉に触発されたかのように、思ってもいない台詞がすらすらと口をついて出てきた。
 ――サソリ、元気がないみたいだけど大丈夫かい?
 ――大丈夫、全然平気だよ。
 ただの強がり。振り返ればまるで子どものときと同じだった。もう最期だというのに、俺は肝心なときに本当の気持ちを伝えられない。
「ただ、これだけは確かだ。俺がどんな道を選んだとしても、お前を殺すことに違いはない」
 俺は昔から知っている。大人はいつも身勝手だ。
 もし、あのときああしていたら。こうしていたら。そんなふうに過ぎたことを思っても仕方がないじゃないか。後悔するくらいなら誰かの人生に影響を与えるような生き方をしないでほしい。
「今と違うどんな人生を生きたとしても、俺はお前を超えたいと思うだろう」
 風影の身体がぐらりとよろめく。遂に限界がやってきた。
 俺は腕をそっと背中に回し、崩れ落ちそうになった彼の身体を支えた。
「……それほど、俺の中でお前の存在は大きい」
 そうか、と風影が頷く。
 俺はそれに小さく頷き返し、時を同じくしてくたりと力を失った身体を抱き上げた。
 かつて大きく見えていた男の重みは思いのほか大したものではなかった。
 俺は少し後悔しながら白い骸を見下ろす。
 最後くらい、泣きわめいてだだをこねればよかった。お前らが戦争ばかりしているせいで親が死んだのだと責めたててやればよかったのに。
 そんなことを言っても仕方がないと思ってしまう自分は、昔と同じ、嘘つきのまま。隠して、強がって、屈折して。本当は誰かに分かってほしくてたまらのに、助けを乞う方法を俺は知らない。




20150520

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