陽だまりの教室.1
※飛角
※一応学パロ
※190000打、優香さんリク
いつだったろう。俺がそいつの存在に気が付いたのは。
ホームルーム教室の窓から見える古びた旧校舎の三階にそいつはいた。
元来勉強が苦手な俺は、退屈な授業をぼんやりとやり過ごしながらしばしばそいつの姿を見つけては目で追うようになった。
そいつが現れるのは大抵午後遅く、六限か七限が多かった。男にしては長い直毛を後ろで束ね、うちの制服ではない黒い詰襟をきっちりと着込んでいた。転校生だろうか。いつ見ても一人ぽつんと窓際の決まった机に腰掛け、分厚い本を読んでいる。多少伸びすぎた感のある前髪に隠れて顔はよく見えなかったが浅黒い肌がどこか精悍な印象を与えた。
何年何組の生徒なのか。何故授業に出ないのか。
友人知人に尋ねてみてもそいつについては分からないことが多かった。
この自分が飽きもせずに男を目で追っているなんて、我ながら笑ってしまう。
それでもそいつの醸し出す独特のオーラに俺は惹かれていた。恋していたと言ってもいい。
一度会って話をしてみたいと思った。
どんな奴なんだろう。どうしてあそこにいるんだろう。どんな本が好きなんだろう。
尋ねてみたいことがたくさんある。
彼を求めて休み時間に二、三度旧校舎の近くに行ってみたのだが、間が悪かったのか姿が見えなかった。
確実に会うには彼がいる授業中を狙っていくしかない。
ある日の午後、そいつが定位置にいるのが見えたとき俺は思い立って手を上げた。
「先生ー。お腹がいたいので保健室行ってきまっす」
ぶーんぶーんと羽虫のように一定の音声を発する教師の講義を遮って、教室を出た。背中でサソリが「うんこかよ」と小声で呟いたので「戦ってくる。帰ったら英雄伝聞かせてやるわ」などと適当に返し、廊下に出るやいなや駆けだした。
奴はたいてい決まった時間にお気に入りの場所にいるが、決して常にそうだとは限らない。急がねばまた入れ違いになるかもしれない。
大急ぎで階段を下り、上履きのまま昇降口を飛び出した。その足で旧校舎の裏側に回って、中に入った。
一階は第二図書室として現在も使用されているが、二階より上に出入りする者はほぼ皆無だ。
軋みを上げる木製の階段を駆け上がり、三階の例の部屋まで向かう。少しどきどきしながらがらりと一気に扉を引いた。
中は机や椅子などが雑多に積まれ、空気が埃っぽかった。
「おい! お前!」
そいつは――いた。窓際の机に座ったまま本から顔を上げ、酷く驚いた様子で俺を凝視していた。
「な、何だ」
「やっと捕まえたぜ」
「捕まえた……とはどういうことだ?」
眉をひそめて不審そうに尋ねてくるそいつに俺はニカッと笑みを返した。
「お前、名前は?」
――角都。
そいつはやや不審そうな顔つきのままそう名乗った。
近づいてみれば背は俺より一回り高く、想像と違わぬ精悍な顔立ちに明るい翡翠色の瞳が印象的だった。
「……へえ、じゃあ角都はやっぱり転校生なんだ?」
角都の一つ前の席の椅子に後ろ向きに腰かけて話を聞きながら、聞き覚えのない学校の名前にふうんと相槌を打った。俺自身も数か月前にこの高校に転校してきたばかりなのでこのあたりの事情には詳しくはないのだが、少なくともこの市内にそういった名前の高校はない。
「どうしていつもこんなとこ来てんの? ベンキョー嫌いなのか?」
「別にそういうわけでは」
「隠さなくていいんだぜ。ベンキョーは俺も嫌い」
にやりと笑うと、角都はきょとんとした顔で俺を見つめた。
「そういうお前はどうしてここに来たんだ?」
「ああ、俺? うちの教室、この校舎の向かいだろ? 教室からいつもお前が見えんだよ。どんなやつなんだろなあってずっと気になってたんだ」
角都は驚いたように目を丸くした。
「わざわざ会いにきたのか」
「うん、まあそんなとこ」
「なぜ?」
「それは……」
俺は考えながら言葉を切り、おもむろに彼の持っている本に目をやった。
「それ、何読んでんの?」
「ああ、これのことか?」
彼は話を逸らされたことを追求せずに快く本の題名を教えてくれたが、古書の類らしくちんぷんかんぷんで全く頭に入ってこなかった。中身は古典の授業で読むような文面である。この年代に、古文を解説もなしに読む者がいるとは驚きである。
「それ面白い?」
「え? ああ、まあな」
彼はどこか詰まり気味に頷いた。
「どんな話なの?」
「それは秘密だ」
「なんだよ、ケチ」
「お前だって先程何ごとか誤魔化したではないか」
「それはだって……知りたいのかよ」
「別に?」
角都は目を細めた。その顔がどこか楽しげだったことが俺には意外だった。読書家の堅物な男だと思っていたが、こういう悪戯っぽい表情もできるらしい。
「もう、ムカつく奴だな。なあ、ちょっとこっち」
俺は角都の手を引いた。
彼は解せぬ顔で首を傾げながら席を離れ、俺に引かれるままに前にしゃがみこんだ。
この部屋は新校舎に面しているが、この高さだと窓の外からは見えない。
「俺がここに来たのは、さ」
角都の胸をとんと強めに押した。
まさかそんな不意打ちを食らうと予想しなかったであろう彼は面白い具合に後ろへひっくり返った。
俺はすかさず彼の上に馬乗りになり、彼の両手首を封じる。
角都の揺れる淡い双眸が俺を捕えた。
「お前、何を――」
「俺とキス、してみない?」
顔を寄せながらそう言い終わるか終らないかのうちに、突如ガチャガチャと鍵を回す音がした。
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