短編 | ナノ

8/21超閃華22新刊サンプル/幼なじみの光忠くんは私の扱いが雑

(タイトル仮題)



 誰かが私を呼んでいる。

 目を開けると、そこは見慣れない和室だった。
 立っていた私の隣には、誰かが座っていた。その人は和服を着て、正座をして何か書いている。いきなりなんなのだろう、ここはどこなのだろう、と不審に思いながらよくよく見てみれば、それは私にそっくりな後ろ姿をしていた。といっても自分の後ろ姿など普段見ることができないから確信はない。だが、直感的に、これはおそらく私自身であると思ってしまった。
 試しにそっと顔を覗き込んで見ると、彼女はやはり私の顔をしていた。まさかドッペルゲンガーを見ることになるとは、と恐怖に震えて後ずさる。いや、もしかしたら幽体離脱をしてしまったのかもしれない、と一瞬考えたが、この『私』はどうみても自分で動き続けているのでその線は無い。
 目の前の『私』は、私が顔を覗き込んでも無反応だった。どうやら私のことは見えていないらしい。どういうことだろうかと頭を悩ませてみるも、まぁ見えていないのならばそれでいいかとすぐに解決した――いや、解決はしていないが。
 それとも、これはあくまでも私自身なのだろうか。そうだ、単に不思議な夢を見ているだけなのかもしれない。 『私』が主人公の物語を、私が外から眺めている夢、そんなところか。奇妙な夢だがきっとそういう種類の夢もあるはず、きっとそうだろう、と私は勝手に捉えることにした。私は、私に気付く様子が無い『私』をぼんやりと眺める。
 まるでモニタ越しにドラマや映画を見ているように、私は『私』を後ろから――第三者の視点で眺め続けた。自分自身と思われる存在が目の前にいて動いているというのは、とても奇妙で落ち着かない。
彼女はこの見慣れない部屋で何をしているのだろう。先程から一心不乱に何かを書き続けている。しばらくして、もう書くものはなくなったのか『私』が立ち上がった。大きく伸びをしてあくびをしている。あっ、紛れも無く私だ。別人というにはところどころの動きが似すぎている。これでだらけた格好をしていたら、友人も全員これは私だと言ってくれると思う。
 『私』は静かに障子戸を引くと、部屋を出て行った。私もそれに着いていく。ここで初めて部屋の外を見たが、ここは今私が住んでいる家よりもずっと大きい、家というよりは屋敷というほうが近いであろう純和風の建物だった。なんとうらやましい。庭に池まであるとはなんと贅沢な。……贅沢ではないかもしれない。
 私がきょろきょろと落ち着きなく辺りを見回していると、彼女が誰かとすれ違った。その人はかなり背が大きくて、平均身長くらいの私は会話をするのも苦労するだろうなというくらいだった。そしてなぜか、その人の顔が見えない。視界の問題ではなく、意図的にぼかされているみたいにその顔ははっきりと認識できなかった。ただ、体格からして男の人だろうということはわかった。
 二人の口元を見ることができる、少し離れた位置に移動する。それでも男の人の顔はわからなかった。
 『私』の目の前にいる男の人が、口を開いて何か言葉を発していることがわかった。『私』はどこか浮かない顔で返事をしている。どうやら、声は聞き取ることができないようだ。気の利かない夢だな。
 交わされている会話の内容を想像しながらしばらく二人を眺めていると、どんどん雰囲気が重苦しいものになっていく様子だった。夢の中でくらい幸せなものを見せてほしいものである。それでも内容が気になって耳を澄ませていると、少しずつだが断片的に音を拾うことができるようになってきた。
『――――だったみたい』
『――――か……』
『だけど――――』
『ああ――――』
『――――ね。――――なんて』
『大丈夫――――。――から―――――』
『うん……約束ね――』

 『私』はずっと沈んだ顔をしていたが、ついに泣き出してしまった。男の人の顔を見ることはできなかったが、彼もまるで泣いているようかのような、とても沈んだ表情に見えた。
一体何があったのだろう。この『私』は、なぜ泣いているのだろう。もっと詳しく会話を、言葉を聞き取れれば、理由がわかるはずだ。
私が一歩踏み出した瞬間、世界は暗転した。



