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「それじゃあ、安吾頼んだよ。」
「これで、僕に貸一つですよ。貴方の経歴を白紙にするんですから」
全く利益の無い依頼だと安吾はブツクサ言いながらもその場を後にする。今頃ポートマフィアは大騒ぎだろう。太宰の頭に残るのは、部下として教育していた真っ黒な卵。まだ、一緒に連れて行くには育っていないし、気も熟していない。もう少しだけなら耐え得る位には育っている筈だ。太宰は瞳を閉じ、口元に笑みを浮かべて地下街へと足を向けた。
地下街と言えど、油断など出来ぬ。況してやマフィアなど、非合法組織なのだ。配下の者は、そこら辺を闊歩している。蟻の子蜘蛛の子の様に彼方此方に点在している。ひっそりと暮らし、自分の進むべき場所を傍で探していた。その間、マフィアの情報を絶えず集めていた。情報収集は、混濁した街だ。情報屋や、噂から幾らでも集められたのは幸いだった。
「ポートマフィアに、新しい奴が出てきてな。何でも、あの中原のサポートがあるらしい。」
部下の1人じゃねぇかという噂さ、と男は酒を飲みながら言う。あの有力人員の中で芥川の面倒を見るのは加入した時期から見ても、恐らくは中原だろうというのは予想がついていた。そして、地下街にやってきたポートマフィアを見て太宰はハッとした。あの黒い塊は置いてきた子のものだ。
「よし、そこまででいい。よくやったな」
「いえ、中原さんの助けがあったからです」
「無花果でも奢ってやるか」
「銀にもあげたいので2個で。」
「言う様になったなア?」
苦笑しながら芥川の頭をがしがしと撫でる中原の表情は完全に弟(いるかは別として)にするそれだ。そして、芥川があんな軽口を叩けるなんて。その芥川の表情も初めてみるものであった。相棒が部下の横に並んでいる光景が限りなく太宰に不快感を与えたのである。
そして、太宰は武装探偵社に勤め先の候補を絞り込んだ頃、ふらりと酒屋に足を向けた。入水自殺が失敗した記念にと見かけた酒場に足を進めた。カランと鳴る鐘の音が心地よい。だが、太宰はすぐに顔を顰めた。そこにいたのは赤胴色の髪に変な帽子の小柄な青年だ。
「…ア?」
「やぁ、蛞蝓。調子がいいみたいだね」
にやりと笑いながら皮肉を言ってやると中原はため息をつきながらお前の所為で皺寄せがとんでもない事になってるぜ、と文句で返される。そうなったのも幸いだ。中原に嫌がらせを出来てるのは最高だ。
「…芥川は俺が面倒を見る事になった。お前、彼奴にどんな教育してた。」
報告なのか、中原はそう太宰に言う。太宰はその言葉にああ、と答える。
「私はね、言葉みたいに一瞬で空気に溶ける印は弱いと思ったんだ。体に刻みこまれるそれは、その時の情景、感情を克明に伝えてくれる。だから、あれは私が残した彼の子への想いなんだ」
それに白い肌にすごく映えていて最高さ、と言う太宰に中原は席を立ち札を主人に渡す。どうやら答えはお気に召さなかったらしい。怒って行ってしまった。太宰は自分の感覚が一般人のそれとは異なる事を認識している。だが、求める彼の子も人とは違う。彼の子の世界を作ったのだ。迎え入れる準備をしないといけない。太宰はゆっくりと硝子の中の氷を噛み砕いた。
太宰が失踪したと聞いたのは任務を終えて、報告書を持ち、首領の部屋に行った時だ。やけに周辺が騒がしいと思って、ついで滅多に動かない首領から血の匂いがした。首領自らが拷問するのは、最重要の面子に何かあった時くらいだ。
「中原くん、仕事お疲れさま。…太宰くんが失踪した。さっきまで彼の部下だった芥川君に聞いていたのだけど…」
その様子では思った情報は得られなかったのだろう。
「そうですか。俺としても奴が此処を抜けるなんて、寝耳に水ですよ。」
前日、或いは最近話した時にはそんなおかしな素振りは無かったのだ。
「中原くんまでそう言うなら本当に失踪、或いは抜けたのだろうね。念の為、情報室で確認してくれるかい。その後は休んでくれて構わないよ」
「かしこまりました。」
最近、消毒処理については太宰より余程芥川と話していて情が無いわけではない中原はその足で芥川の元へ向かう。まだ、育ち切れていないひよこを置いていく親鳥なんて早々いないだろう。彼に宛行われた部屋は、太宰の執務室から向かいに位置する。ガチャリと解除しっ放しの部屋には芥川の姿はない。思い浮かぶ場所を思いつくままに歩き回り、訓練場に芥川はいた。襤褸襤褸になり乍らも只管練習する姿においおいと思ってしまう。ふと、中原の鼻に鉄臭い匂いがした。見れば芥川の足元に赤黒い水溜りが出来ていた。拙い、と思って動くのと、芥川の体が揺らぐのはほぼ同じであった。精神を崩壊させる寸前だと、中原は芥川を医務室に運び込んでぞっとする。中原は生憎、医者でもないので対処法などわからない、が。太宰ばかりを見るこの小さな子に別の意識を向けさせるしか分からなかったのである。
「君に来てもらったのはねぇ、中原くんの元に着いてもらうことになったことを伝えるつもりだったんだ」
「…は」
「いやね、君は今は直属の上司がいないんだ。だからしばらくは彼に一任することになったんだよ」
だから頑張ってくれ給えよ、と笑いながら上質の肉をナイフで切っては口に運ぶ首領に芥川は失礼しますと、部屋を出たのである。それからは怒涛の日々であった。太宰の様に体罰じみた折檻はないが、体術による訓練は熾烈であった。1日の大半が訓練と、任務で流れていく。次第に芥川は太宰の失踪について考える事は少なくなっていった。
「最近、芥川くんの様子はどうだね?」
積荷の監視の任務を終えて、報告書を提出しに行った執務室で中原は首領に開口一番そう問われた。仕事と訓練漬けにしてから、芥川の異能も少しずつではあるが安定している様に思える。最近は冗談も言える様になった。
「少し、ずつではありますが戦闘での戦績も上がってきていますし、無茶に突っ込む事は少なくなっていますよ」
「ふふ、そうかい。やはり君に任せて正解だったようだね。まだしばらく頼むよ」
「かしこまりました」
部屋を出て懐中時計を取り出す。六を指し示している指針に中原は酒場へと足を進めた。最近、任務の帰りに見つけた酒場で一度芥川と入った店であった。最も芥川は酒は苦手らしいので酒のない果汁を飲ませていたが。中原は一人で考える時など時々酒場へ向かう。しかし、今日は何か引っかかる予感がした。
「…ア?」
真っ黒な外登ではないが、太宰がそこにいた。太宰が失踪したとはいえ、どこぞで暮らすのには暫しの時間、潜んでいる時間が必要であろうというのは想像がついた。恐らくはまだ表立っている事はないのだろう。一つ席を空けて太宰は腰掛けて様子を伺う言葉を並べてくる。お前のせいで仕事は倍増だと文句を言えば彼は嬉しそうにそれは良いね、と言うのだからたまったものではない。そして、芥川は中原が見ると告げると太宰の目つきがきつくなった。
「どうしてあんな教育を」
「私をずっと求めるためにさ」
そう何でもない事の様に言う太宰に中原は怒りを覚えた。そのために折檻も(八割型はそうだろう。残りは部下として教育をしていたのだろうが)行っていたというのか。どんな事をしても守ってやらねばならないと思った、瞬間だった。気づけば怒りに任せて店を出てきてしまい、中原は自室で自棄酒に走ってしまい、翌日訓練の時間に訪れない事を不審に思った芥川に介抱される事になった。
「最近は、酔っ払いの面倒も上手くなったな」
「ええ、頻繁に倒れる方がいるので」
「はは、そりゃそうだ。…芥川も結構戦績を上げてきたな。体術はちぃとばかし時間がかかるが…」
頭の片隅に浮かんでいたことが中原にはあった。首領直属の部隊に抜けた役目があった。そこには太宰がいた。
「お前を、首領直轄の遊撃部隊に推薦するつもりだ。」
大きく見開いた瞳が吃驚したのか、そんなにまだ力はありませぬがと言う芥川に、お前の力でこれからはやってみろと、言えばこくりと頷いた。その芥川に中原はこれからは対等だなと髪を撫でたのであった。
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