好きという感情は不安がいっぱい不安定。
愛しいから触れたい……だが、影に触れることは叶わない。

そんなこんなな擦れ違い系、両片思いエロガッツリな黄黒。
メランコリー黄瀬のうだうだな心情ありつつ1通の手紙をめぐる勘違いの話。
作中に青黒要素はないですが黄瀬は勝手に悲観しています。

絶対に触れられない影法師の話サンプル


 緑間と将棋を指していた赤司はふと手を止めて窓の外を見る。特に何がおかしかったわけでもないが緑間が不機嫌そうに「なんなのだよ」と言うからには笑ってしまったのかもしれない。赤司の視線の先には黒子を真ん中にして黄瀬と青峰がいた。三人で手を繋いで校庭で立っている姿は異常だった。校庭には準備している最中なのか運動部がまばらに行きかっているが誰も苦情は言っていない。
「楽しそうだと思っただけだ」
「あいつらは何をやっているのだよ」
 本当に理解できないからこそ緑間の溜め息は深くなる。同時に赤司が勝負を放り投げて気を反らしたことにも苛立ちがあった。緑間の負けを分かっているからこその仕草だ。事実もう投了するしかない局面になっていた。
「緑間、エンメルトの法則というものを知っているか?」
「あの三人がそれをしているというのか?」
「たぶん提案者は黒子だろうな」
「なぜ、分かる」
「黒子は図書委員として図書室の整理をしていただろ」
 それは赤司と緑間が将棋を興じる理由の一つでもある。バスケットボール部のレギュラーが揃うまでの時間潰しとして二人は授業の後に静かに将棋を指していた。
「青峰が手伝いに……黄瀬もか。……ん?」
 緑間は思い出して頷くが「本の整理をしていて、どうして校庭に行く。終わったなら部活に顔を出すべきだ」ともっともな疑問を口にする。赤司は将棋を片付けながら「見つけたんだろ」と何もかも分かったかのような顔をした。
「人間の脳は案外脆いものだ。まぁ、その誤作動も面白いのかもしれないが三人がやっている『影送り』は何も目だけに起こる現象でもないと思ったんだよ」
「あれは『影送り』か。なるほど、絵本か」
「片付けを手伝いながら暇潰しに青峰が読んだのだろう」
「それは手伝いとは言わないのだよ。……ありそうだが」
「陰性残像。黒いものを見つめすぎるとその内、黒い物を知覚できなくなり、白い残像がチラついてくる。そして、遠くを見れば見るほどその残像の大きさは増す」
「それがエンメルトの法則か?」
「黒なら白だが他の色なら補色になる。例えば青なら黄色」
「それはただの残像ではないのか? 補色残像。色相環の反対側に位置する色、補色が見える現象だろう」
「エンメルトの法則は距離で大きさが変わるということらしい。ほら、自分たちの影が大きく見えたんだろ」
 飛び上がるようにして喜んでいる青峰に対してはにかみを浮かべて頷いている黒子。黄瀬は僅かに俯いている。
「ふん。『影送り』など子供騙しだ」
 眉を寄せる緑間に赤司は意外だと少し驚いた顔をする。
「なんだ、緑間もやりたいのか。今からでも混ざってくればいい。アレは絶対に目を閉じてはいけないんだ。残像だから影を目に焼き付けないといけない」
「小学校の頃にやった。授業でな。目が痛いのだよ」
「十秒以上まばたきをしてはいけない、だったか。どうやら黄瀬は無理だったみたいだね」
「あいつは堪え性がないのだよ」
「なあ、緑間。人の心にも『影送り』のような残像が差しこむことがある気はしないか?」
「――勝つことばかりを考えて負けてしまうということか?」
「逆もまたしかり。けれど、負けていると思い込んでいては勝っても気付かないこともあるだろうな。皮肉なことに」
 片目を閉じて赤司は息を吐く。
「本当の相手の姿よりも見つめ続けて網膜に焼きついた残像の方がより巨大で強固」
「自分の敵は自分などということは当然なのだよ」
 淡々と3Pシュートの練習だけする緑間らしい台詞だ。「赤ち〜ん」と紫原が呼びに来たことで緑間の視線は三人から外れたが赤司は未だに視線を校庭に向けていた。
「想像上の敵に勝つ術はない」
 負ける自分を想像できない赤司には分かる。
 勝てると思ってない相手はすでに負けている。自分とは逆の状態になっているのだろう二人を少しだけ哀れんだ。
 バスケには直接関係のないことだとしてもチームメイトのことは無関心ではあり得ない。あとは単純に野次馬だ。
 呼びに来た桃井に怒られている青峰と黄瀬を励ましながら歩いている黒子。その四人の姿がどんな風に歪んでいくのかは興味があった。
「五里霧中だとしても本人は気付きもしないものだな」
 脳の誤作動。
 視覚のブレについて赤司は色々と考えていたが紫原にもう一度呼ばれて、扉近くで待っている緑間に気付いて「すまない」と一度謝った。
 黒子を見つめている黄瀬に対して赤司がしてやれることはない。練習メニューを五倍に増やしてもこればかりは効果はないだろう。筋力と精神力は比例しない。




(略)





 黄瀬涼太は黒子テツヤが青峰大輝を好きなのだと感じていた。感じていた、なんて生易しいものではなく半ば決めつけていた。黒子は青峰が好きなのだろうと思い込むことによって自分が懐いていた気持ちを封じ込めることに成功していたのだ。もし黒子が誰も好きな相手がいないというなら自分はどうするだろうかと黄瀬は考えてあまり良いとは思えない選択肢に遭遇する。
 簡単に言えば告白。
 当初その問題が浮上した時に黄瀬は全力で叩き潰した。
 男相手にあり得ないと思ったからだ。
 同時に黒子になら自分の中の例外もクリアできると納得していた。男女関係なく黒子以外に告白しようと思えない。
 黄瀬が付き合いたいと思う前に黄瀬と付き合いたい人間はやってくる。そういうものだ。自分から何もする必要はない。欲しいものは苦労せずに手に入る外見や肉体的なポテンシャルを黄瀬は疎んじることはなかったが退屈さは感じていた。
 青峰にワンオンワンで負け続ける悔しさや決して真似できない黒子のスタイルなどを見て黄瀬は真面目に頑張ろうという気になった。気付いたらバスケが好きになっていた。
 黒子への気持ちも似たようなもので気が付いたら尊敬や親愛は恋慕に変わっていた。だからといって割り切れるわけではない。同性に対する気持ち。自分から告白するという違和感。それらを全部まとめて抹殺する都合のいい切り札が『売却済み』というヤツだ。
 他人のモノには手を付けてはいけません。
 それは倫理など考えれば当然かもしれない。
 他人のモノを欲しがってはいけません。
 奪おうとすれば争いになる。
 争いは無益で不毛なものだと現代社会では口うるさく教えている。順位をつけるのは間違っている。みんな仲良くするのが一番いい。その欺瞞に対して黄瀬は何も言うことはない。表面上でも諍いがないことの方が上手くいくのは本当のことだ。黄瀬が女子の嫉妬心に巻き込まれたことは一度や二度ではない。それでうんざりしない程度には色んなことを分かってきたつもりだ。
「黒子っち!」
 自分の声が明るく響くのに誤魔化しは無意味だと思った。
 黒子を見かければ嬉しい。黒子と一緒に居られれば楽しい。どこにでもあるような平均的な恋模様と変わりない。
 声をかけた黄瀬に気付かない黒子にもう一度呼びかけようとして止める。
 女子生徒と黒子が話していることは珍しくはあったが驚愕するほどではない。彼女が黒子に渡したのが古風とも言える手紙だったからだ。驚いている黄瀬の前で二人は何か話をしていた。距離があるので断片的にしか黄瀬には聞こえない。「青峰」「手紙」「渡して」と聞こえてきた言葉に冷静さは戻ってきた。黒子に宛てたものではないらしい。
 落ち着きを取り戻した心はすぐに酷く乱れることになる。
 手紙を渡した女子が消えた後の黒子は沈んだ顔になった。
 今まであまり見たことのない表情に黄瀬の心は掻き毟られる。断片的に聞こえた言葉から考えれば青峰宛てのラブレターを預かったからこそのあの表情だろう。
「黒子っち」
 窓ガラスに映った自分の顔がいつもと変わらないことを確認して黄瀬は黒子に声をかける。まるで何か後ろめたいとでも言うようにラブレターを隠した黒子に黄瀬は目を細める。無表情に見えて黒子は意外に表情豊かだ。いや、感情が豊かなのかもしれない。無表情のままに困って見せる。
 気付くとそれは宝物のようにキラキラしていて少しずつ拾い集めて見たくなる。黒子の分かり難い、他の誰も知らない感情にどんどん触れたかった。相手に近づいてそばに居たいという感情は間違いなく恋心で黄瀬自身、驚くほどの一途さは他の誰に対しても持ち合わせたことはない。
(それなのにフラれたらなんて考えたら泣けてくるっスよ)
 思いたくなくても思ってしまう。自分がここまでしているのに黒子が振り向くことはないという現実の残酷さに対しての恨み言。吐き出したくなってしまう。
「どうかしましたか?」
「黒子っちこそ……何かあったっスか?」
 何を期待していたのか。
 青峰のラブレターを預かってしまったことを相談して欲しかったのか。他人の恋に首を突っ込むのに混ぜて欲しいと野次馬の言い分に黒子がどう反応するのか見てみるか。
 色々と考えたがあまり意味を成さなかった。
 黒子が「別に何も」と言ってどこかへ行こうとするからだ。クラスでの掃除も終わってこれから部活に行くだけのはずなのにどこに向かうと言うのだ。
 手を掴もうとして気付いたら黒子はいなかった。
 狐に化かされたような心地。
 こんなに上手くミスディレクションにハマってしまうなど馬鹿みたいだ。


×××


 黄瀬は体育館の中に黒子が居ないことすぐに気付いた。
 探そうと思うと探せないのが黒子だが教育係として黒子は黄瀬の面倒を見るように赤司から言われている。
 それはこのバスケットボール部において絶対のことで黒子がわざわざ放棄するとは考えられない。つまり黄瀬が体育館に来たのに黒子が近寄ってこないのはおかしい。職務怠慢など真面目な黒子がするわけがないので黄瀬がいるのに近くに黒子が居ないということは黒子自身がまだ体育館に居ないと言える。
「黒子なら遅くなると言っていたのだよ」
「緑間っち?」
「お前は桃井から練習メニューを聞いて先に始めろ」
「黒子っちは?」
「黒子が居なければ何もできない子供でもないだろ。黄瀬も、ここにもう馴染んだ。その内、赤司から正式に言われるだろうがお前はもうレギュラーなのだよ」
「練習終わりの掃除とかしないでいいんスね」
「そういうことだ」
「オレも黒子っちも帰るの早くなるっスね」
「それはお前次第なのだよ」
「なんスか、それ。オレ、別に仕度遅くないっスよ」
「そう経たない内に中間テストで部活は休みに入る」
「だから、なんスか」
 言わんとすることが分からない。
「お前が特に変わらないと言うのならそれでいいのだよ」
 謎かけのような緑間の言葉が気持ちが悪い。
 また占いだろうか。
 考えてみるものの緑間は教えてくれそうな気配はない。
「緑間っち、オレ、教室に忘れ物したかも」
「……黒子にはさっさと来るように言うのだよ」
 基本的に鈍いのだが察して欲しいことはちゃんと分かってくれるあたり、やはりキセキの世代。侮れない。全てを見通しているような赤司がいる一方で自分のことしか考えていない天才たちばかりかと思えばそれぞれのやり方でチームメイトのことを思ってくれている。
「遅くなっても許して欲しいっスよ」
 笑いながら黄瀬は体育館を後にする。
 視界の端に先輩たちとシュート練習している青峰を捉えながら心を落ち着かせた。
 もし黒子が来ないまま、青峰も体育館に居なかったら黄瀬の心は荒れ狂っていただろう。そのぐらいに黄瀬の混乱は酷い。恋というものに身体の全てが汚染されているほどに苦しさがある。
 今まで恋愛というのはそれなりに楽しいものだという印象だったが気のせいだ。今の黄瀬の状態は針のむしろでありながら灼熱地獄に身を浸している。
 楽しさなど何処にもない。
 ただ辛いだけだ。
「黒子っち?」
 黒子のクラスを覗けば教室は真っ暗で誰もいない。
 いや、暗闇の中に幽鬼のようにぼんやりとした影。
 夕暮れの茜色の差し込む教室の隅で立ち尽くしている黒子。もう一度声を掛けようとする黄瀬の目の前で行われたことは想像を超えていた。
 目を疑って上手く認識できない。
 まばたきできない目は生理的に涙が滲んだ。
 びりびりと破られた手紙。ゴミ箱へと消えていく。
 向日葵の柄の封筒が中の手紙ごと破かれた。
 黒子が、他でもない黒子テツヤが他人に宛てた誰かの手紙を破いているという事実に黄瀬は息を飲んだ。
 誰かのものではない。手紙は先程、青峰宛てに受け取っていたものだ。黒子の中にある暗い感情を見てしまったような間の悪さと知らない間に黒子のことを美化していたらしい自分自身への衝撃は頭が煮えたぎるほどに気持ちが悪いものになっていた。
「……黄瀬君」
 まるで縋るような切ない呟きに自分がいることを知った上でこんなことを黒子がしたことに驚いた。これはパフォーマンスだったのか。
「黒子っち、それって」
 声をかけた黄瀬に弾かれるように振り向いた黒子は泣いていた。袖口で顔を拭う黒子に黄瀬は感情を抑えられなくなる。黒子のその涙も行動も何もかもが青峰のためなら今ここにいる自分とは何なのか。
 近づく黄瀬から逃げるような黒子に黄瀬は苛立った。
 教室の中が赤く染まっているからだけではない黒子の目元の赤み。その原因が他人であることが黄瀬は許せなかった。原因が自分であるならその目元に優しくキスして抱き締めて不安も悲しみも取り除くことが出来るかもしれない。
 けれど誰かを思って泣く黒子に黄瀬は手も足も出せない。
 人の気持ちを踏みにじるなんて黒子が一番するはずのないことが目の前で起きていた。それはきっと独占欲とかそういった部類の感情なのだろう。黄瀬にも覚えがある。
 青峰が何気なく黒子の肩や背中に触れる時。
 紫原が癖のように黒子の頭を撫でる時。
 緑間が苦手だと言いながら黒子に今日のおは朝の結果を語りながらラッキーアイテムを渡している時。
 赤司がアイコンタクトで黒子に指示を出している時。
 どんな時でも相手がキセキの世代であっても黒子と近い距離を見せつけられるのは腹が立った。
 チリチリと腹を焼く気持ちは嫉妬心だ。
 今まで五人がいた日々としての距離感。
 黄瀬が追い付いていない場所。
 どれだけ不満があってもどうしようもない。
 時間を遡ってバスケに早く触れることなど出来ない。
 もっと早く黒子と会ったとしてもバスケが一緒じゃなければきっと黒子の凄さも何も分からないままに過ごしていただろう。黄瀬はいつだって気に入ったもの以外への記憶力が悪い。悪いのは記憶ではなく態度かもしれない。興味がない物を覚えていようとは思わない。
 尊敬する人以外に払う敬意などない。
 年齢も職業も関係しない。
 自分が認めた相手以外は全て『その他』だ。
 一目置いた相手なら大抵のことは許せる。そう思っていたのに黒子に対して何かをしていることだけは許せそうになかった。例えそれがチームメイトとして以上のものを含まなかったとしても反射的な憤りは抑えられない。
 校庭での影送り。
 黒子と手を繋げたことは嬉しかったが、黄瀬と手を繋いでいる反対側の手で青峰と黒子が触れ合っているのだと思うと腹の底から湧いてくるもやもやとした気持ち。
 目を見開いて影を焼き付けなければならなかったのに黄瀬は逆にぎゅっと目を閉じて三人の影を見ないようにした。
 手を繋いで並んだ三つの影なんだか酷く嫌だった。
 そもそも影送りをすることになったのは青峰が流し見ていた絵本に「こんなこと出来んのか」と呟いたからだ。
 本当に解答が欲しかったわけでもない問いかけに生真面目に黒子が「試しましょう」と返した。そこに黄瀬は関与しない。別に付き合う必要もなかったのだ。二人が影送りをしているところを離れたところで見ていれば良かった。
 だが、発作的に手を挙げて混ざりに行った。
 青峰が読んでいた絵本は小学校の頃に授業でやった記憶程度しかない。それなのに絵本が好きだと口から褒めるような言葉が出てくる。意外そうに黄瀬を見た後に黒子が自分も好きなのだと口にした。文学少年な黒子ならそう言いそうだと思っていた。顔をほころばせる黒子と驚いた後に感心する青峰に黄瀬は絵本のことが本当に好きになっていた。自分が案外単純なのは知っている。
 浮き沈みがあっても黒子と手を繋ぐ大義名分を得たことは黄瀬にとって嬉しいことだった。
 それなのに手を繋ぎながら青峰と話をする黒子に心が痛くなっていた。地面に映った影は黄瀬と黒子よりも青峰と黒子の方が近いように見えたのだ。
『目を瞑っちゃダメですよ』
 黒子のそんな言葉を聞きながら二人の距離の近さを見たくなくて目を閉じる。青峰から引き剥がして抱き締めることが出来たならまだ気持ちは違ったかもしれない。
『負け犬のような顔』
 どれだけ情けない顔なのか確認もしたくなかったが心の中に湧き立つものは誤魔化せない。自分でもどうにもできない反射的なもの。身体は勝手に動いてしまう。青峰とばかり話している黒子に意識を向けて欲しくて首筋を舐めて見たり。そんな子供のような注目の集め方をして気まずくないわけがない。間違ってしまったと思っているから自分自身に情けないと反省する。嫌になる。けれど好きだから止まらない。
 反射的に気持ちと一緒に身体は動く。理性が制止させる間もない。気付いた時には手遅れになる。だから黒子は今、後悔した顔をしている。「こんなつもりじゃなかった」といつだって黄瀬が思っていることを心の中で唱えているのだろう。黒子のその顔は悪いことをしたと思っているくせに同時に誤魔化そうともしていた。分かる。伝わってくる。きっと黄瀬も同じように情けない顔をしていたのだ。フラれていないのにフラれたような、ずるい人間の顔。黄瀬から視線をそらして逃げようとする黒子を黄瀬は見逃すことは出来なかった。
 黒子を守って秘密を共有しても良かったはずだ。
 訳知り顔で相談相手を買って出ても良かった。
 どちらも思考の端には浮かぶが身体はそうはいかない。
 一番強い感情に従うのが肉体だった。
 黄瀬が感じた一番強い感情。
 この場合それは『怒り』だ。そんなに青峰のことが好きなのかと黒子を責めたくて仕方がなかった。





(略)




 これは敗北宣言に他ならない。

 蛇のような狡猾さと狐のような狡賢さ。
 冷たい爬虫類の思考と獣の獰猛さで絡め取る。
 欲しいものが口を開いて待っていれば転がり込んでくるわけではないことなど十年ちょっと生きていれば分かるものだ。自分から動かないと取りこぼしてしまう。
 そんなことを思った結果がこれだというのだから黄瀬の頭はあまり良くなかった。けれど、理屈じゃない。
 抑えられない欲求をぶつける以外に黄瀬が黒子に出来ることはなかった。これ以上の言葉も行動もないのだ。
 そう思い込みたいだけだとしても網膜に焼きついた影の巨大さに黄瀬は飲み込まれていた。
 間違ってしまったことを正すことは難しい。
 人は自分をそこまで疑えない。
 正解だと思っていたものが、まさか間違いであるなんて認め直せるはずもなかった。自分の中の正解を真実だと思い込む。事実の欠片ではあるかもしれないがプラスでもマイナスでも偏った自分の価値観というフィルターを掛けて見た現実は真実とは程遠い。
「…………っ! ぁ、……っ」
 口にしようとした台詞が喉にこびりついて出てこない。
 黄瀬は情けなさを感じるよりも必死だった。苦しみを吐き出す方法を探していた。そのために取る行動としては最悪としか言えないことをしてしまった。余裕などなくて、客観的になどなれなくて、怖くて痛くて泣き出しそうだったのだ。それが免罪符になるわけではない。
 ただ暴走した心のままに身体は動いた。
 触れた唇の柔らかさ。少し感じる汗の匂い。驚いてこわばっている黒子の身体。黄瀬は押し倒しながら黒子の身体の熱を感じる。今まで練習をしていた身体は制服に着替えても、まだ熱い。
 髪の毛を思いっきり引っ張られて黄瀬は思わず黒子から顔を離す。見上げてくる視線にははっきりとした怒気があり足は黄瀬のことを蹴ってくる。
「黄瀬君? なにを考えてるんですか」
 唇を袖口で拭くような動作をする黒子に黄瀬の中のナニカは壊れた。最初からおかしかったのかもしれない。だからこそ、こんな事が出来た。何を考えていたのかなど決まっている。黒子のことだ。黒子のことだけしか考えていない。
 言いたい言葉も聞きたかった言葉も知りたかったことも全て吹き飛んで黄瀬は黒子の両手を押さえつけながら先程よりも数倍乱暴にキスをする。ねじりこんだ舌は思いっきり噛まれた。噛み切られるかと思う強さに気持ちが萎えるどころか煽られた。そんな嫌がられるようなことをしているという自分を哀れむ気持ちが芽生えたのだ。
 痛みの中にいる自分は悪くないとでも言うように黄瀬の中で行為に正当性が出てくる。こうするしかない、これ以外の方法などない、そんな風に頭の中は自分の正しさを主張する。都合がいい解釈の中にいると端から見れば言えるかもしれない。黒子にとって良い迷惑だとしても黄瀬には一大決心の玉砕覚悟の突撃だ。
 涙が出るほどにこれ以外に道はないのだと心が叫ぶ。
「オレが何を考えてるから分かんないんスか? 黒子っちは。こんな風にされてんのに本当に分かんねえーの?」
 練習に遅れた罰として最後の掃除を二人でした。
 レギュラーになるので黄瀬はこういった居残りはしなくなる。見せしめでも厳重注意ぐらいで好き勝手が許されるだろう。赤司が怒らない限りはチームに貢献している選手は優遇される。帝光では勝利こそ全てなのだから当然だ。
 言ってしまえばこのチャンスは最初にして最大最後のものであるのかもしれない。レギュラーになれば黒子と一緒に居る時間は増えるかもしれないが同時に二人っきりの時間はなくなる。黒子は黄瀬の教育係でも何でもなくなり、ただのチームメイトになるのだ。誰だって黒子にとってはただのチームメイトなのかもしれない。たった一人以外は。
 苦しくて死にそうになる。
 自分はそのたった一人に選ばれないのだと黄瀬は知っていた。その位置にはすでに別の誰かがいる。なら、良い子のふりをし続ける意味もそれほどないと囁く心がある。
 やりたいようにやって壊してしまって良いじゃないかと心が騒ぎ立てた。衝動に抗うことは出来そうになかった。今までずっと耐えてきたのだと静かに涙を流していたのだから止まれるはずがない。好きなのだというそれだけの激情をぶつけたかった。我武者羅に無茶苦茶に空回っているような自分を分かっていても止められない。
「オレは今から黒子っちを犯す。冗談じゃねえから」
 目を見開いている黒子は現実に追いつけていないのだろうか。黄瀬がこんな事をするはずがないとそんな優しいことを思ってくれているのかもしれない。
 黒子が戸惑っている内に黄瀬は黒子のシャツのボタンを外して下着ごとズボンを下げる。片手で黒子を押さえながら空いた片手で脱がしていたものだから拘束力は弱まった。
 黒子だって別に非力というわけではない。
 普通程度には力はある。
 ずっと厳しい練習をしているのだから、ひ弱であるわけもない。けれど、中学生とはいえ身体が出来上がった状態の黄瀬に敵うわけもなかった。
 逃げられてもすぐに追いつける。
 手を振り払われて立ち上がる黒子に黄瀬は余裕があったわけではないが楽しみはあった。自然と上がる口角。逃げる獲物を見つめる獣の瞳。いま鏡を見れたなら紫原がギラギラしていると言った意味が分かるだろう。黄瀬が見ていたからという訳でもないだろうが黒子は転んだ。
「黒子っち!!」
 黄瀬が下したズボンも下着もそのままだったせいで引っかけて黒子は転んでしまったのだと思ったが違う。足に触れれば分かる。転んだのは足に力が入らなかったからだ。
 かわいそうな程に震えている。
 生まれたての小鹿のようだ。
 表情は戸惑い気味の無表情なのに身体の反応は想像以上に素直らしい。男に、知り合いに襲われるということに恐怖しないでいられるはずもない。黄瀬は黒子を哀れんだ。
「黒子っち、落ち着いて」
 背中を撫でながら微笑みかける。
 安心させるように笑い掛けながら口付ける。
 舌先に感じる血の味。
「痛いっスよ。噛むんじゃなくて吸ってよ」
「……何するんです」
「言ってるじゃないっスか。これから黒子っちを犯すって。ここに宿直の先生が見回りに来るまで一時間ってとこっスか? それだけ、あれば」
「ふざけないでください」
 顎に拳が来るのを黄瀬は自分の手で受け止める。
「冗談じゃねーって」
 黄瀬の腕を噛んで来ようとする黒子に「手紙」と黄瀬は口に出す。尋ねる言葉ではなく責める言葉なら衝動に任せて勢いよく飛び出すらしい。
 まるでホースの水のよう。
 蛇口をひねってもなかなか水は出なかったのはホースを踏んでいたからだ。足を外せばホースは暴れ回る。
 収拾がつかないほど言葉は溢れかえる。
「アレ、ラブレターっスよね」
 黒子の表情に色がなくなる。身体も固まったまま動かない。抵抗の意思が消えたことに黄瀬は苛立つ。計画通りなのに黒子が逃げ出そうとしないことに腹が立っていた。
 黄瀬とのことよりも黒子は過去でしかない向日葵の柄のラブレターに気を取られている。それは青峰を思い出しているということだ。目の前の自分ではなく別の人間を見ている。そんなことは許せない。嫌だ。心の中で叫ぶ自分をなだめるように黄瀬は黒子の唇を奪う。今度は噛みつかれることはなかった。呆然としているからか黄瀬が舌を絡ませても黒子に反応はない。
 先程ボタンを外したシャツを更に黄瀬は乱れさせる。
 鎖骨や脇腹を撫でると正気に戻った黒子に抵抗された。
 正気に戻ったということは気持ちが良かったということだ。身体は心を裏切って快楽に傾く。黄瀬だって男だからその気持ちは分かる。首を振って黄瀬から逃げようとする黒子を力づくで押さえ込む。唇を噛まれて血が出たが舌だってさっきは噛まれたのだから大したことはない。
 血の匂いに興奮する黄瀬は色んな意味で駄目だろう。
「なんで、破いたの?」
 黒子の唇についた血を舐めとりながら黄瀬は聞く。
 尋ねているような言い方だが実際は聞く気はない。
 釈明など黄瀬にされても仕方がないことだと黒子自身知っているはずだ。謝るべきは破いた手紙の主とその受取人である青峰だ。黄瀬に謝っても仕方がない。それなのに黒子は震えた声で「ごめんなさい」と口にした。
 手紙を破いた時と同じように泣きながら黒子は謝った。
 黄瀬に謝ってどうする気なのか。黄瀬は許してなどやれない。青峰にこんな面を見せたくないのだろうか。それはそうだろう。誰にだって自分の中のドロドロとしたものは触れさせたくない。黄瀬も今、黒子に対して懐いている苛立ちも独占欲も誰にも知られたくない。同時に黒子にだけはぶつけてしまいたい。他の誰でもない黒子には分かって欲しい。このわがままな気持ちが恋だと言うなら勝手すぎると責められるかもしれない。
 責めて欲しいのだ。そして、今日を忘れないで欲しい。
 一生の傷にでもなればいい。一緒の傷を抱えるのだ。
「ごめんで済むと思ってるんスか」
 黒子の混乱に乗る形での断罪は最低の行為だっただろう。 黄瀬が黒子の性器に触れても黒子は暴れてこなかった。
 まな板の上の鯉。そこまでではないにしても黄瀬の動きを見守っていた。黄瀬を受け入れていた。
(オレが黙っているのと引き換えに黒子っちを好きにしていいってそんな取り引きっスか?)
 勝手な黄瀬の自己完結にエスパーでもないので黒子はツッコミを入れることはない。
「どうしたら……」
 困り顔の黒子に当人たちに謝りに行けばいいと正答など与えない。狡賢い野獣で構わなかった。
「憂さ晴らしさせてくれねぇっスか?」
 本音をぼかすための言葉。本心があまりにも重いから黄瀬はわざと軽く言って見せる。
「晴れます?」
 不思議そうに黄瀬を見てくる黒子の瞳は真っ直ぐで怖い。
 人形のようなつぶらでピカピカと輝いていて何を考えているのか分からない。黄瀬のことを少しでも気にかけてくれているだろうか。黒子の心の中に居場所はあるのだろうか。そんなセンチメンタリズムな気持ちとは無縁に黄瀬は黒子の身体に触れていく。
 どんな綺麗に言い繕おうとしたところで結局は肉欲。
 理性で抑えが利かない本能の思うままに行動しようとしているのだ。
 黒子テツヤを犯したい。
 辱めたい。自分を刻み込んでしまいたい。今まで黄瀬は想像で黒子をいくらでも犯した。初めからそういう目で黄瀬は黒子を見ていたのだ。夢の中ですら黒子は自分の方を向いてはくれなかったがそれでも構わなかった。
「黄瀬君」
 黒子の表情がまるで変わっていた。
 哀れむような思いやるような顔は優しいのに遠い。
 他人行儀だ。
「ボクが悪かったです」
 年長者がわざと折れて年下に花を持たせるような空気。
 黒子の指先が黄瀬の頬を撫でる。それでやっと気付く。黄瀬はどうやら泣いていたらしい。溢れだす激情は愛情と情けなさと小さな自分への批難。どれだけ好きだったとしても返ってくる思いがないなら同じことだ。
「黒子っち」
 獰猛な獣が雨に打たれたように勢いを失くしかけたが黒子が一言「ボクに何かすることで気が済むなら、どうぞ」と口にしたことで色々なものが壊れた。




(略)




 夢みたいだと思う程度に黄瀬は今の状態のおかしさを理解している。そして、夢じゃないのだと喜べる程度に冷静さはある。有頂天になって後のことなど考えていない時点で冷静さなどないのかもしれない。


 図書室の隅の隅。

 美術関係の本や図鑑などの人気のあまりない棚の列で黄瀬は黒子にフェラチオをしてもらっていた。AVでお馴染みだとしても同性の同級生にしてもらうことを想像できる黄瀬ではない。黒子以外は同性も同級生もまとめてご遠慮いただきたいので、こんな機会は他になくていい。
 心象風景を具現化できるなら黄瀬の背中からは羽が生えて周囲に花を散らしたかもしれない。幸せなお花畑の中で昇天したと言いたいところだが、やり始めてもらって、さほど経ってもいないので達するには早すぎる。
 どこから入ってくるのか黄瀬の髪を揺らす風が性器の方も攻撃する。ドライヤーの送風を当てていると思えば微妙なぞわっと感は伝わるだろうか。
 図書室にしてはざわついているのは風のせいで本をめくるのが大変だという主張と窓を閉めてしまうと暑くなる派が(図書室なので)静かに争っているからだ。閉めては開けて開けては閉めてを繰り返しているのは見えなくても聞こえてくる音で分かる。
 他の昼休みの教室なら喧騒というほどでもないざわつきも図書室では大きく聞こえる。黄瀬にとっては好都合。
 それでもまさか本当に黒子がこんな事をしてくれるとは思わなかった。人生は言ってみたもの勝ち。お願いしてみるものだ。本を読む邪魔をするなと図書室から追い出されるかと思ったのだがそんな事はなかった。理由として手紙の件があったとしても黒子がしてくれることは素直に嬉しい。それはそれとして喜びたい。
 口を大きく開けるように頑張っている黒子の健気さにも立っている黄瀬に合わせるようにしゃがみながら見上げてくる体勢も全体的に堪らない。
 口の中に溜まった唾液を黒子が飲み込んだらしく動く喉。
 黄瀬の先走りなども混ざっていたはずだ。
 自分の血管が浮き上がって脈打っている。
 黒子の姿を見ているだけで大きさを増した気がする。
「何もしてないのに大きいです」
「結構、風が当たるっスよ」
 素直に黒子の姿に興奮しているとは言えずに誤魔化す。
 空気の流れが気持ちいいのは本当のことでもある。
 少し考えるような黒子が黄瀬の性器に歯を立てる。
「ひぃ! 何するんスか!!」
「しー」
「いやいや、黒子っち!」
 食い千切られる程ではないにしても歯を立てられる恐怖は並大抵ではない。背筋が凍った。
「復讐っスか?!」
 縮み上がった自身に黄瀬は涙目になる。
「何の話ですか。萎えましたか?」
「黒子っち、なんか面倒だとか思ったっスか? 職務怠慢っスか?」
「いつからこれがボクの義務になったんですか」
「黒子っちがやるって言ったんスから、ちゃんと最後まで責任とってくださいッ!」
 つい黄瀬は大きな声を出す。
 すかさず「黄瀬君、しー」と黒子に言われてしまった。
 いくらざわついた図書室の中でも騒げば誰かが来るかもしれない。股間を丸出しにした黄瀬が発見されれば即問題になって噂どころか退部、停学もありえるかもしれない。
 顔を知られているというのも厄介だ。
「黄瀬君、どのあたりが一番気持ちいいですか?」
 顔を横向きにして黒子が横笛を吹くように竿を唇で揉むように刺激をしながら吸った。
 舌先で全体的に愛撫されながら黄瀬はこれからどうなるのか考えて消えそうになる。射精する場合、選択肢がない。
(黒子っちの口の中? え?)
 いいのだろうか。いや、ダメだとしたらどうするのか。
 繰り返すが選択肢がない。
 本の間に解き放って閉じて知らない顔で図書室から逃げるのを考えたが本を汚すような所業を黒子が許すとは思わない。べったりと白濁液が付着したページを顔面にこすりつけてくるぐらいはされそうだ。
(悪かった。オレが悪かったっスよ)
 頭を抱える黄瀬に「気持ちよくないですか……」少し落ち込んだ黒子の声に黄瀬は「ティッシュとかって持ってるっスか?」と聞いてみる。
 ハンカチを持っていない黄瀬が悪かった。
 タオルはいつでも誰か女の子がくれるので持ち歩かなくても問題ないなどと思っていたのがいけない。
「……あ、処分にも困るので飲みますから出してください」
「え。……えぇ!」
「黄瀬君、しー」
 また怒られた。今度は性器をぺしりと叩かれる。
「誰かが来て急いで隠すとチャックで挟む大惨事になりますよ」
「そ、っスね」
 今更に黒子の男前さを噛み締める。
「気持ちよさがイマイチでも頑張って早くしてください。昼休みが終わっちゃいます」
 ちゅっちゅっと聞こえる音と吐息に心の中で「正直すでに限界っス」と黄瀬は答えた。


続きは本編で!

発行:2012/08/26
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