#8-8


「あの。クレメンザ、さん?」

 櫻子の鈴の音のような声に誘われるようクレメンザははっと顔を上げた。元々視力のあまりよくない自分は時々だが眼鏡をかける事がある。視力は勿論なのだがこうしてかけていると、自分の顔を隠せるようで落ち着くのもあった。

「何ぼーっとしているの? 早く、もっとこっちに来たら?」

 ほんの少しばかり一瞥するようこちらを見た彼女の瞳はまるで宝石のようだった。ずっと眺めていたいと思った。彼女が細いその手を、自分の目の前に差し出す。微かに果実酒のようなにおいがした。
 
 柔らかなその匂いに包まれていたいと思っている自分がいた。櫻子の魔性にすっかり魅入られてしまったとでもいうのだろうか。その気はないのに気付くとそのベッドの上に腰を下ろしていた。

「はじめてじゃないんでしょう? 傭兵なんてやっていたら女っけも何もないじゃない」
「……まあ。『そういう人達』への措置はありました。傭兵と言えどもやはり男ですから」
「真面目なのね」

 くすくすと笑いながら櫻子は口元に手を当てて笑う。本来は良い言葉の筈だろうが何故かどこか些細に馬鹿にされているように思えた。いささかばかり不服そうに後頭部にいてをやれば、背後からシーツを纏った彼女がしがみついてくる。……当然のことながら男ならばこの状況、据え膳食わぬは男の恥というやつか? とびきりの美少女がそれもあられもない姿で惜しみなく誘いかけているのだ。

 櫻子は背後からクレメンザの肩にそっと手を回すと耳元で囁いた。

「もっと知りたいんでしょう? 私の事」

 耳の傍で聞くと、いっそう美しく気品のある声だった。沈黙と静寂の空気の狭間、クレメンザはその言葉の意味をじっと考えていた。お互い無理をして話そうともしなかった。彼女の息遣いと共にその長い髪が落ちてくる。
 ほんの一瞬ばかり、男としての理性が砕けそうになったが、俯いた時に偶然落ちた眼鏡の音でそれは中断された。
 
 クレメンザは慌てて立ち上がると床に落ちた眼鏡を拾い上げ、慌てて掛け直した。その様子が滑稽だったのだろう、櫻子はシーツに顔をうずめて益々おかしそうに笑った。

「どうするの? しないの?」
「するも何も君はヴィトー様の……」

 その言葉を切って、クレメンザはもっと先に言うべきことがあるだろうと神経質に眼鏡をかけ直す。

「君は……その、単なる只の女子高生だ。それがどうして……」
「女子高生だからって誰かの愛人になるのはいけないこと?」
「――君には君の幸せがある筈だ、ごく普通の……」
「普通、ってなに?」

 シーツの隙間から顔を覗かせながら、彼女は尋ねかけてくる。櫻子がほんの少しながら、感情を見せたような気がした。そしてその言葉に答えられず、クレメンザの何か言いかけた言葉は風と同化する。

「……ここから逃げよう」

 幾分か逡巡して出た言葉はそれだった。半分、意識を彼女に奪われていたかのような心地がした。そして、返ってくるのであろう答えも分かり切っていた。

「私は行けないわ」

 目がくらむような美しい表情で、彼女は微笑んだ。――そう、分かり切っていた。だけど彼女の目的は分からなかった。いつかヴィトーに尋ねれば答えてくれるような日は訪れるのだろうか。それともヴィトー自身も知るところではないのかもしれない。

 彼女の瞳を見つめているとまるで何かに吸い込まれてしまいそうな程、というのか――自分が押し隠している後ろめたさや自分の浅ましさを引き出されそうになる。自分はさっき彼女を単なる女子高生、なんて言葉をぶつけたが――この、佐竹櫻子という少女は、漠然と、そうではない、気がする。

「……君は一体……」

 できる事ならほんの一ミリだっていい、彼女の事が無性に知りたくなった。先ほど櫻子の言った通りだ――俺は、この少女の事が知りたい。そのペースがどれだけ遅くても、いつか心を開いて欲しいと、願わずにはいられなかった。

「一体、『何者』なんだ」

 無意識のうち手を伸ばすと、ベッドの中から櫻子がその手を握り返した。触れ合う手はそこだけが異常に熱く感じられて、クレメンザは視線を下げた。ベッドの向こう側にあるテーブルの上には、昨晩彼女らが飲み明かしたのであろうワインとグラスがそのままになっていた。

 櫻子はまた、ふふ、と薄く微笑んで、クレメンザは思わず息が詰まった。口を開けばまた何だかおかしな事を口走りそうだったから。

「パパは死亡中。ママはそんなパパにまだ恋愛中。……一人ぼっちの私は――落下中……とか?」

 噛み合わない会話にもどかしさを感じながらも、クレメンザは櫻子の方を見つめたままだった。

「ねぇ」

 その声に何故か一気に夢の中から引き戻された感じがした。クレメンザは返事の代わりに小さく肩を竦める。

「もう一度座って。そこ」
「え……?」
「せめて、これくらいはしておかないとうるさいから。あの人」

 そう言って櫻子はクレメンザの首筋に一つ口づけを落とした。慌ててクレメンザが身を引くと、櫻子は笑い笑いに言った。

「別に取って食おうとしたわけじゃないのに」

 そういう台詞は普通こちらが使うものだが、と、クレメンザは今しがた彼女の唇が触れた箇所に手をやった。それから彼女の薄い色の瞳をわけもわからず凝視してしまった。

 午後の日差しが降り注ぎ、まるで薔薇色の石鹸のようになめらかな匂いに包まれていた。



↓糞すぎる映画に対する罵倒の通過儀礼
「二時間テレビでやれ」(これはまだ優しい)
「個人ブログでやれ」(これもまだ優しさが垣間見える)
「小説、漫画でやれ」(↑と大体同じ。要はオナニーにしとけよ)
PDFでやれ」(正直難儀。できたら逆に伝説化しそう)


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