短編 | ナノ

現世出張する審神者と燭台切光忠

 それは、審神者になって一年ほどが過ぎようとしていたある日のことだった。執務室で書類と己の手帳を開きながら予定を確認していた私に、こんのすけが声を掛けてきた。

「え、×日に現世へ出張ですか……?」
『はい。審神者報告会と、その翌日の一日のみ休暇が認められています』
「……えっと、それはつまり?」
『主さまは就任後未だ休暇をとられておりませんので、ついでに休んでしまったらどうかということです』
「なるほど」
『つまり、どうぞご自由にお過ごしくださいということです』
「はあ」
『現世で』
「現世で」

 ところで最近の私は、仕事にもかなり慣れてきていて結構絶好調といっても差し支えない状態である。最初は女一人、それどころか人間一人ということで戸惑っていた本丸での生活も楽しくなってきて、だいぶ調子がいい。
 それはともかくとして、私たち審神者には『報告会』という、まだ実際に経験したことがないので詳細はわからないが、複数の審神者が現世に集まってそれぞれの状況を報告しあう――という報告会があった。私も就任してから一年経つから、今回で初めて呼ばれるのである。
 しかしまさか、休暇も一緒に取れ、と言われるとは予想だにしていなかった。

『審神者様、宿泊施設の予約はされますか?』
「……まあ、せっかくなら」
『では後ほど改めて案内をお送りいたします』

 こんのすけはいつもの事務的な声色に少しだけ楽しさを滲ませていた気がした。意外とこういうプランを立てるのが好きなのかもしれない。
 ――審神者が現世に戻ることはほとんどない。というか、私はてっきり就任したらもう帰れないのだと思っていた。ずっとここで生きて死ぬ覚悟をしていたけど、どうやらそうではないらしかった。私は少し恥ずかしい思いで、目を逸らしながらこんのすけにおずおずと問うてみる。

「……あの、こうして現世に帰ることって結構その、できたり?」
『そうですね、休暇を申請すれば年に十回ほどは可能かと。日数もご相談いただければ柔軟に対応いたします』
「あ、そうなんですか……」

 お休みをもらって現世に帰ることは結構な頻度でできそうだった。この仕事について完全に勘違いしていて、私は少し頬に熱が集まるのを感じた。いくら絶好調でも知らないことは知らないのだ。
 それにしても、この感じならば普通に遊びに行くどころか旅行に行くことだってできそうである。自分で言うのもなんだが就任後はかなり真面目に仕事ばかりしていたので全く知らなかった。そりゃあたまに出陣も審神者の執務もお休みにしていいということは知っていたけど、ちゃんと帰ることもできるとは、審神者業は結構ホワイトな環境である。まあ、今回は報告会のついでに休暇というかたちにはなるのだが。
 かくして×月×日、私は久方ぶりに現世へと帰ることになったのである。
 偶然にもその日は――。

 ◇

「……それでですね、突然ですが×日から×日現世へ帰るので。みなさんもその間は休暇ということでよろしくお願いします」

 ある日の朝餉の席で、私はみんなに向かってそうお知らせした。一部でカシャン、という音がした。食器を落としてしまったかのような音だったが、静かだったのでその音がよく響いて、何とも言えない空気を作りだしていた。

「えっ、主さん、帰っちゃうんですか?」

 一瞬訪れた静寂は、私の近くに座っていた堀川国広の声によって破られた。彼はどこか残念そうに眉を下げている。

「まあ、帰るといっても二日だけですから」
「出張みたいな感じですかね」
「そうですよ。ちなみにそのうち一日はお仕事で、一日は休暇なんです」
「なるほど」

 堀川くんは頷いて、それなら仕方がないかな、とでも言いたげななんとも言えない表情をつくった。

「二日といってもちょっとさみしいよね。ね、兄弟」
「まあ、写しの初期刀など忘れてゆっくり休んでくるといいさ」
「またそういうこと言って」

 その堀川くんの隣に座っていた山姥切国広――私の初期刀である――は、無表情で焼き魚を頬張っている。そういえば就任以来ずっとここで共に暮らしてきた彼と離れるのはこれが初めてである。少しだけ寂しがってほしい気もするな、なんて勝手なことを考えながら、私も同じく焼き魚をほぐして口に運ぶ。

「……護衛は要らないのか?」

 いい具合に焼けている魚を味わっていると、少し間を開けて山姥切くんが尋ねてくる。ちなみに彼を山姥切くんと呼ぶと少し複雑な顔をされるが、かといって国広くんと呼ぶと三振り居てややこしいので結局はこう呼んでいたのだった。

「ええ、報告会は政府の安全な場所でありますし。休暇も……多分、一人でも大丈夫なんじゃないかな? と」
「……あんた、それでいいのか」

 山姥切くんがはあ、とため息を吐く。私は苦笑しながら味噌汁を啜った。そもそも護衛をつける、という発想自体がなかったことは黙っておいたほうがいいだろう。

「やっぱり兄弟も主さんのこと心配なんだよね」
「……俺たちの主なんだ、当然だろう」
「わかりやすい照れ隠しですよね、主さん」
「兄弟!」

 そんな微笑ましい兄弟のやりとりを見つつ、私は広間全体を見渡した。もしかしたら他の刀剣男士から何か質問が来るかもしれない。休暇中にやっておくべきことだとか、そんな感じの質問だ。
 ざっと全員の顔を見ても、特に誰も発言しなかった。それならまあ大丈夫だろうか、と視線を下に落とそうとした瞬間、一振りの太刀と目が合った。彼は無表情なような、何か言いたげなような、言葉で表し辛い複雑そうな表情を浮かべている。――何かあるのだろうか。しかし今何も言わないということは、みんなの前では言いにくいことなのかもしれない。私は総判断して、全員に聞こえるように少し声を張って言った。

「みなさんもこの機会に羽を伸ばしてくださいね」

 もし何かあれば、後で個別で言いにきてくれるだろう。
 そういうわけで、今日の朝餉の時間は終わったのである。

 

 さて、今日からは報告会前に今までの出陣回数や己の戦績、我が本丸についてのその他諸々をまとめておかなくてはいけない。気合いを入れなくては、と張り切っていると、誰かの足音が近づいてきて、部屋の前で止まった。

「――主、少しいいかな?」

 聞き慣れた心地の良い低音を聞いて、「ああ」と納得した。やはり先程のあの表情は何か言いたかったということなのだろう。私は立ち上がって、彼に入室を許可した。

「どうぞ」

 そう言うと、すっと静かに障子が開く。そこには私の近侍、燭台切光忠が立っていた。先程の朝餉の席でなんとも言えない顔をしていたのも彼である。

「失礼するよ」

 そう言って入室してきた光忠さんはやけに神妙な面持ちである。まさか、別の緊急事態でも起こったのだろうか。私はごくりとつばを飲み込んで光忠さんに向き合って座り、彼が口を開くのを待った。

「主、×日に現世へ帰っちゃうんだね」

 あまりに真面目な顔をしているので一体何かと思ったが、やはり私の現世行きについての話だった。なんとなく拍子抜けだったが、何か悪い事態が起こったという報告よりはずっといい、と思い直して光忠さんに向かって微笑みながら返事をする。

「ええ、そうなんです。さっき言ったとおりなんですが、報告会と、その次の日一日なら休暇をとってもいいと……折角ですから現世で買い物だとかいいかもしれない、なんて思いまして。ありがたくおやすみをいただくことにしました」
「……そういうことは、まず僕に伝えてほしかったかな」
「あっ、ごめんなさい! そうですよね、近侍なのにすっかり伝え忘れていて……」

 なんせ急に決まったので、と付け加えると、光忠さんは少し不満そうな顔をしながらも「……そう」と視線を外して呟いた。これは失礼なことをしてしまった。まずは彼に伝えるべきだった、としゅんと項垂れていると、頭上からふう、と息を吐く音が聞こえてくる。

「……まあ、急だったから仕方ないよね。本当に護衛も必要ないのかい?」
「政府から何も言われてないですし、ひとりで大丈夫じゃないかと」
「そっか。……報告会、頑張って。気をつけて行ってきてね。休暇も楽しんでおいで」
「は、はい、気をつけます」
「これからはちゃんと僕に言ってね」

 光忠さんはそう言って少し眉を下げて困ったように笑っている。

「じゃあ僕は戻るね。失礼するよ」

 そして、そう言うとささっと退室してしまった。私は頭上にクエスチョンマークを浮かべ、首をかしげる。

「……なんだったんだろう?」

 朝餉の席で話したこととほとんど変わらない問答を交わしただけだった。もっと他に訊きたいことがあったのかと予想していたのだが、今のは一体なんだったのか。近侍である彼に伝えなかったことを、少し怒っていただけだったのか。

「まあ、いいかな……?」

 今はあまり小さなことは気にしていられない。なんせ初めての報告会に向けて、まだまだまとめておかなくてはいけない書類は山ほどある。
 私は今の光忠さんの行動は気にせず机に向き直って、執務を再開させるのであった。

 そして、その日はあっという間に来る。
 私は少し緊張しながら、数振りに見送られて本丸を出ることになった。全員で見送ると言われたが、そんな仰々しく見送られても少し恥ずかしい、と言ったら数振りだけが来てくれたのだ。

「じゃあ、行ってきますね。みなさんもお気をつけて」
「ああ、いってらっしゃい」

 その数振りの中に居る近侍の光忠さんに手を振られながら、私はみんなに背を向ける。二日間とかいえ一年暮らしてきた本丸を離れるとなると少し寂しい気持ちが湧き上がってくる。

「主」

 足を踏み出そうとすると、光忠さんに呼び止められた。なんだろう。私は振り返る。

「なんでしょう?」
「……その、帰ってくるのって、×日の何時頃だろう」

 光忠さんは視線を落としながら、いつもよりも気持ちたどたどしい口調で私に問うてきた。

「どうでしょう……そんなに遅くはならないと思いますけど、正確な時間はわからないですね……どうしてですか?」
「――ああ、いいんだ。少し気になって……なんでもないよ」

 どこか煮え切らない返事をしながら、光忠さんは笑みを作っている。一体何だったのだろう。少しひっかかりを覚えながら、私は再度光忠さんに手を振り返して、ゆっくりと本丸から出た。

 ◇

 無機質なアラームの音に起こされて、私はゆっくり目を開けた。

(……静かだ)

 報告会は無事に終わり、一晩明けた×日の朝。私はホテルで一人休んでいた。
 いつもは誰かが起こしに来たりするが、今日は一人だ。何も聞こえない部屋の静寂は心地いいけれど、どこか物足りない。
 私は寂しさを誤魔化すように、なんとなく手帳を開いた。×月×日、特に祝日でもなんでもない今日この日に、小さく印だけがつけてある。スマホのライトが点滅し、未読のメールかメッセージがある、と通知が来ている。

(……買い物にでも行こう)

 折角時間があるのだ。趣味の手芸用品なんか、ゆっくり見てみるのもいいかもしれない。そういえば欲しい布があったのだった。
 私はのっそりと起き上がって、身支度を始めた。



(すっかり遅くなっちゃった……)

 ゆっくりと買い物をしてご飯も食べて――と、のんびりと休暇を楽しんでいたら、気がつけばもう日付も変わろうかという時間になっていた。結構遅くなってしまった。いくら休暇だとはいえ、そんなに遅くに帰るつもりはなかったのに。

(楽しんだのはいいけど、やっぱり一人だとちょっとだけさみしいな)

 本丸では電話が通じないので、折角だからこの機会に両親や友達と長々と通話をした。そういうわけで誰とも一切話さないという休暇ではなかったが、実際、私の隣には誰も居なかったのだ。楽しめはしたが、ほんの少し寂しさもある。
 とにかく、今は早く帰って明日からの仕事に備えなくてはいけない。せめて近侍の光忠さんに連絡しておけばよかった――と後悔しながら、私は本丸の門をくぐる。

(もうみんな寝てるよね……)

 起きている刀もいるだろうが、それでも大半の刀は寝静まっているであろう時間帯だ。私は極力音を立てないようにゆっくりと玄関の引き戸を引いて、土間で靴を脱ぐ。そして二日ぶりの本丸の廊下の床を足音を消して歩いていった。
 やはり皆寝ているのか、話し声などは聞こえない。私はより一層神経を張り巡らせて、そろりそろりとゆっくりと歩を進めて自室に向かう。あと一つ角を曲がれば私の部屋だ。
 ――そっと角を曲がると、人影が見えた。誰も起きていないと思ったのに、私の部屋の前に誰かが座っている。光忠さんだった。

「あ」
「……主」

 小さく声を上げてしまい、私は口に手を当てる。静かにしなくてはいけない、と思っての行動だった。こちらに気づいたらしい光忠さんが立ち上がる。私はそのまま歩を進め、小さな声で帰還の挨拶をするために光忠さんへと近づいた。

「ただいま帰――」

 りました、と続けるより前に、私の視界が急にぶれた。 
 一体何が起きたのかと理解して声を上げるより前に、私の心臓が跳ねて何も言えなくなってしまった。
 目の前に、光忠さんの胸板が見える。恐る恐る顔を上げれば、至近距離に光忠さんの顔があった。

「え、えっ?」
「かっこわるいけど、やっぱり我慢できないな」
 
 耳元で光忠さんの声が聞こえて、私は肩をびくりと跳ねさせる。身動きが取れないままで、私は手だけを動かして今の自分の状況を確かめようとした。
 背後には壁がある。そして私の目の前には光忠さんさんがいる。彼は私の頭上あたりに手をついていて、私は完全に壁と光忠さんに挟まれていた。

「あ、あの、光忠さん……」
「今日って」

 私がようやく口を動かして、いつもよりもずっと顔が近くて恥ずかしい、一体どうしたの、遅くなってしまってごめんなさい――色々言いたいことがあったのにそれらを口にする前に、彼はいつもよりも低い声で私の言葉を遮った。その表情はどこか切羽詰まっているようで、いつもよりも余裕がないように見えた。

「今日、君の誕生日だったんだよね? どうしてこういう時に限って現世に帰っちゃったのかな」
「えっ、なんでそれ知って――」

 この本丸の誰にも言っていないのに。
 予想だにしなかった言葉が飛び出してきて、私は思わず固まってしまう。いつの間に知ったのだろう。確かに彼との付き合いは長いが、こういった話は一回もしたことがなかったはずだ。
 私がうろたえていると、光忠さんは私からわずかに目を逸らし、小さく呟いた。

「……偶然知ったんだ。君の手帳を見ちゃって」

 彼の言葉に私はそういうことか、と心の中で頷く。そういえば私は執務中に予定を確認するために手帳を開くことがままある。きっとその時にたまたま目に入ったのだろう。なんせ光忠さんは近侍だから、よく私の部屋に居るのだ。
 私が一人納得していると、光忠さんは再度口を開く。

「だから、お祝いしようと思って……色々と、こっそり用意してたんだよ?」
「ま、まさかみんな――」

 それだったらすごく申し訳ないことをした。皆の気持ちを無下にしてしまった、と私は青ざめる。そんな私の唇に人差し指を当てて、光忠さんは口元にゆるく弧を描いて静かに言った。

「違う。違うよ、僕だけ」

 そう言った光忠さんの笑みに見惚れて、私はしばし硬直してしまった。

「ちょっと卑怯だけど、こっそりお祝いして君のこと独占しちゃおうかと思ってね」

 さらりと言われた一言に、私はまた固まってしまう。それは、どういう意味なのだろう。

「……そ、う、なんですか……」
「そんな顔してどうしたんだい?」

 やっと絞り出したぎこちない返事を聞きながら、光忠さんはわざとらしく私を見つめ返してくる。

「……あ、もしかして知らなかった?」

 光忠さんは少し身をかがめ、私に視線を合わせてくる。ただでさえ近かった距離が更に縮まって、視界が光忠さんの綺麗な顔でいっぱいになった。

「君のこと好きだから独占したい……って思うのは、悪いことかな?」

 私は光忠さんと壁にサンドイッチされたまま動けず――つまり、至近距離でこんな告白を聞いてしまっているわけだ。こんな甘い言葉を聞かされて、まともに動ける人などいるのだろうか。

「もう遅いけど、ちょっとだけ付き合ってくれると嬉しいな」
「……はい、喜んで」

 私は真っ赤になりながら頷く。なんて誕生日だ。とんだサプライズすぎやしないか。どうやら今日という特別な日は、まだまだ終わりそうにないらしい。



4.7. 
ナズナさん、お誕生日おめでとうございました……!






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