お天気お姉さんは笑顔で「今日は一日雲も無い晴天です!」と声高らかにしていたが、悲しきかな空はどんよりと薄暗く厚い雲に覆われ殺傷能力の高そうな雨粒が地面へ打ち付けられ歩く人々を攻撃していた。こういう日に限って折りたたみ傘はカバンの中にあらず私は一人駅の改札口脇で途方に暮れている。一人というのは語弊があるかもしれない、正確には私のように傘を持たない見知らぬ人々に混ざってというべきだろう。学校帰り仕事帰り様々な人が足を止めているが皆一様に顔を曇らせジメジメとした暑さに不快指数を高めるばかりだ。何とも不運たるや私といえばいつも持ち歩いているタオルを今日は忘れてしまったようで、ボタボタと髪から顔から制服から水を滴らせ為す術もなく傘をさし帰路につく人々を恨めしがましく睨みつけていた。ここまで濡れていると携帯電話を触りでもしたら壊れてしまいそうで恐ろしく触ることが出来ないのだが、もしかしたらカバンの中も浸水しているかもしれないと濡れたばかりにすっかり変色してしまったお気に入りの缶バッジがついたそれを見下ろし溜息をこぼす。今日は帰りにショッピングでもしていこうと思っていたのに予定が全て狂ってしまった。生憎と友人達は私とは反対の方へ住んでいる子ばかりなのでどうにもならない。そして親は仕事中という絶望的なこの状況にいっそのこと笑えてすらくる。こうなったらやけだ、どうせこれ以上濡れたって大差はないのだからこのまま走って家まで帰ってしまおうかとカバンを抱え飛び出そうとしたその時に私の肩は背後からグッと掴み寄せられた。最近痴漢が増えていると先生が言っていたのを思い出して背筋がゾッとした。濡れた髪が振り乱れるのも気にせずにカバンを思い切り後ろへ振りかぶると私の肩を引き寄せた張本人であるそいつはお腹にカバンを喰らいカエルが潰されたかのような悲鳴をあげた。カエルが潰された瞬間の音を知らないから合っているかは分からないが、きっとこういうのをカエルが潰されたような声というんだろう。
「…何しとんの?」
端正な顔を歪ませて背を折る白石くんは何か言いたげに私を見下ろしていた。その手には少し大きめのタオルと傘がしっかと握られているではないか。私の問いかけに不服そうな彼は大きなカバンをゴソゴソと漁りながら唇を尖らせている。
「声かけようとしただけでこの仕打ちはないやろ」
「痴漢かと思って」
「ああ最近増えとるらしいな。気ぃつけや」
最初に一枚私の頭へ、次に一枚私の肩へ、最後の一枚でカバンやら服やらを拭いてくれる白石くんに感謝の気持ちが溢れに溢れ止まらない。毛先から滴っていた水滴はすっかり消え、ベタベタと肌へ吸い付いていたシャツも多少はマシになった。靴ばかりは仕方がない。お言葉に甘えて使わせてもらうことにしたタオルからは柔軟剤の良い香りがした。男子の割にそういうところにも気をつかっているのだろうか。この時間にここに居るということは部活帰りだろうに、彼はタオルを使わなかったのだろうか。詮索は終わることないが限りがないのでここまでにすることにする。
「何でこんな時間におんの?今日さっさと帰ったやろ」
「ショッピングでもしようかと思ってたの。そしたら雨に降られてさ、ずっとここにいる」
「何時間も?親は?」
「仕事中」
はぁ、と此れ見よがしに溜息を吐くとアメリカンドラマのようなジェスチャーをする。
「ほんまに苗字さんは…」
呆れたその様子にムッとするもタオルを何枚も貸してくれたのは事実だ、ここで私が文句を言うのはお門違いだろう。例え一言多いとはいえ他人のフリもできたろうにわざわざ声をかけてくれたのは間違いなく白石くんなのだ、感謝さえすれど怒るのはやっぱり可笑しい。
白石くんとは小学校からの同級生ではあったがまともに口をきくようになったのはつい最近のことだった。小学生の頃はお互いの存在すらろくに認識していなかったと思う、少なくとも私は中学校へ入り初めて同じクラスになった時彼の顔を見てモデルか何かと驚き慌てて親に報告をしたのだが、必死に説明する私を見て親は大爆死すると「それ白石くんちゃう?小学校でも人気者やったやん」と衝撃的な言葉を私へ突き付けたのだ。そんなはずはない、あんなイケメンは一度見たら忘れないのだから!とまくし立て卒業アルバムを開いたら白石くんは隣のクラスにしっかりと在籍していた。いくら大きい小学校だったからとはいえ同級生の顔も名前も全く覚えていなかったことに申し訳なさでいっぱいになる。しかしそれほどに接点などなかったのだ。それが今ではどうだろう、この通りタオルを貸してくれるためにわざわざ向こうから声をかけてくれるまでの仲にまでなった。一体何故だとか何があったのかというのはここでは省略させていただこう。話せば長くなってしまうであろう。