 ――どこからか小鳥の囀りが聞こえる。

「……んぁ〜〜〜……んん……?」
 聞いた瞬間に全身の力が抜けそうな、なんとも間抜けな声が聞こえた。
いや、これは私の声だ。のそりと上体を起こすと、そこはいつもの私の部屋だった。夢の中で見たような和室など見る陰もなく、いつもの洋室だった。
 今の夢は一体なんだったのだろうか。あの内容は、何かを示唆していたのだろうか。予知夢の類だったら微妙な気分だなあと思いながら、目を軽くこすった。
「あれ?」
 濡れている。
 慌てて両目を抑えてみると、指先には冷たい感触がある。どうやら私は泣いていたらしい。そんなに――泣くほど悲しい夢だっただろうか。まるで、夢の中で『私』が泣いていたから私も泣いたみたいだ。
 なんとも不思議な夢だった。……そういえば今は何時なんだろう? そろそろ学校へ行く支度をしなくては。私は枕元にあるはずであろう目覚まし時計を手探りで探す。
 ――が、手元に慣れ親しんだその感触が無い。あれ? どこいったんだろう。
 仕方なくベッドからのっそりと起き上がり辺りを見回すと、目覚まし時計は床に転がっていた。大方止めるときに勢い余って床にダイブしてしまったのだと思われる。いつもごめん、と脳内で時計に謝りながら、時間を確認する。
 時計の針は、明らかにいつもと違う時間を指していた。
「……ああーーーッ!」
 なんてこった。薄々気がついてはいたが寝坊だ。なんてこった。動揺して二回も言ってしまった。急いで支度を、と階段を転げ落ちる勢いでリビングに降りると案の定誰もいない。だ、誰も起こしてくれなかったのか……!
「ひどいっ! こんな仕打ちってないわ!」
 流石にこれには悲劇のヒロインぶった台詞も自然に口から出ようというものである。いつもは誰かしら起こしてくれるはずなのに何故なのか。
 朝ごはんだけは取っておいてくれてあるようだ。うう、微妙な優しさが逆に沁みる。それを急いで温めようと電子レンジに突っ込み、カチカチカチカチといつもの倍以上のスピードでレンジを操作する。そんなことをしている間にも壁時計の秒針音が誰もいないリビングに響き渡り、カチ、カチと止まることなく刻まれ続け、私を焦らせてくる。くそっ、世界が私に厳しい。
「こういう時くらい秒針止まれよ!」
 壁時計に理不尽な要求をしながら睨みつける。そこで私は違和感を覚えた。短針は、あまり見慣れない数字を指しているような気がするのだ。
「……?」
 目の錯覚だろうか。それとも、寝起きだからまだ視界がぼやけているのだろうか? 目をこすり、少し近くに寄ってもう一度壁時計を確認してみる。
「…………1時だな」
 おかしいな、視力にはそこそこ自信があるのだが。短針はどうみても「1」を指している。だが外は明る過ぎるほどに明るい、というか、太陽の位置が随分高いような気がする。
「午後13時だ……」
 あれ、今日何曜日だったか。近くに吊るしてあるカレンダーをこれまた凝視する。今日は確か、15日だ。
「……金曜日だな」
 金曜は普通の平日だ。ん? 今日って祝日だっけ。再度カレンダーに視線を向け、穴が開きそうなほど凝視する。
「平日だなあ…………」
 …………。
 無言で部屋に戻り、鞄から手帳を取り出す。ぱらぱらとめくっていくこの時間すら惜しい。
 そうそう、そんな普通の平日の13時に起きるなんてありえないのだ。きっと今日は休みになったに違いない。そうでなければこんなに気が緩んでたまるかという話である。
 つまり学校の創立記念日やらなんやかんやで休みということに――。
「違ったなぁ!!」
 手帳にそんな予定は一切書いていない。15日という日付の下には何の予定もなく、ただただ真っ白なスペースが広がっているだけだった。ああ、やってしまった。
 カレンダーを何度見ても今日は平日だし、テレビをつけてみても、どの局も今日が平日のお昼ということを告げるワイドショーばかりだった。なんということだ。現実は非情である。
 しかしながら誰かに今日は休みますと言った覚えもない。もちろん、学校にも連絡を入れていないので無断欠席ということになる。くっ、絶対に週明けに何か言われる。ゆるい担任だから、一度くらいの無断欠席ではそう怒られることは無いかもしれないけど、気分が暗くなった。
それにしても、友人の誰かから心配の連絡は来ていないのだろうか。「なんで来てないの?」とか「今日休みだよ」とか、そういった類のものが。できれば後者の連絡が来ていて欲しい、と強く念じながらスマホをスリープから起動させる。

