短編 | ナノ

Paradiso サンプル

※pixivのサンプルと内容は同じです。


【再録『代理引き受けは慎重に』より】燭台切五振りが顕現している本丸に行く話
※サイトでは拍手お礼文として会話のみのSSとして公開していましたが、地の文を書き足してpixivにて公開しています。
※今回収録している話にはさらに加筆をしています。



『お姉ちゃん、代わりに"審神者"やってくれないか?』

 きっかけは、弟から届いたシンプルなメッセージだった。



 本丸とやらに来るのには意外にも苦労はなかった。政府の人が謎の機械をちょいちょいっと弄ったと思えば、そこは弟の“本丸”とやらの門の前だったのである。門をくぐれば、そこには立派な日本庭園が広がっていた。弟はこんなところで住み込みの仕事をしていたのか、と驚愕する。私には全く無縁な光景だったから、つい立ち尽くして見とれてしまった――とても、綺麗な庭だ。うまく言えないが、日本の美が詰め込まれている、そんな風景だった。
 ――私の弟は、審神者業と提督業なるものを兼業している。詳しいことは教えられないとのことなので職業名しか知らないが、とにかくその二つを兼業しており非常に忙しいのだという。どちらも住み込みの仕事らしいが、どうして住み込みの仕事を兼業しようと思ったのかがあまりに謎である。交互に二つの職場に泊まっていたのだろうか? まあ、弟には弟の事情があったのだろうと、その時は深く追求しなかった。
 しかし流石にその兼業生活には無理があったのか、どちらも満足に仕事をこなせなくなってしまったらしい。そりゃあ住み込みの仕事の掛け持ちなど無理だろうになぜ最初引き受けてしまったのだろうと私は笑った。
 どちらも満足に仕事ができない、かといって審神者も提督も簡単に辞められるものではない。――そう悩んでいる間にも仕事は増えていく。どちらも大事だが今は提督業に力を入れたい、審神者を投げ出すこともできない――という葛藤があった末に弟が出した結論とは、身内である私に代理を頼むというものであった。少しの間でいいので私に審神者の方を代わってもらえないか、という連絡が来たのだ。
 一応私は私でちゃんと定職について働いていたが、審神者業とやらは給金をかなりはずんでもらえるということなので、ほいほいと引き受けてしまった。どうやらこの審神者という仕事は――提督もだが――国にとってかなり重要な仕事であるらしい。「身内の審神者の代理をしろと言われたのですが」と上司に言ったらその一言だけであれよあれよと事が進み、色々と面倒なはずの申請はすぐに通ってしまった。一体なんなんだ審神者。正直何をやればいいのかふんわりとしかわかっていないのだが、そんな人間を代理に立ててもいいのだろうか。国は大丈夫なのか? 
 そんな流れでかなりの疑問と疑念を抱きつつも金に目がくらんで引き受けた現金な私は、弟の本丸の庭をスキップしていた。代理期間は二週間だけらしいし、それくらいならまあなんとかなるだろうと軽い気持ちだった。
 しかしリズミカルに飛び跳ねている間に段々不安が襲ってきて、私は足を止める。正直何も知らないままに引き受けたことに後悔していないわけではなかったのだ。短期間とはいえ、本当にやっていけるだろうか……。
 じわじわ不安と後悔の念に侵蝕される心を誤魔化すために再度大きく飛び跳ねた。足を捻りかけた。ちょっぴり涙が出たが、もうここまで来たら引き返せまい。とにかく誰かに挨拶をせねば、と一瞬で気を取り直して、私はきょろきょろと辺りを見回した。
 すると、背の高い男の人――彼も日本刀なのだろうか――が何やら誰かを探している素振りを見せているではないか。……もしかしたら、彼が私の迎えかもしれない。
 違ったらどうしようかと考えながら、私は恐る恐る声を掛けた。
「あの、こんにちは……」
「……ん? ああ、こんにちは! もしかして君が例の代理の方、かな?」
