短編 | ナノ

8/20 超閃華23新刊サンプル/えんせい!〜産地直送〜

▽プロローグ



「お前たち刀剣男士には現代の人間の知識が足りない!」
 昼餉も終わった頃の、食後の休みのまったりとした一時。審神者は執務に戻る前に刀剣男士たちと歓談して交流を深め、来る戦に向けて英気を養う。元は刀といえど、今は人の身を持つ存在である。戦に勝つためには、充分な休息を取ることが必要なのだ。
 そんな穏やかな時間が流れる空間に、突然審神者の声が響き渡った。
 一体何事か、とその場に居た刀剣男士は首をかしげる。近くで話していた男士数振りも顔を合わせ、頭上には疑問符を浮かべていた。
「主、どうしたんだい。突然大声出したりして」
 たまたま近くで話を聞いていた燭台切光忠は、少々困惑顔のまま審神者に問うた。この主が突然声を荒げる事など相当珍しいことである。――一切無いということはなく、例外もあるのだが。
「う……突然悪かった」
 審神者は気まずそうに、ごほん、と一つ咳払いをして再度口を開いた。
「いや、そのだな。お前たち、俺が現代の生まれなのは知ってるよな」
「ああ、もちろん」
 この本丸の主は現代日本生まれの平均的な審神者だ。
 今の日本は戦のない平和な時代ではあるが、この歴史修正主義者の出現が確認された時代――という知識を、刀剣男士たちは顕現時に植え付けられていた。そのため、誰もが現代日本についてはある程度知っている。
 しかしながら、どういう時代か、ということは知っていても、その時代の詳しい文化、流行、習慣、人々の暮らし――その他諸々の詳しいことは知ろうと思わなければ知り得ない。自ら興味を持って調べる刀剣もいるが、戦以外に興味のない刀剣であればその手の事は全く知らない。
 燭台切は、現代の知識に関してはそんなに疎い方でもない。主の生まれた時代だから、と興味を持って調べたことも多々ある。それに加えて料理をしたり、見た目に気を使う、という性格もあっていろいろな時代の献立や装いを調べてみることもある。故に彼は、「周りよりは少しは詳しい」と自負していた。
 ――現代という単語が出るということは、主は自分の生まれの時代の話をしていたのだろうか。
 燭台切はそう考えながら、審神者の前に座っていた刀剣男士のほうをちらりと見る。どうやら審神者と今会話していたのは鶯丸のようで、彼はマイペースに茶を啜っている。
「まったく、食後の茶くらい静かに飲みたいもんだ」
「うっ、悪かったって!」
「まあまあ。それで、鶯丸さんとどんな話をしてたんだい?」
「ああ、鶯丸ってさ、実戦ばっかりであんまり遠征行ったことないだろ。うちの中でもかなり強いし……」
 審神者の言うとおり、鶯丸はこの本丸の中でも主力として戦場に出ており、遠征の経験は少ない。燭台切が頷くと、審神者は眉を寄せながら苦しげに続ける。
「だからさ、こう、他の時代の話もしておこうと思ったんだよ……そしたら鶯丸、ぜんっぜん知らないんだ」
「……その、現代のことを?」
「そう! そうだ! いやそりゃ平安あたりとか自分の生まれたあたりはまあ知ってるんだけどな、現代、というか近年のことはまっっったくなんだよ! いやそりゃ刀だから仕方ないんだけどさぁ!」
 再び声を荒げ、畳をだんだんと叩きながら審神者は泣き叫ぶ。これでは癇癪を起こしている幼子のようだ、と燭台切は困ったように笑った。
「知る機会もないんだ、仕方ないだろう。こうして主が教えてくれればいい」
「お、おう。……いや、それにしては前提の知識がなさすぎて色々苦労する! 千年以上の生まれの差ってこんなに高く分厚い壁だったのか!?」
「ま、まあまあ主。何もそんなに泣かなくても」
「俺は寂しいんだよ! せめて誰かと俺の生まれた時代の話をしたい!!」
「……誰か主にお酒でも飲ませたのかい?」
 燭台切は審神者の肩を抱きながら辺りにいた刀剣たちの顔を見回すが、全員否定の意を示す。どうやら単純に心が荒れているようだった。
 どうしたものか燭台切が迷っていると、たまたま近くを通りがかったらしい加州清光が審神者を見て声を掛けてきた。
「どーしたの主、突然叫んだりして。しかも泣いてるし……あ、またソシャゲのガシャで爆死した?」
「ほらそういう知識ばっかりある!! 主を的確に傷つける知識ばかりが!!」
「あ、違ったんだ……?」
 面倒な気配を察知したらしい加州は「ごめんねー」と笑いながら去ろうとする。――しかし加州が去るよりも前に、審神者がすっと立ち上がり、そのまま加州の手をがしりと掴んだ。
「……どうやら、ようやくこの手段を取る時が来たようだな」
「え? ちょっと主、どうしたの……?」
 困惑する加州、それを更に困惑した眼差しで見守る刀剣男士――彼らに囲まれながら、審神者は無駄に凛とした表情とよく通る声で宣言した。
「俺は――刀剣男士現代遠征、社会科見学計画を実行する!」



 ――という、謎の宣言が出されてから早数日が経過していた。
 本丸の門の前には、遠征メンバーとして選ばれた刀剣が数振り、その遠征の見送りのために集まった数振りの刀剣男士、そして審神者が並んでいた。
「……というわけで、お前たちには現代の様々な場所に遠征に行ってもらう。ただし今回は通常時の遠征とは違う、ちょっと変わったことをしてもらうぞ。いいか! 社会科見学だからな!」
 一体何をさせられるのやら、と不安げな顔をしているもの、面白そうだと目を輝かせるもの。各々それぞれの反応を見せながら遠征前の最終チェックを行っていく。
 審神者の後ろでその様子を見ながら、加州と同じく見送りに来ていた大和守安定が、二振りでこそこそと会話を始めた。
「……主、どうしちゃったんだろう?」
「多分あれね、主がさみしいんだよ。なんか一人だけ昔にタイムスリップしちゃったみたいでジェネレーションギャップ感じるみたい」
「だからって遠征までさせなくてもいいのにね」
「お前ら聞こえてるぞ」
 それが聞こえたのか、審神者は微妙に気の抜けた声で突っ込みを入れた。しかしすぐに気を取り直して、またも無駄に凛とした表情で遠征メンバーに檄を飛ばす。
「最初はぶっちゃけノリで始めてしまったがまあここまで来たらもう後には戻れない! お前たち、心して遠征に向かうように!」
「今ノリって言っちゃったよ」
「あんなのでいいのかな、僕たちの主」
「ええいうるさいぞ沖田組!」
 審神者は冷静に突っ込みを入れる二振りをびしりと指差す。しかし何かを考え込む表情を見せたかと思うと一瞬のうちに先程の覇気が消え、萎びたようにその場に座り込んでしまった。
「仕方ないだろ……勢いで来ちゃったからもう実行するしかないんだよ……」
「あーもー、ごめんってば。ほら主、立って立って」
「僕たちが悪かったよ。ほら、皆の見送りしようよ」
「うう……そうだな……」
 二振りに励まされながら審神者は己の身体を支え、遠征メンバーに向き直る。その様子を見ていた燭台切――何故か遠征メンバーに選ばれてしまった――は困ったように頬を掻き、同じく選ばれた鶴丸国永は苦々しく、しかし少し楽しそうに笑った。
「……俺たちの主はあそこまで不安定だったか?」
「加州くんが言ってたみたいに、今はさみしくて情緒不安定になってるんじゃないかな……多分」
 それにしてもあの様子では先が思いやられる。あんな主を置いて遠征に行ってもいいものか、と燭台切は頭を悩ませるが、行かなければ行かないでもっと面倒なことになるのだろう、と内心苦笑した。
 そんな燭台切の心配はよそに、審神者が時代の選択を始める。――いよいよ、多くの刀剣にとっては未知の時代に送り込まれるのだ。
「じゃあ皆、気をつけていってこいよ。あとちゃんと楽しんでこい」
 審神者はにっと笑って全員の肩をぽんと軽く叩いていく。
 鶴丸はそれに答えるように、綺麗に、しかし何かを企んでいるような意味深な笑みを浮かべて口を開いた。
「任せておけ。あっと驚くような土産を用意しよう、楽しみにしておいてくれ」
「な、なんか一気に嫌な予感しかしなくなった……」
「失礼な主だなあ」
「……まあ、本当に楽しみにしておく」

 ――じゃあ、無事戻ってくるんだぞ。

 審神者の声が徐々に遠くなっていく。
 こうして、刀剣男士は現代の時代にやや理不尽な理由で送り込まれたのであった。





<以下燭台切編本文サンプル>




『燭台切、折角だから遠征行ってきてくれないか』
 審神者の執務室に呼び出された燭台切光忠は、その予想外の一言に目をきょとんとさせて、しばし言葉を発せなかった。
「……僕が、現代遠征に?」
 戸惑いの表情を隠さないまま燭台切は呟いた。
「そうそう、今メンバー選定中なんだけど、お前もどうかなと思ってさ」
「てっきり、他の刀剣が行くかと思ってたんだけど……」
 燭台切は現代日本の文化を全く知らないわけではなく、むしろ詳しい方だ。格好にこだわる性格故に各時代の装いを好んで調べることも多々ある。戦装束からして洋装である燭台切は、審神者の生まれた現代の“ファッション”についても時折調べていた。また、好んで料理をする性格なため、様々なメニューを調べては献立のレパートリーを増やし続けている。それに加えて、厨で使える最新の調理器具についてもある程度詳しい。もちろんその道を極めているわけではないので――この本丸に喚び出された以上戦こそが本業である――知らないことも多々あるが、この本丸の中では相当“知っている側”の刀剣男士だ。
「そう、お前は詳しい。俺が私服で外に出るときに、俺のコーディネートをぱぱっと七通り程考えられるくらい詳しい……」
「主、放っておくといつもTシャツにジーンズで外に出ようとするからね……政府に呼び出されて現代に戻る時くらい、もう少し気を使ってもいいんじゃないかなと思って」
「うっ……耳が痛い話だ。実際、お前のセンスすごいいいよ、外に出たとき褒めてもらえることが結構あるしな。審神者嬉しい」
「お褒めに預かり光栄だよ」
 燭台切はにこりと微笑む。こうして褒められるのは悪い気はしない。人の身を得てから自由に動けるようになったことで得た情報を己なりに使いこなせているように感じて、ただの鋼のころは感じることがなかったぽかぽかとしたあたたかさが胸のうちに広がる。
「あと最近、更に献立が多彩になったよな。見たこともない料理とかも美味しいからいいんだけどさ……厨はなんだあれ、棚のカオス具合ヤベーぞ。釜の横にあるよくわからん筒とか、現代でもあんまり見たこと無いんだけど」
「ああ、あれは低温調理器、っていうんだよ。誉をとったときに買ってもらえたもので……」
「えっなにそれ?」
「……君が買ってくれたのに覚えてないのかい? ちょっとたぶれっとくん借りてもいいかな……うん、あった、これだよ」
 審神者が言われるがままにタブレット――燭台切は審神者がよく使う道具にはくん付けをしていた――を渡すと、燭台切は手慣れた様子で瞬時に商品のページを開き、審神者に見せてくる。
「……へえ、こんなものあるのか。おっ、ローストビーフとか作れるんだ? 久しぶりに食いてえなあ」
「じゃあ今度はローストビーフを作ろうか」
「マジで!? 楽しみだなー! ……じゃなくて!!」
 審神者は急に妙に機敏な動きで、タブレットを片手に、燭台切をびしりと指差した。
「そうだよお前いろいろと詳しすぎるよ! 下手したら俺より詳しいだろ!?」
「そ、そうかな? 流石に主には及ばないよ」
「今正に俺が知らない知識を披露したのに何を……っ! そう、それだよ。お前さ、現代の知識にはわりと詳しいだろ?」
 燭台切を指差していた手を今度は拳を固めるポーズに変えて、審神者はぷるぷると震えている。
「ああ、そうだね。折角人の身を得たから、色々なことを知って実戦できるのが楽しくて……」
「うんうん、お前が人の身を満喫してくれるのはすごく嬉しい。楽しい。……だけどな、ちょーっと知識が偏りすぎてないか?」
「え?」
 審神者の言葉に、燭台切は再びきょとんとした表情で聞き返した。
「他のことも色々調べたりはしてるみたいだけど……俺は、もうちょっと色々なことを知ってみるのもありなんじゃないかと考えた。こう、総合的に人間のことを知ると、もっと見識が深まるかもしれないし、価値観も変わるかもしれない」
「なんだかふわっとしてないかな……?」
「いいんだよとりあえず聞いて」
 これでは具体的なことはよくわからないが、とりあえず話を続けたいらしい。燭台切は頷きながらじっと話を聞くことにした。
「まあ、元が刀のお前たちの価値観が変わるってなんかアイデンティティが崩壊しそうでちょっと怖いけどな。これで戦いたくない、と思うようなことにはならないと思うけど……やっぱり人の身を得てる以上はさ、人として色々経験して、様々な感情や知識、つまり知るっていうことをいっぱい経験するのはいいことだと思うわけよ」
「……それで、具体的に言うと?」
 独り言のように続ける審神者が結局何を言いたいかわからない。燭台切が少し急かすと、審神者は一度咳払いをして、すっと立ち上がった。
「そう――燭台切に足りないもの、それは、もうちょっと初々しい、大勢の人間と関わる生活の経験だ!」
「…………は?」
 燭台切の口から妙に低い声がこぼれた。初々しい、とは、一体何を求めているのだろうか。戸惑いの表情を浮かべていると、しばらく固まっていた審神者が今度はうずくまり、いきなり声を荒げた。
「だってお前行動自体がなんかいろいろかっこよすぎるんだもん!! 人の身を得て『これは……どういう……?』みたいな戸惑いが一切ないじゃん今のところ! なんだよ! なんでもそつなくこなして!! くやしい!!」
「ちょ、ちょっと主……」
 己の主の突然の変貌にどう対応していいかわからず、燭台切はおろおろしながら審神者を眺めていることしかできなかった。にしても「くやしい」とはどういうことなのだろう、と燭台切が考えていると、突然発狂した審神者がゆっくりと起き上がってきた。その表情は形容しがたく、何かを悩んでいるような笑っているような、見ていると不安になってくる妙に不気味な顔をしていた。泣いているかと思ったが流石にこれくらいで泣きはしなかったようである。
「だから折角ならもうちょっと別の方向から現代の人間に触れてみようぜ。何か新しい発見があるかもしれないし、微妙に失敗して恥ずかしがる燭台切が見れるかもしれない」
「君本当は最後のが一番の目的だろう!?」
 流石にたまらず突っ込みを入れると、審神者は誤解だとでも言わんばかりに千切れんばかりの勢いで手をぶんぶんと振った。
「いや、違うぞ、本当に違う。何事も経験って言うだろ。だからなんでも挑戦してみるのが人間としてかっこいいぞ。お前人間じゃないけど」
「そうだね……いや、そうかなあ……」
 言いくるめようとしているのだろうが、こうも説得力の足りない言葉では納得がいかない。事実ではあるが最後の一言が自分が一言前に言っていることを否定しているので意味が無いのではないか、と燭台切が指摘しようとすると、審神者はぱんっ、と両手を叩いた。
「というわけでだ」
「どういうわけなのかちっともわからないよ」
 もう強引に事を進めることにしたようである。燭台切の突っ込みは一切聞かず、審神者はタブレットを操作しながら口を動かす。
「燭台切が遠征に向かうところはこっちで候補を選ばせてもらったんだが、それでいいか?」
「……まったく。どうせこの分だと何か言っても聞かないんだろう……? いいよ、主の決めたところに行くよ」
「ほ、本当か? ありがとう燭台切!」
 審神者はぱっと顔を輝かせる。一体どんなところに行かせようとしているのか不明だが、社会科見学と銘打っているくらいだ、流石に変な場所を指定したりはしないだろう。
「主の決めたところなら変なところじゃないって信じてるからね」
「お、おう、急にデレるなよ……」
 急に柔らかい対応をされたせいか少しだけ挙動不審になる審神者を眺めつつ、燭台切はくすくすと笑った。
「まあ実は最初は定番のホストクラブとかモデルとかやってもらおうかと思ったんだが流石になあ」
「定番ってなんだい」
「世の中には俺と同じようなことを考える審神者がいっぱいいるんだよ」
「そ、そうなんだ?」
 本当かどうか疑わしい話だが、確かめようもないので曖昧に頷いておくことにした。己と同じ燭台切光忠が一体他本丸でどのようなことを体験させられているのか、非常に気になる話である。
「……ふう、やっぱりここがいいよな! うん、ここならそれなりに溶け込めるだろうし。社会科見学っていうか人間生活体験って感じだけど!」
「……本当に大丈夫だよね?」
「大丈夫大丈夫、お前も、他の刀剣男士も危険な目に合わせたりは絶対しないからな!」
 審神者はそう言うと胸をどんと叩く。勢いがありすぎて「ヴッ……」と声を漏らしていたため燭台切の不安は逆に煽られるばかりだったが、もう返事をしてしまった以上撤回する気にもなれなかった。
「ちなみに、他の刀剣はどこに行くんだい?」
「ああ、鶯丸はソーセージ工場に行くかもしれない。鶴丸は……まあ、帰ってきてから本刃に聞いてくれ」
 ジト目のまま困ったように笑う審神者に燭台切が内心首を傾げる。一体どこへ行かせるつもりなのだろうか。
「あいつ、自分で計画立ててきたからな……まさかあんなことになるとは」
「い、一体鶴さんは何をしたんだい!?」
 やけに気になる物言いをする審神者に、燭台切は思わずじりじりと詰め寄る。
「今知ったらお前のほうに影響出るかもしれないからやめとこう! なっ! とりあえず燭台切、お前が行くのはここだ!」
 バァン、と派手な効果音でも付きそうな勢いで、審神者はタブレットを燭台切に見せる。
 ――そこには、燭台切があまり見慣れない場所が写っている写真が載っていた。確かに普段燭台切が縁のない――それどころか、この本丸の中でここに縁があったり、このようなことを好んで調べる刀剣がいるか怪しいものだ。しかし、審神者の言うとおり、これはまったく危なくもなく怪しくもない場所だということはわかった。燭台切だけでなく、おそらく他の刀剣もそれくらいの知識はある。
 ――しかし問題は、このような場所に行っても良いのだろうか、という点である。
「…………行って、どうしろっていうんだい、これ」
 燭台切は戸惑い気味に審神者に問いかけるが、当の審神者は至極楽しそうな様子でパソコンに向かい、何か書類を作成している様子である。
「とりあえず俺が諸々の手続きはしておくからな」
「主、話聞いてるかい……?」
「さっきも言ったろ。総合的に人間のことを知ると、もっと見識が深まるかもしれないし、価値観も変わるかもしれない、ってさ。そう考えると、ここは結構うってつけじゃないか?」
 そう言われると一理あるような気もするが、それにしては鶯丸が行くらしいソーセージ工場に比べるとだいぶ毛色が違う。燭台切は審神者に手渡されたタブレットを眉根を寄せながら操り、己がこれから向かう場所のことを簡単に調べ始めた。――やはり、ここに行っても意味があるのかと考えてしまうような場所だ。
「僕も工場とかでいいんだけどな……」
「そんなこと言うなよ! こっちも楽しいから! ……多分!」
「主の言葉がこれほど信用ならないと思ったのは初めてだよ」
「そこまで!?」
 審神者は少しばかりショックを受けた様子だが、それでも遠征を取りやめる気はないようだった。
「……まあ、確かに刀剣のお前に行かせるには微妙に不向きかなー、とは思ったよ。でも多くの人間と触れるのもいいんじゃないか? あとここに行ってもらうとだな」
「うん」
「俺が自然かつ楽しく思い出話が出来るようになる」
「やっぱり君自身が楽しみたいから現代遠征に送ろうとしてるんじゃないのかな……?」
「ち、違うぞ、本当本当」
 燭台切が不穏な雰囲気を纏わせてゆらりと立ち上がると、審神者は慌てた様子で否定する。しかし顔だけは燭台切の方に向けつつも、キーボードを叩く手は止まらないようで、今までに見たことがないような爆速で書類を作り上げていっている。普段からこの仕事振りを発揮してくれればいいものを、と燭台切は内心ため息をついた。
 再びモニタに向き直った審神者が画面をスクロールし、出来上がったらしい書類を確認している。一通り確認し終わったのか、審神者はうん、と一つ頷いた。
「よ、よし! これでもう来週には遠征に行けそうだ! 燭台切、ここは覚悟を決めて行ってきてくれ!」
「……わかったよ。こうなったら、人の身を充分に満喫しないと損だよね。不安もあるけど、楽しんでくるよ」
 燭台切はそう言うと、諦めたように穏やかに笑った。
 刀剣のままでは絶対に体験できないことなのだ、こうなったら開き直って楽しんでしまったほうが良いに違いない。もしかしたら今後の戦で活かせることが学べる可能性もあるのだから、何事も経験しておくべきだ。
 そんな燭台切の返答を聞いて、審神者もにかっと満面の笑みを浮かべる。
「それでこそ燭台切だ! 何かお土産よろしくな!」
「ここで買えるお土産なんてあるのかな」
「意外とあるぞ。買わなくても、お前が遠征行ってきましたって証ならなんでもいいし」
「そうなんだ。じゃあ、また調べて準備をしておかないとね」
「手続きは俺が済ませておくからな。――というわけで燭台切、存分に学んでこい!」
 審神者は燭台切の肩を軽く叩くと、親指を立てて輝かんばかりの笑顔でそう言い放った。

 ――――というやり取りを交わしたのが数日前のことであり、燭台切が旅だったのはつい昨日だ。そして、この遠征を承諾してしまったことを早くも後悔していた。
「……あんなこと言ったけど、本当に僕が居てもいいところなのかな、これ」
 燭台切はアスファルトで舗装された道を歩く。服装は戦装束ではなく現代に馴染めるようなシンプルな黒いジャケットとシャツ、そして細身のパンツ。手にはこれまたシンプルな白と黒のモノトーンのトートバッグ。左手に巻いた腕時計の感触にはまだ慣れない。
 周りで歩く多数の人間が、燭台切のほうを見ては顔を赤らめたりまじまじと見たりという反応をしたり、ちらりと見てそのまま隣の友人と話したり、何も気にせずにすたすたと歩いていったり――多種多様な反応を見せて、隣を通り過ぎていく。
(……そういえば、ここまで多くの人間がいるところに来たのは初めて……かもしれないなぁ)
 多くの人間にあふれる道を歩いていけば、すぐに目標地点までたどり着く。そして、入り口――大きな門の目の前で、燭台切は小さく小さくため息を吐いた。
「……本当に、刀の僕にどうしろって言うんだろう……」
 どんと構えられた門には、縦書きで『◯◯大学』と大きく書かれていたのであった。

(サンプルここまで)





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