 ――通知はゼロ件だった。

「……」
 何度見ても、メッセージアプリの通知は着ていない。いやそんなまさか、とアプリを開いてみても、未読メッセージは一件もなかった。
「し、心配すらされてない……」
 まさかこれほどとは。
 もういいや、ふて寝しよう。もうこの時間から行ってもほとんど意味が無い。今日の午後は体育だし、ここまできたらサボりを貫き通したほうがいいだろう。
そんなクズの考えに染まりきり、死んだ目でベッドに再度横たわった瞬間、スマホが小さく震えた。なんらかの通知が来たらしい。タイミング悪いなあ、と思いながら今しがた音を発した物体を手にとる。
「…………あー……」
 画面には、メッセージアプリの通知が来たことが表示されている。そこには、一言だけメッセージが浮かんでいた。

『もしかして盛大に寝過ごした? とりあえず帰りに寄ろうか』

 返事をしようか悩んだが、そのままスマホを放り出してもう一度目を閉じた。起こしてはくれなかったくせに、昼になった今頃になってこんな核心を突いたメッセージを寄越されたことがなんだか悔しかったのである。それにこれは心配されているというより、なんとなく小馬鹿にされている気がして返事をする気になれなかったのだ。

 ***

 ピンポーン……

 来客を告げるチャイムの音で、意識がゆっくりと引き戻される。外を見ると、夏の夕方、といった感じで少しだけ日が傾いていたがまだまだ明るかった。時計の針は17時過ぎを指している。あれだけ寝たのに、どうやら本格的に二度寝をしてしまっていたらしい。睡眠に貪欲すぎる己の身体を呪いながら、のっそのっそと重たい足取りで玄関に向かう。その間にも、もう一度インターホンが鳴らされる。
「あーもー、今開けるってば……」
 誰が来たか確認もせず、私は少し苛立ちながら荒々しく玄関のドアを開けた。
「新聞とか紙切れ要らないんすけど」
と言いながら、もしかして来たのは宅配便のお兄さんだったかもしれないと思い、しまったと顔を歪める。が、目の前に居たのはそのどちらでもなかった。
「……新聞、というか、プリントを持ってきたんだけど。そっか、こんな紙切れ要らないなら仕方がないね」
 目の前には、腹立たしいほど綺麗な顔をした男が立っていた。――お兄さんには、間違いないといえば間違いない。彼はくるりと身体を反転させて、私の目の前から去ろうとした。
「あっちょっと待って、帰らないで」
「折角持ってきてあげたのに開口一番紙切れは要らない、なんて言われたらなあ」
「ぷ、プリントは要りますぅ! 新聞はもう取ってるから要らないんです!」
 とっさに腕を掴んで帰らせまいとする私に、彼は呆れたような目線を向けてきた。
「それに新聞を紙切れ呼ばわりなんて失礼だよ。世の中の新聞製作に携わっている人に謝ったほうがいいんじゃないかな」
「謝りますごめんなさい。とりあえずプリントください」
 彼は素直でよろしい、と小さく呟くと、私の身体を押しのけて玄関に入り込んできた。
「じゃあとりあえず上がるよ」
「えっ、上がる必要は無いんじゃないかな……? プ、プリントだけ貰えればいいかなーって」
 口を引きつらせて笑う私に、彼はこれ見よがしにため息をつくと、少し悲しげに笑った。無駄に綺麗な笑みで腹立つな。きっと外でこんな表情をしたら、百人中九十人程度は足を止めるだろう。
「君ってひどい子だよね。学校をサボった――じゃなかった、うっかり寝過ごして来なかった幼なじみにわざわざプリントを持ってきてあげたのに、お茶も出してくれないなんて……」
「いや、どうせ晩ごはんのときに会うじゃん……あとそれわざと言ってる? ねえわざと?」
 サボったも寝過ごしたも殆ど意味が変わらないだろうに。敢えて言い直したところにちょっぴり悪意を感じた。
「まぁそうなんだけどね。お邪魔します」
「待って、今の『そうなんだけど』はどっちに対して言ったの!? あー……うん、上がったら良いよ、もう……」
 強引に家に入っていく大きな背中を見て、私はため息をついた。
 
