#2-2


 本人は目立たないように生きているつもりでも、あんな風に容姿や言動に特徴があると文句をつけられるのがこの世界ってやつなんだな。と、江藤を見るたびにつくづく思う。……でも、それがいい事だとは決して思えない。

「いい加減、そういうのやめたら」

 面倒ごとには関わりたくないと思いつつ、慣れてくると意外と地が出てくるのが自分の持って生まれた性というやつらしい。泉水は背後を振り返らずに呟くと、江藤に絡んでいたうちの一人が大袈裟に肩を竦めた。

「何? 何か言ったー、さーたけく〜ん?」
「――毎日毎日そうやって静かに暮らしてる人間に絡んで引っ掻き回して、何でそんなに必死なの?」

 ああ、そうだ。これはあれだ。ネット上で、楽しく活動してるだけなのにわざわざ絡んできて中傷する奴らへの怒りに似ているんだとふと気付く。あいつらは本当に迷惑極まりない、そのせいで俺の好きなゲームの実況主さんだって活動止めちゃうし……と思ったところで、二人組がうんと近くにまで来ている事に気付いた。あ、しまった、と思った。見ると二人の額にひくひくと青筋が浮かんでいる。ガタイのいい、殺気を浮かべた男がすぐ傍に二人。今朝の、自分に絡んできた男子生徒を思い出してしまうがあっちよりもこっちの方がチャラいというかイキった雰囲気というか。

(うわ……しまった。しまった、どうしよう。ヤバイ。ここまで怒らせると考えてなかった、どうせ『陰キャが何か言ってるぜ(笑)』『シカトでいいだろ』で済まされると思ったのに……ッ!)

 自分なんて相手にされるまでもない雑魚と見なされていると踏んでいたのに、二人組のうちの一人――名前は何だったか。思い出せないし、Aでいいか――Aの方が半笑いの表情でこちらに顔を近づけてきた。嗜虐的な笑みが、一方的に泉水の恐怖心を煽ってくる。

「もっぺん言ってみて? 何て言ったの、いま」

 救いを求めるように泉水はクラスへ視線を泳がせた。――皆、慌てて目を逸らすのに必死になった。再び目線を戻すと、目の笑っていないAの顔がすぐそこにあった。気分は処刑台に上がらせられた死刑囚。……血の気があっと言う間に引いた。

(俺はやられ役だ。そうだ、俺はこの『物語』で役を演じているだけなんだ。……だから悪口を言われても、暴力を受けても、俺は――)

「さ、佐竹く……」

 江藤の弱弱しい声がしたのが分かった。罪悪感でいっぱいの表情を浮かべながら、江藤はどうすればいいやら分からないといった具合に戸惑っていた。

「どーなんだって聞いてんだろぉーが、てめこらっ、殺」
「まあまあまあ、そういうのは美しくないから。やめときなって。ねっ?」

 Aの身体が動くのとほぼ同時に、割って入った声があった。何だ、誰だ? 教師か? 誰かが教師を呼んできてくれたのか? そっと目を開くと、Aの大柄な身体の背後から現れたのは、こちらは随分とすらっとしたスマートな体躯だった。同じ制服姿がまずは目に入り、それからまばゆい金髪と、「あ、こいつは」と一目で分かるその顔立ち。

「怒らない、怒らない〜 お互い話し合えば解決できる事もある筈。殴ったってさ、お互い嫌な気持ちになるだけだろ? 朝から無駄にエネルギー消費するのも勿体ないよ」

 今にも自分に殴り掛かろうとするAの肩を制止するように持ち、その声の主はまたにっこりと底の知れない笑みを浮かべた。

「…………」

 留学生だとかいうそいつの名前は、確か隣の隣のクラスの――何かワンピースのキャラみたいな名前の奴だぞ。ろ、ろ、ろ……と考え込んでいるうちにAが舌打ちと共に泉水の拘束を解放させた。不意に力が抜け、泉水は椅子の上にドサッと座り込んだ。

