5
殆ど自棄であったという認識はある。酒の勢いでなければ告げる事も出来ないという考えも。だからと言って告げるつもりもなかった。だのに、酒の力とは恐ろしい。想いを口にしてしまった。拒否か。そう思っていた中原に聞こえたのは真逆の言葉だ。一気に酒精が吹き飛んだ。どういうことだ、と見れば芥川はその言葉が、欲しかったのかも知れませぬ、と言ったのである。
「意味、分かってるのか?無花果が好きか蜜柑が嫌いかの好き嫌いじゃないぞ」
「いくら僕が感情に疎いとは言え、親愛や恋愛としての感情位、分かっております」
そうか、と言って、中原は芥川の唇を己のそれに重ねた。抵抗は無かった。
懸賞金が懸けられている敦が探偵社に来た時から、太宰には予感にも似た感覚があった。人虎捕獲にはきっと、芥川がやってくると。そして、樋口が偽装の依頼人としてやってきた段階でそれは確信にもなった。
そして、わざと捕まった折につまらない話に耳を貸さない芥川に太宰は君を引き抜きに来たんだよと告げた。
「だって、中也なんかの下は君の実力を存分に出せないじゃない」
「っ、そんなことはありませぬ」
「…なに、中也に何か言いくるめられたかな」
中也の事になると殊の外むきになる芥川に太宰は一つの仮説にたどり着いた。できれば、思い違いであって欲しいという事実だ。放置していても確かに彼は芥川を見ていたのだ。そのきっかけはあちこちに点在していた。
「そう。中也とそういう仲になったの」
「っ!」
それでも、まだこの子は太宰に帰るという自信があった。虜囚となって大人しくなるのも作戦のうちだと、じっとしていれば芥川は人虎捕縛責任者としての仕事があるのだろう、足早にその場を去って行った。そろそろかと身じろぎをすれば中原が足を踏み入れてくる。この男が、太宰は思う。
「ーやぁ、中也」
「…また芥川に声をかけたな。彼奴はもう此処からは出ない。…彼奴は俺の情人だ」
真面目である中原はそのことをこうやって太宰に告げてくる。いい加減にして欲しいと、太宰は思う。その後、狙いを見定めようとする彼と戦闘に入ったが、いつもよりも打撃の力が強いのは嫉妬から来るものだろうと思うほどであった。
人虎の捕縛を任された芥川が捕縛に失敗し、帰還してきた様子がおかしいと思った。話を聞けば其処には太宰が現れたというから中原は頭痛がした。そして、わざと捕まったのだという事を伝えてきた芥川は頭を下げて関係を見破られてしまいましたと言ってきた芥川の頭をぽんと撫でて大丈夫だと言って部屋を出た。芥川はこれから通信室に向かうのだろう。彼には仕事があるし、中原もこれから報告書を仕上げることがあるが、それよりも太宰の狙いを見たい。結局、彼はやはり策士であったのを再認識した。やはり関わると碌なことがない。
「明日、おそらくは人虎と戦うことになると思います。…中原さんには迷惑をかけてしまうかもしれませぬ」
「そんなこと心配するくらいなら明日の対策を入念にしろ。生きて帰れよ」
何しろ、相手は太宰が抱え込んでいるのだと言えば、漆黒の瞳が深く染まる。こくりと頷いた彼は善処する所存ですと返したのである。その後、すぐに中原は別の仕事を依頼され、人虎の捕縛に対する結果は数週間後に報告書がてらに聞かされたのだ。
「ー芥川、大変だったな」
「なかは、らさん」
少し困った表情で迎え入れた彼は白い肌を包帯で包まれている。包帯を見ていると太宰を思い浮かべてしまって中原は考えをどこかに飛ばしたい衝動になる。どうやら戻ってくる迄に部下である樋口と信頼関係で何やら進展があったのか、気遣いをするようになったらしい。
「ー、まぁ、限りなく落第に近い及第点だな。」
生き残ってくれという誓いは首の皮一枚という感覚で繋がっている。その事に中原がほっとしたのを芥川は深くは理解していない。
「中原さんに会いたくて、僕は弱い。太宰さんには認めてはもらえないことよりもあなたに会えないことが辛かったのです」
こんなに、心を震わせる言葉をこの情人から聞かされるとは思っていなかった中原は迷わず芥川を抱きしめて俺も、会いたかったんだと囁いた。そして、控えめに中原の首に回った腕の感覚にそっと顔を近づけて久しぶりの芥川の唇を味わったのである。
「ー、生きて帰れ」
それだけがお前に願うことだと、中原は言った。芥川はその言葉に重みを始めて感じた。こんなにも情を抱く相手がいると言葉に重みが出てくるものなのかと、芥川は治療を受けながら思う。見舞いとして毎日訪れる部下にも辛い思いをさせていたことを理解した。その様子を顔だした尾崎は笑って、中也はお主が一番大切じゃから言葉で縛ったのであろう、と嬉しそうに笑ったのである。
「本来ならゆっくり休めって言いたいがなぁ…」
久方ぶりの再会と抱擁を交わした中原はぽつりとこぼす。今の現状を芥川も理解していた。樋口から首領の言葉を受けている。組合の台頭。構成員を殺されているのだ。黙っているわけにはいかない。そうして探偵社に伝言を伝える為に向かい、戻れば芥川は首領の計画する駒として自ら声を出し、向かったのである。実際、本調子でないことは首領にも分かっていたらしい。あまり力の使う事は極力最後までということを念押しされて、芥川は頷いた。
「全力で来い」
ぼたぼたと溢れる自分の血。に意識が朦朧としてくる。景色に入り込む光に歯を食い縛る。苦しいが、此処で逃げる事など。組合のボスを競合して倒した事は芥川にとって予期しないことであった。
「強くなったね」
そう、師匠であった太宰から言われた言葉に芥川は今まで張り詰めていた糸が切れた様に倒れこんだ。もう、いいんだと誰かに言われた様な気がした。
「ー、芥川」
「中原、さん」
ふわりと外套で体を包み込まれて、体が安らいでいく。ぎゅうと、抱きしめられてそっと返す様に握り締めた。その姿を茫然と見ている太宰に乱歩が、ポンと肩に手を置いた。
「少し、遅かったのさ」
その言葉に、そうかも知れないねと太宰は仲間の元へ歩き出した。
組合との戦闘から少しの休暇を貰った芥川は、中原に家に誘った。これは芥川の最大限の愛情表現であった。それに気付かぬ中原ではなく、ありがとよと返したのである。その晩、中原は芥川の家へ、向かい一緒の褥で朝を迎え、抱き合った。愛しい、という想いをただ込めて、そっと唇を重ねたのであった。
end
←