 幼なじみの長船光忠は、いつもこんな感じで私の家に現れる。



 物心ついた時から、光忠くんは私の隣にいた。今の家には私が赤ん坊の頃に越してきたのだが、そのお隣が長船家だったのだ。光忠くんは私と同い年で、互いに長男長女で、両親にとって初めての子どもだった。そんなわけで初の子育てに不安もあった我らが母親は本人同士の気質やノリも合ったのかあっという間にママ友になり、互いの家でおしゃべりをしたり何処かへ一緒に遊びに行ったりする――ということが多くなっていった。そうなってくると私達が顔を合わせることも必然的に多くなるわけで、親同士が話している間なんて子供同士で一緒に遊び続けるわけで。私と光忠くんは一緒に居る時間がとても多かったのだ。
そういうわけで、彼との「幼なじみ」という関係はいつの間にかがっちりと構築されていた。幼稚園、小学生、中学生、高校生……と十年以上の時をお隣さん、ついでに友達、というか気がついたら隣にいる――という感じで過ごし続け、今に至る。ちなみに幼稚園も学校も今まで全部同じだ。馴染みにも程があるだろうに。
 光忠くんは慣れた様子で我が家のキッチンに入り込むと、迷いのない手つきで食器棚から湯のみを取り出し始めた。私はそれを見ながらリビングのソファーにぼすりと音を立てて座り込む。それを横目で見た彼が、作業をしながら私に声を掛けてきた。
「それで、何時に起きたんだい?」
「……………………1時」
 無駄に長い間を置いてしまったのはわざとではなく本当に言い出し辛かったからである。溜めたわけではない。
「……ま……まさか昼の……?」
「わかってて訊かないでよ! そうだよ13時だよ!」
「…………信じられない」
 と、どこか遠い目で言い放つ光忠くんの視線は冷たかった。ちょっと心に刺さった。
 光忠くんは鍋を取り出して軽く洗いつつも、私のことを「こいつ本当に同じ人間か?」とでも言いたげな目で見てくる。人外とでも言いたいのか。まさか寝坊だけでそこまで言われようとは。まぁ実際に言われたわけではなくて私の勝手な想像だけど。
「そこはさ、『もしかして風邪引いた?』とか『体調悪かったの?』とか、そういう心配をすべきだと思うんだよね」
「君に限ってそれはないかなと思ってね。昔から身体は頑丈だろう?」
「まっ、まあそうなんですけど……」
 さらりと返され何も言えなくなってしまった。確かに私は病気知らずの健康体である。ここ数年、いや十年、風邪など一切引いたことがない。
「い、いやっ、でもそんな私が今回に限ってものすごくひどい風邪を引いた可能性もあったわけじゃない!?」
「といっても、君昨日の夜の時点では元気いっぱいだっただろう。あれからいきなり体調を崩すとは考えられなくて……」
「その通りだよ畜生ッ……!」
 思わず拳を握りしめてうなだれる。「そのままテーブル殴ったりしたらだめだよ」と声を掛けられた。殴らねーよ。
 顔を上げると丁度お湯が沸騰する音が聞こえてきて、光忠くんが湯のみに注いでいるのがここからも見えた。――というか。
「なんで光忠くんがお茶淹れてるの」
「それは僕が訊きたいかな。普通は君が淹れるべきだと思うんだけど」
「いや……だって気がついたら私よりも慣れた様子でキッチンに入っていったから……そんなところを見たらもう任せるしか無いかな? と思うじゃん?」
「……そこで手伝おうか? とか私がやるよ、って言えないから君は何時までたっても恋人ができないんじゃないかな」
「余計なお世話だよテメーッ!」
 みっともなく吠える私をよそに、光忠くんはお湯を冷ましている間に茶菓子まで用意し始めた。勝手知ったる他人の家とはまさにこのことである。まぁ今更なのでなんとも思わないが。