「大丈夫かい? ちょっと用事があってここに寄ったら何か起きてるからさぁ」

 そつのない仕草で近寄ってきた彼は青色の瞳をウインクさせながら微笑んだ。――うわ、と泉水はさっきまでとはまた違う苦手意識に囚われた。

「あ、あのーぉ、ロジャーさん……これ、辞典っす」
「あッ、サンキュー。いや〜、ごめんね。僕としたことがうっかりミスしちゃって忘れ物なんか。ありがたく借りていくよ」

 そうだ、ロジャーなんちゃらっていう奴だ。泉水は今更のように思い出し、ロジャーの制服の背中を目で追った。
 イギリスからはるばるこの高校に留学に来たという彼は(この高校は英語に力を注いでおり、海外との交流文化が盛んな事で有名だった。夏休みなんかは、志願した生徒は一週間程カナダにホームステイに行ける企画も存在している。英語が話せなくとも英語のわかる教師がぞろぞろついていくので割と苦労はしないそうだ)、流暢な日本語が特徴的だ。

 何でも日本の友人から教わったというのが本人の弁で、訛りなどはない見事なまでの標準語だった。背はさほど高くない――というか、自分よりも少し低いくらいだと思うのだが、容姿は甘いマスクで金髪碧眼の美青年……といった感じだろう。ハリウッド俳優の誰かに似ているだとかで、女子がきゃーきゃー騒いでいた。ちょっと、名前は忘れてしまったけど。

(それにしても、何で彼がちょっと止めに入っただけであんなに怒ってた奴らが大人しく撤退したんだろう? いや別にそれでいいんだけどちょっと気になるな……実はめちゃくちゃ喧嘩が強いとか?)

 いつもの平穏が戻りつつある教室内に、担任が何事もなかったような顔で入ってきたのが分かった。何というかタイミングが遅すぎるし、いっつもかも役に立たないなあと率直に思ってしまった。

「泉水、今日は何だか賑やかしいな」
「――本当にな、俺は只真面目に地味に生きていたいだけなのに何でこうなるんだろうね。まあさっきのは口出しした俺にも落ち度があったけど……でもどうしても許せなかったんだ。ああいうの、何だかあまりに正義がなさすぎて……」

 図書室へと向かう途中の廊下、泉水はシーザーと会話しながら歩いていた。学校では、流石にシーザーに大人しくしてもらう事が多い。学校という限られた空間でこの姿を見られたら、異常者扱いもいいところだ。俺はおかしくない。フツウだ。図書室の扉を開け、中へと入ると先客が一人いるようだった。いつもならこの時間帯は誰もいないのに――と考え、それが誰かを知る。途端にハッと身構えた。

「あれッ、さっきの子だ! やあ、さっきぶりだね!」

 椅子に腰かけていたのは……予想はつきそうなものだが、そう、ロジャーだ。どうでもいいけど本というか雑誌だろうが、それを見ている姿も絵になるな。映画のワンシーンのようだったので、つい見入ってしまって逃げるタイミングを遅らされてしまった。

「……っ!?」

 慌てて扉に手を掛けた時には遅く、ロジャーは雑誌を閉じるとにこやかな笑顔で腰を上げた。さも偶然のような口ぶりだったが、何となくそうじゃない気がした。理由をつけて自分に何か因縁をつけたいんじゃあなかろうか。

「どうしたんだい?……あ、そっか、君も本を読みに来たんだよね!? 奇遇奇遇、僕もだよーっ。ちょっと知りたいレシピがあってね、調べ物をしにきたんだ」

 ニコニコの笑顔で近づいてくるロジャーを、はっきり言って友好的だとは思えず只々怪しいとしか思えなかった。同じ日本人でさえうまく話せないのに、海の向こうの人間相手にどう話せばいいんだ。――あ、と泉水は思い出したように顔を上げた。そうだ。いくらなんでも、さっき絡まれた時に助けてくれた事を一言お礼しないといけないんだと思いが至った。

「……その、さっきはどうも……ありがとうございました。お礼、言うのすっかり忘れてて……」
「ン? ああ。いやいや、気にしない気にしない。当然の事をしたまでさ」

 屈託なく微笑むロジャーは、そこだけ切り取ればとてもいい人そうに見えた。けど何故だろう、泉水にとっては妙に引っかかるものがある。……さあ、義理は果たしたんだ。もうこれ以上、関わる義務はないだろう。自分のこの妙な胸騒ぎに従って、早いとこ距離を置こう。

