怖そうなお姉さんがいた。完全にプリンになってるくすんだ金髪はボサボサと好き放題に伸ばされ本来あるはずの場所に眉毛は無く、すっぴんを隠すためなのか大きなマスクをしている。明らかにサイズの合っていないダルダルのグレーのスウェットのその人の周りには人の少ないこと少ないこと。下手に近寄りたくないんだろうなぁと、それは僕も同じだからよく分かる。その人はあまりにも典型的なヤンキーだ。僕はプリンは大好物だけどああいうプリンは大嫌い。何だってああもだらしなくできるのか、何だってきちんとした身なりをしないのか、謎で仕方ない。少なくとも女性なんだから眉毛ぐらい書いてから家を出たらいいのにって思う。恥ずかしいとは思わないのかな、などなど心の中で散々文句を言いながらまじまじとその人を観察した。
ダブルトレインで数日ぶりに勝ち進んでいる人がいると連絡を受け書類処理に区切りをつけた僕は少しばかり時間に余裕があったからギアステーションをあちこちうろうろ、見回りという名目の下暇潰しをしていた。ダイヤに遅れもなく全てが順調であることに機嫌を良くして歩いていた時に僕はその人を見つけた、上記で述べた通り見事なプリンのヤンキーである。いや別にその人の全てを否定する訳ではないのだけども、僕個人の好みもあってあまり良い気はしない。うろうろ、キョロキョロとその人はホームの中を行ったり来たりで、よく目を凝らして見るとほとんど残っていない眉毛は僅かに下げられていて、情けなく八の字になっているようにも見えた。落し物か、それとも人を捜しているのか。きっとそのどちらかで間違いないだろうなと確信したもののその人を助けるだけの時間は残っていないだろうし、落し物ならすぐに見つかるだろうし誰か駅員に聞けば落し物センターへ誘導されるから問題ないだろうと、その場を離れてダブルトレインへと向かった。もしこれで僕が戻ってきた時にまだここで探していたのならその時は仕方ない、手伝ってあげようと思うには思った。まあさすがにその時にはもう居なくなっているだろうけど。と、僕はそんなことよりも今日の挑戦者はどれぐらい強いのかどれぐらい僕を楽しませてくれるのかとそちらにばかり意識が向かって、数歩歩いた時点で正直なところその人のことは頭からすっかり離れた。
結論から言うとその人はまだそこに居た。腕時計を見るとさっき僕がそこでその人を見つけてから裕に2時間近くが経っていて、さすがにもう居ることもないだろうと思っていただけにその驚きは大きい。ただ違う点はといえばさっきはうろうろと何かを探していたその人は今はベンチに座り頭を抱えていたことか。きっとまだ目的のものに出会えていないのだろう。何故駅員の誰かに聞かなかったのだろうと思いながらも肩を落としたその姿はあまりにも不憫で、仕方ない助けてあげようと思った。どうせ残っている書類は急ぎのものではないし、ATOは今はノボリ兄さんが管理している。地下鉄の利用客を助けることはれっきとした仕事でもあるし、僕がここにいたって大して困ることもないだろう。利用客を助ける、それは何よりも大事な仕事なのかもしれない。
「何か困ってるなら手伝うよ」
大袈裟に肩をびくつかせ顔をこちらへ向けたその人の両眼は真っ赤に充血していて、ああ泣いてたんだってすぐに分かった。顔のほとんどが大きなマスクで隠れているから何を考えているのかまでは分からなかったけど、少ない眉毛が頼りなさげに動いたのも分かった。
近くで見れば見るほどその人の髪のプリンはよく目立っていたし、どう考えても部屋着にしか思えないグレーのスウェットに黒のパーカーを羽織っただけのその人はボサボサの髪の毛のこともありもしかして寝起きにここまでやって来たんじゃないのかっていうレベルで、いっそ逆に凄いなとまで思った。
