黄黒斜め上系両片思い恋人ごっこ無自覚×自覚済み

黄瀬「オレは黒子っちとふつうに買い物行ったりカラオケ行ったりしたいんスよ。
   けど、黒子っちが友達をやめるなんていうから
   キスもエッチもしたのに黒子っちは落ち込むし、おかしくない?」
火神「お前の頭がおかしいのは分かった」


アリアドネの糸は途切れた
サンプル





「なんだっけ、パーソナルスペース?」
「黄瀬君はそれ、広そうです」
「あ、やっぱ分かる? ベタベタされんの好きじゃないんスよ」
 だから、甘えたがりの彼女とうまくいかないのは分かりきっていた。なかなかかわいい顔をしているので黄瀬以外ならどんなわがままだって聞いてもらえるだろう。黄瀬はその気がない。夜中に電話してきたら着信拒否するだろうぐらいな相手だ。顔がかわいくたって非常識な相手は好きじゃない。外見に気を遣わない女の子は素材を殺しているようで見ていて残念な気持ちになるが頭の中が空っぽで喚きたてれば勝つと思ってる相手よりはいい。
 彼女が黄瀬の休日を把握しようとしだす行動が気持ち悪く感じてしまう。恋人に対してだって黄瀬は一定の距離を求めていた。だから喧嘩になったのかと改めて気づかされる。初恋の姉の友人は会っていないからこそ思いは風化したが同時に距離があったからこそ今でもまだ心に残っているのだ。
 思い返して身悶えすることもない甘くも酸っぱくも苦くもない恋。それでも今の彼女に対するものよりも愛情は溢れている。美化してしまっているのかもしれない。姉の友人なのだから一筋縄でいかないに決まってる。そんな相手ともし付き合ったとしても今回と同じになるだろう。
 黒子と話していると物事の知らなかった側面に触れることが多い。
(黒子っちからの電話なら二十四時間いつでもOK。ってか、夜中に電話かけてくるなんて相当っスよね。心配だから何もなくても黒子っちの家まで様子を見に行きたい)
 そんなことを思っていたら、黒子が暗い顔をしているような気がして気になった。何か悩んでいるんだろうか。
「黒子っち、なんか心配事とかある?」
「そう、見えます?」
 黒子は多分、弱音を吐かない。
 いろいろと考えて抱え込んで身体を小さくしていても愚痴なんか言わないし、泣き言を漏らさない。むしろ人の言葉を聞く側だ。
 損な役回りだと思うが黒子が人の悪口を誰かに吹聴するというのは考えられない。何かあったとしてもまず中立でいようとする気がした。
 あるいは弱いほうの味方に立つのかもしれない。
 子供に物事を言い聞かせるそんな姿が似合っている。黒子が動物相手に普通に話しかけているところを見てしまったことがある。
 それに対して引いた気持ではなく「黒子っちらしい」なんて思う。黒子の中できっと強い人間は放置されて守らないとならないと折れてしまう相手を支えるのだろう。
 自分の優先順位が時折、下に感じてしまうのは信頼されているからだ。
 きっと黒子と恋愛する相手は気持ちを先回りされる心地よさを覚えながら価値観の合わなさをその時々で突きつけられて驚くことになるはずだ。黄瀬もよく驚かされている。
 そしてそれはイヤじゃない。黒子が見ている世界の形を黄瀬も気に入っている。
「言いたくなったらオレはいつでも聞くから言って」
 相談相手として黒子が自分を選んでくれるかは微妙なところがあると黄瀬は思った。
 同じ学校じゃない。バスケでいえば敵同士。
(今なら、まずは火神っちに話そう)
 浮かんだ存在にもやもやとした気持ちになる。火神のことは嫌いじゃない。それなのに黒子のそばに居続けるという特別待遇を見ているとストレスが溜まる。
 すごく小さなこと、たとえばシャーペンについている消しゴムを無断で使われたり、風呂上がりに飲もうと思っていた牛乳が半分に減っていたり、半分に折るプリントが数ミリずれていたりと、大問題ではないが少し気になってしまう。プリンを食べようともって力を籠めたら蓋が中途半端に裂けて本体に残った気分。
 どうにも上手くいっていない砂を食むような感覚。
(どうして火神っちに?)
 繰り返すが火神のことは嫌いじゃない。それなのに感情が火神に対して敵意を向けようとする。縄張りに知らない存在が入ってきて警戒する動物のようだ。自分の感情を持て余しながら黄瀬は黒子に囁きかける。
「オレは黒子っちの味方っスよ」
 これは本当。これが本心。信じてもらえないかもしれないが黄瀬は黒子に対して誠実でありたいと思っている。友情を持続させるコツは嘘をつかないことだ。
 正直者としか結べない絆がある。
 黒子は堅物だからちょうどいい。
 黄瀬を裏切らない。
 彼女とは別れることになるかもしれないが友情は永遠だ。
 それはとても素晴らしい。
 自分の考えが間違っていないことを黄瀬は確信していた。
「コートの上では敵っスけど……コートの上だけっスよ」
 いまはプライベートだとアピールする黄瀬に黒子は「ボクの敵は常にキミな気がします」とぼそりと言われた。
 何か黒子にしてしまったことがあるだろうか。
 まったく記憶にない。
「でも、たしかに世界を敵に回しても、キミはボクの味方でいてくれそうな気がします」
 微笑んでくれた黒子に黄瀬も嬉しくて笑い返す。
「友達っスから」
 魔法の言葉のような気がして口にする。
 ベタベタと甘ったるく粘着質かもしれない。
 男らしくなかったかと黒子をうかがうと少し微妙な顔をしていた。
「やっぱり、キミはボクの敵ですよ」
 酷い人だと黒子は小さく黄瀬を批難する。理由はいくら聞いても教えてくれなかった。分からないことを直すことはできない。
 そんなことを思いながら黄瀬は心にできたしこりを見ない振りしてやり過ごす。
 まともに向き合ったら流血沙汰になりそうな気配がした。
 見えなくても心は血を流すのだ。
 ヒリヒリする痛みを黄瀬は知っている。
 泣き出したくなる、叫びたくなる、感情の濁流。
(中学の時に、黒子っちに会えなくなって……オレが泣いたって言ったら、信じる?)
 悲しくて心細かった。
 どうすればよかったのかと自問した。
 何が悪かったのかと考えた。
(わかんない。いまも、分かるけど分かんない)
 違う、そうじゃない。
 中学三年生のときにあるいは中学の時にずっと黒子が夢見ていたものは高校の今、誠凛で手に入れている。
 黒子は夢を叶えている。
 それを祝福できない黄瀬は黒子の敵かもしれない。
(なんで、オレの隣じゃないんだろう)
 ずるいとか酷いとかそんな言葉を吐き出したくなる胸の空白。風はやんでいるのに不満はときおり暴れだす。
 自分の心に気づいてと知らない自分が告げてくる。
 それは過去の自分かもしれない。