 そう思って踵を返そうとした矢先だった。ロジャーは「あ」ともう一度泉水を呼び止めた。
 
「今朝だけどさ、学校に来る前に誰かと接触しなかったかい」
「え……」
「あー! いや、身構えないで聞いて。……ごめんね、あいつ結構不器用だから多分怖がらせちゃったんじゃないかなあ〜って……って。アレ!? ちょっとちょっと!」

 ロジャーが再度泉水の方へと顔を向けた時には、既にそこには彼の姿はないようだった。え、と慌てて廊下へと出ると一目散に駆け抜ける泉水の背中を見た。数秒の間にもうこの距離、信じられないものを見るよな目つきでいただろう。
 
「え、ええ!? あっ、ちょっ……待って待って! 多分誤解してるようだから訂正するよっ、君をいじめようと思ってるわけじゃないし痛めつけようなんてこれっぽっちも思っていないから!」
 
 報復しにきたと誤解されたのか、泉水は話も聞かずに逃げてゆくだけである。ロジャーも慌ててその後を追いかけるものの、既に距離が開き切ったのと案外彼が早くて骨が折れそうであった。

 一方で泉水は、今朝とほとんど同じシチュエーションで逃げる羽目になったもののともかく走っていた。夢中で脚を動かし、とにかく教室へと戻ろうとした矢先に誰かとぶつかってしまった。

「あっ、ご、ごめっ、ごめんなさ……っ」
「ちょっと! 廊下を走ってはいけないと何度も言っているでしょう!」

 甲高い怒鳴り声にまずは出迎えられ、泉水はおずおずと視線を上げた。声に覚えがあったのですぐに分かったが、彼女は飛江田(ひえだ)という中年の女性教師だ。担当は数学で、自分は一年の間だけ受け持たれた事がある。

 最後まで名前を覚えてもらえず、わざとかというくらいに名前を間違えられ続けていた。多分、今も彼女は自分の事を認識していない。誰かと誰かをごちゃごちゃにしているようだったが、特にそれに詫びる気配もなかった。……まあ、もう今更どうでもいいんだけど。

「まあ、またあなたなの!? 確か次に注意されたらペナルティーって言ったわよね」

 はて、と泉水は不思議になった。そんな覚えはない。きっとまた別の誰かと勘違いしている気がする――ここで訂正しないと、多分これから先もずっと言われ続けてしまう気がした。それは嫌だな、と泉水が慌てて口を開く。

「え……あ、その、多分それ別の人です……。念の為に名前、確認してください……」
「面倒だからって、適当な嘘を言うんじゃないの。――まあいいわ、名前を調べたらすぐ分かる事ね」

 言いながら飛江田は手にしていたファイルを見始めた。律儀に持ち歩いている辺り、飛江田らしいなあと感心した。やがてファイルの中に控えられていたその渦中の人物と、泉水が違うものだと知ると、途端に眉をしかめたのが分かった。片方の眉を持ち上げ、泉水の顔を見ると飛江田は唇の端を曲げた。

(きっと間違えられた奴も地味で冴えない奴なんだろうなぁ……そんなに俺と似たようなタイプなんだろか?)

「そんな事はないぜ泉水、お前は地味なもんか。とても濃いキャラさ」
(シーザー、説教中に現れないでくれよ。俺は学校では地味で平凡な人物を演じていきたいっていうのに……その他大勢でいるのが楽なんだよ、この空間では)

「このオバハン教師ももしかしたら、外の世界では激しいかもしれないな」
(……、激しいって例えば?)
「それを今聞くのか? どうなっても知らないぞ。……そうだなぁ、例えば……セックス狂で有名かもしれないぜ。この顔はきっと昔、色物のAVに出た経歴があるぞ。異人種のハードコアものばかり選んで出てるような口元だぜ」

「ちょと!! 聞いてるのアンタ!!」

 ヒステリックな絶叫に、泉水はすぐさま現実に引き戻される。びく、っと肩を揺らして正面を向くと鬼のような形相を浮かべた教師がそこにいた。そういえば般若面って激昂した女の顔がモチーフだって聞いた事があった。なるほど、これは確かに――と失礼な事を考えたところでまた檄が飛んだ。

「人の話を聞いている最中にニヤニヤするんじゃないのッッッ」

 その顔が激しく憎悪に歪められたようだった。

 いや、違う。本当に彼女の顔は鬼そのものとしか形容できない顔をしている――見る見るうちに鋭い牙と二本の角が生え、眉間をしかめ、激しい恨みを籠らせた顔をしていた。

「聞きなさいッッッ!」
「っ……!」

 腕を掴まれた瞬間には、そのあまりにも強い力に驚いて身を引いてしまった。恐怖のあまりに突き飛ばすような形を取ると、それでますます相手を怒らせる結果になったようだ。飛江田は怒り心頭といった、鬼のような形相――ではない、もはや鬼女だ。こんな時になって、どうしてまた目が、目が……いや、耳も。何もかもがおかしいんだ!

「先生に向かってその態度はなにっ! 先生に向かって、その態度は、なにっ!!」

 泉水は身体を硬直させた。意図せずに、悲鳴が漏れた。その態度が益々相手を怒らせるのに適していた。――どうしよう。どうしたらいいんだ。泉水にとっての脅威はそれだけではない。鬼の怨念にまるで吸い寄せられるかのように……また別の『亡霊』がその周囲を取り囲んでいた。それも一つや二つではない。複数の亡者の影達が、彼女を包み込む邪気のように漂っているのだ。

――な、何だ? 何だ一体? 今までのと状況が少し違う気がする……

 固唾を飲み泉水がその違和感を探ろうとする。と、集まってきたその怨念達の思念体のような、禍々しい存在達は何かを喋っているようであった。聞き取れるか取れないかくらいの、何か特殊な周波数で、『彼ら』は何かを必死にぼやいている――、

『オマエのせいだ、オマエの……オマエのせいでぜんぶ、ぜんぶ』
『許さない、許さない、許されないィイイイ……』
『殺してやるぞ、この外道教師が! 地獄へ堕ちろッ、地獄へブチ堕としてやるゥウウ!!』
「……っ!?」

 醜くいびつに蠢くそれらは皆、どれも憎悪に満ちた罵声を教師に浴びせているようだったが彼女の耳には届いている気配はない。

――こ、これはいつものアレか? だが何か様子が違う……こんなにも『意思』を持った奴らを見たのは初めてじゃないだろうか?

 泉水の前に姿を見せるあいつらの大半は、知性のようなものがまるで感じられなかった。言語を話していたりはしても、それらはまるで意味のなさない言葉の羅列のようなものばかりであり、しかもそのどれもが泉水に対して向けられているものばかりだった
。今回のケースはちょっとイレギュラーと言えたかもしれない。自分ではないまた別の相手に、それもはっきりと感情を述べて訴えている。

――何だ……こいつら、この教師に一体なにを……

「聞いているのかいないのかともかく聞いているのよッ!!!」

 何か探ろうとした矢先の怒号に泉水は思わず身を引いてしまい、うっ、と顔を強張らせた。般若面が世にも恐ろしい恐相でこちらを睨み据えている。――恐ろしい、怖いなんてものじゃない、今まで見てきたような奴らとは格が違う。

「おい泉水、こいつはちょっと関わらずに逃げるか謝るかした方がいいンじゃねーのか?」
「う、うん……そうだねシーザー。普通はそうするね……で、でも、このままも何だか、い、いけない気がするぞ……教師に纏わりついている怨念みたいなのが見える?」
「分っかんねえなあー、スタンド使いはスタンド使いとしか惹かれあわねえみたいし」
「とにかくそいつらが、俺を無視してあの教師を『殺す』と言っているんだ。いつもと様子が違うんじゃない?」
「……確かに。これはちょっと俺ちゃん、危険なオイニーがするぜ」
「サっきカらナァニをごっちゃごちゃゴッチャゴチャと言ってイルの!!!」

 いやに甲高い、金属じみた教師の声が矢のように飛ぶ。泉水らの耳に突き刺さる。彼女はもはや彼女と形容するのも恐ろしいくらいに鬼女そのものと化し、白髪を振り乱し、昔何かのサスペンスドラマで見た夜叉のような装いをしていた。白い着物をまとい、同じように真っ白な毛をたなびかせ、何故かその片手には斧が握られている。死の危機を感じた。

――やばい。いや、多分、本当に殺される気がする。

「フザケテイルト、アンタも殺すワよ!!」

――!? あんた「も」殺す?……不可解な言葉にすぐさま泉水の手は止められたが、対処の仕様が思い浮かばない。どうしたらいいんだ。あいつらと、怨霊どもに何かコンタクトを取る??

『っざあああけんなぁああああ殺して、して、じでや゛る゛ぅ゛う゛あああああああ』

――だ、だめだ。怖すぎる……どうしよう、一体どうすれば……ッ

 立ち向かう勇気なんかこれっぽっちもない、というか、対処法なんかまったく分からないわけで。立ち竦む泉水だったが、救いの手は思わぬ場所から差し向けられたらしい。
 
「ヘイヘイヘーイ、ちょ〜っと待って。お二人さん、っと!」
「!?」

 思わずバッと身を引くと、先程の――そう、ロジャーである。ついさっき彼から逃げてきたわけなのだから、彼もここまで必死で追いかけてきたに違いない。にも関わらずに、息一つ髪の先一つ乱していない彼の振る舞いと言ったら、一体どこまで隙がないのか。

「や。二回目だねっ、佐竹泉水クン」
「……っ!」

 ていうか、しまった。感心している場合かよ。追いつかれてしまった、敵が二人に増えてしまったじゃないか!
 しかし、ロジャーはくるんとこちらに背を向けると教師の方へと向き直った。不思議な事に、教師の顔に張り付いていた夜叉のような恐相がぱりぱりぱり……と、音を立てながら剥がれ落ちていく。力を失くした魔女のような、いやはや、呪いを解かれたか弱い普通の女性の姿しかそこにはなかった。周囲を渦巻いていた憎悪の群れも、同時にモヤが晴れていくかのように薄まってゆく。


「泉水、あいつが近づいた途端に禍々しい感じがスーって引いたな。俺は視覚じゃ捉えられないから、感覚的なもののみなんだが」
「う、うん……」

 そうとしか答えられずにボンヤリとしていると、ロジャーがくるんと振り返りこちらに軽やかなウインクを決めた。アニメなら光のエフェクトが入りそうな勢いであるけど。呪縛から逃れられたかのように、足取りが軽くなるのが分かった。

「もうすぐ授業始まるから行っていいよ、泉水クン」
「い、泉水くん……? いつの間に俺達そんな間柄に、」
「ちょっと、あなた。確か留学生のロジャー君だったかしら。何勝手に……」

 ずいっと負けじと前に出てくる飛江田もものともせずに、ロジャーはその姿勢から更にこちらを一瞥し、すぐさま教師に向き直った。視線で『早く行け』と促されたようだった。

「泉水、従った方が良さそうだぜ。また変な奴らが出ても困るだろ、今のお前じゃあキャプテンアメリカよりも弱い」
「あ、アベンジャーズが纏まってるのはキャップのお陰じゃないか! 馬鹿にするなよ!!」

 傍目から見ればただ一人で大騒ぎしているだけの危険人物でしかないが、まあともかく――ロジャーは彼の姿が廊下を曲がり見えなくなるのを見届け、それから飛江田を見つめた。不機嫌丸出しといった具合の彼女の顔を捉えつつ、ロジャーはいつもと変わらぬ調子で続けたのだった。

「時に先生。とある高校で起きた……あーーーっ、こんな事件の話を知っていますか?」
「?……何よ、突然……」
「教師で二十代の女性を、男子生徒らがよってたかってレイプした話です」

 脈絡なく語られたロジャーの話に、飛江田の表情が目に見えてぎょっと変わった。眼鏡越しの両目は見開かれ、額からは一筋の汗が流れるのを見逃さなかった。

「……そ、そんな話、今一体、そもそも私に何の関係が……」
「誰も貴女と関係があるなんて一言も言ってませんよ、先生?」
「…………」

 反応はなく、彼女は黙り込む。やがて飛江田が肩を竦め、何かを悟られまいとするかのように口を噤んだ。警戒するような視線をこちらへと向けるものの、ロジャーはこめかみのあたりをトントンと指先で叩きつつ謡うような調子で言った。

