回転木馬、あるいは

蝶子



 ふ、と意識が浮上する。天井の染みが魚のように泳ぐわけではなく、泳いでいたのは加州清光の瞳だった。
 朝の日が昇るにはまだ少し時間のある頃合いだったが、水底の深い泥のような闇の時間は過ぎていた。
 普段から闇に紛れて敵を討つ加州には、十分周りが良く見える。ぱちぱち、ぼんやりと瞬きを繰り返すと、少しずつ目の焦点が合っていき、同時に加州の頭の中に現実が確かに降りてきて、隣で一回り以上も小さな刀が静かに寝息を立てているのを漸く認識した。
「ねぇ薬研。お前、起きてるだろ」
 出した声は、自分で思ったほど掠れてはいなかった。
 この短刀が寝息を立てるなどあり得ない。人間で例えるならば死んだように、よくよく近づかなければ、息をしているのか分からない程静かに眠るのが薬研藤四郎の常だった。
 そもそも刀剣男士の死は、即ちこの本丸からの消失であるからして、仮に息をしていなくても、そこに存在があるというだけで生きているという証明になるのだから呼吸など然したる問題ではないと言ってのけたこの刀に、そんなものかと納得しつつも不安になると返したことを、加州清光は記憶している。
 夜はいつだって煩い。男たちの鼾の煩さに慣れていた。静かな闇は加州の存在を曖昧にする。これを不安というのだと、加州清光を迎えた最初の夜に主は言った。
「なんだ、旦那。ばれてるのか」
 少しも悪びれない様子で、薬研藤四郎は目を開けた。
「さすがに分かるでしょ」
「兄弟たちは分からんぞ」
 薬研は体を起こし、寝乱れた夜着そのままに胡坐をかいて、膝に肘をつきながらにやにやしながら言う。
 加州はその様子をちらと横目で見て、これ見よがしに溜息を付いた。兄弟が分からないのではなく、兄弟に分からないようにこれが振る舞っているだけであることを知っている。知ってはいるが、相変わらずな男だと、作った呆れ顔が次第に我慢できずに崩れ、何がおかしいのか息を小さく零して笑い始めた。
 顔を見合わせて共犯者のように笑いが止まらなくなった二人に、生理現象という名の涙が零れた。
 笑い止めば静寂。
虫も、風さえも鳴かない。
 この本丸には今、審神者と加州清光、薬研藤四郎しかいない。
 薬研通吉光という刀を、加州清光という刀は知らないはずだった。薬研通は加州清光が作られる前に焼けて物質は消えた。加賀藩は粟田口吉光の手による短刀を所有していた。加州清光は刀工として粟田口の名を知っているくらいだった。藩主が持つ刀などお目にかかる機会はない。
 この記憶は、一体どこから来るのだろう。




(後略)

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