そぼつ刃と指先の

風樹夙



 霧のような雨が降る。まだ青い楓の葉をしっとりと濡らす水分が玉を成して落ち、根元の苔へと吸い込まれていく。
 今年の夏は涼しかった。
 景趣で季節の変わる本丸だが、現世の天候に影響は受けるらしい。現世が猛暑であれば一足早く秋の景趣に、しかしそれでは畑の実りが悪いか、などと言っていた主も、晴天とは言い難い薄曇りの続く空を眺めては困った顔をしていた。夏の盛りの景趣だというのに、夜も涼しく寝やすかったほどだ。
 過ごしやすいのは助かったが、とその暑くなり切らなかった夏を引き摺るのか、冷たい雨のそぼ降る中庭を眺めながら薬研はたつたつと軽い足音を立て、膳の中身をこぼさぬよう注意しつつ離れへの渡り廊下を歩んだ。
 板間の廊下がわずかに吹き込む雨のせいか湿度のせいか湿ってはいたが、雨の冷たさに反して生温い。
 肌寒いように感じる残暑も過ぎた時期ではあるが、もしかすれば現世は季節はずれに暑さの戻る日なのかもしれん、と薬研は自らの目ではまだ見たことのない主の世界をちらと思う。自分たちの守る、時代の先端だ。
「加州」
 離れに入って二つ目の障子の前で足を止め、声を掛けて薬研はとんとんと桟を叩いた。
「飯だぞ」
 しん、と反応のない沈黙の中にも気配を汲み取り、薬研は膝を突き、膳を置いて少し下がる。そうして距離をとらねば部屋のぬしが顔を見せてくれることはないと、すっかり配膳係となってしまった薬研は知っていた。
 少しばかり間を置いて、す、と僅かに戸が開いた。薄曇りの天気のせいか、障子に映る影もよく見えない。
 紅い片目が、隙間から覗いた。
「………ありがと。置いといて」
「なあ、加州」
 片膝を突いたまま、薬研は穏やかに続けた。
「そろそろ、出てきちゃあくれねえか」
「………」
「大和守も、新選組の刀たちも、みんな心配して、」
 ふ、と言い止し、僅かばかり考えて薬研はふと口元に笑みを浮かべた。ゆるゆるとかぶりを振る。
「いや、俺だな、俺が心配なんだ」
「…………」
「なあ、あんたのことが心配だ。出て来たくないならそれでもいい。なにかつらいことがあるのなら、話してみちゃあくれねえか」
「…………お膳、」
「ん?」
「そのままにしておいて。食べたらまた廊下に出しておくから」
 綺麗な貌のなか、そこだけ切り取れば険しくも思える目尻の切れ上がったいつもは涼しい目をうっそりと細め、加州はたん、と細く開けていた障子を閉じた。隙間が閉じてしまう刹那、ごめんね、と小さく謝罪を添えて。
 答えないこと、答えられないことへの謝罪か、食事の世話への感謝かと考えながら、薬研は音を立てずに胸の上下で僅かに嘆息し、軽く額を掻いた。




(後略)

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