「まあ、元々その行為に加わった男子生徒はどうも買収されそそのかされたようなんですけど――まあ、知れば知る程根の深い話でしてね〜コレがまた。女性教師を暴行、リンチした男子生徒は最低でも七人はいたそうです。それを笑いながら映像媒体に収めた女子生徒も含めると十人はいた可能性も――」
「さっきから一体何の話をしているのよッ!!」
「ちなみにコレは九頭竜高校で起きた話です。……回りくどい話はやめましょうかね、先生の娘さん、事件の主犯だったそうですね。指示した生徒はまた別にいたようですけど、その生徒も飛江田先生の子どもなら事件をあれこれもみ消しやすいからとその子に頼んだだとかで」

 いささか芝居がかった調子で、ロジャーが一息に告げた。飛江田の愕然とした顔つきが向けられた。しかしすぐに、嫌悪で歪むのが分かった。

「涼音ちゃん、僕には何でも話してくれますからね。これまでにも色んな事を教えてくれたんですよ。気に入らない女子生徒をイジメて自殺未遂に追い込んだ事や、ムカつく塾の先生、近づきたい男の彼女や元カノ、気に食わない先輩、バイト先の嫌いな客に店長社員……」
「うちの娘にもう近づかないで頂戴!!」
「僕がそうしなくとも、涼音ちゃんの方から近づいてきますから」

 ロジャーが笑いながら所持しているスマートフォンの画面を見せた。――よく撮れている。それは見知った自分の娘だ……自分の……、制服姿の涼音が嬉しそうにピースサインを決めている。その隣には、自分の旦那と同じくらいの年齢をした中年が全裸にされ体育マットで簀巻きにされている。薄くなった後頭部がこちらに向いているだけで、顔や体型そのものは細かく判断が出来ないが。

「ベッドでは素直ないい子ですけどね」
「死ねこの悪魔ッ!」

 怒号と共に飛江田の平手打ちがロジャーの頬に飛んだ。飛江田は手にしていた書類も全てぶちまけ、我を忘れロジャーに飛びかかった。騒ぎを聞きつけた教師陣が慌てて駆け寄ってきて、飛江田を止めた。

「飛江田先生、ちょ、ちょっと! 何があったっていうんですか!?」
「殺してやるっ! ぶっ殺してやる、この悪魔めっ!」
「ぼ、僕は只先生にちょっと話があっただけです、だから何も……っ!」

 途端に被害者の表情になり、ロジャーは大袈裟なまでに身を竦めて見せた。スマホを奪おうとその腕に飛びかかる飛江田に、ロジャーはわざとその本体を足元に落としたのだった。

「あっ……ちょ、何するんですか先生! まだ支払いが残ってるのに……っ」

 どうでもいい戯言には耳を貸さず、飛江田はスマホに飛びかかった。男性教師が二人がかりで彼女を制止しているというのに、この腕力にはその場にいた誰もが目を丸くせざるを得ない。

「ちょ、ちょっと先生! 今のは暴力沙汰ですよ、これは……」
「何ですか? そのスマホに一体何が……」
「近寄らないで! 誰も私にそこから近寄らないで、指を触れても訴えるから!!」

 飛江田のその顔は怒っているのかはたまた泣いているのか、とにかく喜怒哀楽の全部をごちゃごちゃにしたような何とも言えない顔をしていた。真っ青になったりかと思えば赤くなったり、暴力的に切り替わる色彩の顔色は何故かロジャーにアンディ・ウォーホルのアートを思い出させていた。

「……ン〜、少しやりすぎちゃった」

 その声は誰にも聞こえていないだろうが、ロジャーはとにかくため息交じりに片手で髪を掻きながら少し笑って見せた。





ロジャーって金持ちの癖して
「スマホ支払いが残ってるのに!」とか呼び出した相手に
交通費よこせっつってちゃっかりふんだくってたり
チンピラから金品巻き上げてたりなんか妙に
ケチ臭い守銭奴なとこあるよね。
多分私が金持ちじゃないので金持ちキャラ作ろうとしても
貧乏くさくなるんでしょうね。
オバカに心理戦書かせても全然心理戦しないのと同じで。


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