その人は少しの間僕の顔を凝視した後に何やら思い出したのかハッと目を見開き、すぐ横の自販機の隣に貼られている僕とノボリ兄さんの写ったバトルサブウェイの宣伝ポスターと僕を何度も見比べてまじまじと僕のことを上から下からもう一度上からと観察し始めた。そうして少し掠れたようやく聞こえるような小さな声で「白い方だ」と呟いて、もう一度ポスターと僕を交互に見た。そんなに物珍しそうにされるようなものではないんだけど、って少しだけ苦笑い。じ、と僕の目を見るその人にもう一度話しかける。
「うーんとね、きみすっごい前からここで何か探してた。落し物でもしたとか?」
僕の顔をまじまじと見ていたその人は少しの間を空けてから思い出したかのようにあっと声をもらした。まさかとは思うけど僕に驚きすぎて忘れていたとか言うんじゃないかと思ったけど、何やら怪しさ全開に挙動不審になったからそのことを口に出すのは止めた。
その人はあーだのうーだの奇妙な呻き声を数回繰り返した後に何か意を決したようにして何でか知らないけど僕を睨んできたやっぱりその人は最初に思った通り怖かった。
「落とした」
それは知ってる。その人はハァと大きなため息を吐いたかと思うと落ち着きなく、長い伸び放題の髪をくるくると弄り出す。主語がなかった。そんなものでは分かるものも分からない。でも何をだよ主語を言ってよだなんてストレートに言えるわけもないから言葉を変えて尋ねると、今度は僕がギョッと目を見開く番だった。ボロボロと大きな涙を充血した両眼から流し出したその人はウーッと低く呻いたかと思うとマスクの上から顔を両手で隠し嗚咽を漏らし泣き止まない。
ちらほらと少ない数でも姿のあった他の利用客の視線が僕とその人に集中し出した。もしかしなくてもこれじゃあ僕が泣かせたみたいじゃないか。いや、僕の一言で泣き出したんだからやっぱり僕が泣かしたので合っているのか、なんて冗談じゃない。心の中で舌打ちして面倒なのに当たってしまったと後悔したけれど、もうそんなこと言っている場合でもない。
スラックスの左ポケットからバチュルのプリントされたお気に入りのハンカチを取り出しこれで涙を拭くように言って渡す。大丈夫、マスクしてるから鼻水は付かないしメイクもせずすっぴんだからファンデーションなんかが付くようなこともない。両眼をハンカチで押さえるとその人の顔で見える部分は無くなった。
「教えてくれないかな、きみは何を落としたの?それを教えてくれたら僕にも協力出来ることがあるかもしれない」
するとその人は僕を見上げ少しの間を空けた後「ぐぅ」と変な泣き声を出してまたハンカチに顔を埋めた。怖いその見た目と違ってどうやらその人はとんでもなく泣き虫のようだ。
でも困ったのは僕の方だった。どんなに聞いても落とした物が何なのか教えてくれないから一緒に探してあげることもできないし、こうもずっと泣かれると段々とイライラしてくるしもう疲れた。
ここはカナワタウン行きのホームだから元々そんなに利用客は居ないし、さっき電車が出ていったところだから今ホームに居るのは僕とその人だけ、がらんとしたホームにその人の泣き声だけが響いている。もしこれが深夜だったならとんでもなくホラーだ。こうなったら仕方ないし放っておくわけにもいかないからその人が自分から話し出すのを待つことにして、その人の隣の空いているスペースによっこらせと腰を置いた。
やがてカナワタウンからライモンへと来た車両から人が降りてきて、僕とその人のことをちらちら見ながら階段を上っていった。書類今日中に終わるかなーなんて残業を覚悟し始めた。
「婚約指輪、落とした」
それは突然だった。すっかり他のことに意識がいっていたから思わずえっ?と聞き返す。
するとその人は今度はしっかりと僕の方を見ながらもう一度同じ言葉を繰り返した。
その目はやっぱり真っ赤に充血していて、腫れ上がった瞼が痛々しい。今度はしっかりと聞き取れたその言葉に、何て言うのが正しいのか僕の二十数年しか生きてない陳腐な脳みそは答えを出せずにあーだのうーだの、さっきのその人と同じような呻き声しか出すことが出来ずにいた。それなら確かにこんな状態になるのも納得がいったけどそれと同時にどうしてそんな大切なもの落としちゃったのとも思う。そしてそりゃまた探し出しにくいものだなぁなんて、どうするのが最善か頭をフル回転。とりあえず僕がここで働くようになってから初めての落し物だった。
