スイッチ・オン



※蠍泥風味


「よけろ!」
 相方の鋭い声ではじめて、オイラは命の危機を感じた。
 一瞬遅れて、耳の横すれすれを刃が抜けていったのだ。
 切れた金糸が林間を舞う。
 戦闘に臨みながら己の意識が注意散漫だったことを自覚し、冷水をあびせられた気分だった。
 鼓動の乱れはすぐには収まらなかった。
 十数秒後、ひらりとサソリがそばの枝に降り立った。茂みに潜んでいた敵の残党は彼が放った攻撃で静かになった。赤く濡れた腕の切っ先をパッと横に払いながら、彼は不機嫌そうな声で言った。
「あのな。お前、もう少し敵に集中しろ」
 声のトーンはすっかりいつもの平板な調子に戻っている。この男がつい今しがたあんな大きな声を出したなんて、まるで嘘のようだ。
「……ごめん」
 オイラは彼と目を合わせることもできず、小さく謝罪した。
 任務に集中していなかった自覚はあった。本当を言えば、今朝からずっと。
 しかし何も言えずにいると、サソリの方から訊いてきた。
「具合でも悪いのか」
 オイラは頭をふる。
「……いや」
「嘘だろ」
「嘘、じゃないし。どうしてそういう話になるんだい」
「どうしてかって」
 サソリは刀を仕舞いながらちらりとオイラを見た。「そんなことはわかんねぇが、一つ言えることがある。お前が嘘をつくときは、必ず一度目を逸らす」
「そ、そんなわけない。あんたの気のせいだろ」
「強情だな。言っておくが、お前は俺に借りがあんだぜ」
「借りって」
「今できたばかりのな」
「尋問なんてやめてくれよ」
 オイラが逃げるように言葉を重ねると、サソリはひょいと木を飛び移り、オイラと同じ枝の上に立った。二人分の重みでたわんだ枝が、小さく軋みを上げる。
「お前にも隠したいことなんてあるんだな。能天気なヤツだと思っていたが」
「別にオイラ、何も隠してないよ。うん」
「じゃあ聞かせてみろ」
 トン、と音を立てて、彼の両手がオイラの後ろの幹につかれた。そうすると幹に背中を預けていたオイラは、必然的に彼の腕の中に閉じ込められる形となってしまう。
「そこはノータッチで頼むよ。だって、絶対うんざりすると思うんだ。すごくくだらないから」
 サソリはぴくりと眉を動かした。
「そうなのか? くだらない話もたまにはいい」
「旦那ぁ」
「デイダラ」
「いや、だからその、なあ。わかってくれよ」
「わからん」
「そんな……」
 サソリは頑固だ。一度こうすると決めたら、こちらが何と言おうがてこでも折れない。その兆候を察知したオイラは、諦めて白状した。
「うん、もういいよ。言うよ。乳首が痒いんだよ」
「えっ」
 気まずい沈黙が流れた。サソリは「は?」という顔でオイラを見つめ返してきたが、すぐには何も言わない。いや、言えないのかもしれない。
「……」
 ――もういやだ。だから教えたくなかったのだ。
 乳首が痒いのは本当のことだ。だったら仕方ないではないか。そんな、残念なものを見るような目を向けないでほしい。
 とは言っても、傀儡の身体をしたサソリに生理現象や身体の感覚を理解してもらうのは恐らく難しい。同じ人間相手でも言いづらいことならば、なおさら言えない。
 こうなったのは、もちろんオイラに非があってのことだ。むしろオイラにしかない。
 昨日のオフに、飛段に誘われて街へ飲みにでかけたのだ。歳の近い彼とは日頃からしばしば連れだって行動していた。
 サソリはたしか部屋でイタチや鬼鮫と楽しくアニメ鑑賞会を開催していたので、オイラが出かけたことにも気づかなかっただろう。
 居酒屋を二件を梯子して、そのあと偶然か必然か、「そういった類の」店の集まる通りをぶらついていた。オイラは通りかかった風俗店の前で客引きをしていた女にふらふらとついていってしまい、そのまま一発かましてしまった。らしい。
 というのは、酒と一緒に記憶は随分とんでしまっているからだ。「あのときのデイダラちゃんはまるで夢遊病者のようだった」と今朝になって飛段に言われたほどだ。
 昨夜は酔いが手伝ってか、なにやらひどく気分が高揚していたが、朝になってみれば財布の中身はずいぶん軽くなり、やらかした感だけが残った。
 別にサービスに不満があったわけじゃない。相手の女はずいぶん積極的でオイラを楽しませてくれた。
 ただ、若干アグレッシブすぎたようで、行為の最中にこれでもかというほど乳首をいじり倒してきやがった。その最中は気持ちよかったものの、今朝からこっち、いじられたそこが痒くてたまらない。