 ややあって光忠くんがお盆に湯のみを二つのせてこちらに来た。
「どうぞ」
「……ありがとう」
 すっ、と静かにお茶を出される。光忠くんが無言で飲み始めたので、私もそれに倣った。……温度も完璧だしとても美味しいお茶である。なんだか負けた気分だ。だけど、こんな美味しいお茶を淹れてもらったからには素直に礼を言わなくては。
「美味しいです」
「お粗末さま。にしても普通の平日に昼まで寝てるってありえないよね、君本当に高校生?」
「うっ、うるせえ! たまにはこういうこともあるよ!」
 素直にお礼を言ったのに二言目にはこれである。まぁそれとこれとは関係ないけど。
「僕の知る限りでは去年も同じようなことをやってたような気がするけど」
「えっ、嘘……? そうだっけ!?」
 衝撃の事実発覚である。うそ、私ってそんなに寝坊常習犯だったの……? なんということだろう。そしてなぜ本人が把握していないことをこの男は知っているんだ。
「そうだよ。その時も僕がこうしてお茶を淹れていた気がする」
「そ、そっかあ〜……去年もあったんなら今年は起こしてくれてもよかったんじゃない? なんて言っちゃったりしてー……」
 私が冷や汗を流しつつ苦笑いしながら言うと、光忠くんはまた見惚れてしまうくらい綺麗な顔でにっこりと笑った。
「本当に君は進歩がないよね」
「今日一番のいい笑顔で言われた! 美形腹立つ!」
 しかも言い返すことができない。いやしかし、去年も昼に起きていたってどういうことなんだ……? 基本的に朝はとんと弱いけど、ギリギリ遅刻しない程度の時間にはなんとか目が覚めるのに。もしかして来年も同じことをやらかしたりするのだろうか、と考えるとどうも笑えない話である。
 私が一人で頭を悩ませながら百面相しているのを奇妙な目で見ていた光忠くんは、「そうだ」と小さく呟いて鞄を漁り始めた。
「肝心のプリントを忘れるところだったよ。はい、これが今日返された数学の小テスト」
「…………こういうのって普通、生徒が休んだら次回の授業の時に先生が直接渡すもんじゃない?」
「36点って酷いね」
「ほらこういう悲しい事件が起きてしまうんだよ! 点数見ないでよ!」
 光忠くんは私に憐れむような微妙な笑顔でそう言い放った。赤点は回避しているところがなんとも微妙な点数であるが、酷いことには変わりがない。彼は顔もいいし成績もいいパーフェクト高校生なので、余計に惨めさに襲われる。
「僕が教えてあげようか」
「光忠くんの教え方たまに腹立つからいいよ」
「そんなこと言ってると留年しちゃうんじゃないかな?」
「さっ、流石にそこまでは……! ない、はず…………」
 言い切ることができずに顔を青くしていく私を見ている光忠くんの顔はどこか楽しそうだ。何が楽しいんだ。
「まぁ、どうしても駄目だって思ったら僕が教えてあげるよ。どうせいつでも来れるんだしね」
「癪だけどそうするよ、ありがとう……」
「君は本当に一言余計だよね」
 全く、と溜息をつきながら数枚のプリントを手渡された。こちらは普通に授業で使ったもののようだ。
「どうもありがとう」
「どうしたしまして。空欄のままだから写したかったら他の子に借りると良いよ」
「あ、そこは『僕のを見せてあげようか』じゃないんだ……」
「君が見せてくださいってちゃんと言えば見せてあげるけど」
「……なんかそう言われると借りたくなくなるよな」
「可愛げがないなあ」
 余計なお世話である。
光忠くんは「じゃあ目的も果たしたし、そろそろお暇しようかな」と言って、ソファーから立ち上がった。思わず見上げると、座ったままの私との身長差がとんでもないことになっていて顔がちゃんと見えなかった。また身長が伸びたのだろうか。
「ああそうだ。今日の晩ごはんはハヤシライスの予定だよ」
「ハヤシかー。ビーフシチューがいいなあ」
「却下」
「今すごい食い気味に喋らなかった……?」
「そんなことはないよ。ビーフシチューはまた今度ね」
 玄関まで歩いていく彼についていきながら、いつもの会話の応酬を繰り広げる。私の晩ごはんのリクエストは残念ながら通らなかったが。
「じゃあまた後でね。いつもの時間においで」
「うん、プリントありがとう。………………転べ……そこで転べ……」
 おっと小馬鹿にされすぎた小さな恨みがつい言葉になって出てきてしまった。
本当に囁く程度の小声で言ったつもりが光忠くんの性能の良い耳は音を拾ってしまったのか、光忠くんは振り返ってきた。そしてその顔には輝かんばかりの笑顔を浮かべていた。
「今なにか言ったかい?」
「いや何も」
 その笑顔が怖い。綺麗な人ほど笑っている顔にどこか恐怖を感じるのってなんでなんだろう。怪我しない程度にちょっとだけ転んで欲しいと思ったなどということはないので、早く立ち去って欲しい。
「……まぁいいか。三度寝したりしたらだめだよ?」
「流石にそれはないから!」
 それじゃあまた後で。
互いにそう言って別れる。バタン、と玄関のドアが閉まって、一瞬にして静寂が訪れた。
 光忠くんが淹れてくれたお茶の湯のみを片付けながら、今日のノートとプリントの内容は誰に見せてもらおうか考える。他の子に見せてもらうのも面倒だが光忠くんに見せてくださいお願いしますというのも微妙に癪だ。なんやかんや見せてくれそうではあるから、ゴリ押しでお願いしてみようか。
 ――いくら幼なじみといえど思春期の男女となれば大抵はだいぶよそよそしい関係になりがちだが、私達は別にそんなことはなかった。高校二年生の今に至るまで周りの目を気にして意図的に無視をしてしまったり会話が減ったり、ということもなく、むしろこんな感じで軽快に会話を交わしたり、互いの家を行き来するくらいには仲がいい。……いや、仲がいいというより、なんというか、彼は私の扱いが雑だ。気心の知れた間柄といえばそうなのだが、周りの女の子に対する扱いと私に対するそれは明らかに違う。女の子どころか同級生の男の子より雑、そのへんにいる猫よりも雑だ。猫に対して優しすぎるだけ、とも言うけど。
 例えば、彼は普段女の子のクラスメイトに対してはもっと柔らかく優しげな口調で話しているくせに、私に対しては割と棘があることが多いし、痛いところを突きまくってくる。そして私は言い返せないことが多々あるので、いつかは見返してやりたいところだ。あとは単純に態度が砕けすぎているというか、なんというか――やはり一言で言うなら「扱いが雑」なのだ。最近あった例では、私が翌日提出の課題をやってないことに気付いた前日の夜、手伝ってくれと泣きついた時の一言がこれだ。
『君なら先生に必死で謝ればなんとかなるよ、頑張れ』
『そんな心のこもってない頑張れは要らない!』
 そして無表情で部屋のドアを閉められるまでがワンセットだった――このやり取りを交わしたのは記憶に新しい。いや、この場合全面的に私が悪いのでやっぱり光忠くんを咎めるのは間違っているんだけど。でも私は知っているのだ。他のクラスメイトがうっかり提出課題を忘れた時、彼が華麗にフォローしていたことを。私はそんなのしてもらったことは……あるにはあるけど、ほとんど無い。この差はなんなのだろう。
 まぁ決して仲が悪いわけではないので、現状に不満があるわけではない。変に意識されたりしたり、ぎくしゃくするよりもずっといいと思っているし、何より適当なノリで彼と話すのは嫌いではないので、できればこのまま続いていってほしいとさえ願っているのだ。光忠くんさえ良ければ、の話だが。