その人が言うには、昨日今日と長丁場だった夜勤が終わり半分寝惚けた状態で始発に乗り家へと帰宅、入れ替わり職場へ向かった彼氏を見送った後にさぁ寝ようとベッドへ横になって左の薬指を触ると着けていたはずの婚約指輪が見当たらない、ベッドの周りや家の中をどれだけ探しても見当たらない、自分の身なりも気にせず慌てて職場へ行くもそこに婚約指輪は落ちておらず、それならもうここしかないとやって来たのがサブウェイだったけれどあまりの広さになかなか捗らず結局時間ばかりが過ぎていき半ば自暴自棄になっていたのだと、途中何度かしゃくり上げながらもそう教えてくれた。落とした物が物なだけにまさか彼氏に助けを求めるわけにもいかず、彼氏に申し訳ないと思いつつ落としてしまった自分に怒るもどうしようもなく途方に暮れていたのだという。最後まで言うとその人はどうしよう、どうしたらいい、どうするべきかもう分からないとさっきまでよりも大きな声を上げてわんわんと泣き出してしまった。思っていたよりも大切な落し物にどうしたものかと焦りながらとりあえずその人の背中をさすってやる。落し物センターへ行ったのかと聞くと行っていないと言うその人に何で行かなかったのかを言うとすっかり落ち込んでしまったその人は声にならない声を上げしくしくと、もう駄目だった。数時間前その人の姿を見かけた時に駅員を寄こすなり落し物センターへ行くように言うなり何かしておけばよかったと思った。過ぎてしまったことは仕方ないけれど、とにかくそう思った。
「どの辺りの車両に乗ったとか覚えてない?」
「眠かったから分かんない」
「階段が近かったとか自販機があったとか、何でもいいんだけど」
「分かんない分かんない覚えてない何も覚えてない!」
「分かった、落ち着いて、とりあえず管理室に連絡するから、ね、落ち着いて。もしかしたら線路の方に落ちてるかもしれないし、人数増やして探すからとりあえず少し冷静になろう」
無線でノボリ兄さんに連絡をし事情を話すと少しの間だけカナワタウンから来る電車の入るホームを変えてくれることになった。カズマサとキャメロンを行かせるから3人で出来るだけ早く済ませてくれとのお達しを受け、僕がその旨をその人へ伝えるとその人は事を大きくしてしまったことに顔を真っ青にしながらもありがとうございますと小さな声で謝礼を述べた。やってきたカズマサとキャメロンに改めて事の内容を説明するとカズマサはそれなら早く見つけないと!と俄然やる気を出し、キャメロンはモウ大丈夫ダヨ僕タチニ任セテベンチデ休ンデテとその人の肩を抱えベンチへ座らせた。カズマサから懐中電灯を受け取って線路へと降りる。そう簡単に見つかることもないだろうなとは思っていたけど、まさかここまで見つからないとは予想以上だった。そろそろ三人で探し始めて三十分は経つにも関わらず、それらしいものは全く見つからない。代わりに随分と汚れてしまったフェイスタオルは見つかった。
「もういいや」
その人が諦めたようにして小さく笑ったのはキャメロンにフェイスタオルを渡した時のこと。
「散々迷惑かけといてこんなこと言うのもアレだけど、もういいや。こんだけ探して見つかんないってことはここにはないのかもしれない。…彼氏にはちゃんと話す、ことにする」
ありがとうございました。頭を下げたその人の顔は、下りてきた髪の毛で隠れてよく見えない。ああ、時間が無駄になってしまったというのと見つけだせなかったという思いがぶつかって変な顔になっている気がする。キャメロンが何デ諦メチャウノ!と悲しそうな声を上げた、その時。
「白ボス、ありました!指輪見つけましたー!」
カズマサの裏返った声が、ホームに響いた。その瞬間のその人の泣きそうな笑いそうな、涙でぐちゃぐちゃになった顔を僕はきっと一生忘れないと思う。



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