旅立ちの前夜

八部結紀



 月のない夜だった。否、月が無いわけでは無い。分厚い雲が地上へ降る月明かりを遮っているのだ。
 いつもなら爛々と輝く星々も月と同様に隠され、ただでさえ憂鬱な気持ちを酷くさせる。
 明日の朝には旅立つ、そう彼から聞かされたのはつい昨日のことだ。刀剣男士の「極」という切り札を政府より出させ、短刀から順に行われてきた修行がとうとう彼に回ってきてしまったのだ。
 修行へ出て極となり戻ってきた短刀達は良くも悪くも以前の様相と変わった者が多く、それもまた加州を不安にさせていた。
「俺、アイツのことなんも知らないんだなぁ……」
 ポソリと零れた言葉は、弱音だ。この本丸が設立されてからずっと一緒に戦ってきたというのに、彼の過去についてまるで知らないのだと今になって痛感する。
 今まではそれでいいと思っていた。この本丸で一緒に暮らす彼の事さえ知っていれば、それでいいのだと自分に言い聞かせてきたツケがきっと回ってきたのだろう。
 修行へ行っても彼は彼だ。わかっていても、どうしても不安が纏わり付いてくる。
「こんな時間まで起きてると、肌に悪いんじゃなかったか?」
 後ろから低く落ち着いた声が話かけられ、振り向く。そこには白い寝間着を身に纏った少年が腰に手を当て立っていた。普段は早寝をする自分が、こんな時間まで起きてしまった原因だ。
「……そっちこそ、明日は早いんじゃ無いの」
「別に、時間が決まってる訳じゃないさ。好きな時間に出りゃいいと、大将からも言われてるからな」
 彼は笑いながら隣へ腰掛ける。本人の登場に、思わず顔を逸らすと彼はこちらを窺うように顔を覗き込んできた。
「浮かない顔だな」
「誰の所為だと思ってんの。薬研」
 覗き込んで来た灰紫を軽く睨み付けると、薬研は目を丸くして首を傾げた。こちらはこんなに思い悩んでいるというのに、自覚がないようで何度目かの溜息が零れる。
「修行って、前の主のとこいくんでしょ。そこって、あの人のとこだよね」
「ああ。多分、信長さんのとこに行く事になるんだろうなぁ」
 何でも無いような顔をして言ってのける薬研は、こちらの不安などまるで気付かないのだろう。いや、例え気付いていても気遣ってくれる甲斐性などありはしないのだけれど。
彼は口元に笑みを浮かべ、続ける。
「なに、信長さんも立派な人だった。ちゃあんと、強くなって帰ってくるさ」
「そこを心配してるんじゃないっての」
 口から出るのはふて腐れた言葉と溜息だ。ぐるぐると付きまとっていた不安が、彼を目の前にしてより膨れあがったようだった。




(後略)

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -