・黒子に特殊能力プラス
・シリアス? ドロついた執着心。


黒子テツヤという怪物








赤司征十郎がそのことを知ったのは偶然だった。
運命的でもあった。
今にして思えば知らなければ良かった。
自分のことだけでいっぱいいっぱいなのだから人に深くかかわるなど赤司には過ぎたことなのだ。
家という自分の生まれた場所の重さにすらへし折れてしまいそうな赤司では黒子の問題を解決できない。
そう思いながらも認められずにいた。
自分が誰かに負けること、自分の価値が下がること、そういったことを赤司は認められなかった。
子供ながらの万能感。
そうあらないといけない重責。
そうあって当たり前だという圧力。
別に息苦しくはない。
ただ赤司にとって子供の期間がなくなった。
完璧であるということは大人であれということだ。
文武両道ですべてに秀でる。
狭い視野とリスク管理の不十分さ。
無茶だなんて思わない。
何でもできるような気がしていた。
自分なら誰のどんな悩みでも解決できる。
ある意味とても子供らしく驕っていたのだ。
そうすることでバランスをとっていた。
自分が必要とされないのではないのかという不安。
自分のやり方は間違っているのではないのかという焦燥感。
目をそらして逃げていた。

「誰もいなくなってしまいました」

肩を落とす黒子にそんなことはないと赤司は励ました。
一時的なものだ。
青峰の落ちてしまったモチベーションもいずれは回復するだろう。
そうしたらまた一緒にいればいい。
光と影、そういうプレイスタイル以外に黒子テツヤにバスケット選手としての道はない。
青峰ではなく別の人間と組んだっていい。
黒子に必要なのは青峰ではなくエースという点取り屋だ。

「キミも他の誰かと同じですか?」

見下げられているようで気に入らない。
そんなはずがないと口にしても黒子の目はすでに濁って赤司を見ていない。
青峰とのことがショックだったにしても失礼な態度だ。
多感な時期なのだからこんなこともあると言い聞かせるように繰り返す赤司を黒子は煩わしそうに見る。
人からこんな視線を向けられたのは初めてだ。
小さな頃に父親に会話する時間はないと言われた時の気分に似ている。
何も変わっていないのに空気が冷え切って、目に映る色彩が失せる。
自分の心臓の音だけが強く聞こえる。
地雷を踏んで失望される。嫌がられて、軽んじられる。
その扱いが不満だとすら思い浮かばない。
衝撃だけが全身を走り抜けて動けなくなる。
たぶん、これは恐怖だ。

「忘れてしまうんですね、キミも」

雨に濡れながら帰ってきた黒子は大勢の人の前で「青峰に忘れられた」と漏らしたっきり黙り込んだ。
それまで青峰に対する不満を口にしていた紫原は気が削がれたのか押し黙って練習を再開した。
青峰の気が立っていることは目に見えていたとはいえ黒子の早すぎる帰還と落ち込みように誰も何も言えなかった。
凍り付く空気の中、赤司はこれも一つの結末だと受け入れていたが、そうではないもののほうが多い。
黒子と青峰の仲の良さを知らない人間はいなかった。
エースである青峰のサボりは青峰自身よりも周りに及ぼす影響が強い。
そのことが浮き彫りになった形だ。
まとめ上げるべき大人である監督はおらず、コーチも役立たず。
帝光中学バスケットボール部は内部崩壊の危機にさらされていた。
これを解決するのが主将の役目だとするのなら重苦しすぎるものだ。
まだ何も打開策が見つからず赤司はその場を緑間に任せて黒子を更衣室に連れて行った。
シャワーの一つでも浴びせるべきかもしれないがまずは着替えさせようとしたのだ。
そして、結果として黒子の愚痴を聞くことになった。

「みんな、忘れてしまうんです」

訳のわからないことを言っている黒子を咎めるよりも思っていることを吐き出させてしまった方がいいと赤司は相槌を打つ。
タオルに顔を隠すようにしている黒子が泣いているようだったから厳しいことも言えない。
着替えを促しながらも放っておくこともできない。
部内のことを考えるための時間稼ぎに黒子を使いながら、黒子自身のこともちゃんと心配していた。
青峰を追うように指示を出したのは赤司だ。
結果は目に見えていたがここまで黒子を追い詰めることになるとは思わなかった。
ただ現実を認識して青峰との距離感を考え直す機会にすればいいぐらいの気持ちでいた。

「ボクは化け物だ」

どうして黒子に対して同情してしまったんだろう。
震える肩があまりにも小さくて抱き寄せたら冷たさに驚いてしまった。
湧き上がる感情を抑えられない。
そっとしておくのも優しさなのかもしれないと考えながら見ないふりをできずにいた。
青峰に対しては時間を置くしかないような気がしていたが今の黒子を放置できない。

「忘れていくんです」

繰り返す黒子に赤司は理解できないまま「説明できるか?」と問いかける。
そして、知ることになる事実は重すぎた。
赤司では背負えないものだ。

自分じゃない自分なら上手く制御できるかもしれない。
自分じゃない自分ならもっといい解決方法が見つかったかもしれない。
赤司征十郎は中学二年でまだ世界を知らなかった。
あるいは知りすぎて見限っていた。見下げていた。
何とかなると思い込んでいた。
想像以上のことなんてないと考えることで自分を守っていたのだ。




ボクは化け物なんです。
知らなかったんです。
自分が化け物だなんて知らなかったんです。
こんな恐ろしい力を持っているなんて知らなかったんです。
ボクはただ普通に生きていただけでした。
本当に何もしていないんです。
何も知らないんです。

ボクの影が薄いのは赤司君も知っていますよね。
本当は違うんです。
影が薄いだけじゃないんです。
顔を覚えてもらえない。
存在を認識してもらえない。
そんなものじゃないんです。
ボクは人間じゃないのかもしれない。
人間の皮をかぶった化け物でしかないのかもしれない。

ボクは怪物なんです。

病気なのかもしれません。
キミは、キミなら分かってくれますか?
どうにかしてくれますか?
ボクを普通に戻せますか?

ボクは人の記憶を無意識に食べてしまうんです。

青峰君の記憶も食べてしまった。
バスケを楽しんでいた記憶を食べてしまったから青峰君は何を目的にしてバスケをしていたのかが分からなくなってしまったんです。
一緒に練習していたボクのこともボクにかけてくれた言葉も忘れてしまってます。
約束も笑顔もなくなってしまったんです。
ボクが食べてしまった。
気を付けていたんです。
近くなりすぎないようにしていたのに距離を見誤ってしまいました。
物理的に近くにいる人間の記憶や心を食べてしまう化け物なんです。
青峰君の楽しかった記憶はボクのご馳走だったんです。
醜く汚らわしいとキミは思うでしょう。
ボクもこんな自分が嫌です。
でも、どうしたところで治せません。

初めは気が付きませんでした。
影が薄いのなんて気にならなかったんです。
ちょっと時々は困ったりすることもありますが、背の高い人や足の速い人がいるように影が薄い人もいる。
直そうと思って直すものじゃないと感じていました。
気にしてなかったんです。
ずっと影が薄いことが普通だったから。

ボクにはおばあちゃんがいるんですけど、あぁ、もう分かりましたか。
そうです、おばあちゃんがボケだしたんです。
歳だから仕方がないと両親は言っていました。
けれど、徐々に両親もおかしくなっていったんです。
ボクのことを知らない子供を見る目で見るんです。
どうしてこの家にいるのかと両親から問われた時の衝撃が分かりますか?
ボクは必死で自分がこの家の子供であると訴えました。
幸い、両親はボクのことを写真に撮ってアルバムを作ってくれていました。
それで今までのことを説明しました。
いっぱい頑張って思い出しながら不審な顔をする自分の親に写真を指差しながら話しました。
物心つくまえのことはボク自身の記憶としてはありませんが、おばあちゃんがよく話してくれていました。
両親は共働きだったのでボクの面倒はおばあちゃんがずっと見ていてくれたんです。
記憶は戻ってきませんでしたがその場では両親も納得してくれました。
けれど、やっぱり疑っているようで戸籍を引き寄せて、興信所を使って両親はボクが何者なのか探っていました。
そして、その内に両親はお互いがどうして相手と結婚したのかを忘れてしまったんです。
ボクは記憶の食い荒らし方はランダムらしくて時系列順になりません。
虫食いの記憶に両親は精神を不安定にしていきました。
病院に通いながらボクを見つめる視線は今までとは違ってしまいました。
ボクはそれが自分のせいだとは思っていませんでした。
自分の身に降りかかった不幸は自分のせいではなく事故のようなものだと感じていたんです。
原因なんてない不幸。
天災のようなもので理由なんてない。
どうしてボクの家なのかと悲しくなることもありましたが、点と点でしかない出来事はボクの中で繋がっていませんでした。
おばあちゃんのことも両親のことも別々の事件だと思っていたんです。

小学校の時にクラス中の人間から忘れられるまで。

ボクのこと、隣のクラスの子は覚えていました。
それで分かったんです。
変なことが起こっているのは偶然じゃなくてボクが近くにいたからだって。
ボクが化け物だから、ボクは人の記憶を食べてしまうんです。
仲良くなった友達にこのことを話したこともあります。
でも、友達は忘れてしまいました。
ボクのことは覚えていましたがボクが話した内容は忘れてしまったんです。
だからこうして今、赤司君に話しているのも全部無駄です。
赤司君もきっと忘れます。
ボクは人の記憶をこれからも食べ続けるんです。
そうしないようにするには誰とも触れ合わないのが一番だと思います。
でも、ボクは友達とバスケをする約束をしたんです。
近くにいないから彼は記憶を失いません。
彼と連絡が途切れたらこの世界でボクを知る人間が誰一人いなくなってしまう気がして怖いんです。
青峰君にもバスケ部のみんなにも迷惑をかけているのに最低ですね。
部員数が多いし、レギュラーに同じクラスの人はほとんどいないので大丈夫だと思っていました。
思いたかっただけでした。
結局、以前と同じだったんです。
ボクが世界を壊してしまった。




泣き続ける黒子が不憫だったので無理矢理に着替えさせて赤司は黒子を自分の家に連れて帰った。
冷え切った身体は哀れだ。
黒子の話が本当なら黒子の両親は黒子のことを自分の子供だと思っていない。
黒子が居ても居なくても問題にはならないだろう。
むしろ、家にいれば異物を見る目を向けられる。
居心地の悪い場所に帰る必要はない。

「これじゃあ、赤司君の迷惑になります」

泣きはらした瞳で黒子がそう言うので赤司は「忘れないでいる方法なんていくらでもあるよ」と微笑む。
自分よりも弱いものを守ることで優越感を得ようとしているのか、それとも黒子の能力を味わってみたいと思ったのか赤司にもよくわからない。
自分の境遇と重ねるにしても黒子の生き方は赤司とは違う。
赤司は常に意識され続けていた。
何かと、誰かと比べられ続けていた。
父親が赤司を忘れることはないだろう。大切な跡取りだ。
相対評価なのか絶対評価なのかわからない。
誰にも負けない存在。
軽く何でもこなせないとならない。

「黒子の問題ぐらいオレが解決してあげるよ」

あるいは脳裏をかすめる願望。
父が自分を忘れたらどうなるんだろう。
黒子の状況に対して抱いたのが同情ではなく羨望であったのなら、これほど最悪なこともない。
逃げ出したいなどという惰弱な精神は持ち合わせていない。
そう思いながらもどこかで期待していた。
何かを期待していた。
水を飲んでも乾く喉。
望んでも暗闇しかないような上。
自分の父親の顔を思い出せない。
黒子の力ではない。赤司自身が記憶しないようにしている。
父親がどんな風に赤司に何を言っているのか思い出さないようにしていた。

完璧な王様を演じるのなら弱者の気持ちなど汲んではならない。
踏みにじって高みに行くのが選ばれた人間の役目だ。
考えないようにしたところで父の言葉、父の期待は赤司にのしかかり続ける。






黒子の記憶の咀嚼について正確なことが欲しいということもあって赤司は日記をつけ始めた。
本当に記憶が虫食いになるのか調べないといけない。
黒子が嘘をつくとは考えにくいが勘違いや黒子の家族だけの問題、たとえば脳疾患なども考えられる。
クラスの人間のことを考えるなら一時的な伝染病という線も否定できない。
記憶が虫食いになったとしても比較することできるので日記は便利だ。
そう思って赤司は日記をつけた。
同時に黒子へ指令を出した。
なるべく黄瀬と一緒にいるように言ったのだ。
はじめ、黒子は嫌がった。
青峰のようにバスケへの情熱を覚ましてしまうかもしれないと怯えたのだ。
赤司はそれをなだめすかして黄瀬と二人でいる時間を作り出す。
簡単なことだ。
赤司の主将としての立場を使うまでもなく黄瀬は勝手に黒子に近寄っていく。
何が楽しいのか世間話を繰り広げている姿に以前はそこに青峰もいたことを思い出す。
黄瀬と黒子のやりとりを不審げに見ながら青峰は自分が練習に出たくないと行ったことも忘れたように現れた。
桃井が説得したのだろうか。
青峰が来ている以上、紫原も文句は口にしない。
緑間だけは何かに気づいたように赤司に尋ねた。

「赤司……近頃、黒子と仲がいいのか?」
「そう見えるかい」
「以前はもう少し距離をとっていた気がする。……距離というなら黒子ではなく誰にでもか?」
「一年の冬の話をしているのならまた別だよ。あの時は黒子がレギュラーになるか分からなかったじゃないか」
「嘘をつけ」

疑惑があっても決定的ではないからか緑間はそれ以上のことを言ってはこない。
言葉を探しているのか杞憂だと思っているのか。

「嫌な予感でもする?」
「そんなこともないが……不自然な気がしただけだ」
「オレと黒子が?」
「いや、黒子が赤司に心を開いているようなのが意外だった」

口にした後で失言だと思ったのか「忘れてくれ」と緑間は訂正する。
どんな風に緑間が自分や黒子を見ているのか分かる一言だ。
緑間の直感は正しい。

「黒子はオレに心を開いてなどいないよ。雨の日にそこに傘があったから使っているだけだ」

ただ赤司は使われるだけの傘ではない。
真実を見極めるためには代償がいる。

「黄瀬じゃなく、灰崎を使うべきだったな」

小さく呟く赤司の声は緑間には届かなかったらしい。
何を言ったのか聞き返してくる緑間に微笑んで誤魔化す。
黒子の能力が本物だとして黄瀬にはどんな影響が出るのだろう。




「何も変わらない?」


赤司の言葉に黒子は小さくなる。

「少なくとも……ボクの知る範囲では黄瀬君は何も忘れているようには見えません。
 以前に話したことのある話題を振っても問題なく反応してくれます」
「青峰の場合は物忘れが激しくなったんだっけ?」
「おばあちゃんの時もそうです」
「黒子に相対する面以外が抜け落ちている可能性は?」
「元々、勉強とか黄瀬君は忘れてたりしますから」
「そうか……ターゲットを変えようか」
「赤司君、それは」
「気が進まないのはわかるよ。けれど、これもお前のためだ。自分の特性を把握しておかないと困ることになるは黒子自身。そうだろう?」
「……赤司君の家の使用人の方は忘れてます」
「あぁ、分かっている。お前が嘘をついているわけじゃないのは立証済みだ」

赤司の家で黒子は生活しているが誰もそれを疑問に思わない。
黒子の影が薄いことと黒子がいることを忘れてしまうからだ。
食事は赤司が一食分多く作るように伝えているがそれもたびたび忘れられてなくなってしまう。
紙に貼ってメモを残すと頭から消えていたとしてもメモを見て食事は用意される。
黒子が記憶として摂取している部分は黒子に関するものなのかもしれない。
それなら尚更、黄瀬は奇妙だ。
赤司も黒子に任せきりではなく黄瀬や記憶を失ったという青峰を観察している。
黒子が言う通り、不審な点はない。

「赤司君、こんなことやめましょう」
「怖い?」
「……キミがまだボクのことを覚えてくれているのは嬉しいです。でも、このままだと」
「一番最初に黒子を忘れるのは黄瀬でも新しいターゲットでもなくオレだと言いたいのかな」

黙り込む黒子に「それはないよ」と微笑んで黒子を寝室に送り出す。

赤司はちゃんと黒子と一緒にいる時間を計っている。
必要以上に距離を縮めたりしない。
黒子は同じクラスの人間は記憶を失ったが隣のクラスの人間は覚えていたと言っていた。
青峰に影響があってもバスケ部の全員に影響はない。

「黄瀬に効果が出るとしても来年なのか?」

青峰と黒子は第四体育館で二人だけで練習していたと言う。
それを考えるともう少し時間が必要なのかもしれない。
黒子の祖母や両親のことを考えても気長に待つべきかもしれない。

「それなら小学校は? 使用人たちは?」

赤司の家で能力を使っているから黄瀬が記憶を失ったりしないのだろうか。
この力の代償は果たして黒子の孤独だけだろうか。
何か黒子から擦り減ったりしないのか、そのあたりも赤司は気になった。








「黄瀬、おかしなことを聞くがこの頃、忘れっぽいと人に言われたりはしないか?」
「え? なんスか? 赤司っち、急に」
「ないならいいんだ」
「そうっスね、特にないけど……」

歯切れが悪い。

「何かあるのかい」
「時々、本当に時々なんスけど黒子っちのこと忘れそうになるんスよ。いや、なんか分かんなくなるのかな?」
「どういうことだ。具体的に言ってくれ」
「なんでこの人、馴れ馴れしくオレに話しかけてくるんだろって……」

それは以前の黄瀬の黒子に対する印象だろう。
親愛として積み上げた表層の記憶がはぎ取られて第一印象が浮かび上がる。

「黒子っちがすごいのは知ってるんスよ? なのに、なんか誰こいつとか思っちゃう。あ、内緒っスよ」

顔の前で手を合わせてくる黄瀬に赤司は笑う。
黄瀬はやはり忘れているようだった。
ただ取り繕うのが恐ろしく上手いらしい。
演技というよりは空気を読んで従っているのだ。

「それでお前はどうやって黒子のことを思い出しているんだ?」
「思い出すって?」
「忘れそうじゃない。黄瀬涼太、お前は一度黒子テツヤの存在を綺麗さっぱり忘れているんだよ。そしてもう一度インプットしなおしている。不自然にならないように自分自身で納得いくように記憶を改ざんして穴埋めしている。しばらく会っていない親戚の顔など忘れてしまうだろ? 名乗られても思い出せない。ただ自分と相手がどんな間柄なのかを理解して相手に対応するようになる。叔父や叔母なら親しみを込めた距離感で、遠縁であるならよそよそしいぐらいがいい」
「何言ってんのか分かんねえっスけど……オレ、黒子っちから来たメール全部残してるから」
「それを見て黒子と自分の関係性を再構築しているわけか……。不自然には思わないのかな? 知らない人間からのメールだと思ったりしない?」
「どうでもいいやつのメールとかオレはすぐに消すし、フォルダ分けなんかしないし、保存だって黒子っちのしかしてないから」
「自分にだけわかる自分にとって特別のしるしがついているから記憶を復元……違うか、消えた部分を補完してなんとかなっているということかな」
「赤司っちはどうしてこうなるか分かる?」
「分からない。ただお前の努力は認めよう。無駄な努力というやつだろうけど」
「なんか、厳しいっスね。いつもの赤司っちじゃないみたい」

黄瀬が肩をすくめているので赤司は「何も変わらないよ」とだけ答える。
これでもう実験の必要はない。
黒子の扱い方は分かった。
黄瀬と一緒にいる程度でも記憶に穴を開けさせることが出来るのならそれはとても有用だ。
人心掌握に持って来いの技能だと言える。
だが、諸刃の剣かもしれない。
使い方を誤った場合の被害は大きい。





「テツヤ、人を好きになった経験はあるかい」
「はい?」
「誰かを好きになったことは今までない?」

急な赤司の質問に黒子は頬を染める。思い出しているのだろう。
誰のことか聞き出したい。
けれど、もう関係なくなる。

「思い浮かんだ人間はどのぐらいいる?」

黒子は答えずに目をそらす。
その肩に触れると手を払いのけられた。
赤司に触られたくないということではなく赤司の記憶がなくなることを恐れているのだ。
謝りながらも黒子は赤司と距離をとる。

「考えたことはないかな。自分の力が年々強まっている可能性について」
「……赤司君?」
「祖母の記憶の欠損に気づくまでの期間と青峰大輝や黄瀬涼太の記憶に欠損ができるまでの時間。明らかに後者は短くなっている」
「黄瀬君は何も……」
「アレは本当にお前のことが好きなんだろうね。その気持ちは毎日忘れているかもしれないけれど同じだけ意識することによってプラスとマイナスはゼロになっている。いずれはテツヤの記憶をえぐる力に負けるだろうけれどメールという記録媒体と多分、テツヤが目の前にいない時にもテツヤのことを考えることによって記憶を補充していたはずだ」
「どういうことです?」
「黄瀬涼太はお前のことを忘れている。忘れていることを悟らせないようにしているだけだ」
「嘘だ」
「本人が言っていたよ。黒子テツヤのことを忘れてしまうんだって」
「忘れてたらあんなことしてこないっ」
「あんなこと?」

口元をおさえる黒子に赤司は意地悪く問いかける。
なぜこのタイミングで種明かしをするのかと言えば黒子が楽しそうだったからだ。
嬉しそうに安心したように黒子が黄瀬の隣にいたからだ。
きっと青峰の時もそうだったのだろう。
祖母のことも両親のことも勘違いで自分は影が薄い普通の人間だと思いたかった。
その願いを赤司は踏みにじる。
期待するだけ無駄だ。

「現実を見るんだ。黄瀬涼太がお前に微笑みかけてきたとしてもそれは愛想笑いでしかない。取り繕っているんだよ」
「なんで、そんなこと言うんですか……」
「本当のことだからだ」
「……大丈夫だって」
「励まして欲しい? 優しくして欲しい? それは無理だ。もう居ない」

目を見開く黒子の頬に触れる。
青峰も黄瀬もどれだけ黒子に触れたのだろう。
何かをしたとしても忘れているのなら何もないのと同じなのだ。

「テツヤに同情して力になりたいと思っていた赤司征十郎は消えてしまったよ」

震えた足は体重を支えきれなかったらしく、黒子は座り込んでしまう。
黒子テツヤはとんだ化け物だ。
あともう一押しだと分かるのにここで止めてしまいたくなる。
優しい声をかけてもう一人の赤司のように背中を押したなら黒子は自分に微笑みかけるだろう。
『他の誰かと同じように』
それは許されないことだ。
赤司征十郎はただの一人。一人っきりだ。代わりなど利かない存在でないといけない。
絶対の王者として自分は求められてここにある。

「父親の期待に応えて赤司の家を継ぐために生きてきた赤司征十郎はもう居ない」
「じゃあ、キミは……」
「赤司征十郎だよ」
「赤司君は……」
「記憶を全部食べたら廃人になるのかな?」
「嘘……ですよね」
「あぁ、勘違いしないでくれ。僕のことじゃない」

赤司の携帯電話が鳴った。
出ると朗報だ。

「予定通りだ。……テツヤ、気にすることはない。好きなだけ記憶を奪っていけばいい。その環境は作り上げよう」
「なにを、いって」
「僕に逆らうやつは親でも殺す。……有言実行になっただけだ」
「え、……うそ」
「さっきから疑り深い。そんなに気になるなら一緒に見に行こうか。テツヤの部屋の上で寝ていた僕の父親の姿を」

頭を抱え込んで震える黒子の気持ちが赤司はわからない。
たぶん以前の自分だったなら分かっただろう。
黒子を放って日記を取り出して見てみる。
毎日どころか毎分のペースで黒子のことが書き込まれている。
能力についてのことではない。
髪の毛がはねているとか小食であることとか何の本を読んでいてどこに感動しているのかなど。
黒子の観察だけではなく赤司自身の感想もある。

『触りたい』『小動物みたい』『案外ドライな感性。好感が持てる』

黄瀬がメールを見たときに直感的に感じるものと同じ。
自分はこの対象に対して特別な感情を持っている。
そう分かる。
人格が違うせいで多少は他人事ではあるがそのせいか記憶の欠落の速度は上がった。
どんなに面白くても一か月前の小説の内容を一語一句違わずに口に出せる人間は少ないだろう。そういうことだ。

「あ、あかしくん……ごめんなさい」

泣きながら黒子はうなだれた。
青峰に忘れられたと更衣室で泣いていた時と同じだ。
同じ顔をさせている。他でもない赤司が。
以前は同情し、違う表情をさせたいと願っていたが、今の赤司は違う。
満足していた。
青峰でも他の誰でもない自分が今、黒子を追い詰めているのだ。
嬉しくないわけがない。

「限界まで人から記憶を吸い上げたことはなかったんだね」
「いままで……だって」
「人とそれほど近くにいなかった?」
「だって……」
「気を付けていたから大丈夫だった?」
「ぼくは」
「あぁ、どんんどん記憶がこぼれていく……。思った通りだ。テツヤはストレスを感じると人の記憶を奪うんだよ」

顔を上げた黒子が血の気の引いた顔をする。

「荻原君だったかな?」
「荻原君は、荻原君は覚えてくれてます。ボクのこと忘れてないっ」
「物理的に距離があるからテツヤの力は及ばないね。ただ連絡を取り合わなければ普通に忘れるだろうね。子供のころの友達なんて」
「バスケが」
「確かにバスケで繋がっていればいいかもしれない。このままテツヤはバスケを続けるの?」

息を飲んだ黒子に赤司は「意地の悪いことを言ったね。大丈夫。問題ないようにとりはかろう」と赤司は微笑む。
人を不安にさせるような歪な笑顔だったかもしれないが赤司の知ったことではない。

「あかしくん、ぼくのことが……きらいだったんですか?」
「どうしてそんな話になるんだ。お前のためを思って話を進めているじゃないか」

とてもそうは思えないからこその問いだ。
赤司だって分かっている。

「荻原君が転校する時、悲しかった?」
「……友達が遠くに行って悲しくないはずがないです」
「それからしばらくして祖母に記憶の欠落が出始めた、そうだろう」

そして、祖母のことで胸を痛めた黒子は両親の記憶も奪いだした。
両親のことで苦しんだ黒子はクラスの人間の記憶も奪った。
記憶を奪うことは心に負荷がかかることが原因だ。と、するのなら連鎖してしまうのも仕方がない。

「同じように青峰大輝の記憶を奪ったストレスで僕の記憶を削ったのは理解できる」
「おかしいじゃないですか。……どうして、赤司君は」
「記憶はなくなっても感情は失われるわけじゃないみたいだ。テツヤの両親が記憶がないのに一緒に暮らしていたのは育てた思い出がなくても子供への愛着が消えたわけではないからだろうね」

黒子のことが分からなくなっても、たとえ日記がなかったとしても赤司は見失うことはないだろう。

「黄瀬涼太とは違う。僕の感情はもっと煮詰まっている」

思い出という理由が消えてもなくならない感情。
この感情に正当性を持たせるためになんだってできそうな気がする。

「感覚として何度でも初めての体験を得られるのは面白いね」

黒子の手をつかんでベッドまで連れていく。
何をされるのか分からないのだろう黒子が愛おしくてたまらない。
今日のことを赤司は忘れてしまうだろうが、いずれはまた同じ場所に辿り着く。
この感情がたとえ黒子によって奪われたとしても変わらない。

「テツヤだって、それを望んでいるんだろ」

抵抗せず赤司に押し倒されたままの黒子に告げる。
混乱して、罪悪感を抱いている黒子に嫌なら逃げろと言ったところでどうにもならない。
赤司は自分も親も捧げてみせた。
他の誰もこんなことは出来はしない。

「確かに化け物かもしれない。僕はその化け物に惜しみない愛を与えよう。飢えているんだろ、存分に受け取るといい」

赤司自身も飢えていた。逃げていた。だから、黒子を利用した。
黒子もまた赤司を使って居場所を模索していた。

自分が傘だとしたらブランド物の高い傘だと赤司は思っている。
すぐに壊れたりなどしない一人のために作られた一品。
これを手にできるものは幸せ者だ。だから、黒子も幸せだ。

黒子が傘だとするのなら手軽な値段のビニール傘だ。
ワンコインで買えるぐらいの普通なものがらしいだろう。
間に合わせに買われて空が晴れたら捨てられる。
置き去りにされたビニール傘は風に舞って鋭い凶器になるらしい。
本来の傘の用途とは外れて人を傷つける。
それは傘のせいではない。
けれど、雨の中で折れて使い物にならなくなった傘をいつまでも持ち続ける人間はいない。
使い物にならないものは捨ててしまうだろう。




「黒子?」



失った、黒子によって奪われた記憶は本当に戻ってこないのだろうか。
黒子がストレスを感じた時に周りの記憶を失うのなら黒子が満足感を得た時はどんな影響があるのだろう。
折れてしまった傘。泣いているばかりで心を閉ざした役立たずのビニール傘。
雨を遮ることもできないが残された思い出があるから赤司は愛着のあるそれを捨てられない。


「黒子、荻原君を知っている?」
「だれですか?」

子供のように黒子は表情をあどけなく崩す。
自分が何をされていたのか覚えていないような顔をしている。

「忘れたのか。それは良かった。しばらく、ゆっくりしているといいよ」

頭を撫でると黒子は嬉しそうな顔をする。
表情が豊かすぎてバスケット選手としてはもう使い物にはならないだろうが構わない。
折れた傘でも赤司は愛でることに決めていた。
あるいは自分好みに教育しなおすいい機会かもしれない。
最初は助言だけで放っておいたのだ。それが悪かったのかもしれない。

「あかしくん」
「うん?」
「赤司君、ですよね?」
「オレは赤司征十郎だよ。……まだこれは推論だけどオレは植えつける力を得たようだね。あるいは誰でもお前を抱けば自分の存在を刻み込めるのかな? あぁ、こればかりは実験する気はないよ」
「赤司君のこと、わかります」
「そうか。なら、何も問題ない」
「それ、以外が……ぜんぶ、まっしろで、わからなくて」
「悲しいことがあったんだ。白紙にしたいほどのこと。……良かったね。忘れて」

納得いかない顔をしている黒子の頬を撫でる。
やわらかい。この感触を知るのは赤司だけだ。

「黒子が自分でそうしたんだ。オレは何の指示もしていない。追い詰めたことは悪かったとは思うけど選んだのは黒子だ。拡散していた無意識の力を意志の力で束ねたんだね。力を自分に向けて放ったらどうなるのかなんて分かりそうなものなのに」
「あかしくんが、なにをいってるのか、わからないです」
「覚えていればいずれは理解できるよ」

黒子テツヤという怪物に赤司征十郎はパックリと食べられてしまった。
赤司の家に恥じないように生きることを決められていたのにそれをひと時でも忘れてしまったからレールから外れてしまった。
黒子の存在は壊れた傘と同じで使いどころがない。
持っていても仕方がない。けれど、赤司は捨てられない。

「壊れたビニール傘のリサイクルする方法はあるかな?」
「ないです。粗大ごみ行きです」
「やっぱり透明なビニールがいけないのかな」
「でも、今って五千円以上する丈夫なビニール傘ありますよね。風でもひっくり返らないらしいです。……あれ? ボク、なんで……これ、知って……」
「案外、勘違いしているのはオレかもしれない」

底が知れたと思ってしまえば相手の底はそれまでだ。
意外にもっと深くまで潜れるのかもしれない。
傘が壊れたと悲観したのは赤司だけで実のところは壊れていないのかもしれない。

だとしたら、いずれは傘は使ってくれる人の場所に逃げ出すのかもしれない。
赤司は眺めるだけで使うつもりは失せている。
いつか傘は完全にへし折って室内に飾り付けよう。
それが思い出どころか未来を奪われた者の権利だ。


「テツヤ以外、愛せそうにない」


2013/11/25


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