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「今日は情報があるぞ?」
顔馴染みになった情報交換の酒場で主人からにやりとした顔で言われて、太宰はここの界隈も騒がしくなったことに合点がいった。地下街と言えど、此処もポートマフィアの息のかかる地域であるのだから彼らがいる事に不思議ではない。この店では情報を貰うときは葡萄酒を注文する。それが決まりであった。太宰は葡萄酒を頼んだ。主人は静かに葡萄酒を差し出してきた。渋みが口のなかに広がっていく。
「葡萄酒を。…取引だ。」
「そうこなくちゃな。ポートマフィアの首領直轄遊撃隊の隊長に新しい奴が就いた。芥川とかいうガキだ。何でも、あの中原の秘蔵っ子らしい。ここ最近台頭してきた構成員だ。あの首領でさえもが太鼓判を押してる。」
「へぇ、時代も変わるものだね。あぁ、でも中原の秘蔵っ子は違うと思うよ。」
お代だと、札束を渡すと太宰は懐から煙草を取り出す。主人が火をつけてくれる。紫煙を燻らせ乍ら太宰は言う。
「そうなのか?」
「元は、違う男が拾って来たらしいよ。」
「調べた男が嘘言ってのか?全く…すまねぇな」
調べた男から情報を得たのだろう、主人がぶつくさと文句を言う。気にしなくて良いよ、と太宰は残った葡萄酒を飲み干した。部下として、育てていた彼が要職に就いた事は予想より早かった。そろそろか、と思う太宰は笑みを浮かべた。もうすぐ、彼の子を連れて行ける。
遊撃隊の隊長に芥川が就いた。まだ入って浅い、芥川が務まるのかと不安視されたが、彼を推薦したのが武闘派として名を馳せている中原である事ですんなりと決まった。芥川には、樋口という女の部下が就いた。
「酒場で探し人に似た男がいた。だが、直ぐに姿を晦ましてしまった」
情報屋を使って太宰の生存だけは調べては一喜一憂する己が芥川は卑しいと思った。尊敬し、畏怖し、認めて欲しいと渇望している。
「芥川、明日の任務、お前、俺の補佐頼むぞ。」
ハッとすると中原がニッとして芥川の肩をポンポンと叩いていった。遊撃隊隊長に就任してから、芥川は中原と話す機会が前より増えた。中原は芥川に色んなことを話す。攻撃の話は勿論、美味い酒の話まで多岐に渡る。その所為か、芥川も中原との会話は相談出来る数少ない相手となっていた。
「明日、ですか。」
「どうかしたか」
「明日は彼の人がいなくなって丁度2年です。僕は未だに認めて欲しいという想いで足掻いているのです」
相変わらず、芥川の中には太宰が大きくいる。その事に、中原は守ってあげたいと思う。もうこれ以上彼が傷付かぬように。
次の日の任務は滞りなく終えた。多少の犠牲はあったが人質がある程度取れたので良いだろう。今回組んでみたが、実戦でも芥川との戦闘は悪くない。そう思いながら、酒場の扉を開けると其処には太宰が待ってたとばかりに此方を見ていた。折しも、帰りに芥川から太宰の事を聞いたばかりであった。
「…中原さんは、武闘派でいらして異能なしでも得手があって羨ましい。僕は全てにおいていい加減故」
「確かに、お前の体じゃ体術には不向きだな。けど、羅生門なりに戦えばいいだろ。…太宰の事は今でも気になるのか」
その瞬間、芥川の表情が少しだけ強張るのを中原は見た。そして、一度瞳を閉じ、首を横に振った。
「確かに彼の人は、僕の初めの御仁。認めて欲しいという思いも未だ捨てきれぬ。ですが、もう諦めも考えてもいるのです」
だからまだわからぬ。そう言った芥川の姿は中原に強く残ったのである。その、太宰が。縊り殺したくなる。だが、そうなる前に人間失格で躱されて弄ばれるだけなのでやらない。非常に苛々するが。
「やぁ、中也」
「…なんだ」
「君が彼の子の上司になったんだろう?だったら君に話そうと思っていてね」
にこりと笑うそれは中原にとっては薄気味悪く見えた。酒なんて飲める心境じゃない。主人に水を頼んだ。氷水が喉を潤していく。
「彼の子にもう関わらないでくれ給え。彼の子は私のものだ。私が、連れて行く」
「ーもう放棄したんだろ。だったら手を出すな。」
席を立ち、店を後にした中原を見送った太宰は笑みを浮かべていた。探偵社に入って色々面白いこともあるけれど、今回はそれに勝るものだ。欲しいものは取り返す。何を使っても。太宰はどうやって取り戻そうかと算段をし始めたのである。
そして数ヶ月後、中島敦が太宰と出会った時、太宰は芥川を迎える準備が整ったことを確信するのである。
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