『キミは入り口で糸を持って待っているタイプか、それとも糸を命綱に迷宮に挑むタイプ、どちらでしょう?』

 どの立ち位置を望まれているんだろう。
 黒子は迷宮を探索したいのか、それとも安全地帯で待っていたいのか。
(迷宮の奥に敵がいるならオレが行くけど――)
 迷宮の中に入ること自体に意味があるなら出来たら二人で行きたいと思った。宝箱を一人であけるより二人であけるほうが楽しい。それを教えてくれたのは黒子だ。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

「相談の甲斐なく別れちゃったけど、黒子っちはそんなの気にしないでいいし」
 後から黒子が知ったら気にしてしまうかもしれないので黄瀬は笑って言った。本当にどうでもいいことだったので深い考えもなく事実をただ告げた。
「気にします。だから、キミとはもう会いません」
 思わずぎょっとしたが黒子の性格を考えれば気に病んでしまうのは分かっていた。黄瀬がつらい気持ちになっていると感じてくれているのだろう。だが、それは勘違いだ。
「別に彼女いなくても黒子っちいればいいっスよ。オレは元気元気」
 恋愛など面倒だし、黒子が気にすることなど何もない。
「ボクはよくないです」
「オレのこと嫌い?」
「好きですよ」
 いつもなら「そういうことじゃないです」なんて言われそうなところをさらっと肯定されて黄瀬は肩の力が抜けた。
 不安になったのが馬鹿みたいだ。
「なんだ、今まで通りでいいじゃないっスか〜」
 黒子に嫌われるなんてことは想像したくもない。
 いい関係を築けていると思ってた。それが自分だけのものだとなったらつらくなってしまう。友情は見返りを求めずに相手に何かをしたいと思う気持ち。一方的じゃなくお互いがお互いにそう思えることが大切だ。
「黄瀬君のこと嫌いになりそうです」
「なんで!?」
 黒子に嫌われることなど何一つとしてしていないはずだ。
 知らないところでいつの間にか黒子を深く傷つけてしまったんだろうか。そうでもなければ急にこんなこと、言われるわけがない。
 イラッとしますとか不機嫌そうだったり冷たかったりするクールでドライな切り返しとは逆に黒子は面倒見がいい。
 黄瀬が何かに戸惑ったり焦ったりしている時に「ゆっくりでいいです。待ってますから」と横にいてくれる。
 ものすごく小さいことで言えば靴の紐が解けたとき。
 みんな気付かずに歩いて行ってしまってそれが無性に悲しくなったとき、離れた場所にいたはずの黒子が隣で「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。それだけで最後尾を歩くことになったり集団からはぐれて迷子になっても平気だった。
 練習試合で訪れた知らない場所ではぐれて一人になったらな心細かったかもしれないが黒子が隣にいるだけで全く何も気にならない。焦る黄瀬に反して黒子がどっしりと構えていてくれるからかもしれない。黒子がいれば何とかなる気がしてくる。
「急にどうしたんスか? オレ、なんかした?」
 心当たりがないので謝罪は口から出てこない。
 すこし黒子のことを責めるような口調になったかもしれない。
「黄瀬君はボクにキスできますか?」
 話の方向性が見えない。
 そう思ったが黄瀬は首を傾げつつ考えた。
「うーん、黒子っちなら多分できるかな……男らしいわけじゃないし」
 もちろん、女らしくもないがバスケ部でよく見るごつくて男らしい彼らにキスをするよりも出来そうな気がする。
「イラッとします。キスしてみてください。黄瀬君のこと嫌いになったら今まで通りにします」
「今までオレのこと嫌いだったの!? どういうこと?」
「いいから早くキスしてください。出来ないなら友達やめます」
 それは黄瀬の心を凍り付かせるキーワードだった。
 友達をやめる、それはあってはならないことだ。
「オレはずっと黒子っちと友達でいたいっスよ!」
 主張する黄瀬に黒子が奥歯を噛みしめるような苦々しい顔をした。ふと、黄瀬は気づいた。これは何かの罰ゲームなのではないだろうか。誰から指令を受けたのか知らないが黄瀬とキスをしないと罰ゲームが終わらないのだろう。
 だからこんなに必死になってる。
(そうでもなければ急にオレと友達じゃなくなるとか嫌いとか言わないっスよね)
 黒子の行動のわけが見えて黄瀬はショックから立ち直る。
 嫌いだなんて言われて悲しくないはずがない。
(嫌いになりそうだから――嫌いじゃないっスよね)
 言い回しが絶妙だとからくりが分かった黄瀬は思う。
(黒子っちに嫌われたくないからオレがほいほい言うこと聞くと思ってる……まあ、そうっスよ)
 黒子の頬に片手を添える。
 逃げ出しそうに重心を後ろにずらそうとする黒子に「したいんでしょ? 動かないで」と囁くと身体を硬直させた。
 混乱したような顔をした黒子は覚悟を決めたように目をぎゅっと閉じた。
 テーブルを飛び越えるようにしてキスをするなんてどこの甘ったるい恋人同士なのかと笑えた。人差し指と中指の二本の指で黒子のすぼまった唇にちょこんっと触れる。
 冗談でファーストキスの相手が男になるのはかわいそうだ。それとも、黒子は初めてじゃないのだろうか。
(気になる……。黒子っち、好きな人いるんスかね)
 見ていると緊張が解けたのか顔に力がはいっていない。
 先ほどまでの梅干しを食べたような不自然な唇ではないせいで黄瀬は自分でも不思議なぐらいに体が動いた。
 重なり合う唇に違うと言い訳がしたくなる。
 指で触れて、それでキスしたよと話を終わらせるつもりだったのだ。それなのに黄瀬は黒子にキスしてしまった。
 思いのほか黒子の唇はやわらかくいい匂いがしたものだから思わずキスが深くなりかけた。
 慌てて離れて謝ろうと口を開きかけた黄瀬の前で黒子はテーブルに頭を激突させた。痛そうな音がしたが周囲は特に気づかれてはいない。食事をするときはどんな場所でも人から見えにくい場所を選んでいる。それはパーソナルスペースの話が近いのかもしれない。
 物を食べている無防備な姿を誰彼かまわず晒したくない。
 自分のテリトリーでゆっくりと食事をとりたい。
 黒子の食べるペースは落ち着いているので特にそう思うかもしれない。周りとは違うリズムで生きてはいるがあまりにも差を感じてしまうと居心地が悪くなるだろう。
(黒子っちと一緒だとご飯を噛みしめられていいよね)
 そんなことを思いながら黄瀬は黒子の後頭部を撫でていた。男とキスをした事実に打ちひしがれているのかもしれないが犬にかまれたと思って忘れてほしい。
「……ボク、最低です」
「大丈夫っスよ! よくある、よくある」
「よくあるんですか?」
 顔を上げた黒子のおでこは赤くなっていた。
「いや、ないっスよ」
「なんで、ウソ言った」
「ごめん。……でも、女の子ならよくあるんじゃないっスか? よく知らないけど。親愛の表現なら海外なんてキスしまくりでしょ。あ、火神っち……」
 帰国子女だったと思い出して黄瀬は火神を思い浮かべてある事実に気付く。
(黒子っち、火神っちとキスしたことあんの?)
 今まで考えもしなかったことだがありえない話じゃない。
「黒子っち、キスしたの……今が初めて?」
 毎日学校で会っているのだから火神と毎日していたっておかしくない。そう思うと胸焼けするような気分の悪さがあった。水を飲みこむと食堂が焼けるようにヒリヒリと痛む。強いストレスに晒されたときに起こる変化。
(火神っちとの間接キスがそんなにイヤだった?)
 反射的に自分の唇に手を持っていくがぬぐったりしたい衝動にかられたのは黒子の唇だ。
 使い捨てのおしぼりで黒子の唇を除菌したい。傷んでしまうからおしぼりでふいた後は持ち歩いているリップクリームをつけてあげよう。黒子は嫌がるかもしれないので自分の唇につけて分けるようにして塗るのも手かもしれない。
 そこまで考えて火神との間接キスを自分が気にしているわけではないことに気づく。ひどく気持ちが悪くて嫌な気分になったのは何が原因だろう。火神じゃなければどうしてこんなにも不快なのか気になった。
「……はじめてです。キミが違うのは知ってますから言わないでいいです」
「オレも初めてっスよ? 男としたことなんかないもん」
 男としては黒子が初めてだ。
 初めて同士だと主張することで黒子の気まずさや恥ずかしさが消えればいいと思ったが憂鬱そうな顔をされた。
「平気だったんですか?」
「黒子っちだからね」
 他だったら冗談だとしても吐くかもしれない。
 だが、これで友情は守られたのだ。
「――――キミと友達でいられそうにありません」
 そのはずなのに黒子はそんな酷いことをいう。
「どうしてっスか? キスしたじゃん」
「黄瀬君のこと嫌いになったら元通りだって言いました」
「オレのこと好き? よかった、何も問題ないじゃん」
 心臓が変に高鳴りだして黄瀬を落ち着かなくさせる。
 一番の親友を失うなんてそんなこと、あっていいはずがない。
「オレも黒子っちのこと好きっスよ!」
 ずっと友達でいようと続けると深い溜め息をつかれた。
 疲れたような顔をした黒子は悩みがあるに違いない。









「黒子っちはオレに何してもらいたい?」
 望むことをしたい。大切な人の役に立ちたい。
 黄瀬はただそう思っただけだ。
「本当に何でもしてくれるって言うんですか、キミは」
 どこか怒ったようなあるいは落ち込んでいるような黒子の態度に黄瀬は元気づけるようになんでも大丈夫だと告げる。
 心が弱ったり疲れがたまったりすることは誰にだってある。黒子も今日はそんな日なのかもしれない。カラオケで歌ってストレス発散、というタイプではなさそうな黒子なので、どうしたいのか黄瀬には予想できない。
「もし、ボクのこと抱けって言われて……キミはできます?」
 人恋さみしいのだろうか。そういうこともあるだろうと黄瀬は向かい合っていた席から黒子の隣に移動した。
 不審な顔で黄瀬を見上げる黒子を抱きしめる。
 自分の肩口に黒子の頭が来るように背中を少し曲げながら密着する。驚いている黒子の背中を撫でていると「何してんです」と言われたので「抱きしめてるっスよ」とそのまま言えば脱力された。
 満足してくれたのなら嬉しいと黄瀬は黒子を抱きしめる腕の力を少しだけ強める。
 そうしていると「泣きそうです」と珍しすぎる黒子の弱音が聞こえてきた。
(そういう日もあるよねーってのはちょっと、明るすぎっスか? 何も言わないほうがいいかな)
 そっとしておくというのも大切なことだと黒子を見ていると思う。黄瀬がへこんだり挫けそうなとき、黒子はいつも変わらない。わざわざ落ち込んでいる理由を聞いたりしない。ただ傍にいてくれる優しさというものもある。
(黒子っちの距離の取り方って絶妙……無自覚なんだろうけど)
 黒子が近くにいると何だってがんばれそうなそんな気がする。今までもこれからも変わらない。
「オレ、黒子っちのこと好きっスよ」
「…………息苦しいです」
「あ、ごめん。強かった?」
 慌てて黒子から手を放すと俯いたまま「キミの好きは友達の好きです」と言われた。当たり前なので頷けば首を横に振られた。
「ボクは違う。だから、無理です」
 友達でいるのは無理だと黒子は黄瀬に言う。
「無理って何? 友達ってそういうんじゃないでしょ」
 生理的に受け付けないと思われているなら友達にはなれないかもしれない。だけど、黒子の反応はそうじゃない。
「キス、しましたけど……それ以上のことをボクがキミに要求しても黄瀬君はボクを友達だと思うんですか?」
 それ以上というのが具体的に分らない。
 お金の貸し借りだろうか。
 確かにそれで友情は破壊されると聞くがどうなんだろう。
 一度壊れた信頼は戻ってこない。
(でも、オレは黒子っちがお金に困ってるって言ったら借金してでも助けたいと思うし、迷惑かかるからって距離を置こうとしても気にしないって着いてく……だって、黒子っちのこと好きだし)
 考え込む黄瀬に黒子は顔を上げて笑って見せた。強がっているのが見て取れるから笑顔はかえって痛々しい。
「いいんです。キミの気持ちはわかってます」
「わかってない! オレは大丈夫っスよ」
「何がですか、ばかっ」
 黒子のためならなんだってできる。
 それが友情というものだ。
 別にお金を貸して返ってこなくたって黒子が無事に過ごせているならそれでいい。見返りなんか求めないで相手のために何かをしたいと思う気持ち、それが黄瀬を突き動かしていた。この感情は誠実で綺麗なものだ。
「オレにできることなら言って。大丈夫っスよ」
 黒子を落ち込ませたり失望させたりなんかしない。
 元気を出してほしいと思う気持ちに嘘はない。
「……具体的に言わないとキミには伝わらないようですね」
 視線を一瞬だけそらして黒子は口を開いては閉じる。
 催促したりしないで黄瀬は静かに待っていた。
 勇気がいることなのかもしれない。
 なんだってそうだ。
 誰かに何かを頼むのは自分がしたくないことであればあるだけ言いにくくなる。
 逆に自分ができることなら人に簡単に頼んでしまう。
 相手と自分は違っても自分以外の基準がない。
 そう、だから黒子にとっては口にするのが難しいことだって黄瀬にとっては何てことなかったりする。

「キミはボクとセックスできますか?」

 緊張から気分を悪くしているような黒子を励ますように黄瀬は軽い調子で答えた。
「どうだろ? でも、オレ……黒子っちになら勃つんじゃない?」
 本音ではあったが黒子の気分を軽くしてもらうために冗談のように返事した。
 重々しく受け止めて地雷を踏むわけにいかない。
「黒子っちはオスって感じしないっスもん」
「……バカにしてんですか」
「違うって、他の男で勃たないけど黒子っちになら勃つからできるかできないかでいえば出来るよ」
 証明してほしいならしてあげると言えば黒子は「バカにしないでください」言い捨てて店から出て行ってしまった。
 どう反応するのが正しかったのか黄瀬には理解できない。
「次にいつ遊べるかメールしよ」
 気を取り直して黄瀬は黒子にメールを送った。
 すると返信はすぐに来た。
 黒子にしたら珍しいと思ったが内容は黄瀬のメールに対する返信ではなく一方的な最後通告だった。
 黄瀬からのメールを見る前にメールを書いて送ってくれたのだろう。
『友達やめます』
 何かの間違いだと黄瀬は黒子にメールを送り続けた。
 返信は一切ない。









「……黒子っち」
 寝ている黒子の目元は赤く腫れているように見えた。寝ながら本を読んでいたのか枕元に置かれている文庫本を手に取る。作者の名前はどこかで見たことがある。先日の音楽の授業の時だと思い出して首を傾げた。
 読もうにも漢字がいっぱいでページは先に進まない。
(おかしくない? 外人が書いてんでしょ? なんでこんなに漢字が多くて小難しい表現になるんスか……)
 頭に入ってこない話に唸っていたら黒子が寝返りを打った。起きても不思議ではない時間なので声をかけると「もう少し寝ます」と返された。ハッキリとした口調だったので案外起きてるんじゃないのかと黄瀬は黒子の顔を覗き込んで頬を指で突っつく。想像通りにやわらかくまろやかな曲線はいとおしい。悪戯心に火がついてぷにぷにとした感触を黄瀬は味わい続けた。黒子の眉間にしわが寄る。
 さすがに起きてしまうかと思ったが起こしたくもあったので黄瀬はツンツンと突くのからぐりぐりと指で押して黒子をへんな顔にして遊ぶ。
「……んっ、……う、んんっ」
 間違って頬を押していた指先が黒子の口の中に入ってしまう。そのつもりはなかったので指を引こうとしたがパクリと口の中に入ってしまった。
「く、くろこっち?」
 目が覚めていて逆に悪戯を仕掛けているのかとも思ったがちゅうちゅうと黄瀬の指に吸い付いている黒子は寝ている。
 両手で黄瀬の手が離れていかないように押さえつけて夢中になって吸ってくる。
 ぞわっと背筋を這い上がってくるものを感じて黄瀬はまずいと思った。具体的なまずい理由もわからず手を引く。指先についた唾液を気持ち悪いと思えなかった。
 やましいことをしてしまった後ろ暗さに黄瀬は慌てて手を拭いた。それで自分がしたことがなくなったことにした。
「……ばにら、しぇいく」
 何か探すように手を動かす黒子。
 半開きの口から見える赤い舌先が先ほどまで自分の指と触れ合っていたのだと思うと顔に血が集まってくる。
 今まで付き合ってきた誰に対しても初恋だと思った姉の友人にすら覚えたことのない渇望。
 欲望に任せて黄瀬は黒子の唇に自分から触れた。
 迷子の舌を絡めとってこすり合わせる。
 歯列を確認しながら歯茎をノックしていく。
 鼻にかかった声を出す黒子に気を良くして角度を変えてさらにねっとりとしたキスを仕掛けようとして我に返った。
 誰かに服を引っ張られた。誰かも何もない。ここには黄瀬と黒子しかいないのだから相手は決まっている。
 顔を離すと目が覚めたらしい黒子と見つめ合うことになった。久しぶりの再開がこんな形なのは気まずい。
「おはよ。…………黒子っち、もうちょっと寝てると思ったけどやっぱ王子様のキスは一発っスね」
 無言のまま黒子は掛け布団を頭まで被った。
 嫌がられているのか顔も見たくないという拒絶なのかそれとも照れているんだろうか。
 怒ったりするかと思ったがそんな感じはしない。
 驚いてはいるようだがそれだけに見える。
 黄瀬は布団を叩きながら黒子の名前を呼ぶ。
「どうして……いるんですか」
「来たからっスね」
 黒子が聞きたい言葉じゃないことだと分かってても黄瀬はただ真っ直ぐに答えた。
「なんで……いるんですか」
 キスをした理由じゃなくここにいる理由をたずねられた。
 そんなのひとつしかない。
「友達じゃないなんて、友達をやめるなんて言わないで欲しいっスよ。オレ、やだよ」
「そんなこと言ったって……だって、ボク、好きになっちゃったんです」
「もう、黒子っち急にのろけないでよ。真面目な話っスよ」
「真面目な話です。真剣に言ってます」
「あ、いや……違うよ? 黒子っちがオレを好きなのはもちろん嬉しいっスよ。それをバカにしてるとかじゃなくって…………友達をやめるとかそういうの冗談でも傷つくってか、オレからのメール無視するのやめてよ」
 言ってから黒子からメールが届かないことなどよくあると思い直して「タイミング悪かっただけっスか?」と今まで誠凛に行って会えなかったことを思い出す。
「ボクはキミのこと避けてました」
「なんでっスか? そんなことしないでよ」
「合わせる顔がないです」
 聞こえた黒子の声に黄瀬は掛け布団をはぎ取った。
「あるよ、黒子っち、ちゃんと顔あるっスよ」
 体ごと顔を横にしようとする黒子を黄瀬はのしかかって妨害する。
「オレ、さっきキスしたよ」
 確かめるようにもう一度唇に触れようとしたら「やめてください」と言われた。
「のっぺらぼうになったとかいうわけじゃないです」
 それは黄瀬だって分かってる。
「オレ、黒子っちのこと大好きっスよ」
 黒子が落ち込んでいるのは責任感や黄瀬への罪悪感からなのだと感じ取った。黄瀬に顔向けできないというのは黄瀬に悪いことをしたと思っているからだ。そんなことは全然ない。黒子が隠している事実がどんなものであれ黄瀬は黒子のことを嫌いになったりなんかしない。友達をやめたりなんかしない。
「だから、元気出して」
「キミがそんなんだから、ボクが勘違いして調子に乗るんじゃないですか。やめてください」
「オレは嘘も何も言ってない。黒子っちのこと好きっスよ」
 それはたとえば許しの言葉。怖がらないで大丈夫。悲しまなくてもいい。優しく甘い励ましの言葉。黒子にもちゃんと伝わったはずだ。泣きそうに揺れた瞳が黄瀬を見た。
「黄瀬君のバカ。そういうことじゃないです。……前に言ったじゃないですか、キミはボクとセックスできるって言うんですか?」
「ちゃんと答えたじゃん。それで怒ってたんスか? オレは黒子っち相手なら出来るよ」
 かもしれない、じゃない。確実に大丈夫だと今なら言える。寝ぼけた黒子に指をしゃぶられて黄瀬の下半身は反応しかけた。あのまま指をいじられ続けたらまずかっただろう。
「そんなこと言われてボクが喜ぶとでも思ってるんですか?」
 バカにしないで下さいと言いながら睨み付けてくる黒子に黄瀬はキスをした。避けられなかったことに安心した。黒子に触れるのはイヤじゃない、平気だ。
「大丈夫っスよ」
 他の男相手なら鳥肌が立つだろうが思った通り黒子は問題なかった。
 むしろドキドキしていて嬉しい。
 期待している。
 これからの展開に黄瀬は胸を高鳴らせている。
「いいんですか?」
「黒子っち、不安なら目をつぶってていいよ」
 パジャマのボタンを外しながら言えば「たしかに……心の準備ができてません、けど」顔を手で隠しながら黒子は指の隙間から黄瀬を見た。
「オレの本気を見たいんでしょ?」
 ちゃんと証明しようと思う。そうすれば黒子の気も晴れるはずだ。
「黒子っちのこと、好きだから平気っスよ」
「――――キミは男性に興味ないですよね?」
 本当にいいのかとたずねるような黒子に黄瀬は大丈夫だと繰り返す。
 男同士は確かに気持ちが悪いが黒子になら勃つだろうし、勃てばセックスはできる。それで黒子の気が済むなら黄瀬としては何も問題にならない。
(オレは黒子っちとずっと友達でいたいっスよ)
 相反したことをしている自覚は残念ながら黄瀬にはなかった。今からすることは黄瀬の中で恋人と愛を確かめ合うための身体の繋がりじゃない。
 友人から求められた手助けというのが黄瀬の考えだ。
 どれだけ魅力的に見えたって普通は友達に欲情したりしない。
(それも時と場合によるんスかね)
 性格や相手への意識の違いかもしれない。
 男女の友情が成立するのは相手を男とか女として考える前に人として好きだったりするからだ。
 男が女友達を男友達と同じように接しているならそれは相手に女を見ていないだけで友達以前の問題だ。
 女友達の女性らしさに欲情した場合、それはつまり友情の崩壊と相手への不理解の露見だ。
 女友達の女らしい魅力を認めた上で線引きをすることができていなかったのだ。
 異性の魅力に壊れる友情というのは友人ではなく、ただの一人の女性でしかない。
 親しき中にも礼儀あり。相手の魅力を認めてもその魅力の前に倒れたのなら友人という対等な関係を築けない。
 だからこその友情の崩壊なのかもしれない。
 友達への接し方も男と女で変える、それは差別ではなく区別だ。相手のことを考えて切り替える。黄瀬をモデルとしてあるいはバスケ選手として応援してくれるファンとの距離感でも同じことが言える。
 親しくなって近くなっても勘違いしてはいけない。
 友人は友人だ。
 ファンはファンだ。
(そして、黒子っちは黒子っち)
 男と女を区別して付き合っていくように黄瀬は自分の中で黒子とそれ以外を分けていた。
 黒子テツヤは黄瀬の中で異質なのだ。
 どの属性にも当てはまらない、言うなれば無色透明。
 どこに所属させても違和感はないし、誰と一緒にいてもおかしくない。
 黒子ならどこへだって一緒に行ける。
(だから、黒子っちならいいっスよ)
 パジャマを肌蹴させただけなのにもう逃げ出したいと言い出しそうな黒子に笑う。こんな顔、初めて見た。頬を赤らめて何かを言いたそうな戸惑いの表情で期待するように怖がるように黄瀬を見る。
「あの……このまま、するんですか?」
「やっぱやめたはなしっスからね」
「いえ、あの……シャワー浴びたほうがいいんじゃないですか? ボク、寝汗をかいてるんじゃ」
「んー? そんなことないっスね」
 ぺろっと黒子のわき近くを舐める。
 身体をはねさせるような黒子に黄瀬は進めすぎてしまったかと反省したが反省など必要なかった。
「……ボク、変じゃないですか?」
 胸に触れている指先から黒子が緊張しているのが伝わってくる。心臓はこんなにも早く動くものなのかと思うと黄瀬もなんだか同じような鼓動の刻み方になる。
 期待と不安が混ぜこぜな黒子を安心させるように「力抜いて」と告げた。
 余裕があるように取り繕うのは少し上手くなったはずだ。
 考えがそのまま口から出たり、感情を表に出しすぎたりしない。黄瀬だって大人になった。
(オレがちゃんと黒子っちをリードする)
 黒子を導くなんていうのは殆どない経験だ。
 二人の間柄はいつまで経っても教育係と新人なのかもしれない。一人前になったと自分でも思っていたのに知らないこと見過ごしてしまうことを黒子に教えられることがある。言葉ではなく、行動で。
 黒子の精神性、黒子の気持ちは行動にこそ表れている。
(……黒子っちが、オレを好きってホントなんだ)
 黄瀬が触れるたびにビクっと黒子は身体をこわばらせる。
 それでも、手を振り払うこともなく身体を撫でられるままにさせてくれている。愛撫というよりも触診。黒子がどう感じるのかを確かめるために触れていく。
 緊張のためか黒子の感度は鋭く尖っている。
 ただそれがいいとも限らない。
 敏感であるせいで触れられるのを嫌がるような素振りを見せた。
「黒子っち、ここ……触られるのイヤ?」
 ももの付け根を撫でながら黄瀬は尋ねる。
 パジャマのズボンは完全に脱がせた。
 下着だけは黒子が悩んでいるようなのでそのままにしておく。焦らそうと思っているわけじゃない。相手が望まないことをしても失敗するという経験則だ。
「い、や……じゃ、ないです」
 でも、よくわからないと小さく付け足された。
 身体を固くされている黒子に黄瀬は優しくキスをする。
 こういった接触に慣れていないからこその緊張なら時間をかけるしかない。最悪、今日だけじゃなく何日か続けたっていい。
(――オレはちょっと、我慢っスね)
 わずかに感じたような声を黒子が出すたびに黄瀬は下半身に血が集まっていくのを感じていた。まだ全然耐えられて余裕があると思っていたのに頬を染めて見つめてくる黒子に思わず前屈みになって股間を隠す。
 全力疾走して顔を真っ赤にして息を吐き出している最中のような黒子の表情。
 中学の時に練習中に何度も見た顔。
 それに欲情するなんてどうかしている。
「きせくん……いたい、です」
 盛り上がる股間の質量から気をそらすために黄瀬は黒子の乳首に対して過剰な愛撫を加えていた。性感帯として開発をされているわけでもない場所が気持ちいいはずもない。いじったせいで尖ったものの黒子は乳首が痛いと触れられるのを嫌がってきた。
 男がどこを感じるかといえば男性器。
 ただ、そこへの刺激は最後だ。
 まずはいろいろと触れて黒子の感度を見る。
 触れられたら弱い場所というのが誰にでもある。
 首筋やわきの下、わき腹だって性感帯だ。手足の指の間、耳の裏側、指で唇で触れていく。全身を熱くしているような黒子に黄瀬はゆっくりと次のステップに進んでいく。










「黄瀬君から何か聞きました?」
 ぎこちない火神の態度に黒子は切り出した。
 遅かれ早かれ知られることだ。黄瀬は火神を自分の友人だと思っている。火神からはキセキの世代という括りでまとめられていたとしても黄瀬は自分が認めた相手として火神を見ている以上、心を開いて気安く自分の話をしているはずだ。それを止めるのは黄瀬の交友関係に口を出すことに繋がるので黒子の気は進まない。
「――――……あ、あー、聞いてるっちゃ聞いてるんだが」
 困ったような火神の態度に黄瀬が何と言って説明あるいは愚痴を吐いたのか気になった。
「あのよ、黄瀬は黒子のこと好きだよな?」
 火神から見てもそう見えるらしい。
 嬉しくて同時に憎らしくもある事実を黒子は頷くことで肯定する。
「好かれていると思います。一番の親友らしいです」
 自分はそんな風に思っていないと言外に告げるような黒子の心情を火神はどう感じたのか言葉を迷った顔をする。
「いいですよ。分かってるんです。……いわゆる、ボクの片思いってやつです」
「なんか、なんつーか」
 頭をかきむしった火神は息を大きく吐き出した後、一番初めに浮かんだ疑問らしいことを聞いてきた。
「黄瀬のどこが好きなんだ?」
 それは自分でも自分自身に問いかけることがある疑問だ。
「火神君はチーズバーガーがなんで好きなんですか?」
「あぁ?」
「うまく答えられますか?」
「好きなものは好きだって言うのか? それでも、なんか」
 別に黄瀬じゃなくてもいいだろと口の中で声に出さずにごにょごにょと言葉を押し殺している火神。
 たぶんこれが常識的な反応なのだ。
「どこが好きなんて言おうと思えばいくらだって言えますよ? キミはそんな馬鹿げた話を聞きたいんですか?」
 そう、これは馬鹿げている話だ。
 けれど、その馬鹿さ加減を黒子は愛しく思ってしまった。
 黄瀬の良いところも悪いところも黒子はレポートにまとめて提出できるぐらいに知っている。
「ボク、特別黄瀬君のこと好きでも嫌いでもないんです」
「過去形じゃなくて……か?」
 わざとした黒子の言い回しに気付いた火神は集中しているからこそかもしれない。
 いつもなら日本語のちょっとしたニュアンスなんて気づかないでいるのに今日は研ぎ澄まされている。黒子が何気なく惚気ていることも今の火神になら察知されてしまうだろう。気を付けないといけない。鈍いと思って黒子は自分の気持ちを率直に火神に漏らしていた。それは黄瀬に筒抜けかもしれない。今更のことだ。黄瀬がちゃんと黒子の気持ちを受け止めてくれるならそのほうがいいに決まってる。
「ホワイトデーのこと覚えてますか? つい先日の話です」
 重大な打ち明け話でも来ると思っていたのか火神は若干肩透かしをくらった表情をした。
「覚えてねえな」
 思い出そうとする仕草も見せずに火神は即答した。
「火神君、あの日はみんなと一緒にカントクにバレンタインデーのお返しを買いに行ったじゃないですか」
「あ、あぁ……そういやそうだったな。……そっか、あ、黄瀬が誠凛に来てたな。なぜか太って」
 そう、黄瀬は太っていた。大きくなっていた。五十キロぐらいは増量して縦に長いどころか横幅も出ていた。モデルとして失格としか言えない姿だ。顔も肥大化していて美形なんて見る影もないほどの姿をさらしていた。
 それなのに女性に囲まれてちやほやされている黄瀬は異様だった。
 黄瀬の何がそんなに良いのかと誠凛バスケ部一同が舌打ちしたものだ。
「ボク、バレンタインデーに黄瀬君に会ったんです」
「はぁ、それで? ……あ、そっか、ホワイトデーって、あいつ黒子にお返しを持ってきたんだっけ?」
「バレンタインデーで女性からチョコをいっぱいもらっている黄瀬君の姿にボクはいつになく苛立ちを覚えました。『黒子っちの友チョコ欲しい〜』とか言ってたくせにって、なんか……まあ、今にして思うと嫉妬なんですけど、つい言ってしまったんです」
 カッとなるというのは誰でもあることだ。黒子だって人間だからときどき感情が暴走したりする。それはそんなに責められることじゃないはずだ。許してもらいたい。


『誕生日の時に何でもするって言ってくれましたよね?』
『うん、黒子っちは何もいらないって言ったからせめて何かするっスよって……結局、何もしなかったけど』
『黄瀬君にして欲しいことできました』
『なに? なに? 黒子っちのためならなんでも頑張るっスよ!! 言ってみてよ』
 ニコニコと笑いながらオーバーなリアクションをとろうとしたのか手提げいっぱいに入っていたチョコレートが地面に落ちる。
 デパートで一粒千円で売っているチョコレート。
 高級感ある箱の角が落ちたことで潰れる。
 黄瀬は落としたことにも気づかずに黒子の言葉を待っていた。
 なんだか泣き叫びたい気持ちになるのは実るはずのない気持ちを自覚したからだ。黄瀬が悪いとか悪くないとかそんなことはどうでもよくて黒子はただ自分の感情を当たり散らすために『お願い事』を口にした。
『そのもらったチョコ全部食べて太ってください』
 何を言っているのか分からないとぽかんとしている黄瀬に黒子は告げる。黄瀬のために買ったバニラ味をうたったコンビニのチョコレートが惨めなものに感じながら――。


「黄瀬君が太るまで会いません、ボクはそう言ったんです」
 目を丸くしている火神はあの時の黄瀬と同じ顔だ。
 こんなこと言われても困るに決まってる。黄瀬と一生会いたくないと言っているようなものだ。
「ふつうできるわけないって答えるじゃないですか……」
 黄瀬涼太はふつうじゃない。
 ただ外見がいい男なら黒子だって好きになるはずがない。
 元々、男に対して恋愛感情など持ったこともない黒子が黄瀬にときめきを覚えてしまったのは黄瀬が黄瀬だからだ。
「……黄瀬君は怒ったり困ったりするんじゃなくて『黒子っちの誕生日プレゼントだもんね! 頑張るっスね』って」
 たとえ達成できなかったとしても黄瀬のやろうとする意志が感じ取れたそれが何だかすごいことに思えた。
「――それで黄瀬がああなったのか」
「そうです。黄瀬君に太れと言ったその日からちょっと罪悪感を覚えていましたがまさか、あんなことになるなんて」
 ホワイトデーに再会した黄瀬は五十キロぐらいは増量して縦に長いどころか横幅も出ていた。


『黒子っち、お疲れ〜』
 太ると声が変わるのだと何かの本で読んだ気がする。黄瀬のものだと認識するのが戸惑う高い声。
 押せば坂道を転がり落ちていきそうな巨体が近づいてきて黒子はショックを受けた。
 自分の一言が黄瀬にここまで影響を与えると思っていなかったせいもある。いいや、心のどこかで思ってた。
 やるといったら黄瀬は必ずやりとげる。
 だから黒子は後ろめたい気持ちになっていた。心にもないことを口にすると嫌な気持になってしまう。
 それが黒子の気持ちだった。
 あれは八つ当たりだった。
 自覚していたからこそ黄瀬を前にして居心地が悪い。
 実際に太った黄瀬がバスケやモデルの仕事ができなくなったり、そういったことなど考えていない。イラッとした気持ちから口に出してしまった言葉で本心ではない。
 三割ぐらいは本音でもあった。
 モテている黄瀬の姿にイラッとするので女性から引かれるような体形になればいいというやっかみがあった。
『黄瀬君はいつも通りが一番です』
『あ、そっスか? オレもそう思う』
 口から黄瀬は何かを吐き出した。
『詰め物口の中に入れてるとやっぱ気持ち悪くって……』
 いつも通りの黄瀬の声に周りにいた女生徒たちが黄色い声を上げたが黒子の思考は追いつかない。
『ちゃんと太って見えたっスよね?』
 笑いながら自分の身体を黒子に見せつける黄瀬。
 腕を握ると柔らかかった。肉の柔らかさではない。
『タオル巻いてるんスよ』
 呆然としている黒子に黄瀬は得意げな顔で種明かしをする。褒めてもらえることを確信している自信満々だ。
『デブになる特殊メイクっスよ!! 黒子っちのために頑張っちゃった』
 肌が荒れると困るからチョコレートは黒子が渡したものしか口にしていないと言い出した黄瀬に喜べばいいのか悲しめばいいのか自分の感情の置場が分からなくなってくる。 

「黄瀬君は馬鹿なんです」
「あぁ、それはオレも思う」
 同意してくる火神に黒子は黄瀬をフォローするように「でも、いいところがいっぱいあるんです」と口にする。
 混乱しながら黒子は「チョコ食べなくてずるしてごめん」と謝ってきた黄瀬を思い出す。黄瀬には黒子が口にした「太らなかったら会わない」ということが一番重要だったのだ。それまで一か月会わなかったせいで、まさかと思ってしまった。
(太ったから――正確には特殊メイクですけど――会ってもいいっていう考え方は正しいような気もします)
 黄瀬は単純に黒子が自分の太った姿を見たいと思ったのだろう。黒子が八つ当たりとして口にした真意が嫉妬なら女性に囲まれているその時点で太っていようが関係ない。そんなこと黄瀬はわかってない。黒子も苛立ちは収まらないはずだが、驚いて怒りはわかない。
 黄瀬の企みは成功していた。
「太っている黄瀬君を見てボクは感情がぶわっと、なんというかすごく動いたんです」
 その現象を何と呼べばいいのか黒子は知っている。
「太っているわけじゃないって知ってもそのドキドキは変わらなくって――――」
 自分の外見を黄瀬は崩したりするのを好まない。
 当然、モデルとして仕事をやっているので事務所のほうから指示を出されているのもあるかもしれないが人並み以上にきちんとした手入れをしている。それはナルシストだからというよりも黄瀬の当り前の生活習慣なのだ。それを曲げて黄瀬は黒子のためにやってきた。恥ずかしい姿をさらしているとは思っていない。黒子が喜ぶことだけを考えていた。
 周りに物珍しがられて人が集まるのが分かりきっているのにあの姿で学校に来る黄瀬は馬鹿丸出しだった。
 それがじわじわと黒子の胸を締め付けていく。
 黄瀬は悪い男だ。
「――――ボクに喜んでもらうためならって、そんな理由でこんなことされたら他の人を好きになんかなれないです」
 言っていて恥ずかしくなったので顔を手で押さえる。
 どうしても口元が緩んでしまう。
 こんな誰かを特別に思う日が来るとは想像していなかった。大切な人、大好きな人、そういった相手は思い浮かびはするが愛する人というカテゴリーに入りそうなのは黄瀬だけかもしれない。家族も友人も好きで大切だが黒子の中で暴れまわる感情とは相反している。家族や友人は安心できる居場所のようなもので黄瀬とは違う。
「お前のツボがよくわかんねえけど、黄瀬のことマジで好きなのか……」
「そう言ってるじゃないですか!」
 火照った頬を冷ますために黒子はバニラシェイクを顔に当てる。火神にこんなことを話しているのが恥ずかしい。黄瀬のことを思い出して顔がにやけそうになるのも隠せない黒子はダメかもしれない。
「デブに一目惚れしたとかじゃなかったんだな」
「違います。一目惚れ……じゃないですけど、意識し始めたのは高一の海常が桐皇と戦っていた時です。黄瀬君、こんな顔するんだって意外な気持ちでいて……それで、ウインターカップで海常の試合見ていたり、コートの上で向かい合ってもうダメだと思いました」
「え? そうだったのか?」
「もちろん試合の最中は集中しているから余裕なんかないです。決勝戦だって控えてましたから――ブザービーターでシュートが決まった感動がありましたし……そうです、決勝前に帝光での話をしてしまったのもいけなかったんだと思います。決勝戦の後、いろいろと思い返して――」
 人は変わるものだ。
 黄瀬は以前とは違うが昔から変わらない。
 
 
 


 
 
 
「黄瀬君はボクのことを好きです。――それは友達としてです。わかってます」
 黄瀬のことを意識してから黒子はダメになってしまった。
 今まで平気でしてきたやりとりが全部息苦しいものになった。好きだからこそ黄瀬のことが憎たらしくなる。顔を見たくなくなった。
 自分のものにならないことが分かりきっている相手に対しての恋慕はとてつもなく不毛なものだ。
「友達に対して、ボクはキミに欲情してる……なんて言えません。いえ、言ったんです。だから、友情は壊れてしまうはずだったのに――――」
 皮肉なことに黄瀬は黒子の衝動を受け入れた。
 それは八つ当たりで太れと言い放った言葉に対して頑張って見せた姿と同じだ。黄瀬は太りたかったわけじゃないのと同じで黒子を抱きたいと思ってない。太ったメイクと同じでベッドの中での言葉は全部演技でしかない。優しくされて舞い上がってしまった分だけ悲しくて苦しかった。
 両思いになれたなんて黄瀬を相手に勘違いしてしまった黒子が悪い。自覚している。
 黄瀬は手酷く黒子を傷つけたがそれだって、黒子の楽観と願望が見せた幻だ。黄瀬の考えは最初から本人が言っている。両思いになどなれるわけがない。
「黄瀬君はボクと友達でいるつもりでいます」
 友人とはなんなのか考えてしまう。
「ボクたちは友達なんです」
「友達はそういうことしねえだろ」
「でも、黄瀬君はボクが友達やめるって言ったからエッチしたんです。友達をやめたくないからボクのわがままを聞いてくれてます」
「それはおかしいだろ」
 分かってる。ふつうじゃない。友達であるために友達とは言えない行為をするなど本末転倒としか言えない。
「ボクは黄瀬君と縁を切りたいと思ってます」
「黄瀬は友達のままでいたがってるぞ。……お前のその、要望は自分に対する嫌がらせかなんかで一時的なものだって思ってる」
 そういう風に火神に伝えていたのだと想像していたがその通りなのだと教えられると苦しくなる。黄瀬が自分のことを恋愛対象として見ていないことを突き付けられてつらくなった。
「いやがらせ……確かにそうです。こっちの気を知りもしない彼に思い知らせてやったんです。ボクはキミのことを友達だなんて思ってないって、そう言ったら黄瀬君は泣きました。それで、なんて言ったと思います?」
「知らねえよ」
「意地悪言わないでって……」
 黒子の言っていることを理解していないのか理解したくないのか黄瀬の態度ときたら酷いの一言だ。
「キスもセックスもして……それで友達って、どんな貞操観念しているんですか! 最低ですっ」
 セックスしている友達ならセックスフレンドになるんだろうか。黒子はごめんだ。黄瀬の恋人になりたいとまで高望みはしていないが身体だけの関係になどなる気はない。
「どう伝えたら理解してくれると思います?」
 どんな風に伝えても無理な気がしたが黒子は粘ってみたいと思った。こうなってしまったらとことんまで行くしかない。友達ではいられない。それを黄瀬にわからせるのだ。
 黒子の気持ちを理解させない限り終わりはない。
「……こういうのもおかしいけど黄瀬って友達いないのか?」
「いると思いますけど……ボクが一番親しいってことになってることから考えると交友関係せまいんじゃないですか?」
 恋人よりも友達を優先するのは当たり前だと黄瀬は彼女とのデートをすっぽかして黒子と会ったりする。呼び出した黒子としてはそんなことをしてほしかったわけじゃない。暇なら一緒に行きませんかというなんてことない誘いだった。もちろん、思いを自覚した後なのでドキドキして落ち着かなかったし怖かったがそれでも黒子は黄瀬に恋人をないがしろにして欲しくはなかった。
 彼女に嫉妬することだってあったが二人の間を妨害する気なんてなかった。だから、黄瀬が恋人と別れたと聞いて黒子は自分のせいだと感じてしまった。黄瀬が自主的に起こした行動だとしても黒子側に悪意がなかったとしても黄瀬と付き合った相手はいい気はしない。このままずっと黄瀬が固定の恋人を持たなかったら黒子もまた諦めきれない。
 ずるずると思いを募らせて未練がましくなってしまう。
「黄瀬君の中で恋人よりも友人のほうが大切さが上です」
「なら、お前は恋人になったら逆に大切にされなくなるんじゃねえの?」
 気づいたように火神は言った。
「あぁ、なるほど。恋人になれば別れて縁が切れるというわけですね。……ボクは黄瀬君を好きなのに振られるために付き合い始めるなんて、なんだかおかしいですね」
「でも、上手くすればお前らふつうに付き合うことになるんじゃねえ? それならそれでいいんだろ?」
「黄瀬君はボクに性的な興味は持ってないです」
「ほかの男は無理でも黒子には勃つって言ってたぞ」
「たまたまじゃないですか?」
 だが、火神が見出してくれた方向性はどちらに転んでも黒子に得のあるものだ。
 万が一、黄瀬とそのまま上手くいったとしたら思いが報われるし、別れることになれば自動的に疎遠になる。黄瀬は過去に付き合っていた相手と一切連絡を取らない。面倒なことになるからだと言っていた。
 相手に未練があれば粉をかけられるのだろう。
「大学に行って卒業して社会に出て……そうしたら」
 お互いにきっと会うこともなくなる。
「黄瀬のことだからお前の職場とかに当たり前の顔してやってくるんじゃねえの」
 誠凛になぜかいるように馴染んでいるのがたしかに想像できる。
「黄瀬君は基本的には愛想いいですからね」
「初対面でケンカ売られたぞ」
「あれはお互い様です」
 無意識に黄瀬の肩を持ったような自分の発言を自覚して黒子は恥ずかしくなった。
「火神君、こんなこと言うとおかしいですけど、黄瀬君はボクのこと好きになってくれると思いますか?」
「さぁ、わかんねえけど……胸の中に溜めてるもやもやしたもんをちゃんと黄瀬に吐き出しとけよ」
 これが黄瀬だったら根拠もなく大丈夫とか平気だと言い出したりする。
(その後、やっぱ無理っスねとか訂正するんでしょうけど)
 酷い話だ。けれども黄瀬らしい。
 言動に悪気は一切ない。それなのにこちらを苛立たせる才能に満ち溢れている。
 鞄を見ると携帯電話が光っていた。
 確認すると黄瀬からメールが届いている。
「あ、黄瀬君……ここに来るらしいです」
「まあ、いつもだな」
「ボクは帰りますね」
「なんでだよ」
「まだ……ちょっと、気まずいです」
 立ち上がって火神に別れを告げて歩き出そうとしたら壁にぶつかった。ここに何もないはずだと火神の方へ向けた顔を前方に戻す。
「黄瀬君……」
 見上げて確認したその瞬間、抱きしめられた。
「黒子っち、久しぶり〜。久しぶりっスよぉ」
 さみしかったと言い出したが三日前に会っている。
「これから春休みじゃん? 一緒に花見行こうってメールしたのに帰ってこないし……」
 拗ねたような黄瀬の声に照れくささが増す。
「耳、くすぐったいです」
 息がかかるのが落ち着かない。
 黄瀬の腕をぺしぺしと叩くとやっと離れてくれた。
 帰ろうとしていたのに黄瀬が来てしまったせいで席に座りなおすことになった。
「黒子っちはいつものっスか?」
 飲みかけのバニラシェイクを黄瀬が見た。
「花見しながら飲む?」
 春のうららかな陽気とバニラシェイク、最高だ。
「行きたいっスか? じゃあ、明日ね」
「火神君も――」
「冗談じゃねえよ」
 ふたりっきりは気まずいと火神に話をつけようと思ったが拒否された。
「大人数で行くならストバスして花見のコースはどうっスか? みんな誘って一緒に行こうよ」
 黄瀬の中で友達と遊ぶ感覚なのだと改めて思わされる。
 自分から火神を誘っておいて黒子は黄瀬の反応に少しショックを受けた。分かっていたことだとはいえ何とも思われていない。
 ニヤニヤとしている黄瀬の顔が近づいてくると思ったら「その後にふたりで夜のお花見しよ」と耳打ちされる。
 下げて上げるというのはこういうことなんだろう。
 見事なまでに効果的だ。黄瀬の友達発言に傷ついたのが嘘のように期待して喜んでしまっている。これが意識的にやっているのなら最低最悪と言えたが天然ものだ。
 黄瀬に黒子をぬか喜びさせようなんていう考えはない。
 自分がしたいこと、自分の感じたことを率直に口にしているだけだ。
「たち、悪いです」
 つぶやく黒子に不思議そうな顔をする黄瀬は全てにおいて無自覚だが黒子が喜ぶことは押さえている。




続きは本編で!
両片思いな恋人ごっこ。
すれ違い勘違いそしてゆっくりとしながら着実に進む関係。
発行:2014/03/30
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