(中略)



「ねっ、ねえ、あのさ……」
「? なんだい?」
 どうしよう、ストレートに訊いてしまうべきか。いやでも、こんなこと訊いたら私がちょっと頭のおかしいヤツだと誤解をされてしまうのでは……でも光忠くんはすごくこっちを見ている。これでなんでもない、と言うよりも、いっそここではっきりさせたほうがいいかもしれない。
「あの、その」
「……何かあったのかい?」
 光忠くんの表情が少し心配そうなものに変わった。普段はこんな顔しないくせに、こういう時に限って。こんな表情を作らせておいて、訊く内容がまさかの前世のことなんて本当に申し訳ないなと思いつつ、私は意を決して口を開いた。
「いや――み、光忠くんって、前世は刀だったりした?」
 ……………………。
 私達の間を、一瞬どころではない間が流れる。長い。とても長い。いたたまれない。なんでもいい、早く言葉を発して欲しい。そう思いながら光忠くんの表情を伺うと、彼は目を見開いて、私の顔を凝視していた。
「あの……?」
「…………君、」
「はい」
「君ついに頭がおかしくなったのかい……?」
「ついに」
 いずれ頭がおかしくなると思われていたのか。
「いや……うん、ごめんね、そんなに昨日の課題がわからなかったなんて……」
「流石に数学ごときで電波ちゃんになったりはしないから!? ……いや、するかも、うん、するわ」
 いやそこで認めちゃダメだろ私よ。大事なのは光忠くんが刀だったかどうか、をはっきりさせたいのに! それで結局のところはどうなんだともう一度訊こうとしたら、彼の顔は今で見た中で一番慈愛に満ちていた。なんというか、可哀想な子を見る目だった。おいなんだその目は。
「今日の放課後でよければ教えようか……?」
「ひっ人が頭おかしくなった途端に優しくなりやがって! もう光忠くんなんか知らないよいつも卵焼き美味しいんだよクソーッ!!」
「ありがとう、また明日の朝ごはんで作るね」
 ――ヤケクソになって走り去る通学路、朝日が悲しいほどに目にしみた。やっぱりあれは勘違いだったんだ。そうだ、あの夢に出てきた刀を持った光忠くんは、ただの大人バージョンの未来の姿なんだ。もしくは完全に私の妄想で、私が刀だった光忠くんを従えて戦うとかいうよくわからない設定の夢劇場を前世だったのかもとぶっ飛んだ受け止め方をしてしまっただけなんだ――。というか改めて整理してみると、刀だった光忠くんを従える私ってなんだよ。意味がわからない。普通の人間に対して「あなたもしかして前世無機物でしたか?」なんて訊いたら、そりゃ電波扱いもされるよね。
 それでもなんだか無性に悲しくなって、私はほんのちょっぴり泣いた。何故だかはわからないけど、あの夢の内容は本当に私の前世だと確信してしまっていたのだ。光忠くんとはずっとずっと前から一緒に居るような気がしていたのも、そういう理由があるなら合点がいく。別に生まれ変わってもまた出逢えるはず、というロマンス的な恋愛を期待しているわけではなくて、彼だけ覚えていないという事実が心に突き刺さるのだ。
「……まあいっか」
 よくよく考えれば、前世からの知り合いだろうがなんだろうが今の関係が全てだ。光忠くんのご飯がおいしい、それでいいじゃない……。土下座すれば宿題だって教えてくれるし、たまにゴミを見るような目で見られても、なんやかんや面倒を見てくれるし遊んでくれるんだから。そうだ、仮に前世からとても仲が良くて、それを忘れてしまっていたからといって何が不満なんだろう。今が大事なんだよ、今が。
 そう考えれば心もすっかり落ち着いた。むしろ清々しいくらいである。学校にもいつの間にか着いていた。軽やかな足取りで階段を駆け上り、晴れやかな気持ちで教室に入り自分の席に荷物を置く。まだ人が少ないなあと思いながら何気なく横を見やると、綺麗な金眼と目が合った。
「おはよう」
「……おはよ…………」
 …………そういえば席が隣だった。どうしよう、気まずい。勝手に一人で解決した気持ちになっていたけど、結局光忠くんに対して電波感丸出しな質問をした過去は別に変わっていない。なんてこった、まだ私を見る目が生暖かい……!
「あ、あの、さっきはごめん、なんかとてもファンタジーな夢を見てただけだから……その……忘れて……」
「…………君、ローファーのままだよ」
「う、上履きーッ!!」
 やっぱり頭はまだふわふわしていた。なにか忘れてると思ったらこれかよ! 先生と放課後の掃除係の人に心の中で全力で謝りながら、大急ぎで上履きに履き替えに行くのだった。


(サンプルここまで)






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