 眼帯のお兄さんは顔をぱっと明るくすると、私に対してにこやかに声を掛けてくる。どうやらこの感じからすると私のことはちゃんと伝わっているようだ。ほっと胸をなでおろす。
「そうです、私が審神者代理です。短い間ですが精一杯がんばりますので、よろしくお願いします」
 私はぺこりと頭を下げる。
「よかった、そろそろ来ると聞いていたから迎えにきたんだけど……ごめんね、ちょっと遅かったみたいだね」
「いやいやそんな。ありがとうございます」
 そして、彼が私の迎えで合っていたようだ。よかった、これで全く別の用件で外に出ていたとしたらちょっと恥ずかしかった。
 そういえば彼らは私が来た事情をどれくらい知っているのだろう。少し気になって、私は彼に尋ねる。
「えっと、弟――じゃなかった、あなた方の主、審神者から詳しい事情は聞いていますか?」
「ああ。なんでも、どうしても外せない用があって二週間ほど本丸を空けるから身内に代理を頼む、って言っていたね」
 急でびっくりしたよ、と少し心配そうな顔で困ったように笑う彼を見て、私はどうにも申し訳ない気持ちになった。弟よ、やはりいくら身内とは言え、未経験の人間を代理に立てるのは間違っていたのではないだろうか。私なんぞに審神者とやらが務まるのかとても不安だ。
「そうなんです。すみません、弟、兼業提督なもので、あっちもちょっと大変だっていうから……」
「テイトク?」
「ああすみません、こっちの事情です」
 罪悪感から弟の事情を口にするが、どうやら彼は提督が何なのか知らないらしい。あまり詳しいことを伝えられていないのだろうか、それでいいのか弟よ。何にせよ伝わっていないのならば、彼らには詳しく伝えないほうがいいのかもしれない。
「うん……? まあいいか。短い間だけど、よろしくね。僕は燭台切光忠、青銅の燭台だって斬れるんだよ」
「はい、よろしくお願いします」
 彼は少しきょとんとした表情を見せたが、すぐに人好きしそうなにこやかな笑みへと表情を変え、私に右手を差し出してきた。なるほど彼は燭台切光忠という刀らしい。
 私は燭台切さんの手を取って握手に応じる。そういえば、審神者は彼ら刀に己の名前を名乗らなくてもいいそうだ。詳しい事情は知らないが、「審神者です」と言っておけばいいらしい。よくわからない世界だ。
 燭台切さんは「ついでに簡単に案内をするから着いてきてもらってもいいかい」と私を手招く。それに頷いて、少し早歩きになりながら彼の背中を追いかけた。
 案内されながら事前に渡されていた資料を開く。本丸の見取り図と、あとこの本丸に在籍している刀の詳細も見ておいたほうがいいだろう。遭遇時にすぐにどういう刀かわかったほうがこいつ代理の割にはやる気があるなと思われていいかもしれない。やる気は給金に直結しないが。
 さて渡された資料によると、この燭台切光忠という刀は“太刀”という刀種らしい。太刀がどういう刀なのかも分かっていないので、まずはその説明もきっちり目を通しておかなくてはならない。まあ挨拶がてら見ていったらなんとなくわかるだろう。……たぶん。
「――あれ、誰かお客さんかな?」
「ああ、主の代理の子が来たんだよ」
「なるほど」
 誰かの声がして、私は資料から顔を上げた。早速新たな刀との邂逅である。しかし、ここから顔は見えない。それにしてもこの新たな刀燭台切さんと声が似ているな、と考えつつ、とにかく挨拶するために私は立ち位置をずらした。
「はじめまして、私は弟の代理……で……」
 声のよく似た彼の姿を見た瞬間、私は固まった。
「はじめまして、えっと、主のお姉さま? 僕は燭台切光忠。青銅の燭台だって斬れるんだよ。よろしくね」
「……ど」
「ど?」
「ドッペルゲンガー……!」
 私は思わず資料を手から落とす。燭台切さんの隣には、どう見ても同じ顔の『燭台切光忠』が並んでいたのだった。
「ああごめん、こっちも『僕』なんだ」
 同じ顔が二つ並んでいる光景に、私は目を瞬いた。こ、こういうこともあるのか!
 驚きすぎて何も話せずにいる私に、燭台切光忠――多分、今ばったり会った方の二振り目だ――は、やはりにこやかな笑顔で優しげに声を掛けてくる。
「性能は殆ど変わらないから運用に差はないよ。存分に使ってね」
「あっ、はい、よろしくお願いします……」
「ちなみに見分け方も一応あるんだ」
「あっ、あるんですね!?」
 よかった、このままでは一振り目も二振り目もよくわからないからうまいことやっておいてください、みたいな感じでものすごく適当に扱うところだった! と、うっかり言いそうになるがそれは心の中にだけにとどめ、私は安堵のため息をつく。いくら見た目が同じ、というかまるっきり同じ刀とはいえ、別個体として存在しているのならちゃんと区別を付けておきたい。間違えるのは彼らに失礼だろう。見分け方があるのならばなんとかなりそうだ。
「今日の見分け方は、少しだけ髪のセットを失敗しているほうがあっちの僕でいつもどおり完璧に仕上がっているのが僕だよ」
「わかるか!!」
 前言撤回である。全くなんとかなりそうになかった。
「それは聞き捨てならないな。昨日失敗していたのは君の方だよね?」
「しかも日によって出来が違うんじゃねーか!」
 思わずツッコミの口調も荒れようというものである。こんなのどうやって見分けろと言うんだ。猫をかぶろうとしていたおとなしめの外面がいい私は一瞬で消え失せてしまった。同時に緊張も吹っ飛んでいったので少し感謝せねばならないかもしれない……いや、逆に不安の種が増えたのでこれも撤回したい。
「はぁ、来たばっかりなのに疲れた……」
 私が近くの壁に手をついて項垂れていると、どちらの燭台切さんかわからないが「ごめんね」と言ったあとに、更に衝撃的発言をかましてきた。
「ちなみに『僕』はこれだけじゃないよ」
「……へ?」
 ぱちくりと目を瞬かせると、燭台切さんはにっこり微笑んで言う。
「『燭台切光忠』はあと三振りいるんだ」
 私は思わず指を折って数えた。ここに二振り。まだあと三振り……ということは。
「……。…………全部で五振りいる?」
 私が顔を引きつらせながら問うと、二振りとも種類の違う笑みを浮かべて首肯した。一振りは申し訳なさそうに、一振りは楽しそうな笑みを浮かべている。
 どちらかはわからないが、燭台切光忠が再び口を開く。
「ご名答。君は代理の審神者だけど……ここにいる間は、れっきとした僕らの主、だ。だから――僕らのこと、間違えたりしないでね?」
 おそらく一振り目のほう――最初に会った方が、少し淀んだ気がする暗い瞳を細めてそう言った。
「目がこわい(ガンバリマス)」
「本音と建前が逆になっちゃってるけど、期待しているよ、『主』。これからよろしくね」
「ははは、よろしくおねがいしますね、はははは」
 果たして私は間違えずに無事に代理を務めることが出来るのだろうか。あまりに前途多難すぎて、私は乾いた笑いをこぼすことしか出来なかった。




(以下書き下ろし部分)




 一振り目と二振り目に挟まれながら、私は本丸内を案内されていた。
「――ここが手入れ部屋で、僕らが傷ついたときに入る部屋だよ。君にお手入れしてもらうことになるから、結構来ることが多いと思うよ」
「場所を覚えておかないとですね」
「ああ。最も、僕らはもう練度がかなり高い刀しかいないから、大怪我をして折れる寸前まで行くことはないと思うから、安心してくれていいよ。僕は最高の練度99だしね」
「そうだね、主がちゃんと育ててくれたから。僕もほぼ最高にまで達しているよ。練度98なんだ」
 二振りはそう言って種類の違う笑みを浮かべている。おそらく一振り目の燭台切が余裕たっぷりといった様子で私を安心させようと微笑んでおり、二振り目燭台切はにこにこと人好きのする笑みを浮かべて言った。
 どうやら弟はそれなりに優秀な主だったのか、彼らをよく鍛えていたらしい。手入れ、とやらはあまりしたくないので――刀のお手入れは少し怖いからだ――ここにはあまり来ることがないように祈るしかないな、と思った。
「それで、この廊下をまっすぐ行くと厨があるよ。行くとわかると思うんだけど、近くに大広間があるから、食事はそこでとる決まりになっているんだ。ただ、もし主が自室で食事をとりたい……ということであれば、運ぶこともできるから言ってね」
「ふむふむなるほど。なるべく皆さんとご一緒しようかなあ……」
「ああ、そうしてもらえると嬉しいかな。皆、主がいなくて寂しがっているし、ご飯は賑やかに食べたいからね」
 一振り目であろう燭台切が嬉しそうに微笑んで言う。新参の、というか主の代理であるだけの人間が混ざって喜ばれるかどうかは疑問ではあるが、彼がそう言うならばそうしたほうが良いのかもしれない。
 厨へ歩いていく途中、もう一方の燭台切――つまり二振り目が、私の顔を覗き込むように身をかがめながら口を開く。
「主のお姉さまはここへ来たばかりだから、お腹が空いているよね。せっかくだから、何か軽食かおやつを作ろうか?」
「え、本当ですか。実は結構腹ペコだったので、お願いできるならお願いしたいです」
「そうだよね。じゃあ、厨に行ったら何か作ろうか」
 二振り目は私の頭を撫でながら言った。……なんで撫でた?
 一振り目はそれを微笑ましそうに見ている。まるで双子の兄弟に構われているみたいだな、なんて考えつつ、本丸の構造を覚えようと頭に見取り図を描きながら歩いた。
 それからすぐに厨に到着し、二振り目が中を覗く。
「……あ、ちょうどいいや。彼がいるから、彼になにかつくってもらおうか。今ちょっといいかい?」
「――うん?」
 どうやら厨には先客(?)がいたようだ。いい機会だ挨拶をしておくか、と二振り目に続いて厨を覗いた直後、私はぎょっとしてしまった。
「ああ、今日は主の代理の方が来るんだったね! えっと、はじめまして、主のお姉さん、だよね?」
 ――また燭台切光忠だ。
 私のその様子を予想していたのか、横では一振り目がくすくすと笑っている。予想してたんなら言えよ。
「お姉さん?」
 しばらく固まっていたが、私ははっと我に返って燭台切に向かって頭を下げた。三振り目との邂逅がこんなに早いとは思っていなかったが、今のうちに会えてラッキーな気もする。……というか、本当に二振り以上居るというのか。
「は、はじめまして、代理の姉です。えっと、三振り目の燭台切光忠さん……?」
「ああううん、僕は五振り目の燭台切光忠だよ! ここに来てから一番日が浅いし練度もちょっと低いけど、お菓子作りなら他の僕よりもちょっとだけ自信があるんだ。よろしくね!」
 まさかの五振り目だった!
 五振り目はそう言いながら私の手を取り、「来てくれて嬉しいよ。最近主がいなくて寂しかったから、存分に使ってほしいなぁ」と言って握手を交わしてきた。彼は心から嬉しそうに笑っており、思わずつられてへにゃりと笑ってしまった。彼は一振り目と二振り目に比べると笑顔が幾分幼いように見えたり、少しテンションが高かったり、なんというか末っ子気質なのかもしれない。
「それじゃあ、お姉さんの歓迎をしないとだね。今何か食べたいものはあるかな?」
「え? あ、えーっと、パンケーキとか」
「オーケー、すぐに作るね。でも晩ごはんの時間も考えないといけないから、ちょっとだけ待ってくれるかな」
 五振り目はどこかふわふわとした表情で微笑んだ。
「そうだね、ささやかなものになってしまうけど主の歓迎会を開きたいんだ。五振り目の僕、デザートを任せてもいいかな?」
「ああ、もちろんだよ! 腕によりをかけて作るね」
 (おそらく)一振り目と五振り目は、私たちを置いて一度打ち合わせをしているようだ。
 その二振りの表情をじっと観察する。……なんとなくだが、頑張れば見分けられそうな気がしてきたぞ。一振り目はおそらく一番落ち着いていて、皆の取りまとめ役をしているのだろう。二振り目は少しだけ距離が近いけどいいお兄さんという感じで、五振り目はややかわいらしい末っ子。うん、こんな感じで個体差があれば一週間くらいかけて見分け方を習得できるかもしれない。……まあ私、二週間しか居ないけど。
 などと脳内で考えていると、二振り目が「考え事かい?」と言いながら私の両肩に手を置いた。やっぱり二振り目はスキンシップが多い距離感近めの個体ということでよさそうだ。……これで一振り目だったらどうしよう。
 私の肩に手を置いたまま暫定二振り目が口を開く。
「僕たちはたくさん顕現しているから、役割を分担しているんだよ。全員料理が好きだし畑仕事も好きだし、もちろん戦に出て刀を振るうことに歓びを感じるけれど……厨に居るのが多いのは三振り目と五振り目かな」
「……二振り目さんは?」
「ああ、早速見分けてくれるなんて嬉しいな。ありがとう、僕は戦場に出ることが多いかな? 一振り目は近侍を務めることがとても多いからね」
「へえー……」
 二振り目はとてもうれしそうに笑っている。なるほど、そうやって役割分担しているなら彼らがこうして複数顕現している理由もうなずけ……ないな。流石に多すぎると思う。
 私たちが各燭台切について話している間も、一振り目と五振り目は打ち合わせを続けていた。
「やっぱり料理は三振り目の僕のほうが適任かな?」
「ああ、今日はちょうど彼が厨当番を任されていたからそのほうがいいだろうね。あとは四振り目の僕が畑当番だから、そろそろ収穫を終えて戻ってくると思うよ」
「そっか。じゃあそれを見て何を作るか決めてもらおうかな! 主のお姉さん、食べたいものを考えておいてね」
「え? ああ、卵料理とか好きで……ん?」
 燭台切たちの会話を聞いていて、私はうん? と首を傾げる。そうか、まだ接触していない燭台切光忠がいるのだ。いやまだ接触していない燭台切光忠ってなんだ? やはりいくらなんでも多すぎやしないか。
 ――噂をすればなんとやら、厨に足音が近づいてきた。


(サンプルここまで)


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書き下ろし短編サンプル 燭台切二振りに神隠しされるのが解釈違いな審神者の話(ギャグ)
『ちゃんと手順を踏んでくれ』



(前略)


「ふわぁ」
 いつもは誰かが部屋の外から声を掛けてくれて、それを目覚まし代わりに起きていた。しかしは自然に目が覚めてしまい、ああ珍しく早起きしたのかと呑気に構えていたら妙に静かなことに気づく。
「……ん? あれ? え?」
 次いで、部屋の様子がいつもと少し違うということにも気がついた。自室に似ているが少し部屋は狭く、私物の数が少なくなっているのだ。いつもは首を少し動かしただけで視界に入ってくるはずの箪笥が置いていない気がするし、仕事用のパソコンが無い。ローテーブルに置いてある趣味用のノートだけしか置いていないのだ。……どうして?
 それに何より、空気そのものが何かが“違う”。そう直感して、冷や汗をかきながら起きあがった。
 ――部屋を出てみるが誰も、何もいない。いつもの本丸のようで本丸ではない場所に私は一人寝かされていたのだ。その時の私の顔はきっと形容することができない奇妙な顔をしていたに違いない。
 昨日は普通に寝たはずなのに、翌日に知っているようで知らない世界で目を覚ます。いや……一体……何が? まさか。
「まさか……裏世界に来てしまった……!?」
「主、何言ってるんだい」
「ウワーッ!」
 人が大真面目に考えていたのに、だとか、いきなり背後から声を掛けるんじゃない、だとか色々な言葉を飲み込みながら振り返る。背後から声をかけてきたのは、燭台切光忠だった。
 よかった、知っている顔がちゃんと同じ場所に存在していた、と泣きそうなほど安堵しながら燭台切に声を掛け――ようとした。
 彼は私の姿を見てうっそりと笑っている。それに得体の知れない奇妙さを感じて、私は身体を硬直させた。これは本当に己の知っている燭台切光忠という太刀なのだろうか。
 私の感情を読み取ったのか、燭台切は目を三日月の形に細めて口を開く。
「駄目じゃないか、勝手に外に出たりしたら。部屋で待ってないと、ね?」
「えっ? なに?」
 燭台切はそう言って私の身体を反転させると、背中をぐいぐいと押して部屋に戻させようとする。その力に抗うことも出来ず、素直に従った。
 一体何なのだろうかと困惑しながら部屋の障子を引くと、部屋の中には今殺気まで顔を合わせていた刀が姿勢良く座っている。――燭台切光忠だ。
「あれ? さっき背後にいたのになんで!?」
「……主、僕らが二振りいることを忘れていないかい」
「あっ、そうだったね。二振りいるんだ……いつまでも慣れなくて。ごめんね」
 そうだ、己が顕現させたくせに燭台切光忠が二振りいることを忘れるなどと、なんて失礼な。彼らのどちらが一振り目で二振り目なのかわからないが、どうやら私の部屋に大集合しているらしかった。
 本当にここは私の部屋なのだろうか、という疑問も湧いてくる。今部屋の外で見た景色は見慣れた本丸の景色のそれではなかった。一体私達はどこへ居るのだろう。それにどうして燭台切以外の刀の姿がないのだろうか。
 私が考え込んでいる間、燭台切二振りは口を開かなかったが、ややあってどちらかが声を発した。
「なんとなく気づいているんじゃないのかい。君がいるここは、君の本丸じゃないんだよ」
「う、うそでしょ……? 本丸の中、誰も居ないけど、まさか」
「そう、僕らは君を」
「異世界へ来てしまったの、私……? 燭台切光忠という刀のみを巻き込んで行く方法的なものを実行してしまった……?」
「は?」
「うん?」
 燭台切二振りの声が重なって聞こえたが、私はあまりのことによろめいた。
「そ、そんな……昨日は何もしていなかったはずなのに。ごめんね燭台切さん、そして光忠さん。私はなんてことを」
「いや主、なんの話なのか説明してくれるかな……」
 燕尾服を脱いだベスト姿のほう、燭台切(おそらく二振り目)が非常に困惑した顔で問うてくる。それに対して私は小さく首を傾げ、難しい表情のまま口を開いた。
「えっと、ここは私がいた本丸じゃないよね。そしてもしかしたら、私がいた世界ですらないのでは……?」
「……そうだよ。当たっているよ」
 燕尾服姿の燭台切(おそらく一振り目)がばつが悪そうな様子で頷く。
「となると答えは一つ。私は異世界に来てしまいうっかり燭台切ズを巻き込んでしまったと……」
「どうしてそうなるんだい!?」
「い、いやあ、あの……」
 今までに見たことのない表情で二振り目が私の肩をゆさゆさと揺さぶってくる。やめろやめろ脳みそが揺れる。困惑している二振りに対し、私は一つ咳払いをすると視線を逸らしながら口を開いた。
「そ、その……私ってよく異世界に行く方法を検索しては試してみたりしてるじゃない」
「初耳だよ」
「そんな趣味があったのかい主」
 そう、私の趣味はオカルトファンが集うサイトや掲示板などで異世界に関する情報を片っ端から集めては、それを実行するというやや後ろ暗いものだったのだ。人に言う時に素直に言えない趣味第三位くらいに位置しているだろう(一位と二位は文章にすることすらおぞましい趣味に違いない)。別にこの趣味を恥じてはいない……いや、恥じたほうがいいのだろうか? とにかく刀剣である皆に言っても理解は絶対に得られないような気がして――そもそも本当に異世界に行ってしまったら職務放棄なので――黙っていたのだった。
 燭台切たちからの視線が痛かったが、私はぼそぼそと続ける。
「ぶっちゃけ審神者になったのも『2205年に本丸とやらで働くのって実質異世界に行って働くようなもんじゃん!』と思って食いついたしね」
「聞きたくなかったよそんな話」
「僕らの主がそんな動機で審神者になったなんて……!」
 一振り目が私に冷ややかな視線を向け、二振り目が悲しそうに畳を殴っている。本当に申し訳ないとしか言えないな、と私が指を絡ませて下手くそな口笛を吹いていると、一振り目がハッとした表情で口元を抑え、それから私の顔を凝視して震える声で小さく叫んだ。
「……もしかして君、普段から異世界へ行く方法を実行しているのかい!?」
「え? うん」
「うんじゃないよ! もっと自分を大事にしなよ!」
「そうだよ主、君は自分の身の大切さをもっと理解して!」
「うわあああ怒らないですみません! つい出来心で!」
 審神者という仕事に就いていながらなんて趣味を持っていたのだろう、と内心反省する。これからはせめて調べるだけにして実行はやめよう――と考えているうちに、ふと疑問が浮かんだ。
「……あれ? でも私は昨日実行していないはずなのに、いつもの本丸じゃないところにいる。…………なんで?」
 私が眉間に軽く皺を寄せながら疑問を口にすると、二振りが動きを止めた。それからどちらのものかわからない小さな小さな笑い声が聞こえて、私は思わず身を縮こまらせる。
「……主、なんとなく察しているんじゃないのかい?」
「……何を」
 ごくり、と唾を飲み込んで、燭台切たちに問う。
「君は僕たち二振りにここに連れてこられたんだよ」
「は……」
 声なのか息なのかわからない音が口から漏れる。確かに自力で来たのでないとすれば、人外の彼らが実行したのかもしれない――そう考えていたが、本当にそうだとは思わなかった。一体何が目的で、私をここへ連れ込んだのだろう。
 先程までの狼狽した様子はどこへ行ったのか、二振りは穏やかに微笑んでいる。その様が妙に不気味で、私はじり、と彼らから距離を取ろうとした。
 何故ここへ連れてきたのか、と私が尋ねようとすると、二振り目が楽しそうな笑みを浮かべて私よりも先に声を発する。
「そうなんだよ。いわゆる神隠しってやつをしてみちゃったんだ」
「し……してみちゃった!? そんな軽々しくできるものなの!?」
「要は誘拐だからね」
「すごい身も蓋もないこの感じ……やるせない……というか君たち神隠しした立場で私に対して『自分の身の大切さを理解して』ってよく言えたな」
 一瞬訪れた身が斬れそうなほどの鋭く真剣な雰囲気はどこへやら、私は肩を落として愕然としていた。己が使役する側であったはずの刀の付喪神に誘拐されたってマジか。……マジか?
「君が訊きたいことはわかるよ。どうして僕ら二振りが君を神隠ししたか、だろう?」
「うん、まあ……」
 一振り目が目を細め口元だけに笑みを湛えながら話を始めた。
「僕たち、君のことが大好きなんだ」
「親愛ではなく、恋慕の……つまり、恋人になりたい、そういう意味でだよ」
 そう言った彼らの顔が本当に穏やかで美しく、私は一瞬見入ってしまった。――それは初耳である。確かに主と部下としてそれなりに良い関係を築いていたつもりだったが、燭台切たちからはそうではなかったらしい。しかも、二振りが私のことを好きだと……?
 未だに彼らの言葉を飲み込めないでいる私を置いて、燭台切たちは続ける。
「でも刀と人、というか審神者と刀で在る限り結ばれないだろう?」
 一振り目の言葉を二振り目が引き継ぐ。
「だからこうなったら神隠しでもして僕らのことだけ見てほしかったんだよ」
 そう言って、二振りがそれぞれ私の手を片方ずつ取った。私は突然の接触に大げさなほど身体を跳ねさせた。一振り目のほうが私の右耳に口元を寄せ、低く色気のある声で言葉を紡ぐ。
「僕らしかいない世界に行ったら僕らのこと見てくれるよね?」
「ヒィ」
 私の口からは場の雰囲気をぶち壊すような情けない声が出た。逃げるように反対側を向くが二振り目がいる。――彼の目には光がなく、全てを飲み込んでいきそうな底のない闇が広がっているように見えた。こ、怖い! まさか自分の部下が病むとは思っていなかったのに!
 怯える私を無視して、二振り目のほうが口を開いた。
「これでも僕たちは我慢していたほうだと思うよ。最初は主を無理やり襲って『どっちの子を孕んだかわからなくなっちゃったね…… これでもう僕らのものだね』という展開も考えたんだけど、流石にそれは人でなしがすぎると思って」
「なんて恐ろしいこと言うの?」
 思わず真顔に戻って呟く。
「でも僕らは人ではないから……」
「じ、実行しないでね!? 流石にそれはちょっと怯えるからね!」
 二振りに挟まれながら肩を縮こまらせて必死に叫ぶ。普段は驚くほど優しい燭台切たちなら私が嫌がることはしないと信じたかったがそもそも神隠しなどというただの誘拐を無許可でやっている時点で彼らの箍は外れているのだ。や、やばい、貞操の危機!
 今すぐに襲いかかられてもおかしくはない雰囲気だったが、意外にも(?)彼らは私をいきなり押し倒したりするようなことはしなかった。二振りとも幸せそうな顔で、ただ私の手を撫でてくっついているだけである。
 ややあって一振り目が口を開いた。
「本当は僕のことだけを見てほしかったけれど、同じ燭台切光忠だから抜け駆けするのも申し訳ないかな、と思って……」
「そうなんだ。これで主を共有できるほうが、ずっと幸せだと思ってね」
 燭台切たちはうんうん、と頷きながら幸せそうに微笑んでいる。それに、と二振り目が続けた。
「僕たち何回か同じタイミングで夜這いをかけていたからもうこうなったら神隠しするしかないかもしれないね! みたいな感じになってね」
「なんで意気投合する方向性がそれなの? あと夜這いはよくない」
 やっぱり貞操の危機な気がしてきた。というかそんな軽いノリでするなよこんなこと。
 はぁ、と大きくため息をついて、私は二振りの顔を交互に見てから言葉を発した。
「うう……こう、ふたりの想いはわかったよ。その、帰ってから今後のことについてお話したい、かな。いきなり恋人とかはちょっと……って感じだし。あ! でも神隠しというか異世界渡航の方法は後でじっくり聞かせてもらい……たい……?」
 私が説得の言葉を口にしている間、二振りは目を丸くさせて顔を合わせている。何故だろう、嫌な予感がする。
「……なに、その、『え? 帰るの?』みたいな反応は」
 頬を引きつらせながら尋ねると、彼らは思い悩む素振りを見せて、それからぽつりと呟いた。
「神隠ししたあとってどうやって帰るんだろうね……」
「……え、え? まさか本当に知らないでやっちゃったの?」
 嫌な予感が的中して、私の顔からは血の気が引いていく。こんな軽いノリで神隠しをされたのに、一生戻ることができないというのか。
「そもそも出来ると思っていなかったんだよ。僕たち、神ではあるけどあくまでも付喪神だからね、そんな大きな力は持っていないし」
「多分同じ燭台切光忠である僕ら二振りがうまいこと力を合わせたからできたんじゃないかなあ」
 二振りは顔を合わせて言い合うが、私は冗談じゃない、とその会話に割り込んだ。
「ま、まって、そんなあやふやな神隠しある?」
「でも現にここにいるだろう?」
「そ、それはそうなんだけど! どうせならそこは一人で頑張ってよ! 現世や今いる世界から移動したらふたりきりっていうのが怖くていいんでしょうが!」
「主、神隠しにそんなに本気なのかい……? あっ、君がたまに言っている“ガチ勢”ってやつかな」
「そんなガチ勢あってたまるか。単にセオリーを大事にしてほしいだけだよ」
「主は神隠しに幻想を見過ぎだよ」
「実行した張本刃どもに言われたくねーーーーんだよなあーーーー!? ああーーー!!」
 私は思わず頭を抱えて大声で叫ぶ。いやでも確かに言われてみれば、異世界に行ってしまった場合は元の世界に戻る方法というか偶然戻れたケースが多いように感じられるし、人外に連れ込まれた場合はそもそも戻れないパターンもそれなりに見かける気がする。気に入られて連れ込まれたら最後、という描写が非常に多いが、それはそもそも彼らが帰還方法事態を知らないという可能性もあった、ということなのだろうか。
だから燭台切たちがそれを知らなくても無理はないのかもしれない。いやしかし私はどうしたらいいんだ!
 一度深呼吸をして、いくらか冷静になった頭で考える。私は今からどうすべきなのか、それを明らかにするにはまずわかっている情報を整理すべきだ。
 無理やりよくわからない世界に連れてこられたことは確定している。帰る手段も確定していない。彼らは私が好きである。私のいた本丸に戻るためには……。
 ………………。
 いや、なんだか無理な気がしてきたな。
 あまりにも情報が足りなさすぎて私が虚空を見つめていると、一振り目が「うーん……」と小さく唸った後に口を開いた。
「やっぱり、僕らのいた本丸に戻る方法はよくわからないな。主、もう諦めないかい?」
「自分で異世界に渡るならともかくそんな軽いノリで神隠しされるのは解釈違いだよ……やり直そうよ……」
「ごめん主、神隠しして解釈違いとか言われるのはちょっと予想外で面白いよ……ふふっ」
「笑うな誘拐犯めが」


(サンプルここまで)





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