短編 | ナノ

下半身が蛇になった膝丸 後

 もし中に入っても膝丸の姿が見えなかったらどうしようかと思ったが、それは杞憂だったようで、呆然とした様子で私を見つめている膝丸と目が合った。彼の顔色は少し悪かったが、確かに髭切の言う通り死にかけというほどでもなく、起き上がっていられるくらいの体力はあるらしく――私はほっと安堵のため息をついたが、その直後にひっ、と短く息を呑んだ。
 ――膝丸の下半身にあるべき二本の足がない。いや、足どころではない、彼の肉体は腰の辺りから、明らかに人間とはかけ離れた異常な身体になっている。
 彼の下半身は、薄緑の鱗に覆われていた。

「な、え、あ――へ、へ……」
「……開けるな、と、言っただろう……」

 膝丸は悲しげな表情をした後に項垂れる。そんな彼の表情を気にかける余裕もなく、私は膝丸の全身をゆっくりと観察する。
 ――蛇、である。どう見ても、下半身が蛇になってしまった膝丸が目の前にいる。上半身はいつものヒトの肉体のまま、しかし下半身は私を絞め殺せそうなほどの太さをもった、今までに見たことのないような大蛇の身体が、とぐろを巻いて部屋の中に鎮座しているのだ。
 一体、何がどうなっているのだろう。私は動揺を抑え切れないまま、目を軽く見開いて膝丸に問うた。

「え、あっ……と、膝丸だよね?」
「――は、流石にそこを疑われるとは思わなかったな……いや、この姿を見たらそう問いたくなるのも当然か。俺は確かに君の刀で、源氏の重宝、膝丸だ」
「ご、ごめん」

 私は慌てて謝るが、膝丸は皮肉っぽく笑った。その顔にも声にもどこか力がなく、いつもの自信に満ち溢れた様子など微塵も窺えない。私は慌てて彼の隣に座り、その身体を確認する。

「ど、どうしてこんなことに……」
「それは俺にもわからない。ただ、朝起きたらこのようになっていてな……流石に、この姿では朝餉も、内番も行けまい、と引きこもっていたのだが」

 非番でまだ良かったものの、と膝丸は力なくつぶやいた。
 なるほどどおりで出てこられないわけだ、と私は納得しながら彼の姿をまじまじと見る。
 間近で見ると、やはり彼の下半身は蛇そのものとしか言いようがなかった。足がなくなり一本(?)の太い胴体と変化し、ヒトの身体についているわけがない鱗が、びっしりと胴体から尾までを覆っている。
 膝丸は上半身にいつもの戦装束を着ていたが――ずっと寝間着のままではいたくなかったのかもしれない――急いで着替えたのかよりもかなり着方が雑で、腹のあたりのシャツが少し捲れてしまっていた。その隙間から肌が覗き、肌が白いな、腹筋が引き締まっているな、などと考えつつその鱗がどこまで肌を覆っているのかを確認する。僅かな隙間から、ちらりと彼の臍が見えた。やはり下半身だけが綺麗にこうなっているようで、まるで西洋のファンタジーに出てくる生物のようだ、とぼんやり思う。
 すぐに我に返り、膝丸に向き直って口を開く。

「確かにこれだと出てこられない、よね……そうだとりあえず政府に連絡しよう、こういうときはそれしかないよ」
「ああ、頼む……」

 膝丸は憔悴した様子で私に向かって頷いた。彼の精神は強靭なものではあると思うが、流石に数年間ヒトの肉体だったところがいきなり蛇になっているとなると動揺を隠せないらしい。弱々しい膝丸の様子を見つつ、政府へ緊急事態だと連絡をしてから彼に問いかける。

「ちなみにこうなった心当たりなどは……」
「……――ないな」

 やや間があったが、彼の顔を見るにどうも原因はわからないらしい。それはそうだ、思い当たる節があるのならこんなにへこまずに、まず最初に言うだろう。膝丸はそういう刀だ。
 ぬくもりを感じない鱗に手を這わせて膝丸とともに頭を抱えていると、私の腰の辺りが僅かに震える。すぐに政府から返信が来たようで、私は端末を取り出した。レスポンスが速くて結構なことだ。メッセージの内容を確認して膝丸に伝える。

「よかった、こんのすけが来てくれるみたい。ちょっと待っててね、すぐに解決策を教えてもらってくるから」
「ああ、すまない。主、君に迷惑を掛けてしまったな……」

 膝丸が目に見えてしょんぼりとしているので、私は彼の顔を覗き込んで言う。

「迷惑だなんてことはないよ、自分の刀に何かあったときに解決するのは主の役目だし。大体、望んでこうなったわけじゃないんだよね? 気にしないで、今は自分のことにだけ専念してね」

 そう言って膝丸の部屋を出ようとすると、彼は状況に似合わない穏やかな笑みを浮かべた。

「……そうか、主、ありがとう」

 それに返事をする余裕もなく、私は小さく頷いて今度こそ襖を引いて奥の部屋を出る。
 髭切は先程出陣したばかりだ、まだ当分帰ってこないだろう。執務室でこんのすけと連絡をとろうとすると何振りかは何かあっただろうと勘付くかもしれない。部屋から出てこなかったくらいだ、自身に何が起きているのか悟られるのは膝丸としては避けたいだろうと判断し、私は源氏兄弟の手前の部屋の中でこんのすけを呼び出した。

「こんのすけ、来てくれた?」
『お呼びですね、審神者様。事情は先程の連絡で把握しております』

 聞き慣れた電子音が響いて、こんのすけがぽん、と軽快な音を立てて姿を現した。

「話が早くてなにより。それで、どうしたら膝丸は元に戻るかな……?」

 私の問いかけに、こんのすけはぽてっとした足を空中にかざし、なんらかの資料を開くとそれを参照しながら声を発する。

『そうですね……こういう事例はないことはないので、この膝丸も元には戻るのではないかと思います。おそらくですが』
「やけに曖昧だなあ」

 こんのすけの返答に私は思わず微妙な笑いを返す。それだけ聞いてもとても安心できないような回答ではないか。

『刀剣男士の肉体も結局は一つのモデル体を元にしていますので、バグが起きたらこういうこともあるぞ、というわけなのです』
「まあそれはわかる。それで解決策はないの? パッチとか当てたら治る?」
『いえそういうわけではございませんよう! 流石にそこまで単純明快な話でもないのです』
「そうなんだ……残念……」

 刀剣男士の顕現の仕組みはよくわからないが、そう簡単にはいかないらしい。私は肩を落としてこんのすけを見つめる。こんのすけはおほん、とわざとらしい人間くさい咳払いを挟んで、話を続けた。

『本当に原因不明のバグであったらお手上げですが、今までの例から見るに刀剣男士の心が密接に関係していると推測されます。精神状態が影響したのではないか、ということですね』

 へえ、膝丸の心が、と私がつぶやくと、こんのすけは空中のタッチパネルを操作して今までの事例写真を私の前に展開する。そこには、金髪になった燭台切光忠やお互いの髪や目の色がそっくりそのまま入れ替わったであろう山姥切国広と山姥切長義、龍のような角が生えた蜻蛉切……など、今までに見たことのないような姿の刀剣男士の写真が並べられていた。

『髪や目の色が変わったという軽度の症状から、狐の耳が生えてきた、たぬきのしっぽが生えてきてしまった――などの、アニマル的なトラブルもありまして……』
「アニマル的なトラブル」

 正直結構なおおごとではないのか、と考えながら見ていたのに、こんのすけの反応ときたら大変軽いものだった。そんな言葉で片付けていいのだろうかと思わず真顔になる。
 しかしこの写真を見ている限り、どうも頭に何か生えるくらいの症状が多いようだ。下半身や全身が変身してしまうような例はあるのだろうかと疑問に思い、私はこんのすけに尋ねる。

「なるほど、これはちょっと困るトラブルだね……でも耳が生えるくらいならともかく、うちの膝丸みたいな……下半身が爬虫類なんてのは相当珍しいんじゃない? 戻るのかなあ」

 私が不安げに言うと、こんのすけはまた何かのデータを検索ながら声を発した。

『そうですね、流石に蛇になった事例は数件しかありませんでしたが』
「あるんかい」

 まさかの前例が(しかも数件)あったことに驚きを隠せないまま私はこんのすけの言葉を待つ。

『その全てが一日から一週間程度で元に戻っています。それも、何かしらの術を施したりしたわけではなく元に戻ったので自然治癒に近いですね』

 自然治癒。私はその言葉に驚いて目を見開いた。あれが、自然に元に戻るというのか? 思わず膝丸がいる方を見ていると、こんのすけが続ける。

『自然治癒といっても、本当に何もしないまま元の姿になるというわけではありません。全ての例で、審神者との対話をした後に元に戻っています。つまりあなたがやることも同じというわけですね!』
「ああ……じゃあとりあえず膝丸と話せばいいんだ……ん?」

 こんのすけの提示した解決策に私は首を傾げる。――話すだけ? 膝丸と?

「ってそれ解決策のように見えてそうでもないのでは!? 戻る保証はないし結局私が話してなんとかしろってことじゃん! 無理だよそんなの!」
『大丈夫です、今までの審神者は全てこの方法により膝丸を元に戻しています。こちらの膝丸のように下半身だけの変化ではなく、全身が蛇になった事例ですら最終的にはちゃんと元に戻っているのですから、きっとあなたの膝丸も大丈夫です!』

 こんのすけは明るい声色でとんでもなく無責任なことを言い放ち、私の周りをぽてぽてと歩いてぐるりと一周した。今の行動に何の意味があったんだろう腹立つな。

「いやそんなな〜〜〜んの根拠もない大丈夫という言葉やめてくれます!? 絶対もっと他に何か方法がっ……うわ消えやがったあの管狐!」

 どろん、という音を残して、こんのすけは跡形もなく消えてしまった。
 ――どうしよう、と私は頭を抱える。政府に連絡して本丸まで来てもらえればすぐに解決できると思ったのに、まさかただ話せと言われるとは思いもしなかった。

「ど、どうだった、主?」

 待ちかねたらしい膝丸が襖の向こうから声を掛けてくる。
 仕方がない、対話しろと言われたら対話するしかない。私は意を決して襖を引いた。
 中には相も変わらず半分蛇になった膝丸がどこか落ち着きのない様子で座っていた。先程とはとぐろの巻き方が少し違って――今は妙にうねうねとしてた巻き方に変わっていた――きっと私がこんのすけと話している間そわそわしながら待っていたであろうことが窺える。そんな膝丸にとても申し訳ない気持ちになって、私は思わず眉根をきゅっと寄せた。

「それが……えっと……」

 思わず言い淀んでしまったが、ここで嘘をつくこともできない。膝丸に、ただ私と話すことだけみたいだよ、と小さな声で伝えた。

「主と話す、だけ……?」
「そ、そうみたい。なんだかね、この蛇化? ははっきりとした原因がわからない上に、具体的な解決策がないみたいで。でも話していればそのうち治るってこんのすけは言ってる……」

 自信なさげに言う私の言葉を聞いた膝丸の表情に陰りが見えた。ああ、せめて絶対に治ると自信を持って言い切るべきだった、と内心後悔していると、膝丸が視線を落としてぽつりとつぶやいた。

「そうか、つまり俺はずっとこのままという可能性もあるわけだな」
「あっ、そんな、悲観的にならないで……」

 それ以上言葉を続けられず、私は胸の前で行き場のない手を彷徨わせる。さしもの膝丸もこんな答えを聞かされては覇気もなくなるだろう。もっと具体的な解決策を出せたら、と思わず顔を歪めるが、今の私にできることはとにかく話し続けることだけだ。
 無理やり明るい表情を作り、努めて元気な声色を保って膝丸に声を掛ける。

「こ、こんのすけも絶対元に戻るから大丈夫って言ってたよ、だから大丈夫だよ!」

 しかし口から飛び出てくるのはあまりにも薄っぺらい、まったく根拠のない言葉だった。こんなことを言われても逆に不安になるではないか。もうここはごり押しだ、心が問題かもしれないと言っていたからもしかしたら気の持ちようかもしれない、そうだ病は気からだ! と己を奮い立たせ、膝丸に向かって笑顔を向けながら続ける。

「たとえ今日のうちに戻れなかったとしても、本当に一時的な症状だと思うから安心してよ。どうやら他の本丸でも同じように蛇になっちゃった膝丸もいるらしいからさ」
「そうなのか?」
「うん、皆一週間以内で治ってる? らしいし、膝丸も大丈夫」
「とはいえ、そもそもそのような例は少ないのだろう? 俺だけは、このままの可能性もある」
「うっそれは……」

 その反論に私は内心頭を抱える。今日の膝丸はいつもの態度からは考えられないくらいとんでもないネガティブである。まあ突然蛇になったりして普段どおりだったらそれはそれで怖いので、この膝丸の態度は至極当然なものと言えるだろう。

「この姿のままでは、出陣などできまい。正直、外に出ることすら憚られる。そうして、ずっと引きこもったままになったら……」

 膝丸は消え入りそうな声でそう言うと、額に手を当てて己の蛇の胴体に上半身を埋もれさせて小さくなってしまった。

「そ、そんな……ことは、いや、ええと」

 私は返答になっていない言葉を発しながら次の言葉を探る。膝丸は畳み掛けるように、いつもよりもどこか低く静かな声で続けた。

「主も、気持ちが悪いだろう。ヒトと蛇の混ざりもの、こんなあやかしのような姿では」

 そう言うと、膝丸は完全に自分の姿を隠すように、上半身を蛇の胴体にうずめてしまった。私は彼に少し近づいてとぐろの中心部を覗き込む。大蛇の中に子供のようにうずくまっている膝丸など初めて見たので、少しかわいいと思ってしまった。――流石に口には出さないでおくことにする。そもそも蛇の部分も自分の意志で自由に動かせるのか、ちゃんと身体の一部になっているんだな、と驚く。
 私は立ち上がり、膝丸の姿を改めて見る。確かに彼の言う通り、これでは妖怪そのものの姿と言ってもおかしくはない。
 私は彼の近くに座り直して腕を伸ばし、膝丸の背中あたりにそっと手を触れる。膝丸の身体が驚くほど大きく跳ねた。きっと触られると思っていなかったのだろう、悪いことをしたな、と思いながら口を開いた。

「その、はっきり言えなくてごめん、でも本当に、正直な話、今の膝丸に対してそこまで嫌悪感はないというか……」

 と私が答えると、彼はぴくりと肩を震わせたかと思うと硬直してしまった。構わずに続ける。

「蛇、割と好きだし……? 大丈夫大丈夫、膝丸は蛇でもかっこいいよ、上半身は元のままってことは、刀は振るえるからこのまま出陣できるかもしれないし!」

 膝丸は何も言葉を発さない。私は冷や汗をかきながら彼の背中をぽんぽんと叩く。流石にこれは逆効果の言葉だろうか、しかし蛇が好きなのは本心だし、もし元に戻らなかったとしてもそれはそれで戦いようがあるかもしれないと考えていることも本当だ。
 そこからしばらく間があって、衣擦れの音がしたかと思うと、膝丸がのそり、と起き上がってくる。しかし完全に上半身を起こさないまま自身(?)の胴体の隙間から目を覗かせて、彼は数分ぶりに口を開いた。

「じゃあ俺がこの姿のままでも夫婦になれると言うのか?」
「流石にそれは飛躍しすぎじゃない?」

 私は真顔で言った。なんでだ。というかどうした? なんでそうなった?
 予想の遥か斜め上の返答が返ってきて頭上に疑問符を飛ばしていると、膝丸は再び片手で目元を覆ってうつむいた。

「やはりこんなあやかしのような姿では愛せないと言うのだろう」
「えっ……いや何の話……? そもそも私達、恋人じゃなくない?」
「蛇と恋仲になるのは嫌だと……!?」
「だめだ根本的に話が通じなくなってるこの刀! どうしたの膝丸! 正気に戻って!」

 どうしよう、膝丸がおかしくなってしまった。身体だけでなく精神までも蝕まれてしまったのか、いつもの真面目な膝丸はどこかに行ってしまったようだ。いや本当に何を言い出しているんだろうこの刀? ……いや、というかそもそも、

「……もしかして膝丸、私のこと好きだったの?」

 膝丸が私の方を向いたまま、あ、という顔をする。普段は常にきりっとした表情を浮かべている膝丸の滅多に見れない表情だな、とぼんやり眺めていると、彼は開いた口をそのまま閉じられなくなったらしく硬直している。
 間、間、それからまた間があって、こちらを向いていた膝丸の顔が真っ赤になった。――あれ?

「え、うそ、本当に……?」

 半分冗談だったのに、と言う前に、私の頬も少し熱くなるのがわかった。部屋の中にはなんともいえない空気が流れ、双方が沈黙する。ややあって、膝丸が両手で顔を覆って絞り出すように言った。その手は少し震えていた。

「わ、すれて、くれ……」
「いや……こんな状態で言われたことはむしろ一生忘れられないんじゃないかな……」

 だって蛇になったタイミングで、とは流石に付け加えなかったが、膝丸も忘れるなど到底できないだろうとは思っていたのか、ああ、と嘆き声を発している。

「……今、蛇の身体でなかったら、俺は床の上を転げ回っていただろうな」
「そうだね……なんかごめんね……」
「君が謝るんじゃない! とてつもなく恥ずかしいだろう!」
「逆ギレか?」

 真っ赤な顔でぎゃんぎゃんと喚く膝丸を見て私は逆に落ち着きを取り戻しつつあった。それでも心臓は未だにばくばくとうるさくて、これからどうしたらいいのかわからない。
 膝丸はあああ、だとかなぜこんな、と悶えていたが、ひとしきり感情を吐き終えて冷静になったのか、いつものような落ち着いた表情で私に向き直った。

「――主」
「なっ、なに」

 すると、今度は私のほうが恥ずかしくなってくる。膝丸な真面目な表情は、その精悍な顔つきがより際立って、とても正面から直視していられない。彼の目を見るふりをして、眉間のあたりを見つめる。
 何を言われるのだろう、と次の言葉を待つ数瞬の間が永遠に感じられた。彼の唇が、ゆっくり動く。

「……いっそ忘れられないなら俺の想いを受け入れてくれないか?」

 その声はどこか絡みつくような、何かを乞うような、言いようのない声色だった。え、何、と私が聞き返すよりも前に、膝丸の身体がうごめく。畳の上をずり、と這う音がした。

「えっ、ちょっ、うわっ!」

 彼が動いたかと思うとこちらに腕を伸ばしてくる。それから身体が浮遊感に襲われて、すぐにどこかに下ろされた、というのを全て一拍遅れて気がついた。そして、自分がいわゆるお姫様抱っこをされているらしいことに気がついた時は、流石に赤面せざるを得なかった。

「へ!? なんで――」

 どうしていきなり、と慌てていると、膝丸は私を抱えたまま体勢を変えた。とぐろを巻きなおして、彼自身の蛇の身体の中心に空洞を作っている。
 ――ちょうど人一人が入れるくらいの隙間だった。そして、私はその中心にぽすん、と置かれる。それから、彼はゆっくりと動いて、私に絡みついた。私の足先を、胴体を、慣れないひんやりとした感触が這う。ただ冷たいだけではなく、決して濡れているわけではないのに少ししっとりとしたような、熱を吸うような不思議な冷たさに覆われる。
 苦しくも痛くもないが、軽く締め付けられている状態になり動くことができなくなった。私は動揺したまま、膝丸にはは、と笑いかける。

「う、鱗って……冷たいね……」

 足先でつん、と彼の足(なのか?)のあたりを突くと、膝丸は何回か瞬きを繰り返した後に大きくため息を吐いた。

「いきなりこんな状況になっても君は呑気だな」

 もう少し警戒してくれ、と膝丸は呆れ返った声色で言う。

「な、なんだかちょっとおもしろくなってきてしまったというか」

 彼はそれはそれで複雑だ、と言わんばかりの表情を浮かべた。それからやや間を置いて、私の目の前に上半身を持ってくると、こちらの瞳を覗き込むように目を合わせてくる。――その眼光はどこか鋭く、瞳孔もいつもと違うように見えた。どうも、瞳までもが蛇のようになっているようだ。下半身だけでなく全身に影響が及んでいるのだろうか。
 膝丸は視線をそらさないまま、鋭い犬歯を覗かせて言う。

「秘めておくつもりだったが知られてしまえば仕方がない」
「そうだね膝丸の自爆で知ったね……」
「少し静かにしていてくれ!」
「ごめんねシリアスな空気に耐えきれない審神者で」

 今完全にツッコミを入れる空気じゃなかった、と猛省しながら、私は膝丸の言葉を待った。
 彼はめげずに至極真面目な様子に戻って口を開く。

「……先程、俺がこんな身体になったことに心当たりはない、と言ったな」
「ああ、うん」

 間はあったが本当に心当たりはなさそうだったな、と思い返しながら私が頷くと、膝丸は少しばつが悪そうな表情をして私から目をそらす。

「本当に、心当たりはない、と思っていたが……よくよく考えると、昨晩、ほんの一瞬だけ考えた事がある」
「うん?」

 彼の身体が蛇になったのは心の在り方や精神状態が原因だろう、というこんのすけの仮説を思い出しながら私は膝丸の話を聞く。その考えたこと、がこの蛇化に関係あるのだろうか。
 膝丸は一度言葉を切ると、私からわずかに目をそらして、少し照れたような表情で続けた。

「先日、本丸に入ってきた蛇が可愛らしい、と言っていただろう」
「ああ、あの小さい蛇」

 姿を鮮明に思い起こすことはできないが、確かにかわいかったな、と私が想いを馳せていると、膝丸は先程よりも明らかに言いにくそうに、口をもごもごと動かしてごく小さな声で言った。

「……それを、羨ましいと思ってしまった」
「え?」

 私は目をぱちくりと瞬かせて、膝丸を凝視する。――つまり、蛇に嫉妬をしていたと。しかもかわいい、と言われたことに対して?
 膝丸は私を己の身体の中に閉じ込めたままのくせに、私から顔をそらして言う。

「……わからん、俺は君にかわいがられたかったのか、ただそういう好ましい感情を向けてほしかったのかはわからない。だが現にこうして蛇の姿に……ああ、やはり忘れてくれこんなことは!」

 普段は絶対に見られないような膝丸の姿を見て、私は思わず表情を緩めて独り言をつぶやく。

「もうその顔がかわいいじゃん……」
「口に出すな、心の中にとどめておいてくれ!」

 ああこんなはずでは、と耳まで真っ赤になっている膝丸を眺める。

「ふふ、心ってそういうことね……」

 私の言葉に顔を上げた膝丸は一体なんのことだ、と頭上に疑問符を飛ばしている。

「心配しなくても膝丸のこと好きだから大丈夫だよ、まあ恋かと言われるとよくわからないけど」
「ほぉ……?」
「俺に蛇要素が増えたから好きになったのか? みたいな顔をするな。大丈夫、元からだよ」

 大体、好きじゃないと頻繁に近侍に置かないから、と言うと、膝丸は一分ほどたっぷり考え込んだ後に再び赤面して、私を弱々しい力で抱きしめた。
 ふ、と嬉しそうな吐息とともに、膝丸の胴体が私の肌の上を這う。
 ――ずいぶんとご機嫌のようだが、これでもし膝丸がずっと蛇のままだったらどうしようかな、と考えつつ、私は彼の上で身体を投げ出すのだった。



「それで結局、僕らの部隊が戻ってくる前に元に戻ったんだねえ」

 あれから数日後、私は源氏兄弟の部屋でおやつを食べながら二振りと雑談をしていた。

「うん、膝丸がものすごく嬉しそうに私にぐるぐるに巻き付いてくるからもしかしてこのまま絞め殺されるのでは? と私が恐怖を抱いた瞬間に戻ったよ」
「人聞きの悪い言い方をするな、そもそもそういう話は俺のいないところでやってくれ兄者!」

 隣で話を聞いていた膝丸が畳を拳で殴りながら照れている。事実だし、と私がつぶやくと軽く睨まれた。怖。
 髭切はずず、とのんびりとお茶をすすって何かに気がついたのか、「ありゃ?」と首を傾げた。

「でも、ふたりが恋仲になったわけではないんだよね? そういう中途半端な関係はよくないよ。弟、いっそ手篭めにしておしまいよ」
「そういう話は私のいないところでやってよ髭切! ……いや! やっぱりしないでいい! 怖いし! 膝丸も『その手があったか』みたいな顔をするな! 真に受けないように!」

 そう、別に私達は恋人同士になったわけではなく、ただ膝丸の想いを聞いて受け止めた――といっていいのかも微妙だ――だけなのだが、それで元に戻ってしまったので、そのままなあなあな感じでこの数日間を過ごしていた。そもそも、膝丸に面と向かって好きだ、恋仲になってくれと言われたわけではないので、これ以上進展のしようがなかったとも言えた。現状維持である。

「じゃあ正式に結ばれたらいいのに」

 髭切は先程とんでもないことを言ったその口で、のほほんとした調子で言う。なんでこんな爆弾発言ばかりするんだこの刀。
 直球な質問に、私は困惑しながら口を開く。

「で、でも主と刀だし、そもそも今は戦争中なんだよ。こんなの、政府が許してくれるかわからないじゃん……」

 そもそも私が膝丸のことをどう思っているかは聞かないのか、と言おうとすると、髭切がにっこりと微笑む。

「さっきこんたろうに聞いたら『別にいいですよ』って言っていたよ」
「うそだろこんのすけ」
「他の本丸では刀と結ばれた審神者もいたから何も珍しいことでもないだとか言っていた気がするなあ」

 これもまた前例あり、ということだったというわけだ。
 しかしそんな軽いノリで人と人外の婚姻を認めてもよいのだろうか。政府、いろいろと軽すぎるのでは? 私は思わず力が抜け、持っていたお饅頭を手から落としかける。それを隣に座っている膝丸がキャッチした。何を冷静にナイスキャッチしてるんだ、と思いながら膝丸を見ると、彼は彼で驚愕の表情を見せている。
 そんな弟(と主である私)の様子には構わず、髭切は三つ目の爆弾発言をした。

「ほら、主もそろそろ就任……えーっと、5年くらいかな? 惣領としてそろそろ身を固めてもいいかもしれないし、これを機に夫婦になってしまえばいいんじゃないかな」
「どこまでも軽い! そ……そんな、そもそもお友達から始めてほしいし!」

 髭切の言葉に混乱して私は口を開く。そういう問題ではない、と脳内でツッコミを入れるが、隣の膝丸もまた困惑した表情を作りながら言う。
 
「しかし兄者、主に対して友人として接するのはどうかと思うぞ」
「いやそれを言ったら恋人なのもどうなんだっていう話になるよ」

 膝丸は「確かに」と頷いている。もう私達は混乱してまともな会話をできない状態だった。
 それから数秒の間を置いて、「失礼するぞ」という低めの声と同時に部屋の障子がすぱん、と気持ちのいい音を立てて開いた。誰かが訪ねてきたようだが、声を掛けてから開けるべきではないだろうか――そう思いながら顔を上げる。

「主、あんた、祝言を挙げるのか?」

 すっかり見慣れた美しい金髪を揺らして、初期刀である山姥切国広――修行から帰ってきてから数ヶ月が経つ――が私に向かって問うてきた。

「極姥切国広!? いったいどこから、いやいつから聞いてたの!?」
「妙な略し方はやめろ。それより……」

 山姥切国広(極)は私の隣にすっ、と正座をする。目の前に座っていた膝丸が少しだけむっとした表情を作った気がした。それに構わず、山姥切が口を開く。

「今ちょうど通りがかった際にあんたたちの会話が少し聞こえてきてな、気になって入室したというわけだ。あと俺の名前はちゃんと呼べ。あんたは自分の刀の名前も呼べない審神者なのか?」
「息をするように煽ってくるもんなこの初期刀! ぐっ、顔がいいから許せてしまう……うう……」
「そうだな、あんたの好きな顔のいい刀だぞ」
「極めてから開き直りっぷりがすさまじいなこいつ」

 特の山姥切はどこへ行ってしまったのだろう。

「主、俺たちの部屋で漫才をしないでもらいたい。というかそもそもだな、俺達は、その、……そういうことではない」

 膝丸の突っ込みと訂正になっていない言葉に我に返り、私は山姥切国広(極)に向き直る。話がそれてしまったが、彼は祝言、と言わなかっただろう。そうだ、それは大いなる誤解である。山姥切と掛け合いをしている場合ではない、ちゃんと説明しなければ。
 しかし私が声を発するより前に、山姥切は手を顎に当てて考える素振りを見せながら言い放った。

「それで、本丸の中で祝言を挙げるならそれ相応の準備がいるぞ。厨担当の燭台切たちや、諸々担当することになるだろう薬研あたりには先に伝えておくべきなんじゃないか」
「この初期刀話が早すぎる! じゃなくて話聞いてないだろ!? 違うんだよこれは誤解、誤解です! ひ、膝丸ももじもじしてないでちゃんと誤解を解いて!」
「……主、俺はいつでも問題ないが」
「なんで覚悟を固めてるの!? ああっまんばがもういない! 足速い! ち、違うんだよ、話を聞いてーッ!」

 ――後日、驚くほど早く広まった誤解を解くまでに数日間を要し、私と膝丸のお祝いパーティーが開かれそうになったのはまた別の話である。






[ ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -