「ない、ない…」
執務室に入ったら、クダリさんが何やら必死に探していた。向こうを向いているから表情は分からないけど、声からしてかなり焦っている、よほど大事なものだったのだろう。仕方ないから私も一緒に探してやろうじゃあないか。
そう思った心優しい私はクダリさんに話し掛けた、何を探しているんですか?しかしクダリさんからの返事はなかった。ない、ないとぶつぶつ言いながらただひたすらに床を這いずり回るだけ。その声がいつものクダリさんの声に聞こえなかったのはただの気のせいだよね?私のこの虚しさをどうしてくれるんだい。何だか恥ずかしいじゃあない!
ない、ない、ないないないない。ひたすらひたすらに呟き続けるクダリさんに、何故だか背筋を悪寒が走る。見てはいけないものを見ているような、この世のモノではないような違和感。ああ気持ち悪い。胃から込み上げてきた何かが咥内を侵食していく。
「……クダリさん、」
「ない、ナい…ナ、?」
やっと私の声に耳を傾けたクダリさん。安堵の笑みを浮かべたのも束の間、先程から感じていた違和感及び吐き気が強くなった。何とも言えない不快感に思わず眉を顰め口をおさえる。何故だろう。ただクダリさんの後頭部を見下ろしただけなのに。クダリさんが私の呼び掛けに気が付いただけなのに。クダリさん、もう一度名前を呼ぶ。
「アッ…た」
「え?くだ…、ひっ!」
顔を上げたクダリさん、そこまでは何ら可笑しくない、のに、なのに。クダリさんの顔は顔ではなかった。正確に言えば、顔を編成しているはずの目や口、鼻といったパーツが存在していなかった。のっぺらぼうが如く、ただ肌色が広がっているだけ。そんな不気味なモノを見てしまったんだ、いくら上司だからとはいえ悲鳴を上げてしまっても仕方ないでしょ?すぐ真下にあるそれが怖くて恐ろしくて、私は数歩後ずさった。クダリさんから逃げたいと思うだなんて、夢にも想わなかった。
ジリジリと、距離を置こうとする私に、クダリさんの身体のそいつは床を這いつくばり寄ってくる。ないはずの口が笑っているかのような錯覚に陥る。ニヤニヤ、にへら。厭な笑みを浮かべているような気しかしない。冷や汗が首筋を伝う。カラカラに渇ききった喉から助けを呼ぶことさえ出来ずに、私はただ足下のクダリさんを睨み続けた。そいつは相変わらずニヤニヤ笑っていた。口が無いのに一体どこから声を出しているんだろうか。
ふと疑問が頭を過った。そもそもこれは何なんだ、本当にクダリさんなのか、クダリさんの身体を持った何かなのだろうか、はたまたこれは本当にクダリさんではあるけれど私の見ている夢なのではないだろうか。様々な考えが一瞬で脳内を過る。外ではジィジィと蝉が五月蝿い。ごくり、唾を飲み込む。岩の塊のように大きなそれを飲み込んで、部室から逃げるべく踵を返した、のだったけど。
「あッ!?」
ガチャリ、開いたドアの向こうから現れたのはクダリさんと同じく顔の無いノボリさん。切れ長の瞳も三角のように下がった口角も無くなっている。
ニタリ。無い顔がにんまりと普段のノボリさんからは想像もできない笑みを浮かべる。
「逃ガサナイ」
瞬間私はノボリさんに向かって後ろにあった椅子を力任せに振りかぶっていた。何が何だかさっぱり分からない、もうどうにでもなれ。顔面を椅子で殴られこの世のモノとはおもえないようなおぞましい悲鳴を上げてその場に踞った顔の無いノボリさんを飛び越えて外へと飛び出す。早くここから離れなければ。外へ行って、皆に知らせなければ。やがて見えた仲の良い人間のうしろ姿を見つけて私は綻ぶ顔に知らないふりをして駆け寄り肩を叩いた。
「トウヤくん今すぐにここから逃げるよ!」
そう言った私を見て信じられないとでも言いたそうな顔をするトウヤくん。信じられないのは私だって同じだよ、だけどこれは夢なんかじゃないんだだって夢だったら他人を殴ったりなんか出来ないだろう。
しかしここへ来てまた違和感、何故かトウヤくんは反応を示さない。私に呆れているのかいや違うこの顔はそんなものじゃないそれこそそうださっきの私みたくこの世のモノではないものを見てしまったかのようなきょうふのどまんな「ウワァァァァァ!!!!」耳をつんざくようなけたたましい叫び声が辺り一面に響き渡る。今のは誰の悲鳴だ、まさか私と同じ目に合ってしまったのだろうかしかし今の声は間違いなく
「トウ、ヤ、くん」
「くっ来るなァァあァ化け物っ、っあ、なまえさんっなまえさんをどこにやったんだっ誰か助けて誰か誰か誰かトウコっトウコーっ!!」
そう喚きながらバタバタと走り去って行くトウヤくんえっちょっと何を言っているのトウヤくん私はここに居るでしょう誰を捜しに行ったんだそうして騒ぎを聞き付けてやって来たトウコちゃんにカミツレさん、鉄道員たちにあれ、嘘でしょクダリさんもノボリさんも、顔がきちんとあるじゃあないじゃあやっぱりさっきのは夢だったんだなんだ安心した!ってあれ、二人とも私のこと見て顔をひきつらせたよどうしたって言うの、皆に近付こうとしたらカミツレさんが足下に落ちていた小石を私に向けて投げながら叫んだ
「なまえちゃんをどこへやったの!」
何を馬鹿な、なまえは私じゃない、ここにいるだろう。痛い何するのトウコちゃんトウヤくん何で石投げるの訳が分からないよ!化け物!!カズマサとキャメロンにそう叫ばれた、おかしい、流石にこれはおかしい、何がどうなっているんだ、不自然にもノボリさんの持っていた手鏡に反射する自分の顔、あれおかしいな何もないや。
チラリ視界の端に映ったクダリさんと正面のノボリさんの顔が酷く歪んでいたことに気が付けないぐらいに、私は現実を理解できないでいた。うねる蜃気楼に飲み込まれてしまいそうな、暑い夏の日の話。



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