#9-4


 カーステレオに表示された、デジタルの時刻が『14:36』の数字を映し出していた。この時計は正確で、一秒のずれもない。つけっぱなしのエンジン音と、外の雨音に混ざり流れてくるラジオの音声が、全ての現実味を失わせた。
 いつしかまばらだった雨はおもちゃ箱をひっくり返したかのような洪水へと変わり、自然と今日の『客足』も遠のいていくだろうなと予想された。

『いいか、今回の作戦の総指揮はスカーレット様が自ら指示を出す。――アンネ、君は実動班としてエリーと補佐に周れ。ロケーションは例のバーが入ったビルの地下駐車場、実動班は車の中でスカーレット様からの返事を待つんだ。……B3とB4はもう既に封鎖してある、だからターゲットがエレベーターで逃げようとしても無駄だろう』

 目的の店周辺は、雨音を除いてしんと静まり返っていた。勿論今の時間帯が昼間だというのものあるが、この辺りは飲食店が軒を連ねていて、もう少し人がいてもおかしくはない。護衛部隊が街を出歩くと、辺りは妙な緊張感に包まれる。道を行くほとんどの人間が何か後ろめたそうな顔をして、目を合わせぬように早足で通り過ぎていく事が多かった。

 車内で待機しながら、ふとアンネはフロントガラスに降り注ぐ雨水を眺めていた。

「――エリーはさ、この仕事が好きかい?」

 助手席に腰かけたまま、アンネは何の気はなしに運転席のエリーに話しかけていた。エリーは手元にある、弾の装填されていない45口径から視線を持ち上げた。彼はほんの一瞬不思議そうに肩を竦めたものの、特別悩んだり言い淀むような様子もなく口を開いた。

「んー、何だよ急に? 改まって聞かれると変な質問だなぁそれ。つーかさ、今日のアンネちゃん、おかしくない? さっきもボーっとして階段から足滑らせてたし、……って思い出しただけで笑える〜」
「……え、そうかな? いつもこんな感じだと思うけど」

 その言葉に、エリーは更に可笑しくなったよう、今度は声を出してはっきり笑って見せた。アンネとしては別に何か面白さを狙ったつもりでもなかったので、合わせて笑う事もせずそれを眺めるばかりだったが。一頻り笑いの波が落ち着いたところで、エリーが改まったようにこちらへと視線を向けた。

「いやいや、むしろアンネちゃんこそどうなんだよ。俺はそっちのが知りたいぜ」
「――うーん。どうだろう、ね。……僕は他を知らないし……仕事っていうのは、こういうものなのかなって思いながらやってるけれども」
「アハハ、アンネちゃんらしーや。――そうそう、その通り。仕事に好きも嫌いもない、俺もまあ大体そういう気持ちだけど?」

 その呑気な会話の内容にアンネはふと気を緩めそうにもなったが、ミラーに映る後部座席――武装した男達の黙した姿に本来の目的を思い出していた。車内には銃火器類のほか模造刀があり、いくつもナイフと弾薬が至る所に積まれていた。更には戦意高揚の為の向精神薬まで完備してあるのを知っている。

 男達はこちらとは目を合わせようとはせずに、只シートに身を預けているだけであった。それぞれ俯いていたり、窓の外を眺めていたり、と視線が向かう先は様々だった。恐らく、二人の会話の内容などに興味はないのだろう。構わずエリーは、話を続けた。

「大体俺、高校中退だからね。他で手っ取り早く稼げる道があるでもないし、ま、不満はねーかなー。つーかネクタイ締めてさぁ、嫌いな相手にもニコニコしながら頭下げて嫌な事にもハイハイッつって外回りとか、何か想像できねえの。そういう自分が。誰かの顔面殴ったり骨折ったりってのもそりゃあ嫌だけど、親父やおかんより年上のジジババにこき使われんのよりはマシかなって思うくらい? うん」
「……そっか。じゃあ、合ってるっていう事なのかな。いい事だと思うよ、きっと」
「まああえて不満を言うなら、もうちょっと給料上げてもらえるようにアンネちゃんからも口添えしてくんない? スカーレット様に」

 エリーが笑い交じりに言うと、アンネも合わせて口元に笑顔を浮かべた。

「十分貰ってるじゃない、衣食住の心配もいらないんだし」
「いやあ、だって安定してないしさ? そもそも家族に仕送りしてたら全然残んねえよ。俺んち、親父が二年前に死んでおかんは腎臓患っててまともに働けないし、妹の学費は全部俺が払ってるみてーなもんだから」

 そうだったのか。それは、全く知らない話だった。しかし、自分には家族がいないのもあり、その大変さの真髄までもを理解できていないのだろうとも同時に思った。だから、大変だね、とか、偉いんだね、とか――何だかそういう事を言うのは憚られてしまい結局アンネは心の中でため息を吐いた。

「じゃあ、その、将来の夢とか……ここを出られるとしたら、何かやりたい事とかはある?」

 いやはや口に出しながら『馬鹿みたいだな』と少し感じてしまった。……ここを出られるとしたら、なんて少し質問が幼稚すぎただろうか? 夢見がちなその問いにも、エリーは特に訝るような様子もなく、少しばかり破顔させた。

「おっ。何か今日は質問が多いねえ、アンネちゃんってば。……んー、まあ真っ当に格闘技を続けてとしたら、そのまま色んな大会で優勝しまくって有名んなってさ? 二十五くらいで渡米するのが夢だったかなぁ〜。マイアミとかLAとか何かオシャレな街で、ファイトマネーがっぽり稼ぎまくってやろうと思ってた時もあったな……で、白人で金髪巨乳のねーちゃん達いっぱいと朝から晩までヤリまくる」
「……ふふ、そっかぁ。何だか君らしい夢だ」
「まー、それももう無理だけどなー」
「――分からないよ。ここで頑張っていれば、ひょっとしたらスカーレット様から許しが出るかもしれないし。数か月の間くらいかもしれないけど」
「それじゃああんま意味なくねえか、おい」

 そんな風に会話していると、後部座席の男がアンネの肩をそっと叩いた。……どうやら、何か動きがあったらしい。車内の緊張感が高まったのが分かった。

「……突然失礼したわね。貴方もどうぞ、おかけになって」

 まだ三十代そこそこくらいか、そのバーを経営しているのは気さくな男主人が一人と、従業員の男女が一人ずつ。――店主はしばし不思議そうにスカーレットの来訪を眺めていた。その視線には、無数の疑問が含まれているようだった。彼女の訪問の理由にせよ、ボディーガードもつけずに単身で店に入ってきたという事実にも。

「これから話す事は出来れば二人だけでお話ししたいの。私と貴方だけの、二人っきりの内緒のお話なのよ? だから私も部下達を外で待たせてあるわ」
「……」

 なるほど。店主はそれで幾分か納得したように一人で頷いてから、従業員の男女に向かって視線で合図を送った。二人がそれを受けて無言で、しかし何か腑に落ちないような様子のままで店を出て行ったようだった。

「しばらく訪れないうちに内装の雰囲気が変わったのね。素敵よ、とても」

 スカーレットは店内を見渡しながら、正面のスツールに腰かける店主に向かって微笑みかけた。

「その……スカーレット様。良ければ煙草を吸ってもいいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。ここは貴方のお店よ、遠慮なんかする事はないわ」

 店主が言いながら、潰れかかった煙草の箱を取り出した。一本を振り出し、火を点けている間にもスカーレットは微笑みを絶やす事なく言葉を続けていた。

「――あの……今日はどういった用件でここへ? お支払いでしたら、三日ほど前に振り込みましたが……あ、いえ、勿論来て下さるのは大変光栄な事ですけど……それに、一か月程前にもそちらの方達がうちに監査という名目で来ました。過去一年分の伝票から帳簿、従業員の労働時間等も全て見せましたし特に何の問題もなかったと思うのですが……」
「ええ。まあ、ほとんどは時間の無駄だったりするわ。それでもどうしても来なくてはいけない事例もあるのよ、悪く思わないで下さる? 簡単な調査みたいなものだから、そんなに身構えなくともいいのよ。場合によってはお時間もそう取らせないから」





スカーレットさんとかいう人災
出来る女やけど怖いよなあ〜
このジワジワ追い詰める感じ

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