▼ 01-2.引き金を引くだけの簡単なお仕事
ヒロシは抵抗しないのか、それとも出来ないのか唇を噛み締めて、少しばかり目を細めた。手首を握り締められながらヒロシは目を合わそうともせずに呟く。
「……一体、貴方は僕をどうしたいんですか」
もはや諦めの境地に立たされているのかヒロシは観念した様な弱々しい声を洩らした。
「強姦でもすれば満足なんですか?」
「……そんなもんじゃ足りないよ、多分ね」
どこか惨さの感じられるノラの言葉とは裏腹に、ヒロシの手首を掴む彼の手は僅かに震えていた。それがちぐはぐに感じられて可笑しかったけど、まああんまりいい状況とは呼べない。
「あれだよ……そういう部分で結合したいんじゃないんだよ、ね。もっともっと深い場所で繋がりたいっていうか――魂が通じ合わないと駄目なんじゃ? んーー、哲学的に言うとぉー……」
「――いいですよ」
何やら博識めいた事を語り出そうとするノラに、ふっとため息と同時にヒロシが言葉を吐き出した。
「この身体じゃ抵抗する事も無理ですし。……どうぞ、好きなようにやってください。……けどこう見えて今、相当苦しいので。せめて、僕の荷物の中にある鎮痛剤くらいは飲ませてくれませんか」
投げやりにというか、無気力というか――もう全てがどうでもいい、というようなヒロシの態度に半ばノラが顔をしかめる。
「ああ、それとも痛がってる方がいいんでしょうか?」
「……」
ちょっと皮肉げな感じのするヒロシの問いかけに、ノラは一言も答えなかった。何かを考えているのか、いつもの彼には無い厳しい表情でヒロシを蹂躙した姿勢のまんまだ。結局、質問への答えは得られないままにヒロシはノラからの、唇での愛撫を突然のように受けた。
――何だかおかしな感じだった。いつもしかめっ面をして、いかなる逆境に陥ろうとも冷静な調子で拳銃を抱えているヒロシが、手負いの状態でこんな風に武器を持たない姿と言うのは。一切の守る術を失くした彼が、半ば敗北したように負けを認めるその目が、ノラにとってはひどく情欲をそそるものに映っていた。
「……っ」
重ねていた唇から半ば強引に逃れるようにヒロシがその顔を避けた。その拍子に唇の端から零れた唾液を袖口で拭いながらヒロシが上目遣いにノラを睨みつける。……反抗的で実にかわいげのない目つきだ、でも自分はそういうのが堪らなく好きなので関係ない。もっともっと睨んで欲しいくらいである、正直。
「――どうしたんですか、震えてるじゃあないですか」
「そっちこそ――まだまだこれからだっていうのにさ。スカしてる割にいつもみたいな余裕が無いのかねぇ、ヒロシちゃんってば」
図星だったのかヒロシの口元に浮かんでいた薄笑いがすうっと引いた。ちょっと眉根が寄せられて、それは明らかに動揺によるものだとノラには伝わった。分かりにくいように見えて、実はとても分かりやすいヤツだとノラが思う。
ノラがヒロシの首元に今度は吐息と共に舌を這わせると、同時に全身に痛みが走ったのかヒロシが短く呻いた。気に咎める事も無くノラは行為を続ける。ノラの猫みたいな独特の毛先がヒロシの頬を撫でるたびに香水なのか、それともヘアワックスか何かなのか、とにかく何か人工的な香りがする。
次いでノラはお世辞にも丁寧だとは言い難い愛撫を始めた。
遊び慣れていそうな彼の事、きっとこういう時も紳士的な振る舞いを見せてくれるんじゃないかと僅かに期待した自分が馬鹿なんだとヒロシは気がついた。
「……う、――っ」
滑り込まされた指先の無遠慮な性器への奉仕に、いつしか漏れてきそうになる声を、迂闊に上げてなどやるものかとヒロシは喉の奥で微かな息を吐いた。自ずとぶつかりそうになる視線から逃れるようにヒロシは目を背ける。
「ん、ぁ……っ、ッ」
「あ、何なら自分で握って扱いてもいーよ? その間に俺は後ろの方やっちゃうし」
そう言ってどこか底意地の悪い笑顔のノラの胸元にキラリと光る十字架が見えた。おいおい、これがキリストの教えだっていうのか――ヒロシが思わず苦笑しそうになっている自分に気がついた。
一方でノラは、自分を射抜くようなその鋭い目に背筋がぞっとするほどの快感を覚えた。こりゃあもう粘膜での接触なんかよりずっとずっと気持ちがいいくらいだ、ノラは益々興奮を覚えてその目に見据えられながらその指先を動かした。
「……っ、く……」
「我慢しなくていいのに。……二人しかいないんだからつまんない意地張らなくてもさぁ」
本当によく喋る男だな、とヒロシは思ったが迂闊にこいつを楽しませてやるものかと気丈な調子を崩さないままだ。
不意にノラが、片手を伸ばしたかと思うとヒロシの耳辺りを指先で弄ぶように触れ始めた。初めは髪の毛を、それから指先は耳朶辺りをくすぐるようにして行き交った。
「やってる最中にさ、相手の耳塞ぐとめちゃくちゃ感度上がるんだよ。聴力奪う事によってさ、普段やってるのより数倍気持ち良くなんの〜」
「……」
手の平に爪が食い込むほど、ヒロシは拳を強く握り締めていたようだった。
「っ、……おい」
「んっ? なに?」
ノラがゆっくりと身を起こすとヒロシは感情からこぼれたものなのか痛みから反射的に浮かんだそれなのか――両の目にうっすら涙を滲ませながら肩で息を吐いているようだった。流石にこんなに苦しそうな姿を見せつけられてはノラの中にあったリビドーも委縮してしまう。
「……父について、教えてはくれないか」
途切れ途切れにヒロシはそう訴えた。
「え?」
「ぼ、僕の父親の事――何か知ってるんだろう? 教えてくれ、」
嘆息と共に言葉を漏らしながら、ヒロシは懇願するみたいにノラを見つめた。
「……。顔も知らないの?」
「幼い頃に何度か稽古と称して特訓はしたが……父に直々に教わるものもあればそうでない事もあった、から――。はっきり言って父の顔はほとんどおぼろげにしか思い出せない、写真だって一枚も残っていないんだ」
「……」
ああ、とノラは心のうちで思っていた。
「物心ついてから父は既に家にいなかったし、僕はずっと埋まる事の無いその席を見つめながら、テーブルで食事をしてきた――時々来る電話の声くらいしか、父と僕を繋いでるものは無かった、から」
そこまでを言いきって、ヒロシはようやく一つ呼吸をする。よほど胸の内に溜めこまれていたのかここまで饒舌なヒロシの姿は何だか意外なものであった。ヒロシもヒロシで、ここまで言葉がツルツルと出てくるとは思わなかったのか自分自身でちょっとビックリしているくらいで。
「――ヒロシちゃん」
囁く様なノラの声は比較的穏やかな声だと思った。その声にヒロシはうっすらと目を開けてノラを見上げる。さきほどまでのどこか衝動に縛られた様な笑顔とは種類の違う……どちらかと言うと普段のへらっとしたものに近い笑顔を浮かべたノラがいる。
「ごめんね」
「……」
ノラが何に謝っているのかよく分からないが次の瞬間頭を撫でられた。とてもとても、優しい手つきで。
「……何のつもりだ。やるならさっさとやればいいさ、僕だって痛いのは嫌いだ。早く終わらせてしまいたい」
「あー……」
ノラが困り果てたように笑って頭を掻いた。
「あんまし趣味じゃないんだよねー……弱り果てた相手を更にいたぶるってのは。痛いの嫌いだし痛そうなのを見るのもちょっと……」
「……じゃあ、何故僕を押し倒した」
「うーん……、ま、ちょっと神経がたかぶっちゃって? ごめんちゃい。あ! あと俺は紳士なんでね、嫌がってるコには流石に一線を引いて踏み止まるよ! 嫌がられたらそりゃ俺と言えども犯罪だしねーっ、うん!」
「……」
ヒロシがふ、っと力でも抜け落ちた様になってその場に倒れ込む。
「――いつだってそうだ」
「んえッ?」
「……結局、誰も僕なんか必要としないんだよ」
ヒロシらしからぬ、そんな弱音の吐露にノラが驚いたように目を見開いた。
「必要なのは僕の能力だとか財力だけで……そうだ、僕個人の価値は必要とされてない。……だから父さんだって……母さんだって僕から離れて行くんだ」
ほとんど独り言に近いような感じで、ヒロシは滑り出てくるその言葉を自分の耳で聞いていた。
「……慣れてるから、いいんですけど。――昔からいつもこうなんでもういいんです、別に」
言い切ってから、何とも無気力そうな目をさせて。それから半ば自虐的な笑い声をこぼしつつヒロシが天井を仰ぐ。
「――ガラにも無いな。僕らしくない、だろ」
「うん。……そうだねぇ」
力無く笑うヒロシに同調するようにノラも笑うがそれは決して馬鹿にしている様な笑顔とは違った。
「けどヒロシちゃん……そんな事無いよ。どうして気付かないかなぁー?」
「……はぁ?」
「んー、ユウ君たちと接してて気付かなかったの? 君はもう一人じゃないんだよ〜って。……あ、何か恥ずかしい今の台詞」
ノラが諭すように問い掛ける。ヒロシの眼鏡に反射している自分の顔を見て、相変わらず締まりの無い顔してんなあ俺、とぼんやり考えながらノラがくすっと笑った。
「あっ。勿論、俺だってそうだけどね。離れてく気なんかさらさらないよ。悪いけど、ね」
「……、本当に馬鹿だな。貴方っていう人達は。甘いというのか」
冷たくしかめたヒロシの表情の中に、無邪気さや、まだ残るあどけなさや幼さ、穏やかさが、何かに解き放たれた様に不意に通り過ぎたようだった。
この耳塞ぐと感度が上がるっていうノラの発言、
会社にいるノラ君みたいなチャラ男営業員
(イケメンではないが可愛い顔立ちのベビーフェイス。
喋りとやさしげな雰囲気でモテてモテてしょうがないという
でも実際は結構酷い性格だと私は踏んでいる。
いつも寝癖で髪の毛あっちこっち跳ねてるけどそれが
逆にシャレオツに見えてしまう得な人)
が飲み会の時にタバコ吸いながら言ってて
何こいつすげえプレイボーイな発言やな、と
逆に畏怖の念さえ覚えてしまった時の
出来事が強く反映されていたりするのである。
あの瞬間ほどリア充とはやはり住むべき世界が
違うのだと認識させられた瞬間はない。
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