「痒い?」
「ああ」
「痒いって……チクビが?」
 オイラが一部始終ををかいつまんで説明し終えると、サソリは外国語の単語か何かのように、そのワードを呟いた。いつもどおりの仏頂面で。
「そうだよ」
「ちくびっていやあ、胸についてるスイッチだろ?」
「スイッチって……まあ外れてはいないけど。うん」
「それがそんなにひどいのか? あんな小せえポチが?」
「ああ、そうだよ。人によっては敏感なんだからな。ツバでかぶれてすんげえ痒い。服に擦れると痛いくらい」
 馬鹿みたいな話ではあるが、当事者にとっては深刻な悩みなのだ。
 開き直って訴えるオイラを見て何を思ったのか、サソリは服の上から胸に手を当ててきた。オイラは何事かと一瞬身体を強張らせる。
 サソリはシャツの上からでも分かる突起を撫で、そして一言。
「……おお。立ってやがる」
「感動したように言うなよ! うん!」
 というか、こちらは真面目に痛みを訴えているのに、ちっとも親身になってくれないのはどういうことだ。
 普段はあまり変化のないサソリの顔に浮かんでいたのは、新鮮な驚きだった。
「いや、だってまさか男のくせにこんな」
「――やめて」
「こんないやらしい」
「だからやめてってば! って、ん!? っ、ああっ、そこはダメだ……!」
 サソリが容赦なくつまんだらしい。細い指が触れた先から強烈な電流が駆け抜けた。びくん、と身体が跳ね、オイラは危うく木からずり落ちるところだった。這いつくばるような恰好でどうにか幹にしがみつく。
 サソリはへたりこんだオイラの前に身を屈め、四つんばいで近づいてきた。
「今の、なんだよ。どうしたんだ? なあ」
「おい、ちょっと待て、旦那。わざとやってるだろ」
「さて、な」
 と言いつつも、彼の手は早くも胸をかすめている。今のは絶対に悪意アリだ。全然さりげなくなかった。だが情けないことに、胸のポチが触ってくれと言わんばかりにしっかりとおっ立っているせいで、そう苦労なく敏感な部分を探り当てられてしまう。
「ここをこうすると、どうなるんだ?」
「あ、ああっ! そっ、こ、ふぁ……つま、つまむなってばッ、あ、あ、イイ……いくないッ! やめて!」
「今、何だって?」
 ヒイヒイ言うオイラの反応を楽しむかのように、彼は口角をつりあげた。
「無理、無理。変になる!」
 こちらとしてはちっとも笑いごとじゃない。ちょっとつつかれるだけで息絶え絶えなのだ。弾かれれば、すぐにうわずった変な声が漏れる。
 サソリは心持ちいっそうぷっくりし始めた乳首を根元からこねながら、ちらりと下を一瞥した。
「あれ、おかしいな。こっちもでかくなってきたんじゃないか?」
「や……そりゃ、でかくもなるって……っ、ふぁっ」
 でかくなっているだけじゃない。もう色々とダメな気がする。足ががくがくして立ち上がることすらできず、一方的にやられ放題だ。
「乳首いじられてそんなに感じるものなのか。それは知らなかった。俺にはそんな器官はついていないからな」
「ひゃっ、ああ、ん、もう……」
 オイラは満足に抵抗すらできず、もぞもぞと内股を擦り合わせた。
「あ……も、無理。限界。パンツ濡れてきたもん……」
「濡れる? どうして?」
 被害は下着だけではなかった。パンパンにふくらんだズボンの前に広がりつつある染みを、サソリはしげしげと眺めた。
「だって、だって……乳首よすぎて勃っちゃったんだよ。あんたのせいだ。ねえ、旦那。オイラしたい。すごくしたいよ。お願い」
 ねだりながら、もう勝手に腰が揺れている。我ながら酷いありさまだった。相手が同性のサソリであることなんて、もうどうでもいい。せつなくてどうしようもなかった。
 ふうん、と頷きが聞こえた。オイラがこんなに追い詰められているというのに、追い詰めた張本人は無慈悲にも見える表情でこちらを見下ろしている。さながら、露出狂に遭遇した女子高生のよう。
「お前、変態じゃねーの」
 もとより目つきがよろしくない部類であるサソリの冷ややかな視線は、シチュエーションと相まって蔑みを含んでいるように見え、オイラは思わずカッと顔を熱くした。やばい。いま、ちょっとイきかけた。
「えっと……旦那、今、なんて」
「変態」
「もっと言って!」
 オイラが興奮混じりに叫ぶと容赦なくかかとが蹴り入れられた。




20130924

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