「えらいこっちゃな」とタオルを絞り笑う白石くんの笑みは心做しか普段より自然体のものに見える。私の思い過ごしかはたまた浅はかな希望か、それでも確かに他の女子に対する態度より幾分か砕けたものに思えた。もちろん男子に対するものとは違っているけれど、それでも他の女子より自分が一弾上のところへ居るような錯覚すら覚えてしまう。何を隠そう私は中学校へ入学しそのイケメンさに驚いたあの日からすっかり白石くんに惚の字なのだ。尚更何故小学校では認識していなかったのだと言われるだろうが、そこはそれとしてとにかく私は白石くんに三年もの間片想いをしている。ここまで仲良くなれたことは奇跡とすら思えたし、他の女子より先に挨拶をしてくれるのだって優越感を覚えてしまうのに足る理由となろう。二年生の秋学期、何の前触れもなく突然に「俺ら友達やんな」と宣言してよこしたこの男は私の気持ちに気付いてなどいないのだろうけれど。いやもしかしたら気が付いた上でのあの発言だったのかもしれない。好かれても困る、友達としか思えないと暗に告げたつもりなのだろうか。それならば残念なことに私は今現在でも白石くんのことが好きなままだ。自分の気持ちを改めて自覚するとニヤけてしまう。ふふんと笑い声が鼻から抜け出たのを隠そうと白石くんに再び背を向けた途端背後から「あ」と上擦った声が聞こえてきた。何事かと振り返ると白石くんの頬が赤く染まっているではないか。
「傘貸す。送ってくで帰ろか」
「え、うん。ありがとう助かる」
「ええよ」
二人が肩を並べるにはちっぽけな折りたたみ傘が私と空とを切り離す。突然素っ気なくなったのには何か理由があるのだろうか。何かやらかしてしまったのだろうかと不安になるのも仕方ないだろう。すっかり黙ってしまった白石くんを見上げて様子を伺おうとしたところでバッチリと目が合ってしまった。あからさまに視線を逸らされ、心臓が痛むのが分かった。とはいえ私と帰るのが本当に嫌なわけではないのも分かる。嫌ならわざわざ傘に入れてなどくれるはずがないし、一緒に帰ろうなんて提案もするわけがない。白石くんは今何を考えているんだろうか。じ、と見続けていると再び目が合った。今度は逸らされることもなく、私の肩を見るなり「入っとらんやん、もっとこっち寄り」と引き寄せてくれる。正直止めてほしい。まさか私に好かれているとは思ってもみないのだろうか。だからこんなことができるのか。私の心臓は今にも張り裂けてしまいそうだというのに。喜びと不安とが同時に押し寄せ私の心臓は本当に壊れて四散してしまいそうだ。先ほどまでの軽快な会話はさっぱり消えてしまった。私が口にするのは「ここ右」「こっちの道」と案内する言葉だけで、白石くんも「おん」「そうか」しか言わない。お互いの間にも流れているこの微妙な空気をどうにかしてほしい。それなのに雨がどんよりと空気を余計に重くしてしまう。結局私の家へ着くまでに交わしたのはそれだけで、せっかく長い時間一緒にいられたのになと残念でならない。お礼を述べさっさと入ってしまおうとした私を白石くんは気まずそうにしながらも呼び止めた。
「あんな、彼氏と仲が良いんはええことやけど…そういうのはあんま目立たんとこにつけてもろたほうがええで」
「………はぁ?」
何を言い出すのだろうか、この男は。見ると先ほどなど比べ物にならないぐらい顔を真っ赤にしているではないか。顔どころではない、耳も首も真っ赤だ。まるで安物の弁当に入っているウィンナーのような赤さである。それよりも今彼は何と言ったろうか。
「気付いたんが俺で良かったけど、謙也あたりに見つかってたらきっと大騒ぎで」
「待って。え、なに?なんて?彼氏?」
「そう項んとこ、彼氏はその、独占欲強いな」
「タイム。白石くん、タイム」
何やねんと目を細めているがそれはこちらのセリフである。誰の彼氏の話をしているのか。
「彼氏いないんだけど…」
「は?いやそういうのいらんから、大丈夫バラしたりせんし」
「いやいや本当にいないし。え、項?何かついてるの?言われてみればめっちゃ痒い」
首に手を回しポリポリと掻き毟ると痒みはますます強くなり、掻く手が止まらなくなってしまった。すると私をポカンと阿呆面で見下ろしていた白石くんは数テンポ遅れてから今度は力強く何かに気がついたかのような大声で「あ!」と叫び口をおさえてそっぽを向いてしまった。
「すまん。俺の勘違いやったかもしれん…」
「勘違い?なに?」
「いや、ほんま恥ずかしいわ何やねん自分」
「私が悪いの?何か勘違いしたのはそっちじゃん」
「そんな紛らわしいとこ蚊に刺される苗字さんが悪い!」
「紛らわしい?……ははぁん」
なるほど、とニヤり彼を見上げると気が付かれた羞恥心から悔しそうに唇を噛んだ。そういうことかと納得がいく。つまり白石くんは私の項の虫刺され痕を、実際には存在しない彼氏につけられたキスマークと勘違いしたのだろう。だから突然挙動不審になったに違いないと思いつつも、何故白石くんがそんなことで動揺したのかと疑問にも思った。相変わらず白石くんの耳は赤い。これはもしかして、もしかしなくても。ドキドキと私の心臓がうるさく飛び跳ねる。
「白石くん」
何や、と小さく呟く白石くんの目には薄ら涙が浮かんでいる。頭の中からトンカチで殴られている気分だ。これはもしかすると期待してもいいのかもしれない。すん、と鼻をすする白石くんを前にしてそんな考えが私の脳裏を過ぎったのであった。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -